ビーグルベーグルシリーズ
161215 ビーグルベーグル 2 チャンベク
ついにジョンデに春が来た。
来てしまった、と言った方が正しいかもしれない。
来るべき時が来たってだけだから、別になんてことはないんだ。
「俺、今日からチャニョリの部屋に泊まるー!」
「え?どうしたの?」
「だって彼氏持ちの部屋に泊まるとか悪いじゃん」
「彼氏持ちって……」
ジョンデと二人で閉店業務を終えて、いつものように裏口の鍵を閉めるジョンデの背中に向かって言うと、擽ったそうな顔で「別にいいのに……」と呟かれた。
「て、訳だから」
居住用のエレベーターに乗って、ジョンデの部屋のある4階で"開く"ボタンを押してジョンデだけを押しやって、俺はそのままチャニョルの部屋がある最上階の5階のボタンを押した。
「お疲れ!」
笑顔で"閉じる"ボタンを押す俺。
「で、だからってなんで俺の部屋なんだよ」
チャニョルの部屋に押し掛けて理由を説明すると、迷惑そうに顔をしかめられた。
調理担当と売り場担当は出退勤の時間が違うので今まではジョンデの部屋に泊めてもらってたけど、だって仕方ないじゃん。
「また遅刻してもいいなら家から通うけど」
「いやいや、ジョンデの部屋からでも遅刻してたし」
「まぁ、程度の差ってあるじゃん?」
「とか何とか言って、どうせ失恋の痛みを隠しておけなかったからだろ?」
うわぁー、バレてる。
「分かってんなら黙って泊めよろ……」
「もしかして、俺に慰めてほしいのかなぁーと思って」
「はぁ?」
「恋するチョコチップベーグルとか考えちゃって健気だなぁって」
ま、とりあえずはいいよ、なんて言って、結局チャニョルは泊めてくれることになった。
別にどうこうしようと思ったことはないけど、高校で知り合って気がつけばいつの間にかジョンデを好きになっていた。本当にどうこうしようと思ったことはないし、ただずっといつまでもくだらないことをしながら一緒に笑えたらいいなぁって思ってただけで。別にそれはジョンデに恋人が出来ようとあまり関係ない話だと思っていた。
あまり……
ジョンデの視線があの人を捉える度、ジョンデの口からあの人の話題が増えていく度、その時は近いのかもしれないと思っていた。
だから、俺は平気だ。
分かっていたから、平気。
「ベッキョナー!起きろよー!」
翌朝、チャニョルに蹴飛ばされてどうにか目を覚ます。
「もっと優しく起こせよ」
「だってお前二度寝するじゃん。二度寝禁止ね」
じゃあ先行くから、とチャニョルは先に店へと下りて行った。
俺はまたそのまま布団へと逆戻り。
二度寝の瞬間が一番気持ちいいんだから、これはもう仕方がない。
結局いつもと変わらない時間に店に出ると、いつも通りギョンスに怒られた。
恋するチョコチップベーグルの売れ行きは今日も好調で、女子高生を筆頭に皆買っていってくれる。常連を除いては。
「セフナ!お前も1個どうだ」
「えー、そういうのはいいです」
「なんで」
「そういうのアテにしてないんで」
実績あるのに!と言ってもセフンは見向きもしなかった。
「ヒョン!買ってかないの?」
「はは、俺はいいよ」
「えー!恋が叶うのに」
そういうのは女子高生に譲るよ、とミンソギヒョンも買わなかった。
「ジョンイナ!お前は買うよな!?」
「いや……」
「なんでだよ!恋、叶うぞ!」
「……もう叶ってるんで」
ジョンインは照れくさそうにはにかむので「相手は誰だ!!」と問い詰めたけど教えてはくれなかった。というか、買っていかなかった。
まぁ、女子高生の間では話題になったようなので良しとするけど。お前らみんなロマンチックが足りねぇなぁ!なんて。
ちなみにイーシンさんは見るなり「僕も叶えてもらおうかな」ってトレーに載せていたけど、ジョンデが「もう必要ないじゃないですか」って耳の縁を赤くして言ってたので、俺は思わず厨房に向かって「ジョンデがノロけてるぞー!!」って叫んでやった。
あはは、と笑う分だけ、ちくりと棘が刺さる。
恋するチョコチップベーグル
俺の恋は叶わないけど、俺の好きな相手では実証済みだ。
「あー!俺も彼女欲しいなぁー!!」
仕事を終えて、チャニョルの部屋で缶ビールを開けながら叫ぶ。
台所ではチャニョルがせっせとつまみを作ってくれていて、俺の好きなウインナーのケチャップ炒めのいい匂いが漂ってきていた。
「だから慰めてあげようか?」
ほれよ、と皿をテーブルの上に載せながらチャニョルが呟く。
「だからなんでそうなるんだよ」
「だって失恋の痛みは新しい恋で癒すのがお決まりでしょ?」
「そんな簡単じゃねぇだろ……」
そんな簡単に次に行けるなら苦労はしない。
「背高いしイケメンだし気が利くし優しいし、俺、超オススメ物件だと思うけど」
「自分で言うな」
「じゃあ好きだって言ったら?」
「は……?」
唐突にチャニョルがそんなことを言うもんだから、俺は摘まんだウインナーを思わず取り落とした。
「だから、ベッキョナが好きだから俺にしとけば?って言ってんの」
テーブルに落ちたウインナーをティッシュで摘まんで掃除しながらなんでもない風にチャニョルが言う。
なに言ってんのコイツ……
マジかよ、って。
「言っとくけどマジだよ。飛んで火に入る夏の虫~なんてな!」
おい、マジかよ……
自慢じゃないが、俺は自分のことで手一杯だったわけで。例えばチャニョルや、(それ以外でも)他の誰かに向けられる視線があったとしても構ってなんていられなかったんだ。
にしても、チャニョリが俺を……?
