第四章
賑やかに行き交う人々。鳴り止まない音楽。
ライブハウスとしては小さめのサイズなんだろうけど、皆楽しそうに開演するのを今か今かと待ちわびている。
ジュンミョンは初めて入るそこに、緊張と愉しさとで心を踊らせていた。
「こういうところに来るの初めてで」
「私もです」
「たまにはいいですね、若返りそうです」
「はは、それは困ったな。一緒にビールが飲めなくなる」
入り口で買った缶ビールを片手にクリスとジュンミョンは会場の後方に陣取っていた。
BGMはまだ微かに鳴る程度だ。
「よう!」と声が掛かって振り向くと、そこにはミンソクが立っていて、カフェエプロンを巻いていない彼はなんだか妙に見慣れない。
そして隣には鹿のような目をした男が控え目に彼の服を掴んで立っていた。
「あ!マスター」
「おう、早いな」
「いや、俺たちも今来たとこだ」
「そっか。ジョンデは?見かけた?」
「いや、まだ」
「二人とも来るかな……」
「来るといいけど」
三人はぐるりと会場を見渡す。
それらしき影は未だ見当たらない。
「で、彼はミンソクの恋人か?」
三人の視線がミンソクの後ろに立つ男に注がれた。
「違うよ!うちの客」
「そうなんですか?てっきり恋人かと思いましたよ!」
ジュンミョンが言うと、クリスも横でにこやかに頷く。
「ルハンもうちの常連さんだよ」
そう言ってミンソクはルハンを前に押しやった。
「こ、こんにちは。あ、こんばんはかな」
恥ずかしそうに微笑む姿はまるで少女のようだ。
「えぇ、こんばんはですね」
言って皆で笑う。
「彼はうちのお客さんで、こいつは俺の高校からの友達」
ミンソクがする紹介に、よろしく、と挨拶を交わしてジュンミョンは入り口の方を見やった。
「あ……」
タイミングよく現れたのは、お待ちかねの彼だ。
「ジョンデくん!」
こっちこっち、と手を降ると嬉しそうに目を細めて駆け寄ってくる。
「こんばんは!あ、マスターも!」
「よかった、来なかったらどうしようかと思ったんだ」
「えー、行くに決まってるじゃないですか!せっかくジュンミョンさんに頂いたチケットなんですから」
「はは!それは光栄だなぁ」
このあと起こることにも気づかず、ジョンデは楽しそうに目尻を細めた。
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「あー!」と声が掛かって一斉に振り向くと今度は今日の主役、チャニョルとベッキョンが駆け寄ってくる。
「皆さん来てくれたんですね!ありがとうございます!」
「こんなに来てもらったら緊張して震えるよー!!」
「楽しみにしてるよ」とジュンミョンが笑えば、皆うんうんと頷いて。チャニョルとベッキョンは見つめあって恥ずかしそうにはにかんだ。
「あれ?え?」
和気あいあいと集う輪の中で初見の人物を見つけ、チャニョルは驚いて目を見開いた。
「ん?なに?」
「あの、マスターの彼女……じゃないですよね?」
ミンソクに寄り添うそのように立つその人を指してチャニョルは尋ねる。
「なわけあるか!」
何なんだよ、みんなして。
ミンソクはぼやいた。
「え、だって……」
「あのねぇ、ルハンは男!」
「えー!男?あぁ、確かにベクよりデカいや」
「おい!!」
「はは、こいつもうちのお客さんだよ」
「えー!見たことないけど」
「お前らとは来る時間が違うからね」
「あぁ、どうりで!俺、シロクマの常連さんなら大体顔覚えてるのに!しかもこんな美人!」
チャニョルがあげた声にすかさずベッキョンが睨みを効かせると「あ、や、あの」と笑顔をひきつらせた。
「ばーか。ルハンはお前らよりずっと古株の常連さんなの」
「え?そうなんですか?」
「あぁ、特別な客」
「えー!怪しいー!」
二人はケタケタと笑って「うるせぇ!」とドヤされると、「もう行かなきゃ!」と逃げるように奥へと消えていった。
「最後まで楽しんでってくださーい!!」
去り際、ブンブンと大きく手を振ってチャニョルは笑った。
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他愛もない世間話をしてみんなで時間を潰していると、クリスがジュンミョンの袖を引いて目配せをする。
