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Sing a Song!

Track8 ; There's a kind of hush



「あ、おはようございます」

なんだか久しぶりに顔を合わせて、ジョンデは妙に気まずくなった。

「うん、おはよう」

それでも、レイが笑い返してくれたことにそっと胸を撫で下ろす。

「コーヒー飲みますか?」
「あ……あぁ、うん」

コーヒーメーカーで多めに落とされたそれをカップに注ぎ、甘党のレイのため砂糖とミルクを足して差し出したところで、「あのさ、」とレイが気まずそうに口を開いた。
ジョンデは咄嗟に身構えた。

「この前のことだけど……」
「……え?あ……あぁ」

やっぱりキスのことだよな、と焦りながらも「全然気にしてませんから!」と勢いよく顔の前で手を振った。


──全然気にしてませんから


言ったところで、存外に自分の胸が痛んでいることに気づいた。気にしてないわけがない。けれど申し訳なさそうに下がる眉を見ていたら、そう言わずにはいられなかったのだ。
クリスを想って流した涙を知っているから。
ただの気の迷いだと分かっているから。

それでもその事がジョンデ自身の中に芽生えていた想いに気づくきっかけにはなったのだ。だからこそ……レイのことが好きだと自覚したからこそ、彼の負担にはなりたくなかった。

「でも……」
「謝ったりなんかしないでくださいね。同罪ですから」

自分の意思でもあったあのキスは、同罪だ、とジョンデは思う。
レイだけが悪いわけではない。むしろ、悪いなんて思って欲しくはなかった。そう思われた途端にジョンデの想いごと否定されてしまうような気がしたから。

うん、とレイは小さく頷いた。








──同罪


レイはその言葉を心の中で呟いた。

クリスを好きな自分と、チャニョルを好きなジョンデ。その二人が交わしたキスは確かに同罪なのかもしれない。


『レイが好きなのは誰?』


ふと、ルハンに問われた言葉を思い出す。
少し前なら躊躇わずにクリスと答えていただろうその答えに、レイは頭を悩ませていた。
ジョンデの透き通るような歌声が脳内を駆け巡る。

気づけばレイはいつでもジョンデに救われていた。彼の歌に、笑顔に、優しさに。そんなジョンデに想いを寄せられるチャニョルを正直羨ましく思ったりもした。自分もそんなふうに視線を向けられたい、と。そうなればどれほどか幸せだろう、と。

クリスに対する想いが、愛ではなく情であることにも、レイはとうに気が付いていた。
認めたくはなくて必死に目を背けていたけれど、久しぶりにクリスを見て、どうしたって気付かされた。あの日逃げてしまったのは、泣いてしまったのは、あまりにも急な出来事だったから。ただそれだけ。心の整理ならとっくについていたんだ。

だから、ジョンデと自分は『同罪』なんかではないのだ、とレイは思う。
自分を慰めるためにジョンデに罪悪感を植えさせてしまったのかと思うと、堪らなく苦しかった。

ジョンデは、チャニョルが好きなのだ。







「あ、こっちこっち!」

珍しくギョンスから「お昼ご飯でもどう?」と誘われたので、ジョンデは喫茶店で待ち合わせをしていた。

「呼び出したのに遅れて、悪いね」
「全然。どうせ今日は何もないから」

バーもコンビニのバイトも休みなので、ジョンデはちょうど暇を持て余していた。
ギョンスの方も今日は声楽のレッスンは休みだという。

ランチセットを頼んだところで、それでさ、とギョンスが話を切り出した。

「オーディションのことなんだけど、どうするの?」

先日ギョンスに勧められたオーディション。
確か締め切りが迫っていたことは覚えている。

「うーん、考え中」
「あのオーディションなら君の方向性とも近そうだからいいかと思ったんだけど」
「うんまぁ、そうなんだけどね」

曖昧な返事をすると、「まだ怖いの?」と真っ直ぐに見つめられたので、咄嗟に手元のグラスに視線をずらした。
ジョンデはギョンスのその真っ直ぐな視線が苦手だった。心を見透かされてるようで、途端に言葉を紡げなくなってしまうから。

