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ビーグルベーグルシリーズ

休日明けのベッキョンもいない朝、僕は居ても立ってもいられず早くに目が覚めてしまい、結局いつもよりも早く部屋を出た。


店に入ると、まだ来たばかりだというチャニョルが居て盛大に驚かれた。

「随分早いな!」
「うん、ちょっと目が覚めちゃって」
「ふーん……あ!」
「なに?」
「い、いや!別に!何でもない!!」

何かを思い出したようなチャニョルは、それでも何も言おうとしない。
訝しく思って見つめると、「何でもないって!」とその大きな手をバタバタと顔の前で振るので、僕は状況が面倒くさくなって口を開いた。


「もしかして……ベッキョンから何か聞いた?」
「え!?あ、いや、聞いてない!!」
「ホントに?」
「聞いてないよ!!ジョンデの春が来たとか聞いてない!!」
「……聞いてんじゃん」
「あ……」


しまった、という顔をするチャニョルに苦笑して、「さぁ働こうか!」と肩を叩くと、「お、おぉ!」なんて返事がくる。僕は可笑しくなって笑いながら売り場の掃除に取りかかった。


春が来たって。
なにそれ、当たってるし。
この前言われた時は何言ってんだって取り合わなかったけど、僕はみんなの言うとおり、あの時すでに恋に落ちていたのかもしれない。
こんなにも分かりやすい自分に呆れつつも、結局イーシンさんのことを考えてにやけてしまった。



こんなにも10時が待ち遠しいと思ったのは初めてだ。




そうあえば、9時過ぎにミンソギヒョンが来たとき、一昨日のことを聞かれた。仲良かったなんてビックリしたって。

「うちでも最近見てなかったからどうしてるかなぁと思ってたんだ」
「出張で海外に行ってたらしいですよ」
「あぁ、それであの人形……」


苦笑しながら言うミンソギヒョンに、僕も「そうです」と照れ笑いで返した。

「こないだヒョンのとこ行ったんだ?」

ベッキョンがトレーを片付けながら口を挟む。

「うん、あの人シュシュも常連だって言うから」
「へぇー。てことはヒョンもジョンデの春到来見ちゃったんですね」
「春?」
「そ、春」

にやにやと笑うベッキョンにヒジ打ちしたけど、ヒョンも「あぁー」と言って笑った。

「もーやめてよ!ヒョンまで!」
「はは!いいじゃん」


春ね、なんて言いながらヒョンは店をあとにした。


「そんなんじゃないってば!」
「またまたぁ!そのわりには今日随分とソワソワしてんじゃん」
「そ、そんなことないし!」


あながち間違いでもない指摘をかわすように、僕は売り場を整えに出た。
ずっとチラチラと時計を見ていたことに気づいたときには、自分でも少し呆れた。





それから間も無くしてカランと来店の音がして、僕は反射的に「いらっしゃいませ~」と声をあげた。


「おはよう」
「え、おはようございます……」


時計を見るといつもより少し早くて思わず「早いですね」と声をかけると、「早く目が覚めちゃって」と苦笑するイーシンさん。


「ここに行くこと考えてたら仕事が全然手につかなくて」


居ても立ってもいられなくなっちゃった、って。


もしかして、
もしかしてイーシンさんも僕と同じだったりする……!?


思わずにやけそうになる頬に力を込めて笑顔を浮かべると、陳列棚の前で話し込む僕らの前にベッキョンが現れた。「もう少しでチョコチップベーグル焼き上がりますよ」って。
何だよ、急に!!


「ほんと!?」
「はい、なのでよかったら奥で少し休んできませんか?」
「え?いいの?」
「ベッキョナ……?」
「ついでにお前も休憩入れよ。あと俺やっとくから」

なんなんだ!この気の回し様は。
普段もそんぐらい働け!

訝しく視線をやっても「まぁまぁ」なんて言って、ベッキョンは僕らを店の奥に追いやった。
小さな小さな事務所兼休憩スペース。
事務机にパソコンとプリンター。それと昼寝用の小さなソファーとテーブルがひとつ。チャニョルなんかはいつも足をはみ出して寝ている。


「汚いところですみません」
「いや、僕の方こそごめんね」
「えっと……あ!時間大丈夫ですか!?」
「うん、今は忙しくないから大丈夫だよ」


イーシンさんをソファーに促して、僕はパソコンデスクから椅子を引っ張ってきた。

しばらくするとコンコンと音がしてギョンスが顔を覗かせる。


「どうしたの?あ、もしかして混んできた!?」
「いや、これ」


失敗したやつだけど、と差し出されたのはうちのもうひとつの看板商品の特製シュークリーム。それといつものインスタントコーヒー。


「あ、ありがとう」
「もうすぐ焼けるからごゆっくり」


ギョンスはイーシンさんにペコリと頭を下げると言葉少なく戻っていった。


「だそうです。よかったらどうぞ」
「わぁ!ありがとう!」


僕ここのシュークリームも好きなんだよねぇ。と嬉しそうに目を細めて喜んでくれたのでよかった。
ギョンスの"失敗した"は多分嘘だろうなと思うけど、黙って有り難くいただくことにする。