ジョンデの後ろには、もう一人の待ち人──レイの姿だ。
「ジョンデ……?」
ジョンデはその声に驚いて振り返った。
「レイ、ヒョン……」
レイも同じく驚いている。
固まるるジョンデの腕を掴んで、レイはそのまま抱き締めた。
クリスとジュンミョンは顔を見合わせて、ミンソクはルハンの腕を引いて。それぞれにそっと場所を移動した。
「なんで、いるんですか?」
腕をほどいたレイにジョンデは尋ねる。
「会いたかった、から……」
ジョンデの心臓はツキンと跳ねた。
そのまま握られた右手は皮膚の感覚さえも鋭敏に感じ取っている。
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ミンソクはもう一人常連客を見つけて声をかけた。
「ギョンス見にきたの?」
「……はい」
「トップバッターだもんな。楽しみだ」
恥ずかしそうにうつ向く青年はギョンスの恋人、ジョンインだ。ギョンスがジョンインの踊る姿が好きなように、彼もまたギョンスの歌う姿が好きだった。
「会場まで来てもやっぱり彼が歌うなんて想像つかないよ」
ミンソクが言うとジョンインは「はは!」と幼さの残る笑みを溢した。
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「セフナー!こっち!」
会場の真ん中、前に前にと行こうとするタオをセフンは呆れながら眺めていた。
「いいよ、そんな前じゃなくて」
「えー!前のがいいじゃん」
「僕たちデカいからあんまり前だと後ろの人に迷惑かかるって」
「あ、そっか……じゃあうしろー」
真ん中より少し後ろの辺りに立って腕を組むセフンにタオは後ろからベッタリと抱きついて寄り掛かる。いつもの体勢といえば、いつもの体勢。
思惑は違えど、それがラクでしっくり来るのは共に同じことだ。
照明が落ちて、SEが切り替わる。
爆音と共に暗闇の中現れる姿。
会場の熱気はピークだ。
闇の向こう、スッと右手を挙げる姿。
SEが止まった刹那。
響いたのはギョンスの柔らかでパンチのある声だった。
ギターの音が重なって、会場のボルテージが上がる。
「今日は楽しんでってくださーい!」
軽快な、それでいて中々味のある曲が流れる。会場は一体となって揺れる。
トップバッター、ギョンスのバンドは洋楽のカバーだったり、英語詩が中心だ。
「へぇ、歌も上手なんだ……」
「ん?なにか?」
呟くジュンミョンに耳を寄せるクリス。
「いや、」
ジュンミョンの楽しそうな横顔を盗み見て、クリスもそっと笑みをこぼした。
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「みなさーん!楽しんでますかー?」
数曲立て続けに歌い終えると、ギョンスは会場を煽った。「ドギョンスー!」と上がる歓声に恥ずかしそうに頬を染める姿はいつもの彼のそのままで。けれどたくさんの人に向かってステージの上で話す姿はやっぱり別人のようでもあり。ジュンミョンは不思議な気分で見つめていた。
「あのフライヤー、あのボーカルの彼が書いたんですって」
ジュンミョンは壁に大量に貼られるそれを指してクリスの耳元に向かって話す。クリスは応えるように腰を屈めて耳を傾けた。
「へぇ。なかなか上手いですね」
「今度コラムの挿し絵でもお願いしてみようかと思って」
「そうか。じゃあ画集が出たらうちにも置いてもらおう」
「いや、彼は調理師を目指してるみたいですよ」
「え?はは!参ったな。じゃあ画集じゃなくて料理本になるのかな」
「あの店では料理本も扱ってましたっけ?」
徐々に近づく体温。
見つめあう二人の眼差しはとても優しい。
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「最後の曲は……、」
言ってギョンスは言葉をつまらせた。
会場からはブーイングが上がって恥ずかしげに笑う。
「えっと、最後の曲は聞いて欲しい人がいて……だからその、」
──その人のために!
