Tautology
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レプリロイドの精神には成長の余地があるのだろうかと時々疑問に思う。
人間的思考を持つ、あるいはそうであるように設定されて創られたこの身は、確かに長年の経験と知識を得て多少の成長がみられる。
だが、根本的な精神についてはどうなのだろう。
そうであるようにと創造者が設定したままの思考プロセスを辿って、尚且つ今までの起動時間の上澄みを含めて研鑽し導き出す結論。多少の誤差はあっても、根本的なプロセスの変更に至るとは思えない。
それをふまえると、どうにもレプリロイドは創造者の「そうであるように」を越えるような存在にはなれないのかもしれない。
実際はどうだろう。僕というレプリロイドは何か変わったのだろうか。好きなものは?嫌いなものは?それは本当に僕という人格が作り出したものなのか。設定されたものなのか。僕自身だけでは出せない質疑だ。
だが、かつてを省みてみれば、何かしら答えのようなものが解る気がする。
過去の記録に潜り込んで、いつか亡くした……いや、亡くしかけた彼女の顔を思い出す。
大事なものを失いそうになった。あれはいつだったか、何の変哲もなく日常的に行われていた同族殺しの合間のことだった。あの時の僕は酷くこども染みていて、現実を見るのが嫌だった。嫌だ嘘だと罵倒しても事実は変わらなかったし、変えきれなかった。そして考え無しのこどもだったと後悔する。……過去を反省し今を改めることができるのなら、それは精神の成長と言えるのではないかと考える。
だがどうだろう?
あれから長い長い時が過ぎた今でも、日々の間で時折彼女の顔を思い出すし、彼女がまだかたわらに居るような奇妙な錯覚を感じることもある。(ちなみに、ボディの不具合は見当たらなかった)
過去の思い出に囚われている。そしてそれから脱け出せる気配も無ければそうしようという気概もない。かつて僕に備わっていたらしい強い心は、いつの間にか過ぎた時間の中に置き去りにしてきてしまった。
これが成長していると言えるのだろうか。停まっている。停止している。でも動いている。まるで中身の無い人形のよう。生きている意味がない。価値も見いだせない。
それでもやはり、彼女を想う心のようなものだけはまだ僕の中で燻り続けたまま消える様子がない。彼女のかたわらで充足を感じていた心は低温で小さく燃え続けて、そのうち僕自身をも侵食してしまうだろう。停止した思考と身体を跡形もなく食いつくして、あとはその心すらも感じないただの人形に。その方が楽なのかもしれない。
過去を振り切れないから、見切りを付けることができないから、棄ててしまいたいのにまた拾い上げてしまうから、思い出にしてしまいたくないから、忘れてしまいたくないから、彼女をすきなままの自分で居たいから、だから僕は精神的成長を望まないまま停まり続けるのだろう。
僕が僕であるために。