ナチュラルボーン
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いつものアーマーから私服へと換えて、エックスは自分の部屋を後にした。休みであるわけだし、看病をするのなら私服のほうがいいだろう。
通信回線からナオトへ声を掛けると、普段通りに応答があった。なぜだか強制的に休暇を取らされたようなかたちになったことは伏せつつも、体調が悪いと聞いたので様子を見に行ってもいいか、とだけ告げる。特に何かあるわけでもなく、「いいよー。ありがとー」という緩い一言が返ってきたのだった。ある意味、拍子抜けだ。
もしや、本当に休みもせずに部屋の掃除なんてしているんじゃないだろうか、と一抹の不安がよぎる。そんな場面に出くわしてしまったら、無理矢理にでも止めさせてしっかり寝かし付けなければならない。たかが『風邪』とはいえ侮ってはいけない。一般的なレプリロイドとは違う彼女の場合、どんな症状が出るか解らないのだ。
人であるならばどういう症状になるのだろうか。己のメモリーの奥底を引っ繰り返してみると、なぜだか解らないが出てきた『一般的な風邪の症状と看病の仕方(人間向け)』を参照する。……なんでこんなものがあるんだろう?
頭部を冷やす、水分補給をする、食べやすいものを用意する、体調が悪い時は精神状態も不安定になる場合があるので注意が必要、……云々。
方向性が徐々にズレつつあることに気付かず思考を回している間に、エックスはナオトの部屋までたどり着いていた。スペアキーは以前貰っている。
もう一度、通信回線から声を掛ける。
(ナオト、入ってもいいかい?)
(はぁい。どうぞ~)
気が抜ける返事に少し苦笑してしまった。特に重症ではないようだ。
安堵しながらロックを解除して、部屋に入る。しかし予想に反して「いらっしゃい」の言葉は無く、動き回る部屋主の姿もなかった。
「?」
首を傾げる。そこでようやく、すぐ側のソファで丸くなって横になっている姿を見留めた。眠っているように見える。
つい数十秒前に返事があったはずなのだが、意識があるようには思えない。あれはなんだったのだろう。
近寄って顔を覗き込むと、目蓋はしっかりと閉じられていて、赤くなった頬が見える。上下する胸元と、か細い呼吸の音。
一般的なレプリロイドがかかるような、普通の風邪をひいたことがないからその感覚が理解できない。それだけ優秀な耐ウイルス性能なのだと皆は言うのだが、つらさと経験を他者と共有できないのはもどかしかった。
「……熱いな」
邪魔にならないように手を額に当ててみると、平常時よりも体温が上昇しているのが解る。
一旦時間を置いて様子を見ることにしようと考え、エックスはソファの前に腰を下ろした。
持ってきていた業務用携帯端末を取り出す。いつも通りの勝手で自分のメインシステムと同期させ、文書作成用アプリを起ち上げる。作成途中だった報告書を広げた。
「……あの時は、確か……、」
前回の任務での自分の行動記録を回顧する。視界に表示されていくデータを元に文章を作成し、テンプレートに当て嵌めながら書き進める。時折、メモリーを参照してアイカメラからのスクリーンショットを添付する。端末の画面が高速で推移して、空白が埋まっていく。
休日であってもついこんなことをしてしまうものだから、以前ゼロに見られた時「お前、休みでも仕事してるのか」と呆れられたものだ。期日まで溜め込んで直前で慌てるくらいなら少しずつでも進めていたほうが良いと思うのだが、提出期限を破りがちな彼としてはそういう気分にはならないのだろう。最近ではアクセルが、ゼロのそういう部分に似てきてしまっているのがなんとも微妙なところだ。偶にナオトが横で、二人を責付いているところを目撃するときがある。その光景を思い出して、少し苦笑した。
「っと、」
そんなことを思い浮かべながら作業をしているうちに、時間は思ったよりも経過してしまっていた。視界の端に表示された時刻を意識する。
一時作業を中断して、ナオトの姿を確認する。動作、体温共に大きな変化は見られない。そもそも姿勢すら変わっていないということは、身動きもしていないだろう。……さすがに心配になってくる。
