第三章
side KS
授業を終えて、いつものようにシロクマへ急いだ。カラン、と音がしてドアを開くとマスターが笑顔で迎えてくれて。いつもの席に視線をやるといつもの背中が見えて安心する。
伏せて寝ているジョンインを起こさないように向かいの席に座って本を取り出した。
早速運ばれてきたコーヒーを飲もうとカップに手を掛けると、カチャン、とソーサーに当たって。ジョンインは、んー、と小さく唸り声をあげて僅かに顔を上げた。向かいに座る僕が見えたのか今度は「うぅーん」と背伸びをしながら起きあがった。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いや、大丈夫。早かったね」
「うん、急いだから」
「……急いだの?」
「あ、いやその……」
早くジョンインに会いたかったから。なんて言えるはずもなく手元の本に視線を落とした。
本当はいつだって会いたい。こうしてシロクマで会うのも好きだけど、できればもっとゆっくりとできるところで。二人だけで甘い時間を過ごしたい。けれどそれは無理だということは分かっているから、分かりきったことは口に出しても仕方ない。
ジョンインにはダンスがあって、新聞配達があって、僕には勉強も歌もある。お互いに大事なものがあって、何が一番大事かなんて、考えるだけ無駄なんだ。そもそも比べるものじゃないし。
「ねぇ、今日見にいってもいい?」
「練習……?」
「うん」
「ライブの練習は?」
「今日は休み」
「そっか。もちろん。ヒョンが見てくれるなら頑張る」
「はは。いいよ、いつも通りで」
コーヒーを飲み終えた頃ジョンインが「出ようか」と言うので、少し早かったけど僕らは店を出た。今日は駅で別れなくていいからいつもより時間はあるのに。
ジョンインに手を引かれていつもの路地よりさらに先へ進む。
「どこ行くの?」
「内緒」
引っ張られるように連れられて、路地を抜けて着いた先は小高い丘だった。
「こんなところあったんだ……」
「うん、この前偶然見つけて。ヒョンに見せたくて」
生い茂る木の向こうに見えるのは、少し下がった場所にある住宅地。高い建物はないから遠くの川まで見渡せる。
「ほら、元々駅とか商店街の辺りは少し高くなってるから。ちょっと来ただけで景色を見渡せるんだ」
「そっ、か……」
目の前の景色に目を奪われていると、ジョンインは背中から抱き締めてきた。
「本当は、もっとずっとヒョンと一緒にいたい……」
背中に伝わる体温も、肩にかかる重みも、すべて愛しいのは僕の方だ。
「ジョンイナ、」
「んー?」
「僕たちさ、心はいつも一緒だと思ってる」
「うん……」
「だから、」
「うん……」
本当はとても甘えん坊で子どもなのに、目標のためにいつも自分を震え立たせているジョンインが堪らなく好きだし誇りに思う。凛とした眼差しも、綺麗に伸びる背筋も、夢に向かう真摯な姿も。ジョンインだけが持ち得るものだ。
振り向いて正面から抱き合うと、折れそうな程に力いっぱい抱き締めてくれて。周りの木々に紛れていつもより長めのキスをした。
スタジオの向かいのファストフード店の窓際に座って、ジョンインの姿を眺める。スタジオはガラス張りだからここからでもよく見えるのだ。
周りの人たちと話しながら入念に身体をほぐして。目付きが変わる瞬間。動作の一つ一つを確認するように、頭の先から爪先まで。毛先から尻尾の先まで。神経を張り巡らせて踊る姿は、あぁ、やっぱり黒豹だな、って。重力を感じさせない姿は、まさに動物のようで。
しなやかに舞う姿はさっきまで一緒にいた僕の知ってるジョンインとは別人みたいで、少しだけ寂しくなった。
初めて踊る姿を見たとき、僕とは住む世界の違う人なんだと思った。住む世界、なんて言うのはおかしいかもしれないけれど、でもジョンインは、もっともっと上へ行かなくてはいけない人で。これからの輝かしい未来の中で、ほんの短い間だけでもこうして見届けられることを、僕は光栄に思わなくてはいけないのかもしれない。
ほんの一瞬、ジョンインと目があった。
ガラス越し、
踊る合間、
鋭かった目が柔らかに弧を描いた。
あぁ、やっぱり僕は、君が好きだよ。