そんなわけで、気がつくとチャニョルは俺の隣に座っていて、「いただきま~す!」とか何とか言って押し倒されていた。
「待て待て待て!!」
「無理!待てない!」
マジかよ……
展開早すぎんだろ。
「ベッキョナ、好きなんだって……」
急に真面目なトーンでチャニョルの低い声が耳元で囁く。
「ジョンデじゃなくて悪いけど、俺で勘弁して」
「え……」
勘弁って、だからそんなこと急に言われても……
ゆっくりと落ちてきた唇を甘んじて受け止めてる俺は、一体これからどうなるのだろうか……
あまりにも簡単に流され過ぎてる気がする。
いいのかな、とか、どうしよう、とか思いながらも反応していく身体が正直すぎて。あぁ、俺はどんだけ流されやすいんだ、って。
ゆっくりと大きな掌が落ちてきて、あの生地を捏ねてる手が俺の身体を撫でていく。
あー、無理……やっぱ流されるわ、俺。
友達だよな?とか、いいんだっけ?とか、そんな疑問は快楽の上には意味を成さないのだと知った。そして快楽を簡単に拾う邪な俺の身体。
こういうのをきっと尻が軽いとかいうんだ。
気が付けば裸に剥かれて、チャニョリの手で軽く一発抜かれた後ベッドへと連れて行かれた。
「なぁ、ホントにヤんの?」
「うん」
「マジで?」
「マジで」
「念のため聞くけど、お前が入れんだよな……?」
「もちろん」
あー、そうだよな。
俺のバージン奪われちゃうんだよな。
ってまぁ、チャニョリならいいか。なんて。
ちょっと待ってて、とか言われて一人で布団にくるまりながら、ぼんやりと考えた。
戸惑いながらも色々考えたけど、結局まぁいいか、って。
だってチャニョリ、俺のこと好きだって言ってたし……
お待たせ、と言ってチャニョルはオイルの瓶とコンドームの箱を持ってきた。生々しすぎるだろ、それ。
だけどもっと生々しかったのはチャニョルの裸で。お前意外と鍛えてんだな、とか妙なことを思った。
掴んだ腕にはいくつもの火傷の痕。うっかり鉄板にぶつかってできた傷は、数え切れないほどの赤い線を刻んでいた。それは間違いなくチャニョルの勲章だ。
ぼんやりとチャニョルの身体を見て、始めるよ、とそのまままたキスされて。優しい手が這う。オイルを纏った長い指が俺の中に入ってきて、びくりと震えると「大丈夫」って「力抜いて」って優しい声が降ってきた。
ゆっくりと押し広げられて、準備を終えたチャニョルのそれが入ってきたとき、チャニョルは言ったんだ。
「これでベッキョナは俺のものだ」って。それが妙に耳に残って、宝物を扱うような手付きも、とろりと蕩けそうな眼差しも、それが嘘ではないのだと知った。
そういえば、いつも気が付けば側にチャニョルがいたような気がする。
それは正に、そういうことだったんだと俺は初めて意味を知った。
「ん……んー……」
物音がして、重い瞼を押し上げる。
「……痛っ」
腰の辺りには鈍痛が響いて……
「あ、ベッキョナ。起きた?」
「チャニョラ……?」
「身体大丈夫?今日だけは遅刻多めに見てあげるから、ゆっくりでいいよ」
「サンキュ……」
じゃあ先に行くから、ってチャニョルはベッドに沈む俺の頭を撫でて満面の笑みをこぼして背を向けた。
「あぁ……ごめん……」
その大きな背中に向かって呟いた。
ふわふわとした朝の陽気の中、ぼんやりと昨夜の出来事を思い返す。
こっ恥ずかしくなる様な目眩く夜と、早朝の鳥のさえずり……
って、これ完全に朝チュンじゃねぇか!!
つーか、なんで俺が謝ってんだよ!!
「チャニョラ!!お前っ!」
って叫んだときには、もうチャニョルは玄関の外で。俺はたっぷり吐ききるほどの溜め息を吐いて枕に突っ伏した。
どうなってんだよ、これ!!
