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Sing a Song!

「あ、ルハニヒョンだ!」


弟のタオに用事があってバイト先の店へ行くと、その友達のセフンが同じ制服に身を包んでレジに立っていた。

「あれ?なにやってんの?」
「ふふ、僕もここでバイトすることにしたんです」

店長バイト探してるっていうし僕暇だったから、とセフンはふにゃりと笑う。

「ふーん、」

ま、せいぜい頑張れよ、なんて肩を叩くと、気だるげに「はーい」なんて返事を寄越した。

「タオは?」
「あ、中にいますよ、ちょっと待ってください」

たーおー、とセフンが厨房の方へ呼びにいく声を聞きながら僕は一人席へと座った。




「あれ、シャオルーどうしたの?」

シャオルー、とは家族間での僕の呼び名だ。
母の再婚相手であった継父が僕をそう呼んだのがきっかけ。恥ずかしいので家族以外には呼ばせてない。

「あー、これ。お前のとこの分」

言って大きな紙袋を渡すと、タオは嬉しそうに目を細めた。中身は惣菜が入ったタッパーが何箱か。実家から送られてきたものだ。僕は定期的にまとめて送られてくるそれを取り分けてはタオに渡すのが日課と言えば日課になっている。こっちに出てきた当初は一緒に暮らしていたが、今は僕がミンソクと暮らすのに家を出たため、そのあとはレイの弟であるベッキョンと暮らしているのだ。


「わ、美味しそう」

そう言って覗き込んできたのは、前述のセフンだ。

「ママの料理は美味しいよ!フナも食べる?」
「いいの?」
「うん、いいよ」

じゃあ今日も泊まってくよね?なんて二人で笑いあっていて、それを微笑ましいと思うあたり、僕もしっかり兄をやっているんだな、なんて苦笑した。

ちなみに、そのタオと一緒に暮らしているはずのベッキョンは最近ほとんど帰ってこないらしく、その代わりセフンが居付くようになったらしい。「ベッキョナが帰ってこないよぉ」なんて泣いていたのにいい気なもんだ。お前は一緒に居てくれれば誰でもいいのか。


「で、ルハニヒョンいつデートしてくれるんですか?」
「は?しないけど」
「えーしましょうよ」

セフンの戯言はいつものことだ。

『セフンはルハンが大好き』というのが定説になっているようだけど、そんなのただのお遊びだらということを僕はすでに知っている。じゃなきゃバイト先に空きが出るまで粘ったりなんかしない。


「僕はミンソギ一筋だから」
「えーつまんないの」

不貞腐れるセフンに「ほら客だ、行け」なんて急かして、タオにコーヒーを注文した。もちろんいつもの熱くて濃いやつ。

「あ、お前母さんに連絡しといて」
「……もー、たまにはシャオルーも電話しなよ」
「いいんだよ、元気なんだから」


別に不仲な訳じゃないのになんとなく母さんに連絡できなくなったのは、教師を辞めてミンソクと店をやることになったと報告してからだ。
反対された訳じゃないけど、教師という職を捨ててしまったことに対して申し訳ない気がしているから。



・・・


ミンソクが「店を作ろうかと思って」と言った時、僕は迷わず手伝おうと思った。夢を叶えるミンソクをそばで見ていたいと思ったんだ。もちろん彼は反対したけど、その時僕はもうすでに辞める手はずを整えていた。