「うーん、そういうわけじゃないんだけどさぁ……」

勿体ないよ、とギョンスは口癖のようなその言葉を口にした。

「ねぇ、ギョンスはやっぱりさ、歌うときはジョンイ二を思い浮かべたりするの?」
「なにそれ」

前に教授に言われたことがあって、とジョンデが苦笑する。あの教授らしいね、とギョンスも笑った。


「でも……そうだね、」

あいつを思い浮かべることもあるかな。


呟いたギョンスの頬は僅かに赤くなっていた。

「でもまぁ、誰かを思い浮かべることは大事だと思うよ」

いないの?そういう人、と問われて、瞬間──レイの顔が思い浮かんだ。


誰かのために歌ったことがない、とあの時レイに言ったけれど、チャニョルにも言い当てられたように、ジョンデはもう何度もレイを想ってレイのために歌っていたのだ。
そんな当たり前のことに、ギョンスに問われて初めて気づくなんて……

「まぁ、一度くらい運試しだと思って受けてみれば?」

なんていつもは真面目なギョンスがらしくもないことを言うので、ジョンデももう一度真剣に考えてみることにした。



食後のコーヒーを飲みながら「そうだ、知ってる?」とギョンスが尋ねるので、ジョンデはぽかんとしながら「なにが?」と答えた。

「ジョンイ二のスタジオがここから近いんだ」
「へぇ」
「僕このあと見学に行くんだけど、君も行く?」
「なんで?」
「なんてって……」

レイさんもいると思うけど、とギョンスは遠慮がちに言葉を続けた。

「え!?あ、そっか。同じスタジオなんだっけ」
「うん。まったく、奇妙な縁だよね」

言ってギョンスはハート型の口で笑った。

「そうだね」

レイが踊ってるところは、以前からとても興味があった。なんせ未だに想像できないのだから。
あのレイが──あの、おっとりとした、ふわりと笑うレイが。ダンスを、それも生計を立てられるほどの腕前で……
あまりにみょうちくりんな気がして、ジョンデは上手く想像すら出来なかった。だから、とても興味があった。

だけど……約束もなしに見に行ってしまって迷惑じゃないだろうか、なんて妙なところで保守的になるのは恋してるから以前にただの性格だ。

「迷惑じゃない?」
「大丈夫だと思うけど」

ジョンイナに聞いてみようか?とギョンスが言うので二つ返事でお願いした。

ギョンスは早速携帯を取り出して「ジョンデも一緒に行っていい?」とメールを送る。僅か緊張しながら待つと、しばらくして受信音が鳴って「いいよ」と返事が来た。なんだかあっさりとしすぎて逆に気が抜けたくらいだ。

ジョンデの心は自分でもわかるほど、ふわりと浮き上がっていた。自分が見に行くことをレイが少しでも楽しみにしてくれてたらいいな、と思う。そんな思考があまりに盲目的で、なんだか少し笑えた。


夕暮れ間際、ジョンデはギョンスと共に喫茶店をあとにした。







そのスタジオは、喫茶店の斜め向かいにあるビルの三階にあった。

「よく来るの?」
「うん、来てもいいって言うからたまにね」

ギョンスは照れくそうに言う。
そんな姿を見てこの二人は一体いつになったらくっつくのだろうか、と暫し呆れた。
心ならとっくに繋がってるっていうのに。


受付に行くと既に顔見知りなのか「こんにちは」とギョンスが挨拶を交わすと「三号室にいますよ」とにこやかに教えられた。

ギョンスのあとをついてきょろきょろと目線をさ迷わせながら歩く。初めて来る場所に、なんだか心が落ち着かない。
壁沿いに等間隔にベンチが並ぶ廊下の反対側には腰壁の上をガラスで区切られた部屋が並んでいて、覗いてみると一面を鏡に覆われている。皆一様に真剣な表情でその鏡に向かって汗を流しながら踊っていた。
壮観だ、と小さく呟いた。