とにかくベッドから起き上がろうと身体を起こす。もう二度寝もなにもあったもんじゃない。
「いてて……」
どかりとベッドに腰かけて、それから昨夜のことを思い出した。
チャニョルは真剣だった。
少なくとも俺にはそう写った。
本当に、俺のことを好きだったらしい。失恋に漬け込まれたような気もするけど、そうでもなければチャニョルの気持ちに気付くことはなかったわけで。そう考えるとそれはそれでよかったような気もするし……
チャニョルの真剣な瞳を思い出す。
優しい気遣いを思い出す。
強引に押し倒したくせに何度も大丈夫か聞いてきた。俺は大丈夫だと答えた。心のどこかで主張していた罪悪感に蓋をして身体を任せた。
チャニョルに押し倒されたから。
無理矢理組み敷かれたから。
雰囲気に流された頭で理由を何個も並べ立てて。全部チャニョルのせいにした。断るタイミングなら何度もあったはずなのに。
結局、どこまでも卑怯なやつだ。
とにかく、これは真剣に向き合わなければいけない部類のものだと、俺の足りない頭でも理解できた。
それから、重い身体でとりあえずシャワーを浴びながらまた考える。胸元に赤い痕を見つけて急激に恥ずかしくなった。昨夜のチャニョルをまざまざと思い出してしまったからだ。
必死に俺の身体を開いて、焦っていただろうに優しかった。
うっかり惚れてしまいそうなくらい……
これからどうすりゃいいんだろう。
てゆーか、目下の悩みはこの後の仕事だ。どんな顔して下に下りればいいんだよ。こんな場面で合わす顔を俺は生憎持ち合わせてはいない。
ぐずぐずとしながら、結局いつもより二時間も遅れて店に下りた。
恐る恐るとドアを開ければ案の定店はもう開店していて、レジの前ではジョンデが一人で客を捌いていた。
朝から笑顔でテキパキと元気がいい。
「あ、ベッキョナ!もう下りてきたのか?」
裏口から半身を乗り出していた姿を厨房のチャニョルに見つかって、あわあわと立ち往生。
なにやってんだ、俺。
「具合大丈夫なの?」とギョンスもテキパキと手を動かしながら聞いてくる。
「ん、あぁ……あぁ!大丈夫!この通り!!」
「あっそう。じゃあさっさとレジ入って。ジョンデが大変そうだから」
「……お、おぉ!」
ロッカーにエプロンを取りに行く傍らでちらりとチャニョルを見やると、にぃーっといつものでっかい笑顔を返されて、慌てて事務室に駆け込んだ。
なんだよあれ、心臓に悪いじゃん!!
ソファーに座って呼吸を整えて、はぁ、と溜め息を吐くと、違和感がまだ残るこの身体は、あのチャニョルによって作り替えられたんだと実感する。
昨夜、俺はアレと寝たんだ。
アレと。
厨房を見ないふりしてレジへ入ってジョンデに詫びをいれて手伝うと、客が切れた合間に「体調大丈夫?」と聞かれて、酷くやましい気分になった。
「お、おう!」
「チャニョリが朝ベッキョナが体調悪いから遅刻するって言ってて心配したんだよー」
「まぁちょっと怠かっただけ。寝たらよくなったから心配すんな」
「ならいいけど。無理しないでしんどいときは言ってね」
「サンキュ……」
実はさ、
俺、チャニョリと寝たんだよ。
体調悪いのはそのせい。
つい最近までお前のこと好きだったのに、チャニョリと寝たんだ。
だから今日は身体が痛いし、チャニョリと気まずいの。
なんて。
言えるわけないけど。
「あ、ヒョン!いらっしゃいませ~」
ジョンデの快活な声が響いて今日も9時過ぎにミンソギヒョンがやって来た。
「おはよう。今日は天気がいいな」
「そうですねぇ~」
コーヒー好きなジョンデはミンソギヒョンによく懐いている。
「あとで休憩のときアイスコーヒー買いに行きますね」
「じゃあ取って置きの落としとくよ」
「やった!」
正直コーヒーに詳しくない俺にはよくわかんないけど、シュシュの水出しコーヒーは結構有名らしい。
「お?これ、また誰か叶ったの?」
ミンソギヒョンがベーグルを選びながら件のチョコチップベーグルのポップの前で立ち止まってジョンデに問いかける。
「あぁ、それね。今朝チャニョリが何か書いてて」
「へぇー。お前らの中の誰かじゃないの?」
「いや、よく分かんないんですよ。教えてくれなくて」
「はは!そうなんだ」
その会話が何のことだかさっぱりわからない俺は、なになに?と身を乗り出してポップを覗き込んだ。
この前俺が試行錯誤して作ったキュートなポップ。その端に貼り付けられた文字。
"実績2件目"
「なにこれ」
「あれ?ベッキョナは知らなかったのか?」
ミンソギヒョンが不思議そうに尋ねる。
「あぁ、ベッキョナ今朝いなかったから」
「そうそう……ってなにこれ。誰が書いたんだよ」
ジョンデに問うと「チャニョリだよ」って。
「……っ!」
ゲホゲホっ!
