むず痒い春
春はいつもむず痒い。
出会いと別れの季節、なんてありふれた言葉が舞って街中をふわりと浮き足立たせる。こっちがどんなに戸惑っていようと、そんなことはお構いなしに景色は変わっていくんだ。
『ねぇ、ベッキョナ』
『んー?』
『卒業したらどうすんの?』
『別にー、まだ考えてないけど』
『ふーん』
『ジョンデは?』
『あー、うーん……都会に出ようかと思って』
『はぁ!?』
学校帰り、俺たちはジョンデの家でいつもみたいに二人でベッドに寝転がって、ポータブルのゲーム機で対戦しながら取り留めのない会話をしていた時だった。
『あ、ゲームオーバーだ』
『お前のせいだし!!』
季節はまだ太陽が照りつける夏で。
二人とも夏服を着ていて、受験戦争というには酷くのんびりとした田舎街の夏の日で。
けれど、この時間は永遠ではないのだと知った、そんな切ない夏の日の夕方のこと。
『つーか、都会って?何かすんの?』
『うん、ちょっとね。やりたいことあって』
『やりたいこと?何だそれ』
『むふふ、ナイショー!』
『はぁ?』
『だってまだどうなるかわかんないし……』
何もできなくて帰ってくるかもしれないじゃん?ってキムジョンデは眉を下げて笑った。
どうしようもないもやもやが胸の中を覆う。
平凡が服を着て歩いてるようなこいつに、そんな秘めた思いがあったなんて、俺は何一つ知らなかった。
唯一無二の親友だと思っていたのに。
俺は意外とジョンデのことを知らなかったらしい。
例えばこんな風にくだらない時間を過ごせなくなることも、こいつはきっと寂しいだなんて思わないんだろう。
自分で決めたことに後悔はしない、といつも口癖のように言っていたけど、俺はまだジョンデみたいに潔くは生きられない。
とにかく、それはつまり俺たちの別々の未来を指し示しているってことで。
淋しいとは思わないんだろうか。こんな風にくだらない時間を過ごせなくなることに対して。
そんな重要なことをあっさりと決めてしまうジョンデに、俺はなんだかむしゃくしゃして、勝手に言ってろってな具合に無関心を装った。なのに。
『でも……ベッキョナと離れるのはちょっとだけ寂しいね……』
そんな風に少しだけ寂しそうに言うから、俺は口の端で少しだけにやけた。
そうしてまたゲーム機に視線を移して、ジョンデの背中に頭を乗せる。
『重いー』
『軽いだろ』
『あ、ベッキョナの頭スカスカだもんね』
『お前が言うな』
『あはは!』
なんだか無性に離れたくなかった。
こんな風に潰す時間がなくなるなんて、考えたくもない。
何だか知らないけど夢に向かって進み始めようとしているジョンデと、きっとこれからも何も出来やしないだろう俺の人生は、この先交わることなんてあるんだろうか。
そんな無意味なことを思った。
俺が寂しいのは、ちょっとなんてもんじゃない。
それから秋が来て、ようやくこの学校にも受験シーズンと呼ばれる季節が来て、冬休みが終わった頃には俺たちのゲーム機はすっかり机の奥に仕舞いこまれていた。
とにかく、あの夏の日、ジョンデから告げられた言葉は俺を受験勉強に集中させるにはもってこいだったわけで。負けてられるか!なんて意地になって勉強したせいか、なんとか希望の大学には合格できた。
そうだ、俺はあいつと違って元々の作りは悪くない。
ジョンデを最後に見たのは高校の卒業式の日だ。校舎の周りでは桜の蕾が赤く色づき始めていて。じゃあね、って笑った顔はあいつお得意の垂れた眉のそれだった。
俺はあの時、やっぱりもう会うことはないんだろうな、と思った。
3年間、あんなにいつも一緒にいたっていうのに。
俺たちは、呆気なくゲームオーバーを迎えた。
***
「ヒョン、どうかしました?」
喫茶店で窓の向こうを眺めていた俺に、年下の恋人───オセフンは不満そうに視線を寄越した。
「桜……、今年も咲くなぁって」
「そうですね」
「春だなぁ」
「なんか思い出でもあるんですか?」
「思い出?」
「事と場合によっては許しませんけど」
そう言って不機嫌さを隠そうとしないセフンはまだまだ幼いような気がするのに、時折見せる顔はどきりとするほど男臭い。
