第二章
side JM
この前散歩の帰りに見つけた古本屋。商店街の奥にひっそりと佇むそこは、古書や洋古書、古地図なんかを扱っているらしくなかなか渋い取り揃えで、ずっと気になっていた。
「こんにちはー」
ガラガラと引き戸を開けて、少し緊張しながらそっと声をかけ足を踏み入れた。
「ちょっと見せてください」
そう言うと、奥の方から「どうぞ 」と低い声が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろした。
店内は本棚と、そこから溢れ出て積み上げられてる本や雑誌がところ狭しと並んでいた。入口から近い棚から順に目を通していく。貴重そうな本がたくさん並んでいて、古書特有の匂いが充満していた。僕はしばらく興味深く眺めて歩いた。
「あ……」
見覚えのある名前を見つけて思わず呟いた。ずらりと並んでいるのは祖父の名前で、中にはもう絶版になったものもある。
ほとんどは実家の書蔵にもあるものだが、一冊だけ初めて見たものがあった。抜き取って開いてみると、学生時代に出したと思わしき詩集。
この本の存在は知っていたが、もう50年以上昔の自費出版のものだったので半ば諦めていたのだ。
こんなところで出逢えるなんて。
僕は嬉しくなって、その本を手にレジへと向かった。
「……すみません!」
店員の姿が見えなくて声をあげた。
「あぁ、はい」と出てきた人物を見て、僕は瞬間固まった。
見ると向こうも気づいたのか、同じく驚いた顔をする。
「シロクマで……」
「あぁ、えぇ」
心の準備もなく会ったのは、シロクマでコーヒー1杯だけ飲んで帰る鷲のような目をしたマスターの友人だった。
心臓が跳び跳ねて、柄にもなくどきまぎしてしまう。
「ここ、あなたの店だったんですね」
「えぇ、まぁ。祖父から預かってるだけですが」
会計ですか?と彼は僕の持っている本を指した。
「え?あ、あぁお願いします」
くすりと笑われた気がして、思わず顔に血が上るのがわかった。
「ずいぶん渋い趣味ですね」
「え……?」
「この作家、好きなんですか?」
「あ、あぁ」
祖父なんです、と言うと彼は驚いたのか顔をあげた。
「この本だけは実家の書蔵にもなかったので、あんまり珍しくて」
「あぁ、これはあまり出回ってないですからね。うちのじいさんが、この、あなたのお祖父さんと親しかったみたいで。その縁でうちでは結構取り揃ってるんです」
「あぁ、そうなんですか!」
不思議な縁ですね。僕とあなたのお祖父さん同士が親しかったなんて。
そう言うと、「クリス」と彼は呟いた。
「え?」
「私の名前。クリスです。あなたは?」
「ジュンミョン、です」
言って、ふふと笑うと彼も、ははと笑った。やっぱり笑うとその瞳は柔らかな弧を描く。
いつもはシロクマのカウンターで遠目に見るくらいの関係だったのに、一気に名前まで知って、しかも祖父同士が知り合いだったなんて。本当に、縁とは不思議なものだ。
次のコラムの題材はこれにしようか、なんて彼の瞳を見ながら頭の片隅に書き留めた。
「あの……もしかして、これからシロクマ行きますか?」
壁の時計を見上げれば時刻はちょうどそんな時間で。
「あぁ、そうですね」
「僕もこれから行くとこだったので、よかったら一緒にどうですか?」
問えば「えぇ、」と笑みを浮かべた。思っていたよりも、ずっとずっと話しやすい人だ。シロクマまで並んで歩いているときも、屈んで耳を傾けてくれたり、ちょっとした仕草が然り気無くスマートだ。
「お祖父さんは今は?」
「あぁ、仕入れの旅に出ていて、もうすぐ帰ってきますよ」
「仕入れの旅?」
「世界中旅しながら本を集めてるんです」
「へぇ。楽しそうですね」
「はは!ただの道楽ですよ」
そんなことを話しながらシロクマへ向かった。
ドアを開けようとした瞬間勢いよく開いて人が飛び出してきて。僕は圧倒されて後ろに少しよろけた。でも、彼がしっかり支えてくれたお陰で転ばずに済んだ。その力強い大きな手に、思わず心臓がどきりと跳び跳ねる。
