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4、かき混ぜた塊

sideイーシン



ピエロとサーカス小屋……


ルーハンはそう言っていた。僕にだって何となく分かる。ルーハンにはそれほどまでに自由がないってことくらい。

ソウルで何日もフラフラしている自分──

成功ってなんなんだろう。
アーティストとしての自分に足りないもの。
ただ好きな音楽を好きなようにやるのが幸せなのか。富や名声を手に入れるのが幸せなのか。

僕はやっぱり、もう一度ジョンデに会わなければいけないような気がした。
このまま、中途半端な状態で別れてしまったら、僕らはこの先ずっと交わることがなくなってしまう。そんなのはダメだと思った。ソウルに居られる時間だって限られてる。ジョンデと、きちんと話をしなきゃいけないんだ。


ぶらぶらと歩きながら考え事をしてると、どうやらそこは繁華街を抜けて歓楽街のようだった。ネオンが光る表通りから一本入って怪しげな店が立ち並ぶ。

僕はジョンデにメールした。
あまりにも打算的だったかもしれない。


『道に迷ったから助けて』


すぐに既読がついて。
けれどなかなか返事は来なくて。


『お願いします』


だめ押しの2通目。
ようやく返ってきた返事を見て、苦笑いした。


『周りの人に聞けばいいじゃないですか』
『なかなか言葉が通じなくて。怖いお兄さんに何度もお店に連れて行かれそうになるし』


少しだけ誇張して送れば、文字からも伝わるくらいに仕方なそうに『わかりました』と返ってきた。


**


急いでくれたのか、30分もしないうちにジョンデは僕の目の前に表れた。
だけど、良かったと胸を撫で下ろす僕に、ジョンデは来るなり声をあげる。


「なんでこんな危ないところにいるんですか!」
「だって、そうじゃないとジョンデが会ってくれないかと思って」

「……帰ります」

「ダメ!待って!」
「何ですか?」


行こうとするジョンデの腕を掴むと、嫌そうに振り返ってそれから「あぁ、身体ですか?」って。


「こないだのキスで味をしめました?まぁ、1回限りならソウル土産として寝たっていいですけど」
「え?」
「この辺ならラブホテルも多いですし、やっぱり記念に1回くらい男も体験してみますか?」
「な……、」


結局僕はジョンデにこんなことしか言わせられないんだろうかと考えると、酷く悲しくなった。僕がしたことはそれだけ大きな警戒心を植え付けてしまったらしい。


「そういうつもりじゃ……」

「僕のこと、惨めだと思いますか?」
「そんな……!」
「可哀相とか、残念だとか、気持ち悪いとか。シン哥もそんな風に僕のこと見るんですか?僕は惨めじゃないし、可哀相でもない!自分が特殊なことなんて分かってますから!」


声をあげるジョンデをじっと見つめると、僕はそっと抱き締めた。

びくりと震えたジョンデの体は強ばっていてじっとりと熱く、籠った熱を発散できずにいるみたいだ。


「僕たち、もっと話をしない?お互いの誤解や、今まで誰にも言ったことのないこと、醜いと思っているところ。僕も君に吐き出すから、君も僕に吐き出せばいい。どうせ僕らには利害関係なんかない、行きずりの関係みたいなものでしょ?」


この熱を放出させてあげたい。

剥き出しの棘だらけの強張る背中を何度も撫でて頭に手をやると、やがて棘は鋭さを鎮めてこてんと肩に重みを増した。



***


「念のため言っておくけど、下心はない。だけどどうしてもしたくなったらすればいいし、しないで話をしてるだけでもいいよ。それは今は考えないようにしよう。ただ、話をするのに都合がいい場所なだけってことでさぁ」



そんな保険を掛けて、僕らは歓楽街の路地からすぐのところにあったラブホテルへと入った。


僕はベッドに腰掛けて、ジョンデはソファーに座った。
ベッドヘッドに並ぶBGMのツマミを掴んで小さく絞る。


「韓国の音楽って面白いね」
「そうですか?」
「うん、中国ではあまり聞かないようなダンスサウンドが多くて驚いた」
「そうかもしれないですね」


何の益体もない話。
ぽつりぽつりと話す妙な空気。
無意味な話を切るように、僕は話を切り出した。


「ジョンデってさぁ、ミンソクと仲悪いの?」
「え……?」
「あんまり触れられたくないのかなぁと思って」
「別に、そういう訳じゃ……」
「僕、兄弟いないから兄弟っていうのがどういうものか分かんないんだけど、昔はもっと仲良かったような気がして」


