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Sing a Song!

Track10 ; Top Of The World




『誠に残念ながら、今回は見送らせていただきます』



受け取ったメールに書かれていた言葉は、所謂落選の文言だった。
文章の最後には『またのご応募をお待ちしております』と通り一辺倒の言葉で締め括られていて、ジョンデはがくりと気が抜けた。


期待していなかったわけではない。
それなりに自信もあったし、賭けてもいた。だけどダメだったということは、自分の実力がそこまでのレベルに達していなかったということだ。落ち込むというよりも気恥ずかしさの方が大きかった。あんなにみんなに応援してもらったというのに。

ただただパソコンの前で、無気力に苦笑するしかなかった。


「ジョンデ……?」

そんなジョンデに風呂から上がったレイが不思議そうに声をかけた。

「レイさん……」

これ、と眉を垂らしてパソコン画面を見せると、文字を読んだレイがひゅっと喉を鳴らして絶句したのがわかる。
そしてゆっくりとジョンデの頭を抱き締めた。


「……大丈夫ですよ、僕。大丈夫です」


もう、歩き出す方法は見つけたから。
前を向くことは怖くない。








「こんばんは」


週末になっていつものようにバーに行って、それからマスターへの報告。

「マスター、あの実は……ダメでした」

オーディション、と付け加えるとマスターは「そっか」と何てこと無いように言ってくれて。有名人への道は長いな、なんて笑いながら言うもんだから、ジョンデも思わず苦笑した。

「時代がまだお前に追い付いてないんだよ」

今度は横からチャニョルが顔を出してそんなことを言うもんだから、「なにそれ!」と思わず笑った。
そうして笑って消化できるようになった自分に仄かに驚いてもいた。踏み出すことも悪くない。


「てことで、またしばらくお世話になります」とマスターに頭を下げる。「早く卒業しろよ」と言葉をかけられて、嬉しくも有り難い言葉だと、それを噛み締めた。
ここでマスターに拾われなかったら今頃どうなっていただろうか。考えると、少し恐ろしくなる。


いつものようにピアノに向かって、指を解して、鍵盤をひと撫で。気分はなんだか一新だ。


"Hit the road Jack
and don't you come back no more."

Woah Woman, oh woman, don't treat me so mean,
You're the meanest old woman that I've ever seen.
I guess if you said so
I'd have to pack my things and go.

("出て行ってジャック
そして二度と帰って来ないで"

びっくりだ
そんな意地悪に扱わないでくれよ
君は今まで出会った中で一番意地悪な女だな
そこまで言うなら
荷物を詰めて出ていくさ)
"Hit The Road Jack"/Ray Charles



テンポのいいR&Bが指触りよく鍵盤の上を滑る。ジョンデはただ楽しかった。歌うことが、聴いてくれるお客さんの笑顔を見ることが。ただ純粋に楽しくて、歌手を目指した頃を思い出した。また一から始めればいい。
自分は一度音楽に見放されそうになった。でもそれを繋いでくれたのは、この店のマスターやチャニャルや、変わらずずっと応援してくれたギョンスや聴いてくれたお客さんや、それからレイだ。たくさんの人がいたからここまでこれた。腐ってなんていられない。


そうして2、3曲歌っていると、入り口のドアが開いたのがわかって、テーブル席に座ったのは───あぁ、なんでまた来るかな。

ジョンデは苦笑を浮かべる。



「懲りないですね、また来るなんて」
「そうか?まぁいいじゃないか。一緒に住んだ仲だろ」
「またそういう言い方をして」

ここはあなたが来ていいところじゃないんですけど、と呆れて言えば、クリスは仕方なそうに笑った。
昔から、この先輩は食えない人だった。何を考えてるのかも分からなかったし、何をしだすかも分からない。正に神出鬼没の先輩だった。呆れたジョンデは早々にクリスを理解しようとするのをやめたし、歩み寄るとこをやめた。それなのに何故だか懐かれて今に至る。だから今だってクリスが何を考えているのか、ジョンデには分からないのだ。