明らかに、ボディの発熱量が冷却性能を上回っている。ワクチンプログラムは正常に機能しているのかよく分からない。
少し考えてから、エックスは自身のイヤーパーツを開いた。接続端子を摘んで、格納されているケーブルを引き出す。それからまた少し考える。
―――イレギュラーハンターには、救助したレプリロイドがシステムの不調や外見からは判別できない機能不全を訴えた場合、それを走査しバックアップする機能が備えられている。ハンターとして登録されたのちに後付けされるものだ。
ただ、要救助者を片っ端から全て回収するだけして、アフターケアを後方に任せきりにしてしまっている身としては、残念ながらあまり出番のない機能だった。
しかしこの現状ならば、役には立てるかもしれない。彼女の電脳にアクセスして、追い付いていないであろうウイルス処理のアシストをする。そのままにしておくよりは直りも速くなるはずだ。
「……よし」
エックスは、ナオトの髪をそっと掻き分けてうなじを開いた。髪で隠されるように首筋に並ぶ無機質なコネクタの一つへ、ケーブルの先端を繋ぐ。……なんとなく、妙な後ろめたさが思考を通り過ぎる。
バックアップの名目でアクセスを開始する。個体識別信号を提示すると、ナオトのメインシステムはすんなりと接続を許可した。己のリソースをウイルス処理へ回す。
彼女の電脳は、原因不明のエラーで随分ともたついているようだった。風邪……のはずなのだか。
「……!」
自動的に開始されたウイルス処理とは別に、原因を探ろうと働きかけたとき、突然視界がぐにゃりと歪んだ。まぶたが自動的に下りて、アイカメラからの映像が切り替わる。描画モードが変更され、景色が高速で書き換えられていく。
驚く暇もなかった。ごく普通の室内だったはずの現実風景が、瞬く間に仮想空間のものへと変わっていた。
太陽も雲も無い、遠くまで続いている青空。どこか褪せている気がする。足下に床は無く、水面のようなものが空の色を映し込んでいる。そして見たことのないドアが眼前にぽつんと一つ。
そんな世界に、自分は立っていた。
「これは……?」
何よりも先に、エックスの視線はそのドアへ吸い寄せられた。
銀色をした金属製の扉が一枚、空中に浮かんでいるように見える。人間はもちろん、人型のレプリロイドなら簡単にくぐり抜けられる高さと幅。蝶番とドアノブがあるところを見ると、自動開閉タイプではない。大人の目線の高さに小窓が付いているが、その先は真っ黒く塗り潰されていて、向こう側が視認できない。
「……」
不穏なものだと思った。これは無い方が良いものだと、理由もなくそう感じた。こんなところにあるべきではない。内部がどうなっているのかを確認して、できれば排除したほうが良いものだ。
金属製のノブに手を掛ける。がちゃ、と内部の機構がリアルな音を立てる。開こうとした直前、
「あけちゃダメだよーエックスー」
「っうわっ!?」
驚いて咄嗟に手を離してしまった。
いつの間にか、足元に小さい何かが居る。視線を下へ向けるとその何かは顔を上げ、少し真剣さのある表情でこちらを見てくる。
「……ナオト?」
「こんなとこに居るのはやめようよ。あっちのほうに行こ!」
いつもの見慣れた姿よりふたまわり程小さい子供の姿をしたナオトが、エックスの手を引っ張って歩き出した。つられて足を動かしながら、その子供を観察する。
身長は自分の腿の高さ程度しかない。見慣れたアーマーではなく、簡素な薄い検査着のようなものを纏っている。この服も、見覚えが無い。
これは一体何がどうなっているのだろう。
「ど、どうしてこんなところに……いや、それよりその格好は……」
なぜ小さいのか、そもそもここに居るのは?と考えかけて、ハッと気が付いた。
ここは彼女の電脳の内側ではないか。つまりはプライベートな領域ということだ。こんなところまで入り込むつもりは無かったのに、勝手に侵入してしまっている。引っ張り込まれたのか? 悪気はなかったのだが、本人の同意を得ていないのはさすがにまずい。
咄嗟に離脱しようと慌てて経路を探しかけたとき、ナオトが振り向いて口を開く。