成長すればそんなもんじゃないですか、ってジョンデは淋しげに呟いた。
その瞳が、酷く傷付いているように見えて、なんだか無償に悲しくなる。
絡み合った糸を解くために、僕は思いきって言葉を続けた。


「じゃあ……好き、とか?」
「…………!」


ジョンデの鋭い視線が刺さった。


「別に責めてる訳じゃないし、答えたくないなら答えなくてもいいけど。ルーハンが、ミンソクのことを聞いたらジョンデは怒ったって言ってたから。もしかしてそうなのかなぁって思ったんだけど……」


ジョンデがどういう意味で実の兄を好きかなんて分からない。ただの兄弟愛なのか、それとも恋愛、欲情的な何かなのか。
ただ、何かしらの感情にもがいていて、僕はそこから助けあげたいと思っていることは確かで。自分の中に、彼に対して特別な引っ掛かりがあることだけは分かっているような気がした。



「好き、なのかな……」


ジョンデはぽつりと呟く。



「よく分かんないです。でも、ルー哥のことは嫌いでした」
「僕も、嫌いだよ」
「え……?」
「だってさ、あんなに成功してるんだもん。羨むなって方が無理じゃない?」


ジョンデが思ってる"嫌い"とは意味が違うかもしれない。
けれど僕も、ルーハンに対して、その立場に対して、一筋縄ではいかない感情を持っている。なのについ数時間前ルーハンと話して、彼も当たり前に悩んでいることを知って、ルーハンも僕らと変わらない"人間"なのかもしれないと思ったばかりだ。

成功っていうか……、とジョンデは口を開いた。

「ヒョンの"特別"なのが羨ましかったんです」
「特別?」
「えぇ。───10歳の頃、家族で北京から韓国へ戻ったんですけど、それからちょっとヒョンは変わっちゃって……」
「変わったって?」
「北京にいた頃はヒョンはとても面倒見のいいお兄ちゃんでした。だけど韓国に帰ってからは、ヒョンは何年経っても韓国に馴染めなくて、いつも殻に閉じこもってました。それで両親はいつもヒョンのことを気にしてて。だから僕は、両親を困らせちゃいけないって思ったんです。だけどそんなヒョンが韓国に戻ってから唯一輝いた時がありました。それが、ルー哥と会った時です。僕には見せてくれなくなったキラキラとした目で。すごく悲しくて、ショックだったのを憶えています。僕も、ヒョンにそんな風に見つめてほしかった───誰かにちゃんと僕を見て愛してほしかったんです……」
「そう……」


「ブラコンですかね?」とジョンデは眉を下げて痛々しく笑うから、僕は堪らなくなって。
ソファーに近づくと、ふわりと正面から抱き締めた。



「狡いです……」
「なにが?」
「そうやって優しくして……今まで誰にも言ったことなかったのに、簡単に言わせちゃうなんて……僕馬鹿みたいじゃないですか……」


僕の胸に顔を当てて、くぐもった声でジョンデは呟く。撫でた頭や背中は、酷く頼りない少年のように思えた。

10歳のキムジョンデが泣いている。

あの時必死にミンソクの後をくっついて歩いていた、頼りない少年の背中。
あれから10年間、彼は兄の背中を追ってきたんだと思う。振り向いてくれないその背中を。

僕はきっとジョンデを抱き締めながら自分自身も抱き締めていた。好きな音楽や作りたい音楽と求められる音楽やお金になる音楽。そのジレンマ。僕から生まれるもの。認められたいという欲求。才能の限界を越えるための努力。そして焦燥感への疲れ。

ねぇ、ジョンデ。
僕らは似ているのかもしれない。
世の中はあまりにも無情だし、僕らが手に入れたいと思うものは漠然としすぎてる。愛やお金や、地位や名声や。そんなもの、本当はどうだっていいのに。
そばにいて愛情をくれる人がいれば、きっと僕らは何百倍もの力で輝けるのに。


今夜は酷く頼りなくて、ふたりぼっちの夜だった。



かき混ぜた塊は、ごとん、と音を立てて転がった。


続く
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