その真っ直ぐに伸びる廊下の奥に、教えられた三号室はあった。
ガラス越しに「いたいた」とギョンスが呟くので、ジョンデもその視線に倣ってそちらを見遣る。
センターにジョンインがいて、ジョンイナすごい!と思ったすぐ次の瞬間には、隣で踊るレイの姿に釘付けになっていた。


いつもとは全然違う。


それはジョンデが想像していたよりも、ずっとずっと格好よくて、見たことない姿に心臓の鼓動が速まる。
しなやかに力強く動くその身体からは、溢れんばかりの生命力と色気が漂っていて、器用に重力を操って踊る。真っ直ぐに鏡を見つめる視線。きゅっきゅっと鳴るシューズと床の擦れる音。しなやかで、それでいて力強い。
初めて見たその姿に、ジョンデの心臓は何度も何度も飛び跳ねては窮屈に鳴り響いていた。


「すごい……」


ジョンデの隣、無意識のうちに呟いた声に、ギョンスは小さく笑っていた。



一旦休憩になったところで、ジョンインはタオルを掴むとドアの方へと寄ってきた。
近付く彼を見てジョンデははたと我に返り、呆然としかけてる思考を必死に呼び戻す。

「声かけてくれればよかったのに」
「できるわけないだろ」

二人のやり取りを見て、いまだ鳴り止まない心臓を抱えてジョンデも挨拶をする。

「僕までお邪魔しちゃってごめんね」
「いえ、俺もいつも行ってますから」

バーに来てることを言ってるんだろうが、そっちはお客さんでしょ、とジョンデは笑った。
そうしてジョンインは、思い出したように口を開いた。

「あぁ、レイヒョンも呼びますね」
「え、や……!」

待って、と言う前にジョンインは部屋へと戻り、隅で他の人たちと談笑しながら休んでるレイのもとへと行ってしまった。

「ごめん、言ってなかったみたいだね」

ギョンスの言葉通り、レイはジョンデを見るなり驚いて嬉しそうに駆け寄ってきた。



「ジョンデ!ビックリした!」

踊りきった高揚感だろうか、レイはジョンデがあまり見たことがないような興奮した様子で喋る。滴る汗がやけに眩しい。

「ごめんなさい、勝手に来ちゃって」

眉を下げて申し訳なさそうに言うと、「勝手じゃないですよ」とジョンインが後ろからぼそりと呟いた。

「俺がいいって言ったんだから」
「だとしたら、ちゃんと伝えるべきだろ」

ジョンインの言葉にギョンスが返す。
そんな二人のやり取りすらもう耳には入っていないのか、レイはジョンデを見て嬉しそうに笑っていた。


ジョンデは今、無性に歌いたかった。


この高揚感を表す術は、歌しか持ってない。
楽しい歌を力一杯歌いたかった。こうやって純粋に心から歌いたいと思ったのは、とても久しぶりな気がした。






結局ジョンデとギョンスは練習が終わるまで見学し、どうせだからとみんなで近場の居酒屋へ繰り出した。

居酒屋までの道中、レイは目尻を下げて嬉しそうに言う。

「ジョンデが見てると思ったから練習頑張っちゃった」

ジョンデの心臓は急加速して、やがて身体中の血液を顔へと送り込んだ。

「……そ、そうですか?」
「うん!どうだった?」
「とても、格好よかったです……」

日が沈んだあとでよかった、とジョンデは思った。




飲んでる最中、レイはジョンインのダンスが如何に素晴らしいかを力説した。表現力も身体のしなやかさも。

「レイヒョンだって、凄いですよ」

俺とはタイプが違うけど、とジョンインが何やら解説していたが、ダンスに明るくないジョンデにはよくわからない。それでもジョンデにだってレイのダンスが凄いことくらいは分かる。自分が褒められたわけでもないのに、無性に嬉しくなった。