思わず噎せた俺の背中をジョンデが「大丈夫?」と撫でてくれる。
「……っ!ゲホッゴホッ!……あぁー、大丈夫……サンキュー」
大丈夫大丈夫、ってジョンデの手を制する。
2件目って……
もしかしなくても、そういうことだよな……?
そう考えると妙にこっ恥ずかしくなって、一気に頭に血がのぼった。
あいつは一体なに考えてんだ!!
「あぁーでもホントにご利益ありそうだな」
「まぁ、ただのチョコチップベーグルなんですけどね」
「はは!店員がそんなこと言っていいのかよ」
相変わらずジョンデとミンソギヒョンは楽しそうに話していて、俺はその傍らで悶々と色んな事を考えていた。
いやー、俺、マジで流されんのかな。
あろうことか心臓がドクドクと高鳴る。これはある意味非常事態宣言で。ちらりと視線をやった厨房でチャニョルが楽しそうに生地を捏ねてる姿が見えて、その手つきに、昨夜を思い出したのは絶対に秘密だ。処理しきれない感情が溢れている。
何とかかんとか仕事を終えて家に帰ろうとしたとき、俺の足が何の疑問もなくチャニョルの部屋へと向いていることに気付いたとき、俺は本当に自分自身が怖くなった。
「ただいま……」
「あ!おかえり!お疲れ~」
キッチンの方からチャニョルの声が聞こえて、晩飯を準備してくれてるのだと知る。いい匂いがして、今夜はカレーかなぁなんて。本当にマメで気が利くやつだ。そういえば、そんなやつがどうして彼女がいなかったのか考えたこともなかった。
結論から言えば、きっと俺を好きだったからなんだろうけど。そんなこと言ったら、あまりにも自惚れだろうか。
靴を脱いで、リビングで寛がずにそのままキッチンのチャニョルの元へと歩いた。
「チャニョラ……」
その大きな背中にゴトン、と頭を寄せる。
「うわぁ!ビックリ!なに!?」
「お前さぁ、ホントに俺が好きなの?」
呟くように問えば、「もちろん」と当たり前のような返事。
「どこが……?」
「どこって、そうだなぁ……もちろん全部だけど、可愛いとことか、面白いところとか……あとはハッピーなところとか、気が合うところとか、好きなものが似てるところとか……とにかく全部かな」
恥ずかしくなるような台詞だった。
チャニョリは、ずっと俺のことをそんな風に思っていたなんて。一つ挙がる度に耳の奥に心臓が出来てくみたいに鼓動が響いていく。
「……いつから?」
「えーっと、いつだろう……結構昔?高校の頃とか」
「そんなに……?」
「うん」
嘘だろ……
今までよく隠してこれたな、ってくらいチャニョルは素直に答える。
あまりに簡単に言うもんだから冗談なんじゃないかと勘繰りそうになるけど、冗談でこんなことを言う奴じゃないことだけはよくわかってるつもりだ。むしろ、言葉だけじゃなく昨夜俺はもうそれを知ってしまったのだから尚更。
「全然知らなかった……」
「うん。だからさ、お前がずっとジョンデのこと好きだったのも知ってるよ」
「そっ、か……」
ずっと、バレてたのか……
「ねぇ、」
不意にチャニョルが言葉をこぼす。
背中越しに響く声。
「なに……?」
「そっち向いてもいい?」
「……だめ」
「えー!いいじゃん!抱き締めたい!」
「やだ」
「無理!」
そう言ってチャニョルは手を拭くと、俺の言葉も聞かず振り向いて俺をすっぽりと抱き締めた。
あ……捕まった。
ずっとごちゃごちゃと考えていたけれど、その時俺は、ふとそう思ったんだ。
あぁ捕まっちゃった、って。
「やっぱりピッタリだ!ベッキョナは俺サイズ!」
「……そんなん、ジョンデもギョンスも変わんないじゃん」
体格なんてチャニョル以外は似たり寄ったりだし。なんてこれは俺の保身。
「違うよ。ベッキョナのサイズがいいんだもん」
ピッタリー!なんて言いながらチャニョルは地団駄を踏むみたいにバタバタと足を鳴らして、それからさらにギュッと抱き締めた。
首筋に寄せられた頭から髪の毛がさらりと落ちて擽ったかった。
いや、擽ったいのは首筋だけの話じゃなくて、どうしてか心臓の裏っかわまで擽ったくて、それからギュッと痛んだ。
「甘えて」ってチャニョルは言う。
「いっぱい甘やかすから、いっぱい甘えて」って。
想いを受けとるってこういうことなのかって思った。
今まで俺はジョンデを好きなだけでいいって思っていたけど、好意を向けられるって、なんかすごく擽ったい。ふわふわとした綿菓子にくるまれたみたいに甘やかで、安心する。
それは相手がチャニョルだからってことなんだろうか。そうだったらいい。
よくわかんないけど、とにかくチャニョルでよかった、と思う。
恋するチョコチップベーグルは、結局チャニョルの恋まで叶えてしまったらしい。
やっぱり"実績2件目"ってことであってるのかな。
おわり
ついにジョンデに春が来た。
来てしまった、と言った方が正しいかもしれない。
来るべき時が来たってだけだから、別になんてことはないんだ。
「俺、今日からチャニョリの部屋に泊まるー!」
「え?どうしたの?」
「だって彼氏持ちの部屋に泊まるとか悪いじゃん」
「彼氏持ちって……」
