第四章
「えー、次の曲は……」
「あ!待って、俺が言う」
ベッキョンが曲紹介を始めるとチャニョルがそれを遮った。
「は?」
戸惑うベッキョンを他所にチャニョルはほくそ笑む。
「次の曲は、出来立てホヤホヤの新曲です。好きな人のことを思い浮かべて作った曲です!なので、皆さんも好きな人を思い浮かべて聴いてくれたらいーなーと思います!」
チャニョルは振り向いたベッキョンと視線を重ねて、自慢の歯を並べて大きく微笑んだ。
彼を想って、彼に歌ってほしくて作った曲。
ベッキョンの頬が仄かに赤くなったのは、きっとライブの熱気から来るものだけではない。
「みんなー!!俺は今幸せだー!!だからみんなもハッピーにいきましょう!それでは3.6.5!聞いてください! 」
応えるように歓声が上がってチャニョルのギターが鳴る。そして背中を押されるようにベッキョンは歌い始めた。
3回くらいはぶつかってみて
6回くらいは泣いてみても
5回も耐えれば 終わりは見えてくる
焦って走るほど大事なことを見落とすのさ
ちょっと時間をちょうだい 一息つけるように
いつも同じところから 昇る太陽のように
3-6-5 毎朝君を起こして一日を始めよう
3-6-5 一分一秒離れないようずっと一緒に
3-6-5 君の手を握って
3-6-5 離さない
君を試す運命が 涙を流すとき
いつでも僕は奇蹟みたいに
君の前に現れるんだ
3-6-5 君と一緒に君のために過ごそう
3-6-5 まるで君のために生まれたみたいに
3-6-5 どんな痛みも
3-6-5 逃げていくよう
3-6-5 君を守るよ
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「ねぇ、セフナぁ。今のどういうこと?」
「あぁー」
二人の見つめる先、ステージの上ではチャニョルとベッキョンが楽しそうに笑っている。そこにあるのが音楽を楽しむ気持ちだけじゃないことは、タオにも、そしてセフンにも分かった。いや、タオにとっては分かりたくなんてなかったのが正直なところだけど、素直で純粋な分、感受性が豊かだったのが仇となったのかもしれない。
「僕、もしかして振られたの?」
セフンにとってそれは、これ以上ないほど喜ばしいことなはずなのに、素直に喜べないのは、隣に立つタオが泣きそうな顔をしているからだろうか。あんなにも願ったはずなのに。
言葉にするなら『複雑』それが一番ピタリと合う。
「なんで?僕まだ告白もしてないのに」
「タオ……」
「おかしいよそんなの」
ベッキョンが歌うハッピーな歌は、一体となって揺れる場内で、唯一タオだけ幸せにはしてくれなかった。
そんな顔するなよ、とセフンは思う。
無防備に立つ隣の男の腕にしがみついてそっと手を握った。
失恋の痛手を癒すのが新しい恋だというのなら、その相手は迷わず自分であって欲しい。
そう願いを込めて。
伝わるように、逃げないように。
自分勝手な友人の手を握る。
その合わさった手の馴染み具合にタオが気づくのはきっとまだ先のはなし。
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「多分あと半年くらいで貯まりそう」
楽しそうに友人のライブを見てるギョンスに、ジョンインはぽつりと呟いた。
「そっ、か……」
ギョンスの顔からは笑顔が消えて、まるで二人を取り囲む空気が無音になったかのようだ。
ジョンインは幼い自分が今言える精一杯の言葉をこぼした。
「今はまだ付いてきてなんて言えないけど、一人前になったら必ず迎えに行く」
音もなくゆっくりと頷くギョンス。
「だから……」
本当は離れるなんて耐えられないかもしれない。自分がギョンスを置いて遠くの地に、なんて出来るのだろうか。ジョンインは不安だった。
それでも、夢のためにそうすることが最善であることは分かっているし、ギョンスのために諦めるとなれば彼が一番傷つくのも分かっているから。待たせることになったとしても、手は離してあげられなさそうだ、とジョンインは思う。
繋がれていた二人の手は、よりきつく繋がった。それはまるで絶対に離さないという誓いにも似たもので。
「連れてって」と歌う恋人の初めての願いを、ジョンインは必ず叶えると胸に刻んだ。
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「そういえば、この前の答え」
「え?」
曲に遮られた言葉を、レイは堪らずにジョンデの耳に流し込んだ。
「僕はキス魔なのか?答えがあるとしたら、ジョンデが可愛いから。君がペットなのか?ペットよりは恋人がいいなぁ。ジョンデの趣味がそういうのなら仕方ないけど」
「な……!!」
レイの言葉が予測不能なのは、今に始まったことじゃない。思えば出会ったときからそうだった。ふわふわと転がる言葉はいとも簡単にジョンデの心を掴んで。いや、シロクマで彼の作るケーキを初めて食べた時から、ジョンデの心はレイによって掴まれていたのかもしれない。
「あと、君が僕を好きなのか」
ジョンデの心臓はドクリと跳ねる。
「……好きだったら、嬉しいな」
レイは笑窪を作ってふわりと笑った。
「いや、もし仮に好きじゃなかったとしても、僕がジョンデを好きだからこの際あまり関係ないのかもしれないけど」
レイは繋がれていた手を持ち上げて、ジョンデの手の甲にそっと唇を落とした。
あ、またキス……
ジョンデはびくりと震えて目が泳いだ。
「僕はもう一生、君以外にはキスしないから。だからもう一度、僕と一緒に僕の作ったケーキを食べてくれない?」
思っても見なかった言葉に、ジョンデの頭は白くなる。
「ホントだよ」とレイは笑う。
会いたかった人がそこにいて。
好きな人が自分を好きだと言って。
不安に思う心よりも、信じるべきは彼の言葉なのかもしれない。
ジョンデはうつ向きながらも繋がれていたその手をそっと握りしめると、恥ずかしそうに笑った。
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ライブハウスの一番後ろ、それぞれの恋の行方を見届けるようにクリスとジュンミョンは立っていた。
「なんかみんな幸せそうでいいですね」
「ん?あぁ、そうですね」
あ、でも、とクリスは続ける。
「あそこの高校生は失恋したてみたいな顔じゃないですか?」
言うとジュンミョンも「ホントだ」と眉を下げた。それでもクリスの袖を摘まむとパッと目を見開いて、「でもほら、見て!」と小さく指を指す。
「隣の彼がいるからきっと大丈夫ですよ」
そう言ってジュンミョンが幸せそうに微笑むので、クリスの心は春の陽射しを受けたように暖かくなった。
「恋って、なんかいいですね。見てる方も幸せになります」
ジュンミョンはクリスを見上げて微笑む。
クリスもそれに応えるように目を細めた。
「あ、そうだ」
「ん?どうしました?」
「どうやら私は、あなたが好きみたいだ」
クリスは隣に立ったまま顔だけでジュンミョンを覗き込むようにして囁いた。
「え……」
「どうしましょう?」
ニヤリと笑って尋ねると、ジュンミョンも照れくさそうに笑みを浮かべて、「さぁ、どうしましょうね」と答える。
どちらからともなく繋がれた手は指と指が絡まりあって、仄かに熱を孕んでいた。
「とりあえず、その美味しそうな唇を、頂いてもいいですか?」
楽しそうに奏でられるチャニョルのギターとベッキョンの歌声をBGMに、会場の一番後ろ、二人の唇はそっと重なった。