「もしかしてさっきの彼がベーグル焼いてるの?」
「はい。あともう一人、チャニョルっていうデカいのがいるんですけどね。中は主に彼ら二人がやってるんです」
「へぇ。もしかして、みんな同じ年くらい?」
「はい、四人とも高校の同級生なんで」
「そうなの?だからいつも楽しそうなのかぁ!」
「そう見えます?」
「うん、いつも賑やかで楽しそうだなぁって。いいね、そういうの」


ギョンスが差し入れてくれたシュークリームをかじりながら、何気ない会話をする。
この前抱き締められたあれは何だったんだろうと思いながらも、そんなことは聞けないでいた。
ただ、もっともっと一緒にいたいなって、話をしたいなって、ドキドキしながら思っていた。


だって一昨日、この人が好きだと気づいたから。


もっと触れたい
もっと触れられたい
もっと近くに行きたい
もっと……


「あの……」

「ん?」

なぁに?と首をかしげるイーシンさんと視線が重なって、急激に恥ずかしくなってうつむいた。

「なんでもないです……!」

何か、勝手に口から飛び出してきそうだった。


「ねぇ、」
「はい?」
「今度ご飯でも食べに行かない?」
「え……?」
「どうかな?デートのお誘いなんだけど」
「で、デートって……!!」


突拍子もない言葉に口から心臓が飛び出そうになった。
この人は、こないだからこんなことばっかりだ。


「だめ?」
「ダメってことないですけど……」
「じゃあ決まりね!土曜日でいいかなぁ?この前みたいにお店終わったあと迎えに来るから」
「え、いや、そんな!」




そうして僕らは土曜の夜にご飯を食べに行くことになった。
それからの一週間なんて、早いのか遅いのかよく分からないスピードで。ソワソワとしている間に過ぎていった。




土曜日───


僕らの制服は厨房二人はコックコートだけど売り場の僕らはYシャツにエプロンだから普段は家からYシャツで来て店でエプロンをするというスタイルだけど、その日だけは家から制服ではないシャツと上着も持参した。
店に入れば絶対何か言われるのは分かっていたけど、家に戻る時間すらもったいないような気がして、終わったらそのまま着替えられるようにしたんだ。

案の定ギョンスに「それどうしたの?」と聞かれたけど「ちょっとね」と濁した。
まぁそんな話のときは例外なくベッキョンが割り込んでくるんだけど、今日もやっぱりベッキョンが嗅ぎ付けてきて「デートか!?」と騒ぎ立てた。
面倒くさくなった僕は「そうだよ!」と叫んだら、さすがのベッキョンも驚いたのか一瞬ぽかんと口を開けていた。



7時、僕は手早く閉店作業をして、ベッキョンより先に店を出た。
店の前にイーシンさんがいるのが見えていたからだ。
「ごめん、あとよろしく!」ってベッキョンに任せて、超特急で着替えて、最後にちらっと鏡で確認して、「よし!」なんて声をあげて店の前に出た。



「すみません!お待たせしました!」
「お疲れさま」


すごく待っていてくれたはずなのに、全然待ってないように迎えてくれる。そんなところにまたときめいた。

男でもときめくとかあるんだなぁって思ったら、もう何度もイーシンさんにときめいていたことに気づいて恥ずかしくなった。


「どうかした?」
「いえ、なんでもないです……」



ここ美味しいんだよ、と言って連れてきてくれたのは意外というかそんな感じの家庭的な雰囲気の居酒屋だった。なんとなく、もしかしてすごいところに行くのかと思って身構えていたのでとても安心した。


「お酒はそんなに飲めないんだけどね」
「僕もそんなに強くはないので」
「じゃあ美味しいのを頼まなくちゃ!」


そう言ってイーシンさんは高そうな銘柄の焼酎を頼んだ。

緊張のせいでいつもよりペースが早かったのか酒のまわりも早くて。僕はあっという間に酔っ払っていた。ふわふわと夢心地とは、きっとこの事だ。
僕らはいつの間にか"ヒョン"、"ジョンデ"と呼びあっていて、イーシンさんの話はラグビーボールみたいに予測不能に飛んで行くし、楽しくてたくさん笑った。


そろそろ閉店だと店員に言われて、時間も忘れて話していたことに気づいた。お酒だって気がつけばお互い3杯目だったし。とにかく酔っ払って店を出て、離れがたくてだらだらと二人で歩いた。何となく足はあの公園の広場に向かっていて、互いの手がぶつかった瞬間にどちらからともなく握りあっていた。温もりが伝わって、心臓がジーンとする。

そのまま広場のこの前のベンチに座って。また何となくだらだらと話を続けた。もう多分話のネタなんて無いんだ。だけど話が終わったら帰らなきゃいけないような気がして、僕は必死に話題を探した。ベーグルのことや高校時代のこと、ミンソギヒョンやビルの住人の話。それからヒョンの仕事のこと。

