1、プロローグ
ルーハンの場合
地面が、ぐらぐらと揺れる感覚がした。
得体の知れない巨大な何かが、音もなくゆっくりと近づいてくる。
僕は怖くなってその場にしゃがみこんだ。
「ルーハン、大丈夫か?」
「あ、すみません。急に目眩がして」
「無理するな、と言いたいところだがもう少し頑張ってくれ」
今が正念場なんだ、とマネージャーは言う。
「分かってます。大丈夫ですから」
本当は目眩なんかじゃない。
恐怖だ。
いつ無くなるかも分からない恐怖。
アイドル歌手だなんて、笑ってしまう。僕が持ってるのは、ただ少し造りがいいだけの顔で。中身は周りが勝手に作り上げたものだ。本当の自分は空っぽ。
だけどそれを必死に隠して演じている。
みんなが作り上げた『ルーハン』というアイドルを。
僕は、いつ無くなるかもわからないものに、必死にしがみついていた。
なんて滑稽な姿なんだろう。
「韓国語の勉強ははかどってるか?」
「はい、ぼちぼち……」
「現地化は課題だからな。しっかり頼むよ」
「分かってます」
デビューして3年、僕は今、韓国デビューを控えている。現地化をはかるために、詰め込まれたスケジュールの合間をさらに縫うように韓国語のレッスンが加えられた。
寝る暇もない。
だけどそれは、逆に有り難かった。
何ヵ月か前、「寝れないんです」なんて言ったら睡眠薬を渡された。別に飲みすぎたりなんてしないけど、適量のそれは僕の睡眠時間には十分すぎる量だったのは確かで。日中でも脳内はぼんやりと霧がかかった状態になることが多かった。
消耗する心と体。
僕が憧れた世界は、こんなのじゃなかったはずなのに。
それでも、韓国は好きな国だった。
それだけは救いだった。
それこそ向こうのエージェントとの打ち合わせも兼ねてもう何度も行ったし、デビューが近づけば集中的にプロモーションを行うため短期滞在することも決まっている。
8月になればいいなぁ、と思っていたらその願いは見事に的中した。
僕にとって最も古い韓国の記憶は、あの星空だ。
沢山の星が瞬いて、感動したのを今でもよく覚えている。あの時みんなで撮った写真は今もリビングの隅に飾られている。
単純に、あの頃に戻りたいと思ったんだ。
何も知らなかったあの頃へ。
僕が、僕という人間だったあの頃へ……
ずっと隣にいたミンソクは、今も元気にしてるだろうか。
目尻を跳ね上げたような綺麗なアーモンドアイ。ふくふくと真っ白な頬。真っ直ぐに寄せられた視線が、心地よかったのを覚えている。
ぼろぼろの人形だって、感情は持っているんだ。
疲弊したくない。
もうこれ以上、何も奪われたくなかった。
* * *
10年後って、なんでも出来て
もっと大人だと思ってた─────
.
地面が、ぐらぐらと揺れる感覚がした。
得体の知れない巨大な何かが、音もなくゆっくりと近づいてくる。
僕は怖くなってその場にしゃがみこんだ。
「ルーハン、大丈夫か?」
「あ、すみません。急に目眩がして」
「無理するな、と言いたいところだがもう少し頑張ってくれ」
今が正念場なんだ、とマネージャーは言う。
「分かってます。大丈夫ですから」
本当は目眩なんかじゃない。
恐怖だ。
いつ無くなるかも分からない恐怖。
アイドル歌手だなんて、笑ってしまう。僕が持ってるのは、ただ少し造りがいいだけの顔で。中身は周りが勝手に作り上げたものだ。本当の自分は空っぽ。
だけどそれを必死に隠して演じている。
みんなが作り上げた『ルーハン』というアイドルを。
僕は、いつ無くなるかもわからないものに、必死にしがみついていた。
なんて滑稽な姿なんだろう。
「韓国語の勉強ははかどってるか?」
「はい、ぼちぼち……」
「現地化は課題だからな。しっかり頼むよ」
「分かってます」
デビューして3年、僕は今、韓国デビューを控えている。現地化をはかるために、詰め込まれたスケジュールの合間をさらに縫うように韓国語のレッスンが加えられた。
寝る暇もない。
だけどそれは、逆に有り難かった。
何ヵ月か前、「寝れないんです」なんて言ったら睡眠薬を渡された。別に飲みすぎたりなんてしないけど、適量のそれは僕の睡眠時間には十分すぎる量だったのは確かで。日中でも脳内はぼんやりと霧がかかった状態になることが多かった。
消耗する心と体。
僕が憧れた世界は、こんなのじゃなかったはずなのに。
それでも、韓国は好きな国だった。
それだけは救いだった。
それこそ向こうのエージェントとの打ち合わせも兼ねてもう何度も行ったし、デビューが近づけば集中的にプロモーションを行うため短期滞在することも決まっている。
8月になればいいなぁ、と思っていたらその願いは見事に的中した。
僕にとって最も古い韓国の記憶は、あの星空だ。
沢山の星が瞬いて、感動したのを今でもよく覚えている。あの時みんなで撮った写真は今もリビングの隅に飾られている。
単純に、あの頃に戻りたいと思ったんだ。
何も知らなかったあの頃へ。
僕が、僕という人間だったあの頃へ……
ずっと隣にいたミンソクは、今も元気にしてるだろうか。
目尻を跳ね上げたような綺麗なアーモンドアイ。ふくふくと真っ白な頬。真っ直ぐに寄せられた視線が、心地よかったのを覚えている。
ぼろぼろの人形だって、感情は持っているんだ。
疲弊したくない。
もうこれ以上、何も奪われたくなかった。
* * *
10年後って、なんでも出来て
もっと大人だと思ってた─────
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