声をあげるとキーボードのイントロが流れて演奏が始まった。
小さな羽ばたき 導かれる僕
ついて来てと手招きされたようで
切ない眼差し 無言の会話
胸に嵐が吹き抜けた夜
優雅な君の姿に目を奪われて
呼吸さえままならない僕なのに
ワルツのようにふわりと舞って
目が離せない
視線は自然に 歩くたび君に
吸い寄せられるんだ
連れてってyeah 君のところへ
僕も一緒に連れていって
Oh世界の果てでも付いて行くから
お願い 僕の前から消えないで
朝が来ても消えないでoh
夢見て歩く 君は僕だけの美しい蝶
ジョンインは、ギョンスの声に思わず泣きそうになっていた。
この会場内で、周りにはたくさんの人がいて。なのに自分達しかいないような感覚。
「連れてって」と歌う恋人。行かなくてはいけない自分。これ程までに自分の幼さを、無力さを恨んだことは無いかもしれない。
今まで、若いということは学ぶ時間が沢山あってこれからまだまだ成長できるということだと思っていたのに。それがこんなにも無力なことだったとは。
ジョンインは、じきに訪れる離れなければならない時を思うと、堪らなく苦しくなった。
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ギョンスたちの演奏が終ると、場内にはまた照明が戻ってきた。
チャニョルたちへとバトンを繋ぐためのインターバルだ。ステージではスタッフが楽器の入れ替えを行っており、観客たちも今か今かと待ちわびている。
「あの……」
「……ん?」
ギョンスたちが歌っている間中、場内で一際微妙な空気を醸し出していたのはレイとジョンデだ。
ジョンデの右手は終始レイの左手によって握られており、逃げることも、また振り払うことも出来ず現状維持を保つだけ。ジョンデは時折右側に立つその人の横顔を盗み見ては心臓を高鳴らせた。その真っ白な頬には微笑むと笑窪が現れて、ふくよかなその唇が自分に触れたのかと思うと頭が沸騰しそうだった。
「この間は、突然帰って、すみませんでした」
「あぁ、うん」
ビックリしたよ、とレイは笑う。
「あの、あれは……忘れてください」
「え……?」
「今はその、教授の手伝いが忙しいのであれですけど、落ち着いたらまた必ずヒョンのケーキ食べに行きますから」
ジョンデは下がり眉をさらに下げて、悲しそうに笑った。
「あのね……!」
レイが口を開いたとき、場内の照明は無情にも再び落とされた。
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「あ……始まる!」
興奮ぎみにセフンの腕を叩くタオ。
「どうしよう!ヤバイよ!」
「大丈夫、落ち着いてって」
「無理無理ー!なんか僕まで緊張するー!!」
騒ぎ立てるタオをセフンは相変わらず複雑に眺めていた。いや、以前に比べれば、それは複雑では無くなったのかもしれない。少なくともセフンが自分の気持ちに気付いた分だけは。たた、ワケがわからないと思っていた感情がそのままそっくり嫉妬へと移行された分、厄介といえば厄介なのだけど。
まるで少女のように騒ぐタオの隣で、セフンは溜め息混じりの息を吐いた。
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真っ暗な場内で鳴り響くSE音。
釣られるように沸き上がる歓声。
ボルテージは再び急上昇。
メンバーが準備を終えてスティックのカウントが始まると、先程よりもさらに爆音が場内を包んだ。
照明が反転してスポットライトがステージを照らす。
ベッキョンの、顔に似合わずハスキーがかった低く力強い声。チャニョルのうねるようなギターのリフ。活気に溢れて飲み込まれそうだ。
「楽しんでる?」
場内の人だかりを掻き分けてギョンスがジョンインの隣に立った。歓声によりその声は微かにしか聞こえないが、ジョンインは笑顔で頷いた。
ギョンスの耳元で「お疲れ様」と囁くと、ギョンスは照れくさそうに笑った。
ぶつかり合った手をジョンインはしっかりと握った。普段なら戸惑われることだけど、今は誰も二人のことなど気にしていないか。
行き場のない感情は熱になってジョンインの手に流れる。
体温は確かに伝わっていた。
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「イェーイ!!盛り上がってるー??最後まで飛ばすからヨロシク!!」
ベッキョンが笑顔で客を煽ると、チャニョルのギターも連なるように続く。
歓声は最高潮だ。
チャニョルのギターはいつだって自分の背中を押してくれる。この前のバカみたいな告白のあと気恥ずかしくも手を繋いで帰ったあの日、ベッキョンは幸せは手の中にあると実感した。友情なのか恋なのかと揺れたことも無かったわけではないが、恋だと気付くのに時間はかからなかった記憶だけはある。だけどそれがこんな風に叶うとは、思っても見なかったのだ。
チャニョルといられれば幸せで。
バカやって騒いで笑って。
それからこうやってひとつの音楽を奏でて。
これからもずっと、こんな風にいれたら。
なんて胸の奥が擽ったくなった。