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2、掬った上澄み ~再会の日~

sideジョンデ




約束の時間は、確か12時ちょうどだったはず。
僕は一時間前からその広場が見える喫茶店でコーヒーを飲んでいた。


ヒョンが、来るかもしれない───なんて大した期待はしてないんだけど。




「あの……」


妙な訛りで声を掛けられて、僕は驚いて振り返った。

「もしかして、ジョンデ……?」

中国語のそれは、とても懐かしい響きがする。

「そうです、けど……?」

久しぶりに発したそれは、口の中でむず痒く動いた。

「あぁ、やっぱり!あの僕、イーシンだけど覚えてる?」
「……あぁ!シン哥!」

ふわりと笑ったその人は、一緒に参加したチャンイーシンだった。中国人参加者の一人。音楽が好きで、いつもふわりと笑っていた。


「空港から真っ直ぐ来たら早く着きすぎちゃって」
「わざわざこれのために中国から?」
「うん、もちろん」


ジョンデを見つけて良かった、とイーシンは笑った。


「僕、韓国語分からないからどうしようかと思ったんだ」
「はは!確かにそうですね!」
「あれ?ところでミンソクは?」
「あぁ、」


どうでしょうか。と苦笑を返す。


「一応誘ったんですけどね。来るのかな……」



来ないような気がするのは、兄弟の勘だろうか。なんて。



「僕の中国語、まだちゃんと通じますか?」
「え?」
「すごく久しぶりに使うので、思うように単語が出てこないんです」
「あはは!大丈夫、ちゃんと伝わってるよ」


座ってください、なんて促して隣の席に座ったイーシンは、あの頃の柔らかな面影を残しながらも、大人の男になっていた。あの頃だって優しげな笑顔で笑っていたけど、のんびりとマイペースな彼は、目を離すといつもふらふらとしていて、班長のクリスや年上のルーハンが笑いながらブツブツ文句を言っていたっけ。なんて、朧気な記憶は僕のいいように塗り替えられているだけかもしれない。



「ジョンデは今、大学生?」
「はい、2年です」
「そっかぁ。なんか不思議だね。それになんか恥ずかしい」
「はは、そうかもしれないです」


まじまじと顔を見れば、妙な気恥ずかしさが込み上げてくる。二人して顔を赤くして笑った。


「シン哥も大学生ですか?」


尋ねると、「あ、いや」と彼は口ごもった。


「大学には行ってないんだ」
「ん?」
「えーっと、その、まぁ色々やってて」


はっきりと喋らないところを見るとなにか事情があるのだろうと思えて、僕はただ「そうですか」と笑みを向けた。


「まだ大分時間ありますね」
「そうだね」


時計を見ればまだ優に1時間は残っている。


上っ面の会話は得意だ。
親の顔色を伺って生きてきただけのことはある。触れて欲しい話題、触れて欲しくない話題。人には色んな事情があって当然だから。僕だって触れて欲しくない話題のひとつやふたつ持っている。


「中国も暑いですか?」
「うーん、そうだね。ソウルと変わらないんじゃない?」
「懐かしいなぁ。僕、韓国に帰ってから一度も行ってないんですよ」
「北京だっけ?」
「はい、これでも一応北京生まれなんで」
「そっか、ジョンデは生まれたのも北京なんだ。ミンソクも?」
「いえ、ヒョンは韓国です。確か一歳の時に北京に行ったって聞いてますけど」
「そうなんだ」
「シン哥は長沙でしたっけ?」
「うん」
「今も?」
「いや、今は北京で一人暮らししてる」
「へぇ、北京ですか」


上澄みを掬うだけの会話。
笑顔の下の思惑。
イーシンにもそれがあるのかは知らないけれど、そんな事はどうでもいい。今はミンソギヒョンが来るのかどうかだけ、それだけが気がかりなんだ。
あの人に会うために来る?
いや、でもあの人が来るとは思えない。



「どうしたの?考え事?」
「あ、いえ。すみません」
「ふふ。そういえばジョンデは変わってなくて、すぐに分かったよ」
「そうですか?」


ほら、と差し出されたのは10年前の集合写真。12人、太陽の下でみんな大輪の笑顔を咲かせている。


「うわ!恥ずかしい!」
「ね?昔のまんま」
「なんかそれ、喜んでいいのか微妙ですね」
「喜んでいいんじゃないかなぁ?」
「うーん、じゃあ喜んでおきます」


あはは、と笑う。


笑い声が途絶えた合間、まじまじと見つめた写真の中にはあの人もいて。ふと、会話が途切れて僕は、そういえば、とその人のことを切り出してみた。



「あの……ルー哥って……」


「……あぁー」



僕がすべてを言い終える前に、イーシンは写真に目を落とし表情を強ばらせた。



「やっぱり知ってますよね?」
「うん、歌手のことでしょ?」
「そうです。僕もネットで見ただけですけどビックリして」


やっぱり人気なんですか?と聞くと、イーシンは「もちろん」と答えた。


「街中ルーハンだらけ。テレビも雑誌も、広告の看板も。きっと今彼を知らない若者はいないよ」
「へぇー。なんか不思議ですね」
「そうだね……」
「来ますかね、今日」
「どうかな……」


イーシンは寂しそうに笑った。
その表情は、とても印象的だった。



「ジョンデはルーハンに会いたい?」
「え……?」



どういう意味だろうか。
その真っ直ぐな瞳に、答えあぐねる。



「……そうですね!もちろんですよ!大スターならサインもらわなくちゃ!」
「あはは!そっか、そうだよね」
「シン哥は……会いたくないんですか?」



「どうだろうねぇ」と呟いた声は、やっぱり酷く寂しげに聞こえて。



「哥哥たち仲良かったですよね?」
「うん、まぁね」



僕には有名人になった友達なんていないから分からないけど、手の届かないところに行っちゃったから、とかイーシンでも思うんだろうか。
マイペースでそんな感情を持つような人には思えなかったけど。同時に、時間は人を変えるのかもしれない、とも思って。



僕は冷めかけたコーヒーに口をつけた。




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