オッズアンドエンズ
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動かない彼女は死体のようだった。
閉じられた瞼をゆっくりとなぞる。その奥にある眼球のまるみと僅かな温かさを指先のセンサーが知覚する。己の白い手先を一瞥してからもう一度、すぐそこに横たわる小さな肢体へ視線をやって、アーマー越しに胸元が上下していることにようやく気付いた。ゼロは深く息を吐く。死んではいなかった。
剄部から伸びたいくつかのコードがメンテナンスベッドの脇に置かれた装置に繋がっていた。機器類が作動する僅かな雑音と希薄な呼吸の音が聴覚を過ぎ去っていく。そこでようやくベッド脇のスツールに腰かけて、手持ち無沙汰に彼女の髪を摘んで擦り合わせた。
「心配かい?」
そう狭くもないメンテナンスルームの中、薄型の業務用端末を片手に歩き回っていたゲイトがからかうように口を開いた。紫の色彩と白衣を靡かせて装置を見詰めるそれはメンテナンスというより怪しげな実験でもしているかのような風体に思える。相手の切れ長のアイカメラがいたずらに細められるのを、ゼロは面倒くさげに一瞥した。
「何がだ?」
「何って、ナオトの事がさ」
いつも通りの身体検査。任務で負傷したわけでもないのに、なにを案ずることがあるのか。
「はっ、ただの定期メンテナンスだろう。心配する理由もない」
「それにしては何だかずいぶん真剣だね。ああ、エックスもよく似たような顔をしている時があるよ」
彼の場合、もっと深刻そうな表情だったけれど。手元の端末へ視線を遣りながら、ゲイトがそう言った。
「あいつは心配性だからな。こいつに関しては尚更」
ナオトが人間であるという情報が自分達にもたらされてからそれほど経過してはいない。
事実を知ったのち、シグナスの指示によって行われたナオトの精密検査……という名目の事実確認。あれはあらゆる意味で、印象に残る出来事だった。明るくお喋りで気丈なこの少女が、あの時ばかりはまるで大人に怯える人の子のような眼をしていた。
それ以降、エックスの心配性は加速しているように思える。平時から大小の差はあれど、頻繁に怪我をするナオトを見ていられないのだろう。定期メンテナンスに付き添う姿もよく見掛ける。
その様子は単なる心配だけだとは言えない領域にあるかもしれないが、本人はそれを自覚しているのだろうか。
「君も、彼と似たようなことをしているじゃないか」
思考を転がすゼロを余所に苦笑混じりの言葉が届いた。反論しかけて黙り込む。
自らの行動が、確かに類似する心理現象に基づいた行動であったことを自覚して、決まりの悪い表情を作る。
「でもその気持ちは解らないでもないさ。彼女は特殊だからね」
「今更だな」
「ああ。初めて彼女に関するデータを見たときはまさかと思ったよ。君やエックスとほとんど遜色なく動けるイレギュラーハンターが、本当は人間でした、なんてね」
「人を排除するつもりだったはずなのに、逆に倒されたことが心外だったのか?」
「ああ、それもあった……と言うべきかな。もちろん今はそんなことは思っていないよ」
計器のモニターから目を離さないままのゲイトを見つめて、ゼロは小さく肩を竦めた。
ウイルス性のイレギュラー化から更生するケースは稀である。感染したウイルスを完全に除去するのは困難であり、電子頭脳に異常をきたす場合のイレギュラー化とは訳が違う。その珍しい例の一人は今まさに目の前に居る科学者然としたレプリロイドだ。
ウイルスに侵されながら、人類を排斥しレプリロイドを支配せんとしたその者の計画は、エックスやゼロ、ナオトの手によって阻止された。そして今はエイリアの働きにより更生し、制限付き、監視付きでありながらもハンターベースのメカニックの一員として動けるまでになっている。
そして、ナオトに関する今のこの台詞。
「お前、また妙なことを考えているんじゃないだろうな」
「はは、まさか」
「上に目をつけられても知らないからな。二度は庇いきれない」
「解ってるさ。せっかく拾ってもらった命だからね。わさわざ無下にするようなことはしないよ」
「…………なら、いい」
「それに彼女に何か手を出すようなら、今度こそボクが消し炭になってしまうよ」
