番外編
side JM
「うまくいってるみたいでよかった……」
二人が去ったドアを眺めながら呟くと、「心配?」とクリスに尋ねられた。
「心配っていうか、一応あの時煽っちゃった責任?」
「はは!大袈裟だな」
「そう?」
首を傾げるとジョンデくんのカップを片付けていたマスターも可笑しそうに笑っている。
「あいつらは大丈夫ですよ」
「そうですか?」
「もう一年以上も付き合ってるんだから」
「そっか……」
一年か、と呟くと「俺たちと一緒だろ?」とクリスが言うので思わず自分達の時間にまで想いを馳せてしまった。
「たまにマスターから話は聞いたりしてたけど、あんまり会わないからどうしても気になっちゃって」
あれからジョンデくんとは大学で数回会ったくらいで、それこそシロクマで会うのはとても久しぶりだった。それも二人揃ってるところなんて。
「でも、上手くいってるみたいで、本当に良かったです」
「だな」
そういえば、と僕は鞄の中をガサガサと漁って紙袋を取り出した。クリスも一緒になって覗き込んで「お?チョコレート?」と聞くもんだから「残念!」と笑顔を向ける。
「もっといいもの」
そう言って袋から取り出したのは一冊の本だ。
「新刊、やっと店頭に並んだんだ。何だか嬉しくて思わず自分でも買っちゃった」
「おぉ!」
カウンター越しからマスターまで顔を覗かせるのには訳がある。
「やっぱいい絵だねぇ」
「編集部もみんな褒めてくれて、紹介した僕も鼻が高かったです」
別に初めての書籍化と言うわけでもない僕のエッセイ本なのに、こんなに心が踊るのは、この表紙絵を描いたのがあのギョンスくんだからだ。
初めて彼の絵を見たときに冗談で、挿絵でも描いてもらおうかなぁ、なんて言ってたのがまさか本当に実現してしまうとは。
学校とバンドの傍らだけど、就職活動が本格化する前だったのがよかったらしい。
それでも忙しい最中挿し絵何枚かも含めてギョンスくんは夏前には仕上げてくれた。だというのに、校正やら何やらで完成したのはつい先日。
そんなわけで、店頭に並んでるそれを見たら、なんだか無性に嬉しくなって思わずお買い上げしてしまったのだ。
「ギョンスは知ってるの?」
「もちろん。彼には見本誌はすでに渡してあります」
「そっか、喜んでただろ?」
「えぇ、とっても。恥ずかしいのか顔を真っ赤にしてましたよ」
みんなして、想像つくなぁなんて笑っていたらカランと音が鳴ってまさに噂の彼が入ってきたもんだから、一斉に固まって、それからどっと笑いがこぼれた。
「え……?」
「あはははは!すごいタイミング!」
「ホントだな」
「え……なんですか?」
「いらっしゃい、ちょうどみんなでギョンスの話してたんだ」
「……僕の?」
「そう、これ」
文字通り目を丸くして驚いているギョンスくんに、今しがたみんなで見ていた本を見せると、彼も理解したのか「あぁ!」と声をあげた。
「いい絵だねって」
「あはは、ありがとうございます……」
照れている彼に「どうぞ」とさっきまでジョンデくんが座っていた隣の椅子を引いてあげると、「すみません」と小さく頭を下げて隣に座った。
「あんまりいい出来だったから、思わず自分で買ってきちゃったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。原画を見たときもいいと思ったけど、装丁されたらもっといい!中の挿絵も可愛いし」
「そんな、言い過ぎです……」
僕の方こそいい記念になりました、と仰々しく頭を下げる彼に慌てて「やめてよ!」と頭を上げさせた。
「実は、いただいた原稿料で僕も発売日に何冊か買いました」
「そうなの!?言ってくれればあげたのに」
「いえ、自分で買いたかったからいいんです。それに両親や祖父母にあげたらとても喜んでくれました」
「そっか」
ふと、「ジョンインには?」とマスターが口を挟む。
ジョンイン、とは彼の恋人だというのは知っている。いつも寝ていたあの高校生。僕はほとんど話したことがなかったけど、話ならギョンスくんから聞いている。
「あいつには、この前いただいた見本誌をもう送りました」
それで、とギョンスは鞄に手を掛けた。
「その時一緒にお菓子も送ったんですけど、その材料が余ってたのでマスターにもよかったらと思って……」
「お菓子?」
不思議そうな顔をするマスターに、クリスが横から「バレンタインだろ?」って笑みを浮かべて。あぁそっか!なんて僕とマスターは同時に頷いた。
「俺に?」
「はい、あの……たくさんお世話になったし、多分これからはあまり来れなくなると思うので……」
「あぁ、そっか」
ありがとう、と言ってマスターは紙袋を受け取った。
そんな二人のやり取りを見て、僕らはそろそろお暇しようか、とクリスを見れば、同じように思っていてのか相槌を打って席を立った。
「じゃ僕らはそろそろ……」
「あぁ、また」
支払いを済ませたところで、「そうだ!」と僕は例の本を取り出した。