ジョンデと二人で閉店業務を終えて、いつものように裏口の鍵を閉めるジョンデの背中に向かって言うと、擽ったそうな顔で「別にいいのに……」と呟かれた。
「て、訳だから」
居住用のエレベーターに乗って、ジョンデの部屋のある4階で"開く"ボタンを押してジョンデだけを押しやって、俺はそのままチャニョルの部屋がある最上階の5階のボタンを押した。
「お疲れ!」
笑顔で"閉じる"ボタンを押す俺。
「で、だからってなんで俺の部屋なんだよ」
チャニョルの部屋に押し掛けて理由を説明すると、迷惑そうに顔をしかめられた。
調理担当と売り場担当は出退勤の時間が違うので今まではジョンデの部屋に泊めてもらってたけど、だって仕方ないじゃん。
「また遅刻してもいいなら家から通うけど」
「いやいや、ジョンデの部屋からでも遅刻してたし」
「まぁ、程度の差ってあるじゃん?」
「とか何とか言って、どうせ失恋の痛みを隠しておけなかったからだろ?」
うわぁー、バレてる。
「分かってんなら黙って泊めよろ……」
「もしかして、俺に慰めてほしいのかなぁーと思って」
「はぁ?」
「恋するチョコチップベーグルとか考えちゃって健気だなぁって」
ま、とりあえずはいいよ、なんて言って、結局チャニョルは泊めてくれることになった。
別にどうこうしようと思ったことはないけど、高校で知り合って気がつけばいつの間にかジョンデを好きになっていた。本当にどうこうしようと思ったことはないし、ただずっといつまでもくだらないことをしながら一緒に笑えたらいいなぁって思ってただけで。別にそれはジョンデに恋人が出来ようとあまり関係ない話だと思っていた。
あまり……
ジョンデの視線があの人を捉える度、ジョンデの口からあの人の話題が増えていく度、その時は近いのかもしれないと思っていた。
だから、俺は平気だ。
分かっていたから、平気。
「ベッキョナー!起きろよー!」
翌朝、チャニョルに蹴飛ばされてどうにか目を覚ます。
「もっと優しく起こせよ」
「だってお前二度寝するじゃん。二度寝禁止ね」
じゃあ先行くから、とチャニョルは先に店へと下りて行った。
俺はまたそのまま布団へと逆戻り。
二度寝の瞬間が一番気持ちいいんだから、これはもう仕方がない。
結局いつもと変わらない時間に店に出ると、いつも通りギョンスに怒られた。
恋するチョコチップベーグルの売れ行きは今日も好調で、女子高生を筆頭に皆買っていってくれる。常連を除いては。
「セフナ!お前も1個どうだ」
「えー、そういうのはいいです」
「なんで」
「そういうのアテにしてないんで」
実績あるのに!と言ってもセフンは見向きもしなかった。
「ヒョン!買ってかないの?」
「はは、俺はいいよ」
「えー!恋が叶うのに」
そういうのは女子高生に譲るよ、とミンソギヒョンも買わなかった。
「ジョンイナ!お前は買うよな!?」
「いや……」
「なんでだよ!恋、叶うぞ!」
「……もう叶ってるんで」
ジョンインは照れくさそうにはにかむので「相手は誰だ!!」と問い詰めたけど教えてはくれなかった。というか、買っていかなかった。
まぁ、女子高生の間では話題になったようなので良しとするけど。お前らみんなロマンチックが足りねぇなぁ!なんて。
ちなみにイーシンさんは見るなり「僕も叶えてもらおうかな」ってトレーに載せていたけど、ジョンデが「もう必要ないじゃないですか」って耳の縁を赤くして言ってたので、俺は思わず厨房に向かって「ジョンデがノロけてるぞー!!」って叫んでやった。
あはは、と笑う分だけ、ちくりと棘が刺さる。
恋するチョコチップベーグル
俺の恋は叶わないけど、俺の好きな相手では実証済みだ。
「あー!俺も彼女欲しいなぁー!!」
仕事を終えて、チャニョルの部屋で缶ビールを開けながら叫ぶ。
台所ではチャニョルがせっせとつまみを作ってくれていて、俺の好きなウインナーのケチャップ炒めのいい匂いが漂ってきていた。
「だから慰めてあげようか?」
ほれよ、と皿をテーブルの上に載せながらチャニョルが呟く。
「だからなんでそうなるんだよ」
「だって失恋の痛みは新しい恋で癒すのがお決まりでしょ?」
「そんな簡単じゃねぇだろ……」
そんな簡単に次に行けるなら苦労はしない。
「背高いしイケメンだし気が利くし優しいし、俺、超オススメ物件だと思うけど」
「自分で言うな」
「じゃあ好きだって言ったら?」
「は……?」
唐突にチャニョルがそんなことを言うもんだから、俺は摘まんだウインナーを思わず取り落とした。
「だから、ベッキョナが好きだから俺にしとけば?って言ってんの」
テーブルに落ちたウインナーをティッシュで摘まんで掃除しながらなんでもない風にチャニョルが言う。
なに言ってんのコイツ……
マジかよ、って。
「言っとくけどマジだよ。飛んで火に入る夏の虫~なんてな!」
おい、マジかよ……
自慢じゃないが、俺は自分のことで手一杯だったわけで。例えばチャニョルや、(それ以外でも)他の誰かに向けられる視線があったとしても構ってなんていられなかったんだ。
にしても、チャニョリが俺を……?