ようやく振り返ったゲイトはゼロに苦笑を向けながら、ここには居ない誰かさんの攻撃でね、と大袈裟に肩を竦めた。あぁそうだろうな、と口には出さずに同意する。
…………何かと冗談めいたことばかりを吐くこの男は、意外に空気が読めるやつだったようだ。自らの中でのゲイトの評価を僅かばかり引き上げていると、再び言葉が飛んできた。
「それにしても、素直に凄いと思うな。脆弱な生身の部分を残していて、尚且つ人工的なパーツとも上手く適合している。こんなぎりぎりのバランスで生きていられるなんて。ボクからすれば信じられない」
「そうか、お前もレプリロイドを創っていたんだったな」
「ああそうさ。だから解るんだ。君やエックスも信じ難い存在だけど、彼女も負けず劣らずだ。考えてもみなよ、人間を卑下するつもりは全くないけれどね、人間がレプリロイドと同じように電脳を扱いきれると思うかい?キャパシティオーバーにならずに?まさか」
しかし彼女は普通のレプリロイドのように動いている。振る舞っていると表現するべきか。
饒舌に捲し立てたゲイトはてんで訳がわからないと言いたげにナオトの額を撫でる。揺れた頭部から髪が滑る。
ゼロはメットの下の眉を寄せて、答えの出ない問いに答えた。
「それでもこいつは人間だった」
「まったくもってその通りさ。本当、彼女に手を加えた者に是非とも会ってみたいね。……ここのデータベースには詳細が無かったんだけど、君たちも知らないのかい?」
「……さあ、知らんな。こいつや俺がイレギュラーハンターになった当時は、過去の経歴ってやつは重要視されていなかった。おそらくエックスも知らないだろうな。こいつも、知っているような素振りを見せたことがない」
今までハンターベースは何度と無く、破壊され再建されを繰り返してきた。その間に過去のデータが紛失した可能性などいくらでもあるだろう。今更ほじくり返すのは難儀だ……と、あらかじめ用意していた台詞を返す。話せる情報とそうでないものを切り別ける。秘匿するべきものは多い。
それでも、ゲイトは腑に落ちないとでも言いたげな表情のままだった。
「でも、彼女に関係するデータはどこの研究施設を洗ってもサイバー空間を探し回っても見当たらなくてね」
詳細不明。生い立ちすら不明瞭。そんなものはありふれた話だろうと言いかけて、ゼロは言葉を飲み込んだ。
自分達がそういう存在だから今まで気にも留めていなかっただけなのだ。製作者不明のオールドロボットである自分達と関わり続けていたから、出自に関する疑問が浮かばなかっただけ―――改めてそれを意識する。
ゲイトは不意に険しい表情を作って、ゼロを正面から見据えた。
「ヒトのレプリロイド化……この場合はサイボーグ化と表現すべきかな?……そういった研究の話題すら見当たらないというのはあまりにも不自然だろう? 彼女のような存在が出所不明だというのは、近い将来何かしらの問題に繋がる可能性があるよ。今のうちに何らかの対策を打っておいたほうがいい、とは思う」
まぁ君以外にはまだこの考えを伝えていないけどね、と良く通る声が部屋に響いた。
安易に口に出せるものではない。ましてや、余計な不安定さの根源になりかねないこの話がエックスの耳に入るようなことは避けたい。あいつはナオトの体のことを知った時ですら相当に狼狽えていたのだから。
「………」
「いや、勘違いしないでくれよ。なにも彼女のことが嫌いなわけじゃないんだ。むしろ好ましく感じているよ。だからこそだ」
剣呑に目を細めたことに気づいて、ゲイトは幾分か表情を和らげる。その顔に偽った様子はなかった。それくらいをはかる程度には、他者を見る目はあると自負している。
ゼロは身を起こして足を組み直しながら、深々と溜め息をついた。ベッド脇のサイドテーブルに頬杖をつく。
「…………全く、どいつもこいつも面倒事を抱えやがって」
「君が言えたことじゃないだろうに」
「……」
ゼロがすぐにむっとした顔を向けると、ゲイトは肩をすくめて苦笑する。
ナオトに繋がるコネクタが全て外されていく。項のアーマーからのコードを格納し、電源を落とした機器を移動させる。
「さて、メンテは無事終了だ。もう暫くすれば起きるはずだよ」
「なあ、」
「なんだい?」
「こいつの生身の部分とやらはどうなっている? 状態は?」