「あ、すみません」
「いや」
二人して照れくさそうに笑った。
「いらっしゃい……ってあれ?」
「こんにちは」
マスターは並んで入ってきた僕らを見て不思議そうな顔をした。
「もしかして、取り込み中でした?」
さっき出ていったのは、確かいつも店の隅にいた大学生だ。最近見かけないと思っていたけど。なんて考える。
「あ、いや、すみません」
そう言ってマスターが慌てて笑顔を貼り付けた時、奥から人が出てきた。
「レイや……」
「……ヒョンごめんね。迷惑かけて」
やっぱりワケあり気味な雰囲気。
するとその彼は今度はクリスを見て声を上げた。
「クリス……?」
「久しぶりだな」
どうやらクリスも知り合いのようだ。聞けば三人は同じ高校の先輩後輩で──但し、マスターとクリスが先輩でレイと呼ばれた彼が後輩だったのは驚きだが。
いつもは離れて座るカウンターに並んで座るとなんだか妙にくすぐったい。今日は甘いものが飲みたくてカフェラテを頼んだ。
「どうかしたのか?」
クリスがレイと呼ばれる青年に話し掛けた。
「あぁ、いやぁ……」
「ま、アレだよ。罪な男ってやつ」
マスターが苦笑いを浮かべる。
クリスは「なるほど」と頷いた。
「僕、また何かやらかしちゃったのかなぁ」
「お前は昔から無自覚だからなぁ」
「ジョンデのことは大事にしてたつもりなんだけど……」
仲間内の会話に耳を傾けていいものかと戸惑いながらも視線を向ける。
「で、なんで二人は一緒なの?」
マスターが今度はこちらを向いた。
「あぁ、たまたま店に来てな」
「祖父同士が知り合いだったみたいで」
言うと、さすがにマスターも驚いていた。
「しかしまぁ、クリスもレイも。うちの客に手出しすぎ」
「いや、俺はまだ出してない」
「まだ?」
マスターの顔が歪む。
「お客さん、こいつ手早いから気を付けてくださいね」
手が早い……?
言われた言葉の意味をゆっくりと飲み込むと、思わず顔面に血が昇った。
続く
この前散歩の帰りに見つけた古本屋。商店街の奥にひっそりと佇むそこは、古書や洋古書、古地図なんかを扱っているらしくなかなか渋い取り揃えで、ずっと気になっていた。
「こんにちはー」
ガラガラと引き戸を開けて、少し緊張しながらそっと声をかけ足を踏み入れた。
「ちょっと見せてください」
そう言うと、奥の方から「どうぞ 」と低い声が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろした。
店内は本棚と、そこから溢れ出て積み上げられてる本や雑誌がところ狭しと並んでいた。入口から近い棚から順に目を通していく。貴重そうな本がたくさん並んでいて、古書特有の匂いが充満していた。僕はしばらく興味深く眺めて歩いた。
「あ……」
見覚えのある名前を見つけて思わず呟いた。ずらりと並んでいるのは祖父の名前で、中にはもう絶版になったものもある。
ほとんどは実家の書蔵にもあるものだが、一冊だけ初めて見たものがあった。抜き取って開いてみると、学生時代に出したと思わしき詩集。
この本の存在は知っていたが、もう50年以上昔の自費出版のものだったので半ば諦めていたのだ。
こんなところで出逢えるなんて。
僕は嬉しくなって、その本を手にレジへと向かった。
「……すみません!」
店員の姿が見えなくて声をあげた。
「あぁ、はい」と出てきた人物を見て、僕は瞬間固まった。
見ると向こうも気づいたのか、同じく驚いた顔をする。
「シロクマで……」
「あぁ、えぇ」
心の準備もなく会ったのは、シロクマでコーヒー1杯だけ飲んで帰る鷲のような目をしたマスターの友人だった。
心臓が跳び跳ねて、柄にもなくどきまぎしてしまう。
「ここ、あなたの店だったんですね」
「えぇ、まぁ。祖父から預かってるだけですが」
会計ですか?と彼は僕の持っている本を指した。
「え?あ、あぁお願いします」
くすりと笑われた気がして、思わず顔に血が上るのがわかった。