そんなわけで、気がつくとチャニョルは俺の隣に座っていて、「いただきま~す!」とか何とか言って押し倒されていた。
「待て待て待て!!」
「無理!待てない!」
マジかよ……
展開早すぎんだろ。
「ベッキョナ、好きなんだって……」
急に真面目なトーンでチャニョルの低い声が耳元で囁く。
「ジョンデじゃなくて悪いけど、俺で勘弁して」
「え……」
勘弁って、だからそんなこと急に言われても……
ゆっくりと落ちてきた唇を甘んじて受け止めてる俺は、一体これからどうなるのだろうか……
あまりにも簡単に流され過ぎてる気がする。
いいのかな、とか、どうしよう、とか思いながらも反応していく身体が正直すぎて。あぁ、俺はどんだけ流されやすいんだ、って。
ゆっくりと大きな掌が落ちてきて、あの生地を捏ねてる手が俺の身体を撫でていく。
あー、無理……やっぱ流されるわ、俺。
友達だよな?とか、いいんだっけ?とか、そんな疑問は快楽の上には意味を成さないのだと知った。そして快楽を簡単に拾う邪な俺の身体。
こういうのをきっと尻が軽いとかいうんだ。
気が付けば裸に剥かれて、チャニョリの手で軽く一発抜かれた後ベッドへと連れて行かれた。
「なぁ、ホントにヤんの?」
「うん」
「マジで?」
「マジで」
「念のため聞くけど、お前が入れんだよな……?」
「もちろん」
あー、そうだよな。
俺のバージン奪われちゃうんだよな。
ってまぁ、チャニョリならいいか。なんて。
ちょっと待ってて、とか言われて一人で布団にくるまりながら、ぼんやりと考えた。
戸惑いながらも色々考えたけど、結局まぁいいか、って。
だってチャニョリ、俺のこと好きだって言ってたし……
お待たせ、と言ってチャニョルはオイルの瓶とコンドームの箱を持ってきた。生々しすぎるだろ、それ。
だけどもっと生々しかったのはチャニョルの裸で。お前意外と鍛えてんだな、とか妙なことを思った。
掴んだ腕にはいくつもの火傷の痕。うっかり鉄板にぶつかってできた傷は、数え切れないほどの赤い線を刻んでいた。それは間違いなくチャニョルの勲章だ。
ぼんやりとチャニョルの身体を見て、始めるよ、とそのまままたキスされて。優しい手が這う。オイルを纏った長い指が俺の中に入ってきて、びくりと震えると「大丈夫」って「力抜いて」って優しい声が降ってきた。
ゆっくりと押し広げられて、準備を終えたチャニョルのそれが入ってきたとき、チャニョルは言ったんだ。
「これでベッキョナは俺のものだ」って。それが妙に耳に残って、宝物を扱うような手付きも、とろりと蕩けそうな眼差しも、それが嘘ではないのだと知った。
そういえば、いつも気が付けば側にチャニョルがいたような気がする。
それは正に、そういうことだったんだと俺は初めて意味を知った。
「ん……んー……」
物音がして、重い瞼を押し上げる。
「……痛っ」
腰の辺りには鈍痛が響いて……
「あ、ベッキョナ。起きた?」
「チャニョラ……?」
「身体大丈夫?今日だけは遅刻多めに見てあげるから、ゆっくりでいいよ」
「サンキュ……」
じゃあ先に行くから、ってチャニョルはベッドに沈む俺の頭を撫でて満面の笑みをこぼして背を向けた。
「あぁ……ごめん……」
その大きな背中に向かって呟いた。
ふわふわとした朝の陽気の中、ぼんやりと昨夜の出来事を思い返す。
こっ恥ずかしくなる様な目眩く夜と、早朝の鳥のさえずり……
って、これ完全に朝チュンじゃねぇか!!
つーか、なんで俺が謝ってんだよ!!
「チャニョラ!!お前っ!」
って叫んだときには、もうチャニョルは玄関の外で。俺はたっぷり吐ききるほどの溜め息を吐いて枕に突っ伏した。
どうなってんだよ、これ!!