「? どうというか……。まず彼女は電脳と生体脳で動いていて、中枢神経系の一部と、あとは頭の中にそういった部位が組み込まれている状態だ」
半々だからこそウイルスに耐性があるんだろう。案外こういう作りの方がいいのかもしれない。とゲイトは続ける。
ああ、それは知っている―――と、ゼロは言葉に出さずに頷いた。
「現状は外からしか診られないが、大きな問題は無さそうだし正常に機能しているようだ。あぁそうそう、生体脳は非常に頑丈なシェルで覆われていてね、一度切開してしまったら容易に戻せない造りになっているようだよ。これ以上触ることができないのが少し惜しいところさ」
そんなことを言うゲイトを横目に、ゼロは考える。
つまり遺伝子情報からナオトの素性を割り出すには、その頭をかち割るか、脊柱を引き摺り出すかしか手がないということだ。そしてそれはどちらも致命的に不可逆な結果をもたらす。
こちらの物騒な思考をよそに、眼の前の科学者はふと思い出した顔をして口を開いた。
「そう言えば……前々回の時だったかな。どうやら彼女、メンテ時のスリープモード中であってもシステムが落ちていない時があるようだよ」
「落ちていない?どういうことだ?」
「シャットダウンしているはずなのに起きていたことがあってね。目が開いて、普通に話しかけてきたんだ。その時は生体脳の方が起きたままだったようで、少し様子が妙ではあったけど、モニタリング状況やシステムにも何ら問題が無かった」
「それは正常の範疇なのか?」
電脳の中に組み込まれた生体脳。半々の頭の中身。その一部分だけで動いているとは、どんな感覚なのだろう。眠っているはずなのにそうでないというのは、夢でも見ているのか……過去を知らない者が見る夢は、一体どういう内容なのか。
かつて自分を苛んだ悪夢の記憶が思考を掠めていくが、それを敢えて無視する。奇妙な疑問だけが積み上がっていく。
ゲイトは少し考え込んで、あっさりと首を振った。
「残念ながらこれだけでは判断できないね。取り敢えずは今後も注意して診ていくつもりだよ」
「……」
ナオトの顔へ視線を送る。まさしく死んだように生白かった肌に、徐々に色みが戻ってきているのが解った。この様子ならば、今回はきちんと『眠れて』いたのかもしれない。
微かに瞼が震えて開く。何度かまばたきを繰り返し、その眼の奥で瞳孔を模したものが収縮するのが見える。人形めいていた双眸に意志がコーティングされる。……あの時の精密検査に比べれば、こういった定期メンテナンスにもずいぶんと慣れてきているものだ。
緩慢に半身を起こして目を擦りながら、間の抜けた声を出す。
「ふわあ……おはようー」
「おそよう」
「やあナオト、眠れたようで何より。気分はどうだい?」
「悪くないー……どうだった?」
眠たげに半分だけ開いた目をゲイトに向けて、またひとつあくびを漏らす。
「問題ないよ。至って正常さ」
「そっか、良かった。ありがとう」
緩く笑うその顔を見て、呑気なやつだとゼロは内心だけで苦笑する。こちらは今まで彼女についての懸念をあれこれ話し合っていたと言うのに、本人は至ってあっさりとしている。まるで気にも留めていないかのように。
不安要素はどうしても排除しきれない。しかしナオトの有用性は、活動実績とともに証明されてしまっている。そして彼女の中身の情報が、現在どこまで上層部に――この場合はシグナスよりも上の者達に――知られているかなど、自らの立場では確認のしようもない。情報は秘匿されているようだが、裏ではどうなっているかも解らない。
今後シグナスがどう判断していくにせよ、彼女の情報を秘匿する方向で動く以上は、これまで通りであり続けるだろう。イレギュラーハンターの中でも充分な戦闘経験がある者はそう多くなく、定期的に纏まった人数が入隊していても人手に余裕があるとは言い難いのだ。
辞めようと思ったとしても辞められない。自分やエックスと同様に。
彼女に何か問題が起きればその時はその時でどうにかするしかない。ゼロ自身が行動を起こすよりも早く、エックスが率先して動くだろう。
ナオトはいつだってくるくる動き回って、思いもよらない一言を投げて寄越す。その日常であればいいと考える。
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