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2、掬った上澄み ~再会の日~

sideルーハン




一時間ほど遅れていったそこで、みんなの輪を見つけた瞬間、僕はあいつの姿を探していた。



打ち合わせや取材の合間、必ず空けてくれとお願いしていたのに、前の仕事が押したせいで約束の時間は過ぎていた。もう誰もいないかもと思いつつも向かったそこで見馴れた五線紙の貼り紙があって。指示に従うとムーンライトカフェとかかれた店で彼らを見つけた。


ここに来るまで騒がれなかったのは、まだ正式なプロモーションの前だからだろうか。気づく人は少なかったのが幸いだった。
それでも店につけばタオやイーシンやジョンデは知っているようで、否が応にも話題を振られて苦笑するしかない。だけどそんなものは取るに足らないくらいのもので。沢山の張り付くような視線を感じなくていいというのは、心が、身体が、こんなにも解放されるものだったのかと改めて気づいた。


ソウルに来て始めての単独行動。


それが意味するものの大きさを、やっと実感したようだった。



「すごいね!有名人がいるよ!」
「そうだねぇ」


タオとイーシンが話す言葉に「バーカ」なんて笑って。自分が、ただのちっぽけなルーハンに還れたような気がする。



「ミンソクは?」
「あぁー、来ないみたいです」


ジョンデに問うと、呆れたように眉を下げた。


「クリスも来ないみたいだし、うちの年長組は何やってんですかね」
「僕は来たじゃん」
「大分遅れてですけど」
「これでも急いだんだよ」
「はは!知ってます、売れっ子ですから」
「で?兄貴はなんで来れないの?」
「さぁ?一応誘ったんですけど」


何だか寂しそうに笑うジョンデを不思議に思い首をかしげると、横からタオが「今北京にいるんだって!」と口を挟んだ。


「北京!?」
「えぇ、まぁ……北京の大学に通ってます」


思わぬ回答に目を見開いた。
だって、北京だなんて。


「北京に住んでるの?」
「はい」
「なんだ、じゃあ北京で会えるんじゃん」
「そうですね……」


そう呟いたジョンデの声は今にも消えてしまいそうなほどで。それはなんだかジョンデには不似合いで、僕は慌てて声をあげた。


「あ、連絡先教えてよ!帰ったときに連絡したいから」
「え?」
「ダメ?」
「いや、ダメって訳では……」
「あ!タオも!」


渋るジョンデに見かねたのかタオまで声をあげて、その様子を見ていた他の面々も交じり、結局みんなで連絡先の交換会が始まった。


「ついでだからミンソギヒョンに連絡してみてよ!」と言ったのはやっぱりタオで。他のメンバーにも韓国語で通訳していた。


「あ!じゃあ写真撮ろうぜ、みんなで!それを送ればいいじゃん」
「そうだな!」


チャニョルやらベッキョンやらが騒いでる韓国語の意味は何となく伝わった。
『写真を撮る』なんて言葉は、多分一番に近いくらいに覚えた。挨拶の次くらい。それくらい今の僕には切っても切り離せない言葉だ。



渋々、という言葉がピッタリだった。
それほどまでにジョンデの動きは鈍かった。



「送ったよ」


スマホを握るジョンデの顔が険しくなる。


「既読ついた……」


呟いたので釣られるようにその手元を見ると、ちょうどポップアップが通知されていて。


「なんて?」
「楽しそうだな、って」
「そうだよ、ヒョンも来ればよかったのに!」
「みんな待ってたのに、って伝えてあげて」


ジョンデが読み上げたメッセージを受けてチャニョルが言うと、それに呼応するようにジュンミョンも口を開いた。


「ほんとだよね……」とジョンデが呟く。



兄弟仲が悪かった記憶はない。
むしろとても良かったはずだ。
ミンソクはいつだって弟の面倒を見ていたし、ジョンデもとても兄に懐いていた。
それが今じゃ、こんなにも素っ気ないなんて。なんだか少し信じられない気がした。


「喧嘩でもしてんの?」


何気なく聞いた言葉にジョンデは眉間に皺を寄せた。





「あのさ、お願いがあるんだ」



ジュンミョンは席を立って僕たちのテーブルに近づくと、小声でそう言った。
"お願い"──その単語は知っている。
確かそんな歌が流行っていて教えられた記憶がある。


「なんですか?」とジョンデが返した。
「その、君たちの中でクリスの連絡先を知っている人がいたら教えてほしいんだけど」


ジョンデの通訳で伝えられた言葉はそんな言葉だった。


「クリス?」と問うと、ジュンミョンは「結局最後の一人はアイツだろ?だから何となくさ。連絡先じゃなくても知ってることがあればどんなことでも教えてほしい」と。


あいつとは、それこそ星の学校で会って以来音信がない。地元だって遠かったし、連絡先だって聞いてない。あいつは確か広州だった。


「広州?」
「うん、そう。そこまでしか分かんないわ」


そっか、と項垂れるジュンミョンにトントンとつついたのはイーシンだった。


「僕知ってるよ。中国名はウーイーファン。住所は……確か……」


そう言ってガサガサと鞄を漁ると古びた冊子を取り出した。


星の学校のしおり──


酷く懐かしいそれをパラパラと捲ると、「ほら」と声をあげる。ジョンデが通訳してジュンミョンに伝えると驚いたように目を見開いた。
そんな二人を横目に俺はイーシンに問いかける。