「エックスは、いつもより背がたかいね」
「……おれは変わらないよ。君が小さいんじゃないか」
「んんー?わたしはいつもとおんなじだよ」
話がどうにも噛み合っていない気がして、思わず首を傾げる。
現状を把握しているのかいないのか、幼い顔はのほほんと笑っている。服と髪が揺れている。可愛いなと思ってしまったが、そんな事を考えている場合ではないと考えを改めた。
余計なお節介かもしれない。しかしこれはすぐに離脱するより、少し話を聞き出した方が良いかもしれない。用が済んだらすぐにでも出て行こう。そう判断して、エックスは口を開く。
「ちょ、ちょっと、いいかな?」
「なぁに?」
子供の背中が振り返って立ち止まる。するりと手が離れる。
「……君の内側に入り込んでしまったのは、ごめん」
「平気だよー。だって、さっき入ってもいいかーっていってたよね」
そういう意味ではなかったのだが、しかしあの返事はやはりナオトのものだったようだ。
「…………。いや、今はそれより、いろいろ聞きたい事があるんだけど」
「いいよ!どーぞ!」
少し迷いながらも片膝を立ててしゃがみ、笑顔を作るナオトと視線を合わせた。
子供じみた丸い顔といつもより大きい眼が覗き込んできて、思わずこちらも表情が緩みそうになる。それを誤魔化しつつ、なんとか真面目な空気を作る。
「いつからこういうことになっていたんだい?時期や頻度は?」
ナオトのこんな姿は初めて見た。外見と内面の齟齬が大きくなれば、それこそ普通に活動するのにも支障をきたすだろう。これはデフォルトの状態ではないはずだ。
「さいしょから、ときどき。仕様?なのかなあ?」
「……、そんな仕様なんてあってほしくない」
最初から。笑顔のまま何でもないように発せられたそのに、嫌なざわつきを覚える。
「今までちゃんと停まらないでうごけてるから、いいと思ってるよ。ラッキーだよ」
「……」
どことなく諦めたような言い方をされ、返す言葉に詰まってしまった。何も思い付かなかった。
ナオトがごく普通に設計されたレプリロイドなら、自分はまだ違った何かを返せるはずなのだ。
生きていることが、動いていることが幸運だなんて、まるで本物の肉体を持って生きている人間のようだ。
彼女の生身の部位は数えるほどしか無く、一見してもレプリロイドに近しい体を持っている。なのに、やはり自分とは違うものなのだと改めて告げられたような気持ちになった。
初めて彼女の体の事情を聞いた時。その時に感じたものを、わけが解らないまま心が掻き乱された感覚を、苦い気持ちで反芻する。
ナオトはすぐそこに居る。近いはずなのに、遠い。それがものすごく嫌だった。
やはり掛けるべき言葉を思い付けず、気がかりな別のことを問いかける。
「さっきの、あのドアは?」
「……、」
ドアのことを話題に出した途端、柔らかかった表情が固くなった気がした。
「……さいしょからあったよ」
「あれは恐らく、良くない物だと思う。できればすぐにでも原因を探して排除した方がいい」
視線が逸らされ、明後日の方向をさまよう。戸惑いと、口ごもる様子が感じられる。
「…………メンテナンスでね、診てもらおうとするときえちゃうの」
「消える……?」
また一つ、ざわつきが増える。
「誰かがいるとでてこなくなっちゃう。だから、エックスがここに来てるのにあれがあって、びっくりしてる」
ナオトが困った表情でそう言った。
『出て来なくなる』だなんて、それこそ怪しい。まるで意図した動きをしているかのようだ。何かを仕込み、遠くから観察をしているような。
「あれが開いたことは?接続先と、中がどうなっているか確認できたことはあるかい?」
「わ、わかんない……。こわい感じがするから、近くにいたくない……」
近寄りたくない怖い物。そんな曖昧な言葉でも、予感は当たっているように思える。あれはやはりそういう物だ。ここにあってはならないもの。
一体誰が、何のために?最初から?ベース内でのメンテナンスを回避するよう組まれているのか?見えないものを手繰り寄せるような、妙な感覚だった。