セフンは大学の後輩で、知り合いのヒョンの紹介で知り合った。何度も何度も「好きです」って「僕と付き合ってください」って駄々をこねるみたいに言われて、まぁ好きになるかも、とか酷く中途半端な気持ちで付き合い始めたのを憶えている。それでも、今はちゃんと好きだと思う。
「セフナ、出るぞ」
「はーい。あ、CDショップ寄ってもいい?」
「なんか買うの?」
「ちょっと探してるのあって」
さっきまでの不機嫌顔はどこへやら、瞬く間に嬉しそうに目じりを下げてセフンは笑う。
セフンの聴く音楽はいつもマニアックすぎて俺にはよくわかんないけど、こうして買い物に付き合うのは初めてのことじゃない。
CDショップに着いて、セフンが一直線に向かったのはインディーズのコーナーだった。聞いたこともないバンド名やグループ名が目につく。ジャケット写真も様々だ。
「あった!」
冷やかしに眺めてるとセフンが声をあげた。
「どれ?」
「これです」
見せられたジャケットは綺麗な星空の写真で、『CHEN』と記されて平台に積まれていた。
「チェン?」
「はい、偶然動画で見て、ヒョン絶対好きだと思ったんです」
「俺?」
「うん、だから帰ったら一緒に聴きましょうね」
そう言ってセフンは楽しそうにレジに向かう。別にわざわざ買わなくたって動画サイトで見れば済む話なのにな、なんてその背中を眺めながら思った。
それよりあのジャケットの星空……どこかで見たことあるような気がするのは気のせいだろうか。
春の日差しを浴びながら、俺たちはアパートへと続く道を並んで歩いた。
歩き慣れた道は、どこかあの道と似ている。あいつの家へと続くあの道。幾度となく二人で歩いた、あの帰り道。
それが決め手だったかなんて覚えてないけど、俺はこの安アパートに住んでもう3年以上が過ぎていた。最近ではセフンがほぼ居着いていて、誰かに侵食されていくのも悪くないな、と思い始めている。俺があいつの部屋を侵食していたように。
そんなこととは知らずに、セフンは俺の隣をご機嫌に歩く。いつも少しだけ罪悪感を感じるのは、ジョンデを懐かしく思うからだろうか。思い出すといつも少しだけ甘酸っぱくなるあいつの笑顔を。
「ただいまー」
迎える人は誰も居ないのに声を出すのは、もう癖みたいなもんだ。初めの頃、セフンにはとても驚かれた。「ヒョン、誰か居るんですか?」って言うから「誰もいないけど?」って言ったら「誰も居ないのにただいまって言う人初めて見ました」って。そんなことを言って笑っていたセフンも今では俺に倣って一緒に「ただいま」と言っている。セフンには言ってないけど、実はこれはジョンデの癖だ。
「ヒョン、パソコン借りるね」
「そうぞ。さっきの?」
「そうです」
セフンはテーブルの上で俺のノートパソコンを開くと勝手にパスワードを入力して起動させ、CDをセットした。別に怒るつもりはないけど、なんで俺のパスワード知ってんだよ。まぁ、別にいいけど。
そうしてセットしてセフンは立ち上がると、ソファーに座る俺の隣に腰を下ろした。このソファーは二人で選んだものだ。安くてもいいからソファーが欲しいとセフンが強請って、仕方ないから二人でホームセンターやら家具屋やらをまわって。でもどれも高くて、結局はインターネットで頼んだんだ安いソファー。それでも届いてみたら思ったよりもゆったりとしていて、二人で座るには丁度良かった。
やがて流れ出したその曲は、意外なことにアコースティックだった。ダンスの好きなセフンのことだからR&Bとかのダンス音楽だと思っていたのに。綺麗なピアノの音が紡ぐちょっと長めのインスト。心地いいリズム。セフンは音楽に合わせて小さく体を揺らすので、釣られるように俺まで体を揺らしていた。二人で顔を見合わせて、クスクスと笑う。
「あー、いいな。これ」
「でしょ?ヒョン絶対気に入ると思ったんだよね!」
「うん。さすがセフナ」
「ふふ、よかった……」
「歌は?」
「ありますよ。多分次から?」
ゆったりとして優しくて、けれどどこか物悲しいピアノの演奏が終わり、少しだけアップテンポの曲に切り替わる。俺は、なるほど、なんて唸りながらスマホを弄りつつ続く音楽に耳を傾けた。
「ところで今度ライブあるんですけど───」
セフンが話し始めたところでタイミング悪く歌声が入ってきて。
そうして俺は突如流れ込んできた声に耳を取られることとなった。
細く透き通った綺麗なフェイク。
聞き覚えのある声。
は……?