だけど結局話のネタが尽きてしまって。
やがて言葉につまる……

あぁ何か話さなきゃ!話さなきゃ!って気持ちばかりが焦ってしまって、「ジョンデ……」と声をかけられた瞬間、僕は思わず泣きそうになってしまった。

心臓の奥がぎゅーっと痛いんだ。


しばらくそのまま見つめられて。
僕はそわそわと視線を巡らせた。


また、こないだみたいに頬に手を添えられて……


その視線に張り付けられたみたい。


なのに、瞬間……ふっと、ヒョンの表情は緩んで。さっきまでの真っ直ぐな視線は影を潜める。頬から手を離したヒョンは、もういつものヒョンだった。


どうして……
どうしてキスしてくれないの……?
思わせ振りなことばかりして。


急にすごく悲しくなった僕は、結局僕から、ちゅっとヒョンの唇に短いキスを落とした。


驚いて固まってしまったヒョンに、「なんでキスしてくれないんですか?」と問う。


どうして?
やっぱり僕じゃダメ?
それとも全部僕の勘違い?
ねぇ、どうして?


言葉にした訳じゃないけど、疑問は全部駄々漏れていたような気がする。
ヒョンは驚いた顔のままパチリと瞬きをこぼした。


「だって……そんな、ホントに!?」
「待ってたのに……」


ヒョンの上着の袖を掴むと、普段は眠そうに見える深い二重が小さく揺れた。
それからまた頬に手を添えられて、ゆっくりと顔を寄せられると「キスしてもいい?」って。


「聞かないでください……」


まっすぐ至近にあるビー玉みたいな瞳に吸い込まれそうになりながら呟くと、「うん」と頷いたかと思うと、ゆっくりと唇が重なった。

あのぽってりと厚い唇。
それに今啄まれているのだ。

そう思うと、カッと体温が上がった気がした。





どれぐらいしていたのか、ふわふわと気持ちよくて。
離れていくのが名残惜しかった。

ゆっくりと目を開くと視線が重なる。ちょっとだけ放心して、恥ずかしくなって咄嗟にヒョンに抱きついて首もとに顔を埋めた。
ゆっくりと抱き締め返される。
それから「大丈夫?」って。
僕は肩越しに顔を埋めたままコクりと頷いた。


「実はね、一目惚れだったんだ……はじめてお店に行った日に、楽しそうに働くジョンデを見て、一気に恋に落ちたの。それでどうにか話をしたくて、あの日財布の中身をばらまいたんだ」

「え……!?」


わざとだったの!?


衝撃の事実に驚いて固まってしまって、それから不意に顔をあげた。そうしたら僕の目を見てふふっと笑うヒョン。

「それでわざと免許証をカウンターの下に滑り込ませたの。そしたら狙い通りジョンデが拾ってくれた。もう一人の彼から返されたらきっぱり諦めようと思ってたから、すごく安心したよ」


にっこりと笑顔を浮かべられると戸惑ってしまう。


だってそんな……



なのにまたちゅっとキスをくれて、やっぱり恥ずかしくなってヒョンに抱きついた。わさわさと背中や頭を撫でられて嬉しさが込み上げる。


「好きです……」


つい最近気づいた想い。
ヒョンは初めて来たときから一目惚れだったと言ってくれたから、重みなんて全然違うのかもしれないけれど。それでも僕も、気づけばヒョンを好きになっていたんだ。


先に言われちゃった、と肩越しに呟いたヒョンの苦笑した顔が目に浮かんだ。




* * *





「じゃーーん!!」


週明け何やらこそこそと作業していたベッキョンとチャニョルが僕らの前に掲げて見せたのは、可愛らしいハートが大量に描かれたポップとチョコチップベーグルだった。


「なにこれ、恋するチョコチップベーグル……?」
「そ!俺考案、チャニョリ作製の新商品!」
「ってこれ、いつものチョコチップと違うの?」


見た目は完全にいつものチョコチップベーグルだ。


「違ーう!混ぜたチョコチップがハート型なの!」
「あはは!溶けて分かんないじゃん!」


とにかく笑いながら売り場を整えて入口から目立つセンターテーブルに場所を設けた。


「恋するって……」
「したじゃん、チョコチップで」
「僕?」


チョコチップベーグルで恋したかなんて分かんないけど、イーシンヒョンも喜んでくれるといいなぁとは思った。


カラン、と来店を知らせるベルが鳴って。わらわらと入ってきた女子高生が目敏く新商品を見つける。
「今日から出た新商品なんですよ~」とベッキョンが愛想よく接客する。


「普通のと違うんですか?」
「違いますよ~!なんと、このベーグル!食べると恋が叶うと言われてるんです!」
「あはは!なにそれ~!」
「あ、君たち信じてないね?」


あの店員さんが実証済みだよ!


僕を指すベッキョンに「おい!」なんて声をあげて。


でもまぁ、当たってるかもしれない、なんてね。






おわり
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