それに、彼女の電脳で、こうして彼女自身の意識が退行を起こしている事自体がそもそもおかしな事態だ。こんな不安定な症状は聞いたことがない。これも、やはり普通の設計ではないからだろうか。
エックスは眉根を寄せ、思い切り顔をしかめた。募る焦りをどうにか飲み込んで、ナオトの両肩を掴んで正面から見据える。小さな身体が驚きで後退るが、それに構うだけの気持ちの余裕はあまり無かった。
「体調不良でつらい時に言うべきではないと思うんだけど……でもこれが普通のはずがないよ」
「ふつう……」
「風邪の症状が直った後に、改めて診てもらおう。今の君の状態をなんとかしないと……、」
「おかしい?」
台詞の何かに反応して、眼の前の子供が身震いをした。表情が急激に曇り始め、小さな両手が服の端を握る。
子供はおどおどとしながら、エックスを見詰めてくる。そんな眼差しを向けられるのは初めてで、言うべき言葉が消えてしまった。
「…………えと、変かな?ど、どうしたら一番最適なのかって、おもいつかなくて」
「ナオト……?」
怪訝な声音を叱責や非難だと受け取ったのか、子供の顔色が徐々に青褪めていく。まるで、先程まで『作っていた』笑顔が剥がれたかのような違和感が迫り上がってくる。
「わ、わたし、ぜんぶが変なかんじだから、わかんなくて。変なのかな? み、みんなみたいなレプリロイドって、どうしたらなれる……?」
酷く怯えているようだった。やはり何かが噛み合っていない。
皆のようなレプリロイドになれるか?なんて、なぜそんなことを必死に問いかけてくるんだ。まるで何かから、そうであれと強制されているようではないか。
ナオトの電脳に入り込んでしまってから、ずっとあった理由の解らない歪な違和感が、眼の前に集束していた。
「あ……ごめ、なさい。ちゃんと、自分でかんがえるから。何とかするからだいじょうぶ、心配ないよ!」
胸を張って誤魔化すような台詞を口にする。表情は明るい形を作っているのに、眼の奥では常に何かを伺っている。
そんな顔をしてほしくない。君の不安を取り除きたい。そう思いながら眼前の頭を撫でると、強張った体が少し力を抜いたように見えた。
「大丈夫、君はどこもおかしくない」
「お、おかしくない? 変じゃない?……上手くできてるかな?」
「もちろん。そんなふうに不安に思えてしまうのは……きっと、風邪のせいだよ」
本人の自覚がないだけで、具合が悪いせいだ。だから他愛無いことでも良くない方向へ考えてしまう。……恐らくそれほど簡単な問題ではないのだろうが、そうであって欲しい気持ちの方がはるかに大きかった。
「かぜ。う、うん。そっか……そう、かも……」
「おれも少し頭を冷やしたいから、やっぱり戻るよ。こちらでウイルス処理のバックアップもしているし、君もじきに楽になると思う」
立て続けに余計なことを考え過ぎてしまった。元のナオトに戻ったときに、もっと話し合って情報を整理する方が得策だ。今この状態では、難しい話をしても上手く伝達できないだろう。冷静に情報を纏める時間も必要だ。
思考を巡らせながら立ち上がったとき、くい、と服の端を掴まれる。
「……帰っちゃうの? ……その、……まだ、」
ナオトは何か言いたげに口籠り、黙り込んでしまった。そのまま軽く頭を振る。
「……ううん、何でもない。わたしは平気だから、エックスは戻って」
服を掴んだ手がすり抜けて落ち、視線は下を見詰めた。それも一瞬で、次は何事も無かったかのようにこちらを向いている。本音を取り繕われたと思った。
あぁもしかして、と思い至ったエックスが、考えるふりをしながら苦笑する。
「んー、と、戻った後もう少し君の部屋に……君の近くに居てもいいかな?今日は暇になってしまったから」
「!!……い、いいよ!もちろん!」
怯えと違和感が薄れ、ナオトはほっとするような、安心した表情を浮かべる。これが正しかったようだ。こんなことくらい遠慮なく言ってくれれば良いのに、どうしてそんなに抑え込んでしまうのだろう。
ゆっくりと手を伸ばして頭を撫でると、されるがまま心地良さそうに目を閉じた。やはり、可愛いと思ってしまう。
「じゃあ、また後で」
「うん!」
にこにこと笑顔を浮かべた子供は、嬉しそうに頷いた。
3へ。