授業を終えて、いつものようにシロクマへ急いだ。カラン、と音がしてドアを開くとマスターが笑顔で迎えてくれて。いつもの席に視線をやるといつもの背中が見えて安心する。
伏せて寝ているジョンインを起こさないように向かいの席に座って本を取り出した。
早速運ばれてきたコーヒーを飲もうとカップに手を掛けると、カチャン、とソーサーに当たって。ジョンインは、んー、と小さく唸り声をあげて僅かに顔を上げた。向かいに座る僕が見えたのか今度は「うぅーん」と背伸びをしながら起きあがった。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いや、大丈夫。早かったね」
「うん、急いだから」
「……急いだの?」
「あ、いやその……」
早くジョンインに会いたかったから。なんて言えるはずもなく手元の本に視線を落とした。
本当はいつだって会いたい。こうしてシロクマで会うのも好きだけど、できればもっとゆっくりとできるところで。二人だけで甘い時間を過ごしたい。けれどそれは無理だということは分かっているから、分かりきったことは口に出しても仕方ない。
ジョンインにはダンスがあって、新聞配達があって、僕には勉強も歌もある。お互いに大事なものがあって、何が一番大事かなんて、考えるだけ無駄なんだ。そもそも比べるものじゃないし。
「ねぇ、今日見にいってもいい?」
「練習……?」
「うん」
「ライブの練習は?」
「今日は休み」
「そっか。もちろん。ヒョンが見てくれるなら頑張る」
「はは。いいよ、いつも通りで」
コーヒーを飲み終えた頃ジョンインが「出ようか」と言うので、少し早かったけど僕らは店を出た。今日は駅で別れなくていいからいつもより時間はあるのに。
ジョンインに手を引かれていつもの路地よりさらに先へ進む。
「どこ行くの?」
「内緒」
引っ張られるように連れられて、路地を抜けて着いた先は小高い丘だった。
「こんなところあったんだ……」
「うん、この前偶然見つけて。ヒョンに見せたくて」
生い茂る木の向こうに見えるのは、少し下がった場所にある住宅地。高い建物はないから遠くの川まで見渡せる。
「ほら、元々駅とか商店街の辺りは少し高くなってるから。ちょっと来ただけで景色を見渡せるんだ」
「そっ、か……」
目の前の景色に目を奪われていると、ジョンインは背中から抱き締めてきた。
「本当は、もっとずっとヒョンと一緒にいたい……」
背中に伝わる体温も、肩にかかる重みも、すべて愛しいのは僕の方だ。
「ジョンイナ、」
「んー?」
「僕たちさ、心はいつも一緒だと思ってる」
「うん……」
「だから、」
「うん……」
本当はとても甘えん坊で子どもなのに、目標のためにいつも自分を震え立たせているジョンインが堪らなく好きだし誇りに思う。凛とした眼差しも、綺麗に伸びる背筋も、夢に向かう真摯な姿も。ジョンインだけが持ち得るものだ。
振り向いて正面から抱き合うと、折れそうな程に力いっぱい抱き締めてくれて。周りの木々に紛れていつもより長めのキスをした。
スタジオの向かいのファストフード店の窓際に座って、ジョンインの姿を眺める。スタジオはガラス張りだからここからでもよく見えるのだ。
周りの人たちと話しながら入念に身体をほぐして。目付きが変わる瞬間。動作の一つ一つを確認するように、頭の先から爪先まで。毛先から尻尾の先まで。神経を張り巡らせて踊る姿は、あぁ、やっぱり黒豹だな、って。重力を感じさせない姿は、まさに動物のようで。
しなやかに舞う姿はさっきまで一緒にいた僕の知ってるジョンインとは別人みたいで、少しだけ寂しくなった。
初めて踊る姿を見たとき、僕とは住む世界の違う人なんだと思った。住む世界、なんて言うのはおかしいかもしれないけれど、でもジョンインは、もっともっと上へ行かなくてはいけない人で。これからの輝かしい未来の中で、ほんの短い間だけでもこうして見届けられることを、僕は光栄に思わなくてはいけないのかもしれない。
ほんの一瞬、ジョンインと目があった。
ガラス越し、
踊る合間、
鋭かった目が柔らかに弧を描いた。
あぁ、やっぱり僕は、君が好きだよ。