とにかくベッドから起き上がろうと身体を起こす。もう二度寝もなにもあったもんじゃない。
「いてて……」
どかりとベッドに腰かけて、それから昨夜のことを思い出した。
チャニョルは真剣だった。
少なくとも俺にはそう写った。
本当に、俺のことを好きだったらしい。失恋に漬け込まれたような気もするけど、そうでもなければチャニョルの気持ちに気付くことはなかったわけで。そう考えるとそれはそれでよかったような気もするし……
チャニョルの真剣な瞳を思い出す。
優しい気遣いを思い出す。
強引に押し倒したくせに何度も大丈夫か聞いてきた。俺は大丈夫だと答えた。心のどこかで主張していた罪悪感に蓋をして身体を任せた。
チャニョルに押し倒されたから。
無理矢理組み敷かれたから。
雰囲気に流された頭で理由を何個も並べ立てて。全部チャニョルのせいにした。断るタイミングなら何度もあったはずなのに。
結局、どこまでも卑怯なやつだ。
とにかく、これは真剣に向き合わなければいけない部類のものだと、俺の足りない頭でも理解できた。
それから、重い身体でとりあえずシャワーを浴びながらまた考える。胸元に赤い痕を見つけて急激に恥ずかしくなった。昨夜のチャニョルをまざまざと思い出してしまったからだ。
必死に俺の身体を開いて、焦っていただろうに優しかった。
うっかり惚れてしまいそうなくらい……
これからどうすりゃいいんだろう。
てゆーか、目下の悩みはこの後の仕事だ。どんな顔して下に下りればいいんだよ。こんな場面で合わす顔を俺は生憎持ち合わせてはいない。
ぐずぐずとしながら、結局いつもより二時間も遅れて店に下りた。
恐る恐るとドアを開ければ案の定店はもう開店していて、レジの前ではジョンデが一人で客を捌いていた。
朝から笑顔でテキパキと元気がいい。
「あ、ベッキョナ!もう下りてきたのか?」
裏口から半身を乗り出していた姿を厨房のチャニョルに見つかって、あわあわと立ち往生。
なにやってんだ、俺。
「具合大丈夫なの?」とギョンスもテキパキと手を動かしながら聞いてくる。
「ん、あぁ……あぁ!大丈夫!この通り!!」
「あっそう。じゃあさっさとレジ入って。ジョンデが大変そうだから」
「……お、おぉ!」
ロッカーにエプロンを取りに行く傍らでちらりとチャニョルを見やると、にぃーっといつものでっかい笑顔を返されて、慌てて事務室に駆け込んだ。
なんだよあれ、心臓に悪いじゃん!!
ソファーに座って呼吸を整えて、はぁ、と溜め息を吐くと、違和感がまだ残るこの身体は、あのチャニョルによって作り替えられたんだと実感する。
昨夜、俺はアレと寝たんだ。
アレと。
厨房を見ないふりしてレジへ入ってジョンデに詫びをいれて手伝うと、客が切れた合間に「体調大丈夫?」と聞かれて、酷くやましい気分になった。
「お、おう!」
「チャニョリが朝ベッキョナが体調悪いから遅刻するって言ってて心配したんだよー」
「まぁちょっと怠かっただけ。寝たらよくなったから心配すんな」
「ならいいけど。無理しないでしんどいときは言ってね」
「サンキュ……」
実はさ、
俺、チャニョリと寝たんだよ。
体調悪いのはそのせい。
つい最近までお前のこと好きだったのに、チャニョリと寝たんだ。
だから今日は身体が痛いし、チャニョリと気まずいの。
なんて。
言えるわけないけど。
「あ、ヒョン!いらっしゃいませ~」
ジョンデの快活な声が響いて今日も9時過ぎにミンソギヒョンがやって来た。
「おはよう。今日は天気がいいな」
「そうですねぇ~」
コーヒー好きなジョンデはミンソギヒョンによく懐いている。
「あとで休憩のときアイスコーヒー買いに行きますね」
「じゃあ取って置きの落としとくよ」
「やった!」
正直コーヒーに詳しくない俺にはよくわかんないけど、シュシュの水出しコーヒーは結構有名らしい。
「お?これ、また誰か叶ったの?」
ミンソギヒョンがベーグルを選びながら件のチョコチップベーグルのポップの前で立ち止まってジョンデに問いかける。
「あぁ、それね。今朝チャニョリが何か書いてて」
「へぇー。お前らの中の誰かじゃないの?」
「いや、よく分かんないんですよ。教えてくれなくて」
「はは!そうなんだ」
その会話が何のことだかさっぱりわからない俺は、なになに?と身を乗り出してポップを覗き込んだ。
この前俺が試行錯誤して作ったキュートなポップ。その端に貼り付けられた文字。
"実績2件目"
「なにこれ」
「あれ?ベッキョナは知らなかったのか?」
ミンソギヒョンが不思議そうに尋ねる。
「あぁ、ベッキョナ今朝いなかったから」
「そうそう……ってなにこれ。誰が書いたんだよ」
ジョンデに問うと「チャニョリだよ」って。
「……っ!」
ゲホゲホっ!