「ヒョン?聞いてます?」
「え……あ、あぁ!ごめん!なんだっけ?」
セフンに視界を覗き込まれて飛び上がりそうなほど驚いて意識を取り戻した。
「だから、ライブ。今度あるから一緒に行きませんかって話」
「あぁそっか!そうだな!行く行く!」
「じゃあチケット取っときますね」
セフンが大きな体を折り曲げて嬉しそうに腕に絡み付いてくる。
俺は、やんわりとその腕をほどくと、幾分か急いた心音を誤魔化すように立ち上がって、用もないのに台所へと逃げ込んだ。
なんとなく、この心音はセフンには聞かれてはいけないような気がした。
俺は冷蔵庫から冷えたお茶を取り出してコップに注ぐと、一気に飲み干した。
「ヒョン、僕もお茶ください」
「ん?あ、あぁ……」
自分が飲んだ後のコップにまたお茶を継足しながら、過った考えを、まさか──、なんて半信半疑でやり過ごす。
まさか、いくらなんでもそんなはずないだろ、って。
台所までも聴こえる歌声。
この歌声に聞き覚えがあるからって。
やりたいことがあるって言ってたからって。
だってまだ、俺はしがない大学生なんだぞ!
『くくく!また歌ってんじゃん』
『え?うそ!』
『お前ってホント無意識に歌ってるよなぁ。また釣られんじゃん』
『ごめんってば~!』
気が付くといつも鼻歌を歌っていたアイツ。
その綺麗なフェイクは結構好きだった。いつもその時々によく聴いてるらしい歌で。俺はいつもその鼻歌で新しい曲を覚えては、気づいたら釣られて一緒に歌う毎日で。やめろよ、なんて冗談みたいに笑いながら、最近何聴いてんの?って音楽プレイヤーを覗き込んでみたり。それは俺たちの他愛ない日常で。いつもそうやって笑っていた。楽しかった日々の思い出だ。
だからあの……あの最初のフェイクは、きっと間違いなくアイツの声なんだ。
出会いと別れの季節、なんてありふれた言葉が舞って街中をふわりと浮き足立たせる。こっちがどんなに戸惑っていようと、そんなことはお構いなしに景色は変わっていくんだ。
『ねぇ、ベッキョナ』
『んー?』
『卒業したらどうすんの?』
『別にー、まだ考えてないけど』
『ふーん』
『ジョンデは?』
『あー、うーん……都会に出ようかと思って』
『はぁ!?』
学校帰り、俺たちはジョンデの家でいつもみたいに二人でベッドに寝転がって、ポータブルのゲーム機で対戦しながら取り留めのない会話をしていた時だった。
『あ、ゲームオーバーだ』
『お前のせいだし!!』
季節はまだ太陽が照りつける夏で。
二人とも夏服を着ていて、受験戦争というには酷くのんびりとした田舎街の夏の日で。
けれど、この時間は永遠ではないのだと知った、そんな切ない夏の日の夕方のこと。
『つーか、都会って?何かすんの?』
『うん、ちょっとね。やりたいことあって』
『やりたいこと?何だそれ』
『むふふ、ナイショー!』
『はぁ?』
『だってまだどうなるかわかんないし……』
何もできなくて帰ってくるかもしれないじゃん?ってキムジョンデは眉を下げて笑った。
どうしようもないもやもやが胸の中を覆う。
平凡が服を着て歩いてるようなこいつに、そんな秘めた思いがあったなんて、俺は何一つ知らなかった。
唯一無二の親友だと思っていたのに。
俺は意外とジョンデのことを知らなかったらしい。
例えばこんな風にくだらない時間を過ごせなくなることも、こいつはきっと寂しいだなんて思わないんだろう。
自分で決めたことに後悔はしない、といつも口癖のように言っていたけど、俺はまだジョンデみたいに潔くは生きられない。
とにかく、それはつまり俺たちの別々の未来を指し示しているってことで。
淋しいとは思わないんだろうか。こんな風にくだらない時間を過ごせなくなることに対して。
そんな重要なことをあっさりと決めてしまうジョンデに、俺はなんだかむしゃくしゃして、勝手に言ってろってな具合に無関心を装った。なのに。
『でも……ベッキョナと離れるのはちょっとだけ寂しいね……』
そんな風に少しだけ寂しそうに言うから、俺は口の端で少しだけにやけた。