「でも軌道に乗るかもわかんないのに」
「大丈夫、ミンソギの帽子は世界で一番格好いいから」


でも、と言い淀むミンソクに「じゃあこれも使って」と少ないけれど退職金と貯金が入った通帳を渡した時はさすがに一週間ほど口を利いてくれなかった。



「僕はさ、ミンソクも好きだけど、ミンソクの作る帽子も好きなんだ」
「俺は……子どもたちの話をするルハニが好きだった」


不貞腐れた顔をするミンソクにくすりと笑って「そうじゃなくて、」と話を続ける。


「そうじゃなくて、出資するって言ってるの。ミンソクの帽子屋さんに、出資。だからいいもの作らないと怒るよ?」


そう言った僕にミンソクはどうにか渋々折れてくれて、それなら、と僕を共同経営者にしてくれた。でも結局、僕のお金には手をつけてないことを知っている。

それから何日か経って「ルハナちょっと、」と呼ばれて行ったら「これ」と渡されたのは保険証券で。受取人は僕の名前だった。僕は嬉しくて泣いたのを覚えている。もちろんその生命保険が嬉しかったのではなく、ミンソクの覚悟が嬉しかったんだ。保険金なんかよりもミンソクが生きていてくれた方が嬉しいのは決まっている。



「おじいちゃんになってもずっと一緒にいようね」と言ったのは僕だけど、僕たちは結婚できるわけではない。
だから僕たちは、『ただの他人』ではなくなるためにあらゆるもので繋がった。店舗は会社の名義だけど、二人で住むアパートは共同名義で借りたし、生命保険や、遺書だって書いた。ただの他人でなくなるために。

ちなみに、このことはタオをはじめ家族にも親友のレイにも言っていない。
二人だけの秘密。


両親とミンソクは、一度だけ店のオープンの時に会っている。お花を持って祝いに来てくれたのだ。母さんもミンソクの作った帽子を気に入っていくつか買っていってくれたし、それを作ったミンソクのことも真面目で誠実そうだと気に入ってくれた。関係は悪くない。

それでも少しだけわだかまりがあるとしたら、やっぱり教師を辞めたことが引っ掛かってるからだろうか。


僕の母さんは幼い頃、小学校の先生になるのが夢だった。でも家計が厳しかったせいで大学には行けず諦めたと言っていた。だから僕が小学校の教師になると言ったとき、母さんはとても喜んでくれて、いい先生になるのよ、と涙を滲ませて応援してくれた。
それなのにこんなに早く辞めてしまうなんて。自分でも想定外だった。

反対されるんじゃないか、悲しませるんじゃないか。そんなことばかりが気がかりで。
でも、辞める、と言ったときも母さんは、「あなたの人生なんだからあなたの好きにしなさい」と言ってくれて。これじゃ本当は最初から教師になんてなりたくなかったんじゃないかと思われても仕方がなくて。ほんの少しだけ残念そうな顔をした母さんを見て、とても心が痛くなった。
そうじゃない。
教師の仕事は本当に好きだった。
ただ、それ以上が出来ただというだけで。


レイに「教師辞めてミンソクと帽子屋やるんだ」って言ったら呆れて笑っていたけど、「ルハンらしいね」と言ってくれた。
僕も、僕らしい選択だったと思っている。





「ルハナー、ちょっとこっち来てー」


店舗の奥の作業場からミンソクに呼ばれて、なにかな、と駆け寄る。


「これ、被ってみて」
「お、新作?」
「うん」


渡されたそれを、僕はいつものように被って見せた。試作品を被ってみせるのはいつものこと。鏡に向かってあわせて、ほい、とミンソクに向き直る。


「うん、いいな。似合ってる」
「似合ってる?」


今回の試作品はどう見ても女性物だ。
まぁ、それでも女顔の僕には似合っちゃうのも事実なんだけど。


「それ、送ってあげて」
「ん?誰に?」


不思議に思って訪ねると、ミンソクは「お前の母さんに」と早口で言う。

ふーん、なるほど。



「ありがと……」



言ってミンソクの赤い頬に触れると、恥ずかしそうにうつむいた。



僕が連絡しないことを気にして、こうやって機会をくれるミンソクの優しさが、僕は本当に好きだ。


「うん……いつも色々送ってもらうし、お礼したいと思ってたから」
「そっか。きっと喜ぶよ」


母さんの嬉しそうな笑顔を思い浮かべる。

久しぶりに、連絡でもしてみようかな。
僕は今とても幸せだよ、って。






おわり
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