「ねぇ、僕なんか歌いたいな!」

高揚した気分でジョンデが言うと、皆一斉に喜んで、折角だからといつもの仕事場であるバーへと移動した。

「お?いらっしゃい。平日なのに珍しいね」

いつものようにチャニョルが出迎えてくれて、そのカウンター越しにはレイの弟ベッキョンが座っていた。

「ベッキョナ!」
「あれ?ヒョン?」

レイが心配そうにジョンデに視線を寄越したが、ベッキョンとチャニョルが楽しげに視線を交わしていても、ジョンデの胸はもう痛まない。とびきりの笑顔を向けて意思表示する。

「なんかみんなで飲んでたら無性に歌いたくなっちゃって」

マスターいる?とジョンデはチャニョルに問うと、奥から「いらっしゃい」とマスターが顔を出した。歌わせてもらってもいいかと尋ねると二つ返事で了承してくれたので、嬉々としてピアノへと向かった。



There's a kind of hush
All over the world tonight All over the world
You can hear the sound of lovers in love
You know what I mean

Just the two of us
And nobody else in sight
There's nobody else and I'm feelin good
Just holding you tight

So listen very carefully
Get closer now and you will see what I mean
It isn't a dream
The only sound that you will hear
Is when I whisper in your ear
I love you For ever and ever

(一種の静寂があるわ
世界中で今夜 世界中で
恋してる音が聞けるの
言ってる意味分かる?

ちょうど私達2人だけ
それから 他には誰も居ない
他に誰も居ないの だから気分は最高よ
ただ貴方をきつく抱きしめるの

そう 注意して聞いてね もっと傍に寄って
そしたら私の言ってる事が分かるわ
それは夢じゃないのよ
貴方が唯一の音を聞く時とは
私が貴方の耳に囁く時
「愛してる、これからもずっと」)
"There's a kind of hush"/Carpenters



レイが笑ってくれる。
それだけでなんだか、最高の気分だった。







「楽しかったね」
「はい」

アパートに戻って、今度は二人で缶ビールで乾杯をし直した。こんなふうに楽しく過ごすのは久しぶりな気がする。
ジョンデは楽しさのあまり、クリスのことを失念していたくらいだ。
ふと思い出して、心臓がずしりと重く脈を打った。


「レイさん、やっぱりクリスのことまだ好きですか?」



静かな部屋にジョンデの声が響いた。

これはそう、ただの衝動だ。



「え……?」

「僕じゃ、クリスの代わりにはなれないですか?」



どうしても、どうしても今伝えなければいけないような気がして。

ちゃんと言葉で言わなければ伝わらないと教えてくれたのはレイだから。
だから今、ジョンデが持て余してる気持ちを、素直に、真っ直ぐに伝えなければいけなくて。
たとえクリスのことが好きだと言われても、ジョンデにはもうレイはかけがえのない人になっていたから……



「好きです。僕と付き合ってください」



まるでいつぞやの練習のように、ジョンデはレイの手を掴んで言った。



レイは驚いて目を見開いたあと、暫くして悲しそうに頭を左右に振った。
それはまるで、違うのだと、そうではないのだと言ってるようで。


「クリスの代わりなんかじゃなく、僕はジョンデが好きだよ。でも、」


ジョンデのそれはただの罪悪感だよ、と。


その言葉の意味を飲み込むまで、ジョンデは悠に10秒はかかった気がする。



「罪悪、感……?」

「そう、あの時キスなんかしちゃったから、きっと勘違いしただけ。だってジョンデにはチャニョルっていう好きな人がいるでしょ?」


可笑しなことを言うな、と思った。

ジョンデの心臓は、レイを想ってこんなにまで激しく動いているというのに。どうして肝心のことが伝わらないのだろう。
叫び出しそうになる衝動を必死にこらえた。



「レイさん、聴こえますか?僕の音」



掴んでいた手をそのまま自分の左胸へと押し当てて、上からぎゅっと重ねて握った。

レイはびくりと身体を跳ね上げた。


「速いでしょ?」


こくりと動く頭。


「誰を想って動いていると思います?」


このリズムにのって、レイの元へ届いてほしい。
ジョンデが誰を好きなのか。
誰を想って胸を高鳴らせるのか。

この音が、罪悪感な訳がない。



「あなたが、好きです」






続く
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