そうしてまたゲーム機に視線を移して、ジョンデの背中に頭を乗せる。
『重いー』
『軽いだろ』
『あ、ベッキョナの頭スカスカだもんね』
『お前が言うな』
『あはは!』
なんだか無性に離れたくなかった。
こんな風に潰す時間がなくなるなんて、考えたくもない。
何だか知らないけど夢に向かって進み始めようとしているジョンデと、きっとこれからも何も出来やしないだろう俺の人生は、この先交わることなんてあるんだろうか。
そんな無意味なことを思った。
俺が寂しいのは、ちょっとなんてもんじゃない。
それから秋が来て、ようやくこの学校にも受験シーズンと呼ばれる季節が来て、冬休みが終わった頃には俺たちのゲーム機はすっかり机の奥に仕舞いこまれていた。
とにかく、あの夏の日、ジョンデから告げられた言葉は俺を受験勉強に集中させるにはもってこいだったわけで。負けてられるか!なんて意地になって勉強したせいか、なんとか希望の大学には合格できた。
そうだ、俺はあいつと違って元々の作りは悪くない。
ジョンデを最後に見たのは高校の卒業式の日だ。校舎の周りでは桜の蕾が赤く色づき始めていて。じゃあね、って笑った顔はあいつお得意の垂れた眉のそれだった。
俺はあの時、やっぱりもう会うことはないんだろうな、と思った。
3年間、あんなにいつも一緒にいたっていうのに。
俺たちは、呆気なくゲームオーバーを迎えた。
***
「ヒョン、どうかしました?」
喫茶店で窓の向こうを眺めていた俺に、年下の恋人───オセフンは不満そうに視線を寄越した。
「桜……、今年も咲くなぁって」
「そうですね」
「春だなぁ」
「なんか思い出でもあるんですか?」
「思い出?」
「事と場合によっては許しませんけど」
そう言って不機嫌さを隠そうとしないセフンはまだまだ幼いような気がするのに、時折見せる顔はどきりとするほど男臭い。
セフンは大学の後輩で、知り合いのヒョンの紹介で知り合った。何度も何度も「好きです」って「僕と付き合ってください」って駄々をこねるみたいに言われて、まぁ好きになるかも、とか酷く中途半端な気持ちで付き合い始めたのを憶えている。それでも、今はちゃんと好きだと思う。
「セフナ、出るぞ」
「はーい。あ、CDショップ寄ってもいい?」
「なんか買うの?」
「ちょっと探してるのあって」
さっきまでの不機嫌顔はどこへやら、瞬く間に嬉しそうに目じりを下げてセフンは笑う。
セフンの聴く音楽はいつもマニアックすぎて俺にはよくわかんないけど、こうして買い物に付き合うのは初めてのことじゃない。
CDショップに着いて、セフンが一直線に向かったのはインディーズのコーナーだった。聞いたこともないバンド名やグループ名が目につく。ジャケット写真も様々だ。
「あった!」
冷やかしに眺めてるとセフンが声をあげた。
「どれ?」
「これです」
見せられたジャケットは綺麗な星空の写真で、『CHEN』と記されて平台に積まれていた。
「チェン?」
「はい、偶然動画で見て、ヒョン絶対好きだと思ったんです」
「俺?」
「うん、だから帰ったら一緒に聴きましょうね」
そう言ってセフンは楽しそうにレジに向かう。別にわざわざ買わなくたって動画サイトで見れば済む話なのにな、なんてその背中を眺めながら思った。
それよりあのジャケットの星空……どこかで見たことあるような気がするのは気のせいだろうか。
春の日差しを浴びながら、俺たちはアパートへと続く道を並んで歩いた。
歩き慣れた道は、どこかあの道と似ている。あいつの家へと続くあの道。幾度となく二人で歩いた、あの帰り道。
それが決め手だったかなんて覚えてないけど、俺はこの安アパートに住んでもう3年以上が過ぎていた。最近ではセフンがほぼ居着いていて、誰かに侵食されていくのも悪くないな、と思い始めている。俺があいつの部屋を侵食していたように。
そんなこととは知らずに、セフンは俺の隣をご機嫌に歩く。いつも少しだけ罪悪感を感じるのは、ジョンデを懐かしく思うからだろうか。思い出すといつも少しだけ甘酸っぱくなるあいつの笑顔を。
「ただいまー」