「ずいぶん渋い趣味ですね」
「え……?」
「この作家、好きなんですか?」
「あ、あぁ」
祖父なんです、と言うと彼は驚いたのか顔をあげた。
「この本だけは実家の書蔵にもなかったので、あんまり珍しくて」
「あぁ、これはあまり出回ってないですからね。うちのじいさんが、この、あなたのお祖父さんと親しかったみたいで。その縁でうちでは結構取り揃ってるんです」
「あぁ、そうなんですか!」
不思議な縁ですね。僕とあなたのお祖父さん同士が親しかったなんて。
そう言うと、「クリス」と彼は呟いた。
「え?」
「私の名前。クリスです。あなたは?」
「ジュンミョン、です」
言って、ふふと笑うと彼も、ははと笑った。やっぱり笑うとその瞳は柔らかな弧を描く。
いつもはシロクマのカウンターで遠目に見るくらいの関係だったのに、一気に名前まで知って、しかも祖父同士が知り合いだったなんて。本当に、縁とは不思議なものだ。
次のコラムの題材はこれにしようか、なんて彼の瞳を見ながら頭の片隅に書き留めた。
「あの……もしかして、これからシロクマ行きますか?」
壁の時計を見上げれば時刻はちょうどそんな時間で。
「あぁ、そうですね」
「僕もこれから行くとこだったので、よかったら一緒にどうですか?」
問えば「えぇ、」と笑みを浮かべた。思っていたよりも、ずっとずっと話しやすい人だ。シロクマまで並んで歩いているときも、屈んで耳を傾けてくれたり、ちょっとした仕草が然り気無くスマートだ。
「お祖父さんは今は?」
「あぁ、仕入れの旅に出ていて、もうすぐ帰ってきますよ」
「仕入れの旅?」
「世界中旅しながら本を集めてるんです」
「へぇ。楽しそうですね」
「はは!ただの道楽ですよ」
そんなことを話しながらシロクマへ向かった。
ドアを開けようとした瞬間勢いよく開いて人が飛び出してきて。僕は圧倒されて後ろに少しよろけた。でも、彼がしっかり支えてくれたお陰で転ばずに済んだ。その力強い大きな手に、思わず心臓がどきりと跳び跳ねる。
「あ、すみません」
「いや」
二人して照れくさそうに笑った。
「いらっしゃい……ってあれ?」
「こんにちは」
マスターは並んで入ってきた僕らを見て不思議そうな顔をした。
「もしかして、取り込み中でした?」
さっき出ていったのは、確かいつも店の隅にいた大学生だ。最近見かけないと思っていたけど。なんて考える。
「あ、いや、すみません」
そう言ってマスターが慌てて笑顔を貼り付けた時、奥から人が出てきた。
「レイや……」
「……ヒョンごめんね。迷惑かけて」
やっぱりワケあり気味な雰囲気。
するとその彼は今度はクリスを見て声を上げた。
「クリス……?」
「久しぶりだな」
どうやらクリスも知り合いのようだ。聞けば三人は同じ高校の先輩後輩で──但し、マスターとクリスが先輩でレイと呼ばれた彼が後輩だったのは驚きだが。
いつもは離れて座るカウンターに並んで座るとなんだか妙にくすぐったい。今日は甘いものが飲みたくてカフェラテを頼んだ。
「どうかしたのか?」
クリスがレイと呼ばれる青年に話し掛けた。
「あぁ、いやぁ……」
「ま、アレだよ。罪な男ってやつ」
マスターが苦笑いを浮かべる。
クリスは「なるほど」と頷いた。
「僕、また何かやらかしちゃったのかなぁ」
「お前は昔から無自覚だからなぁ」
「ジョンデのことは大事にしてたつもりなんだけど……」
仲間内の会話に耳を傾けていいものかと戸惑いながらも視線を向ける。
「で、なんで二人は一緒なの?」
マスターが今度はこちらを向いた。
「あぁ、たまたま店に来てな」
「祖父同士が知り合いだったみたいで」
言うと、さすがにマスターも驚いていた。
「しかしまぁ、クリスもレイも。うちの客に手出しすぎ」
「いや、俺はまだ出してない」
「まだ?」
マスターの顔が歪む。
「お客さん、こいつ手早いから気を付けてくださいね」
手が早い……?
言われた言葉の意味をゆっくりと飲み込むと、思わず顔面に血が昇った。
続く