「よく住所なんて控えてたな」

「うん、僕たちほら、わりと近かったし。当時何年か後には高速鉄道も開通されるって言われてたから開通したら遊びに行くねって」

「なるほど。で?行ったの?」
「いや……高校を卒業したとき時間ができたから行ってみようかなぁと思って手紙を書いたんだ。急に行っても驚くかと思って。でも宛所不明で帰って来た」
「え、じゃあその住所に住んでないじゃん!」
「うん、多分」


おいおい、住んでない住所教えてどうすんだよ!
僕は慌ててジョンデに声をかけて、イーシンの話を伝えた。


「え?」


ジョンデが声をあげて、ジュンミョンは首をかしげる。話を聞いたのかジュンミョンは明らかにがっくりと肩を落とした。


「え、どうしよう……ごめんね、ジュンミョン」


イーシンが慌てて駆け寄る。
いいんだ、お前は悪くない。この情報だけでも有難いよ。みたいなことを言ってるんだろう。会話は噛み合ってないけど、ジュンミョンは苦笑交じりにイーシンを宥めていた。



しかたないなぁ、何やってんだか。なんて呆れながら視線を上げた先、僕はひとつの視線とぶつかった。



あれは確か───キムジョンイン。



ぶつかった視線を避けるように外す仕草がわざとらしく思えて、思わず小首をかしげる。タオが「どうしたの?」と聞くので、何でもないと伝えた。



「なぁ、ジョンデ」


僕は流れを切るため、脈絡もなくジョンデに話しかけた。ジョンデは「はい?」と顔を向けた。


「僕にもミンソクの住所教えて?」
「は?」
「北京に戻ったら遊びに行きたいし」


この会話におかしな部分はなかったと思う。
多少強引に話を振ったかもしれないけど、これ事態はごく普通の流れだ。弟に兄の住所を聞く。同じ北京に住んでるなら久しぶりに会って話をしたいと思ったって不思議ではないはずだ。


なのに、ジョンデの表情はみるみると複雑な表情に変わっていって。


悲しそうで、寂しそうで、おまけにどう見ても怒り混じり。思わず「え?なに?」なんて声が漏れた。


「……連絡先教えたんですから自分で聞いたらいいじゃないですか」
「いや、まぁ、そうなんだけどさ……」


別に知ってるなら教えてくれたっていいじゃん?なんて。


「サプライズとか面白いかなぁと思ってさ……」



本当にただの気まぐれに近い思い付きだったんだけど。やっぱり何か不味かったのかなぁと気づいたのは、不意にジョンデが立ち上がったから。
すっくと立ち上がったかと思ったら、ジョンデは呟いた。



「……僕、帰ります。兄も来ないみたいだし」


「え?ちょ……っと……?」



慌ててる僕をよそに、みんなにもそう言って。不可解なその行動に、皆驚いて沈黙するしかなかった。



「ジョンデ、どうした……?」



ジュンミョンが声をあげる。


「すみません、とにかくそういうことなんで」
「そういうことって……おい!」


呆気に取られてる僕たちをよそに、ジョンデは鞄を掴むと財布からお金を取り出した。それを制するようにジュンミョンが声をあげる。


「あ、お金はいい!いらない!ここは僕の奢りだから!」
「……そうですか、じゃあごちそうさまでした」


多分、そんな流れ。そんな話をしている。
ジョンデはお金をしまって頭を下げると、席をはずした。


僕は何故だか放っておいてはいけない気がして、慌ててあとを追いかけた。





「ちょっと!どうしたんだよ!なんか不味いこと言った!?」
「いえ、そんなことないです」
「もしかして……ミンソクのこと?」
「……違います」
「じゃあ何!?ていうか、お前いなくなったら僕たちどうすんだよ。言葉も分かんないのに」
「知りませんよそんなの。タオだっているし、あなただって韓国デビュー控えてるなら韓国語くらい習ってるでしょ」
「そうだけど……そういう問題じゃないだろ」



やっぱりジョンデは少し怒っていた。
そして怒らせたのは、きっと僕だ。
ジョンデは溜め息をひとつつくと、僕の目を射抜くように視線を向けた。



「あなたなんて……嫌いです。10年前だって僕から大事なもの奪ったくせに……また奪おうとする。しかも、いともたやすく……」


「は……?」



10年前?何の話だ?
意味を飲み込めない僕を置いて、ジョンデはドアの向こうへと消えた。


茫然と佇む僕の横を追いかけるようにイーシンが荷物を持って通りすぎた。




僕はその姿を、ただ眺めるだけだった。


あぁ、地面が。ぐらぐらと揺れる。






掬った上澄みの下から出てきたものは、沈殿しきったぼろぼろの感情……



生身の人間。





10年の重さは想像以上に重いのだと知った8月8日。


それは僕らの再会の日のこと───





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