迎える人は誰も居ないのに声を出すのは、もう癖みたいなもんだ。初めの頃、セフンにはとても驚かれた。「ヒョン、誰か居るんですか?」って言うから「誰もいないけど?」って言ったら「誰も居ないのにただいまって言う人初めて見ました」って。そんなことを言って笑っていたセフンも今では俺に倣って一緒に「ただいま」と言っている。セフンには言ってないけど、実はこれはジョンデの癖だ。
「ヒョン、パソコン借りるね」
「そうぞ。さっきの?」
「そうです」
セフンはテーブルの上で俺のノートパソコンを開くと勝手にパスワードを入力して起動させ、CDをセットした。別に怒るつもりはないけど、なんで俺のパスワード知ってんだよ。まぁ、別にいいけど。
そうしてセットしてセフンは立ち上がると、ソファーに座る俺の隣に腰を下ろした。このソファーは二人で選んだものだ。安くてもいいからソファーが欲しいとセフンが強請って、仕方ないから二人でホームセンターやら家具屋やらをまわって。でもどれも高くて、結局はインターネットで頼んだんだ安いソファー。それでも届いてみたら思ったよりもゆったりとしていて、二人で座るには丁度良かった。
やがて流れ出したその曲は、意外なことにアコースティックだった。ダンスの好きなセフンのことだからR&Bとかのダンス音楽だと思っていたのに。綺麗なピアノの音が紡ぐちょっと長めのインスト。心地いいリズム。セフンは音楽に合わせて小さく体を揺らすので、釣られるように俺まで体を揺らしていた。二人で顔を見合わせて、クスクスと笑う。
「あー、いいな。これ」
「でしょ?ヒョン絶対気に入ると思ったんだよね!」
「うん。さすがセフナ」
「ふふ、よかった……」
「歌は?」
「ありますよ。多分次から?」
ゆったりとして優しくて、けれどどこか物悲しいピアノの演奏が終わり、少しだけアップテンポの曲に切り替わる。俺は、なるほど、なんて唸りながらスマホを弄りつつ続く音楽に耳を傾けた。
「ところで今度ライブあるんですけど───」
セフンが話し始めたところでタイミング悪く歌声が入ってきて。
そうして俺は突如流れ込んできた声に耳を取られることとなった。
細く透き通った綺麗なフェイク。
聞き覚えのある声。
は……?
「ヒョン?聞いてます?」
「え……あ、あぁ!ごめん!なんだっけ?」
セフンに視界を覗き込まれて飛び上がりそうなほど驚いて意識を取り戻した。
「だから、ライブ。今度あるから一緒に行きませんかって話」
「あぁそっか!そうだな!行く行く!」
「じゃあチケット取っときますね」
セフンが大きな体を折り曲げて嬉しそうに腕に絡み付いてくる。
俺は、やんわりとその腕をほどくと、幾分か急いた心音を誤魔化すように立ち上がって、用もないのに台所へと逃げ込んだ。
なんとなく、この心音はセフンには聞かれてはいけないような気がした。
俺は冷蔵庫から冷えたお茶を取り出してコップに注ぐと、一気に飲み干した。
「ヒョン、僕もお茶ください」
「ん?あ、あぁ……」
自分が飲んだ後のコップにまたお茶を継足しながら、過った考えを、まさか──、なんて半信半疑でやり過ごす。
まさか、いくらなんでもそんなはずないだろ、って。
台所までも聴こえる歌声。
この歌声に聞き覚えがあるからって。
やりたいことがあるって言ってたからって。
だってまだ、俺はしがない大学生なんだぞ!
『くくく!また歌ってんじゃん』
『え?うそ!』
『お前ってホント無意識に歌ってるよなぁ。また釣られんじゃん』
『ごめんってば~!』
気が付くといつも鼻歌を歌っていたアイツ。
その綺麗なフェイクは結構好きだった。いつもその時々によく聴いてるらしい歌で。俺はいつもその鼻歌で新しい曲を覚えては、気づいたら釣られて一緒に歌う毎日で。やめろよ、なんて冗談みたいに笑いながら、最近何聴いてんの?って音楽プレイヤーを覗き込んでみたり。それは俺たちの他愛ない日常で。いつもそうやって笑っていた。楽しかった日々の思い出だ。
だからあの……あの最初のフェイクは、きっと間違いなくアイツの声なんだ。