「マスター、これよかったら……」
「え、いいんですか?」
「はい。実は家にもまだあるんです」
「はは!じゃあ有り難くいただきます。宣伝しときますね」
「え?ははは!じゃあサインでもしておきましょうか?」
「いいんですか?」
「もちろん!」
マスターが店の奥から持ってきたサインペンで扉の内側に書き慣れたそれを書いていく。
『喫茶シロクマの素敵なマスターへ』
『いつも美味しいコーヒーをありがとうございます』
なんてコメントを添えて渡すと、「家宝にしますね」と大事そうに言うもんだから、僕は恥ずかしくて笑うしかなかった。
「ギョンスくんも、また」
「はい」
「コックさんに飽きたらいつでも言って。またイラストお願いするから」
「はは!ありがとうございます」
「嘘だよー!仕事頑張って!」
「はい、ありがとうございます!」
春からコック見習いの彼に激励を飛ばして、和やかに別れた。
クリスと一緒に店を出て、当たり前のように彼の家に向かう。もう馴染みの光景。
彼の住まいはあの古書店の奥だ。
僕らも、レイとジョンデのように一年以上の付き合いを重ねいる。シロクマで出会って、恋人として過ごすようになって一年以上だ。
「そういえば、古地図のコラム良かったって言ってたな」
「うん、クリスに助けて貰ったお陰」
「はは、手伝い甲斐があった」
ジョンデが褒めてくれた古地図のコラムは、もちろんクリスに手伝って貰いながら書き上げたものだ。全5回に渡って誌面で連載したそれは、編集部からも反応がいいと聞いている。
それは、クリスの店で過ごすようになって興味を持った題材だった。
謂わば、恋人たちの副産物?
あぁ、これも次の題材にいいかもしれない。
なんてまた記憶のノートにメモを取る。
付き合うことで影響されていくもの。
共通の時間の中から生まれてくるもの。
恋人たちには思ってもいなかった副産物が沢山あるはずだ。
僕の肩書きは『エッセイスト』や『評論家』、『コラムニスト』なんてのもあって専門は現代文だから古地図とかは専門外だったけど、調べてみれば奥が深くて面白かった。
その面白さを教えてくれたのは紛れもなく、この隣にいるクリスだ。
「古地図ってさ、まだまだ奥が深いね」
「あぁ。今の地図だって何百年か後には古地図として扱われるんだ。当たり前に生活しているものが歴史に変わる。地図だけじゃない。お前の本だって」
「僕の本が!?」
「あぁ、プレミアついてるといいな」
ははは、と耳障りのいい低い声で笑う彼を見上げれば、楽しそうに笑みを浮かべていた。
「うまくいってるみたいでよかった……」
二人が去ったドアを眺めながら呟くと、「心配?」とクリスに尋ねられた。
「心配っていうか、一応あの時煽っちゃった責任?」
「はは!大袈裟だな」
「そう?」
首を傾げるとジョンデくんのカップを片付けていたマスターも可笑しそうに笑っている。
「あいつらは大丈夫ですよ」
「そうですか?」
「もう一年以上も付き合ってるんだから」
「そっか……」
一年か、と呟くと「俺たちと一緒だろ?」とクリスが言うので思わず自分達の時間にまで想いを馳せてしまった。
「たまにマスターから話は聞いたりしてたけど、あんまり会わないからどうしても気になっちゃって」
あれからジョンデくんとは大学で数回会ったくらいで、それこそシロクマで会うのはとても久しぶりだった。それも二人揃ってるところなんて。
「でも、上手くいってるみたいで、本当に良かったです」
「だな」
そういえば、と僕は鞄の中をガサガサと漁って紙袋を取り出した。クリスも一緒になって覗き込んで「お?チョコレート?」と聞くもんだから「残念!」と笑顔を向ける。
「もっといいもの」
そう言って袋から取り出したのは一冊の本だ。
「新刊、やっと店頭に並んだんだ。何だか嬉しくて思わず自分でも買っちゃった」
「おぉ!」
カウンター越しからマスターまで顔を覗かせるのには訳がある。
「やっぱいい絵だねぇ」
「編集部もみんな褒めてくれて、紹介した僕も鼻が高かったです」
別に初めての書籍化と言うわけでもない僕のエッセイ本なのに、こんなに心が踊るのは、この表紙絵を描いたのがあのギョンスくんだからだ。
初めて彼の絵を見たときに冗談で、挿絵でも描いてもらおうかなぁ、なんて言ってたのがまさか本当に実現してしまうとは。
学校とバンドの傍らだけど、就職活動が本格化する前だったのがよかったらしい。
それでも忙しい最中挿し絵何枚かも含めてギョンスくんは夏前には仕上げてくれた。だというのに、校正やら何やらで完成したのはつい先日。
そんなわけで、店頭に並んでるそれを見たら、なんだか無性に嬉しくなって思わずお買い上げしてしまったのだ。
「ギョンスは知ってるの?」
「もちろん。彼には見本誌はすでに渡してあります」
「そっか、喜んでただろ?」
「えぇ、とっても。恥ずかしいのか顔を真っ赤にしてましたよ」
みんなして、想像つくなぁなんて笑っていたらカランと音が鳴ってまさに噂の彼が入ってきたもんだから、一斉に固まって、それからどっと笑いがこぼれた。