思わず噎せた俺の背中をジョンデが「大丈夫?」と撫でてくれる。
「……っ!ゲホッゴホッ!……あぁー、大丈夫……サンキュー」
大丈夫大丈夫、ってジョンデの手を制する。
2件目って……
もしかしなくても、そういうことだよな……?
そう考えると妙にこっ恥ずかしくなって、一気に頭に血がのぼった。
あいつは一体なに考えてんだ!!
「あぁーでもホントにご利益ありそうだな」
「まぁ、ただのチョコチップベーグルなんですけどね」
「はは!店員がそんなこと言っていいのかよ」
相変わらずジョンデとミンソギヒョンは楽しそうに話していて、俺はその傍らで悶々と色んな事を考えていた。
いやー、俺、マジで流されんのかな。
あろうことか心臓がドクドクと高鳴る。これはある意味非常事態宣言で。ちらりと視線をやった厨房でチャニョルが楽しそうに生地を捏ねてる姿が見えて、その手つきに、昨夜を思い出したのは絶対に秘密だ。処理しきれない感情が溢れている。
何とかかんとか仕事を終えて家に帰ろうとしたとき、俺の足が何の疑問もなくチャニョルの部屋へと向いていることに気付いたとき、俺は本当に自分自身が怖くなった。
「ただいま……」
「あ!おかえり!お疲れ~」
キッチンの方からチャニョルの声が聞こえて、晩飯を準備してくれてるのだと知る。いい匂いがして、今夜はカレーかなぁなんて。本当にマメで気が利くやつだ。そういえば、そんなやつがどうして彼女がいなかったのか考えたこともなかった。
結論から言えば、きっと俺を好きだったからなんだろうけど。そんなこと言ったら、あまりにも自惚れだろうか。
靴を脱いで、リビングで寛がずにそのままキッチンのチャニョルの元へと歩いた。
「チャニョラ……」
その大きな背中にゴトン、と頭を寄せる。
「うわぁ!ビックリ!なに!?」
「お前さぁ、ホントに俺が好きなの?」
呟くように問えば、「もちろん」と当たり前のような返事。
「どこが……?」
「どこって、そうだなぁ……もちろん全部だけど、可愛いとことか、面白いところとか……あとはハッピーなところとか、気が合うところとか、好きなものが似てるところとか……とにかく全部かな」
恥ずかしくなるような台詞だった。
チャニョリは、ずっと俺のことをそんな風に思っていたなんて。一つ挙がる度に耳の奥に心臓が出来てくみたいに鼓動が響いていく。
「……いつから?」
「えーっと、いつだろう……結構昔?高校の頃とか」
「そんなに……?」
「うん」
嘘だろ……
今までよく隠してこれたな、ってくらいチャニョルは素直に答える。
あまりに簡単に言うもんだから冗談なんじゃないかと勘繰りそうになるけど、冗談でこんなことを言う奴じゃないことだけはよくわかってるつもりだ。むしろ、言葉だけじゃなく昨夜俺はもうそれを知ってしまったのだから尚更。
「全然知らなかった……」
「うん。だからさ、お前がずっとジョンデのこと好きだったのも知ってるよ」
「そっ、か……」
ずっと、バレてたのか……
「ねぇ、」
不意にチャニョルが言葉をこぼす。
背中越しに響く声。
「なに……?」
「そっち向いてもいい?」
「……だめ」
「えー!いいじゃん!抱き締めたい!」
「やだ」
「無理!」
そう言ってチャニョルは手を拭くと、俺の言葉も聞かず振り向いて俺をすっぽりと抱き締めた。
あ……捕まった。
ずっとごちゃごちゃと考えていたけれど、その時俺は、ふとそう思ったんだ。
あぁ捕まっちゃった、って。
「やっぱりピッタリだ!ベッキョナは俺サイズ!」
「……そんなん、ジョンデもギョンスも変わんないじゃん」
体格なんてチャニョル以外は似たり寄ったりだし。なんてこれは俺の保身。
「違うよ。ベッキョナのサイズがいいんだもん」
ピッタリー!なんて言いながらチャニョルは地団駄を踏むみたいにバタバタと足を鳴らして、それからさらにギュッと抱き締めた。
首筋に寄せられた頭から髪の毛がさらりと落ちて擽ったかった。
いや、擽ったいのは首筋だけの話じゃなくて、どうしてか心臓の裏っかわまで擽ったくて、それからギュッと痛んだ。
「甘えて」ってチャニョルは言う。
「いっぱい甘やかすから、いっぱい甘えて」って。
想いを受けとるってこういうことなのかって思った。
今まで俺はジョンデを好きなだけでいいって思っていたけど、好意を向けられるって、なんかすごく擽ったい。ふわふわとした綿菓子にくるまれたみたいに甘やかで、安心する。
それは相手がチャニョルだからってことなんだろうか。そうだったらいい。
よくわかんないけど、とにかくチャニョルでよかった、と思う。
恋するチョコチップベーグルは、結局チャニョルの恋まで叶えてしまったらしい。
やっぱり"実績2件目"ってことであってるのかな。
おわり