「え……?」
「あはははは!すごいタイミング!」
「ホントだな」
「え……なんですか?」
「いらっしゃい、ちょうどみんなでギョンスの話してたんだ」
「……僕の?」
「そう、これ」
文字通り目を丸くして驚いているギョンスくんに、今しがたみんなで見ていた本を見せると、彼も理解したのか「あぁ!」と声をあげた。
「いい絵だねって」
「あはは、ありがとうございます……」
照れている彼に「どうぞ」とさっきまでジョンデくんが座っていた隣の椅子を引いてあげると、「すみません」と小さく頭を下げて隣に座った。
「あんまりいい出来だったから、思わず自分で買ってきちゃったんだ」
「そうなんですか?」
「うん。原画を見たときもいいと思ったけど、装丁されたらもっといい!中の挿絵も可愛いし」
「そんな、言い過ぎです……」
僕の方こそいい記念になりました、と仰々しく頭を下げる彼に慌てて「やめてよ!」と頭を上げさせた。
「実は、いただいた原稿料で僕も発売日に何冊か買いました」
「そうなの!?言ってくれればあげたのに」
「いえ、自分で買いたかったからいいんです。それに両親や祖父母にあげたらとても喜んでくれました」
「そっか」
ふと、「ジョンインには?」とマスターが口を挟む。
ジョンイン、とは彼の恋人だというのは知っている。いつも寝ていたあの高校生。僕はほとんど話したことがなかったけど、話ならギョンスくんから聞いている。
「あいつには、この前いただいた見本誌をもう送りました」
それで、とギョンスは鞄に手を掛けた。
「その時一緒にお菓子も送ったんですけど、その材料が余ってたのでマスターにもよかったらと思って……」
「お菓子?」
不思議そうな顔をするマスターに、クリスが横から「バレンタインだろ?」って笑みを浮かべて。あぁそっか!なんて僕とマスターは同時に頷いた。
「俺に?」
「はい、あの……たくさんお世話になったし、多分これからはあまり来れなくなると思うので……」
「あぁ、そっか」
ありがとう、と言ってマスターは紙袋を受け取った。
そんな二人のやり取りを見て、僕らはそろそろお暇しようか、とクリスを見れば、同じように思っていてのか相槌を打って席を立った。
「じゃ僕らはそろそろ……」
「あぁ、また」
支払いを済ませたところで、「そうだ!」と僕は例の本を取り出した。
「マスター、これよかったら……」
「え、いいんですか?」
「はい。実は家にもまだあるんです」
「はは!じゃあ有り難くいただきます。宣伝しときますね」
「え?ははは!じゃあサインでもしておきましょうか?」
「いいんですか?」
「もちろん!」
マスターが店の奥から持ってきたサインペンで扉の内側に書き慣れたそれを書いていく。
『喫茶シロクマの素敵なマスターへ』
『いつも美味しいコーヒーをありがとうございます』
なんてコメントを添えて渡すと、「家宝にしますね」と大事そうに言うもんだから、僕は恥ずかしくて笑うしかなかった。
「ギョンスくんも、また」
「はい」
「コックさんに飽きたらいつでも言って。またイラストお願いするから」
「はは!ありがとうございます」
「嘘だよー!仕事頑張って!」
「はい、ありがとうございます!」
春からコック見習いの彼に激励を飛ばして、和やかに別れた。
クリスと一緒に店を出て、当たり前のように彼の家に向かう。もう馴染みの光景。
彼の住まいはあの古書店の奥だ。
僕らも、レイとジョンデのように一年以上の付き合いを重ねいる。シロクマで出会って、恋人として過ごすようになって一年以上だ。
「そういえば、古地図のコラム良かったって言ってたな」
「うん、クリスに助けて貰ったお陰」
「はは、手伝い甲斐があった」
ジョンデが褒めてくれた古地図のコラムは、もちろんクリスに手伝って貰いながら書き上げたものだ。全5回に渡って誌面で連載したそれは、編集部からも反応がいいと聞いている。
それは、クリスの店で過ごすようになって興味を持った題材だった。
謂わば、恋人たちの副産物?
あぁ、これも次の題材にいいかもしれない。
なんてまた記憶のノートにメモを取る。
付き合うことで影響されていくもの。
共通の時間の中から生まれてくるもの。
恋人たちには思ってもいなかった副産物が沢山あるはずだ。
僕の肩書きは『エッセイスト』や『評論家』、『コラムニスト』なんてのもあって専門は現代文だから古地図とかは専門外だったけど、調べてみれば奥が深くて面白かった。
その面白さを教えてくれたのは紛れもなく、この隣にいるクリスだ。
「古地図ってさ、まだまだ奥が深いね」
「あぁ。今の地図だって何百年か後には古地図として扱われるんだ。当たり前に生活しているものが歴史に変わる。地図だけじゃない。お前の本だって」
「僕の本が!?」
「あぁ、プレミアついてるといいな」
ははは、と耳障りのいい低い声で笑う彼を見上げれば、楽しそうに笑みを浮かべていた。