「俺はただ、お前の歌を聴きに来ただけだ。知らなかったのか?俺はお前のファン1号なんだぞ?」
「そんなの知りません!」

はぁ、と溜め息を吐いて肩を落としたところで、そういえば、と話をすり替えたのはクリスだった。

「お前、レイと知り合いだったのか?」
「えっ……?」
「この前、ほら、追いかけて行ったから」
「あぁー」

伝えるべきか……
暫し考えたけれど、やっぱりこの人に遠慮する筋合いはないだろうと口を開く。


「付き合ってますよ」
「は……?」

そうか、とクリスは口ごもった。
やっぱり思うところはあるのだろう。けれど今さら出てきたってもう遅い。ジョンデは身を引くつもりなど更々無いのだから。幾分か喧嘩腰で続けた。

「冗談なんかじゃないですからね」
「うん、いや……。あぁ、よかった」

安堵なのかクリスが笑みを浮かべたことに、漸く胸を撫で下ろす。




「Excuse me?」


不意にかかった声に、二人して一斉に視線を向けた。お洒落な雰囲気の外国人が二人の会話を割って話し掛けてきたのだ。
ジョンデは咄嗟に口ごもった。洋楽は歌えたって英語はからっきしなのだ。それに反して呼応するように「yeah?」と答えたのはクリスだった。そういえば、この人は英語がペラペラだった。

何やらその外国人は興奮気味に話していて、所々でジョンデの方に視線を寄越す。訝しく思いながらも、その場はクリスに任せていると、「おいジョンデ!お前、オーディション受けたのか!?」とクリスまで興奮気味に話してきて、ジョンデは思わず一歩程後ずさった。

「え?あぁ、うん。ダメでしたけどね」
「なんだよ!お前ついに決心したのか!ヒョンは嬉しいぞ!!」

ヒョンって誰のことだよ、なんて思わず呆れる。ジョンデはクリスのことをヒョンだなんて呼んだことがない。ついでに言えば、クリスがそんなに応援してくれていたこともジョンデは知らなかった。

「で?なんなんですか?そちらの人は……」
「あ、あぁ。お前のオーディション映像を見たそうだ。それで連絡を取りたいと思っていたって。今日偶然お前に会って、これは神様の思し召しだって」

「え……?」


オーディションを、見た……?


全く話が読めなくて、何だか酷く混乱する。
その人に視線をやれば満面の笑みで。差し出された名刺を見たが、やっぱり英語でジョンデにはよく理解できない。結局困ってクリスに見せると、クリスは目を見開いたかと思えば暫し考えて、また何やら英語で話し出した。「Really!?」とクリスが溢した言葉だけは、ジョンデにもどうにか聞き取れた。

「おい、相当有名な音楽プロデューサーだぞ!」

そう言って上げられた名前は、本当に誰が聞いても分かるような有名人ばかりで。そんな人が僕に……?何故?

「ジョンデさえ良ければ、一緒に来ないかって言ってる。もう少しトレーニングは必要だけど、一緒に仕事がしてみたいって」
「……来るって、どこに?」
「ロンドン。活動拠点のスタジオがロンドンなんだそうだ」

「ロンドン……?」

ロンドンって、あのロンドン?
今自分の頭に浮かべたあの遥か遠くの国イギリスにあるロンドンで本当に合ってるのだろうか。ジョンデの思考は一旦止まった。まさか自分が海外で音楽の勉強をするなんて思ってもみなかったので、何から考えればいいのか分からなくなったのだ。まさにショート寸前。


「あ、待て、ロンドンか……」とクリスがぽつりと呟いた。


「おい、ジョンデ!これは本当に神様の思し召しかもしれないぞ!!」
「は?」
「お前たちにとって、間違いなくいい話だ!」
「たち……?」
「あぁ、お前たち」

そう言ってクリスは柔らかな笑みで「お前とレイ」と付け加えた。


「レイ、さん……?」


何故ここでレイの名前が上がるのか、皆目検討もつかない。
とにかくそのままレイに伝えろ、とクリスは言うのでジョンデはひとまず頷いた。

それから「あとで返事するように言ってあるから」というクリスの言葉を聞いて、ジョンデは「え!?」と思わず叫んだ。

「や、あの、だから。僕英語喋れないですって!」
「あぁ、それならレイに頼めばいい。あいつも少しは喋れるはずだから」

レイが英語?

ジョンデは新たな事実に驚いたのも束の間、そんなことまで知っているクリスが少しだけ恨めしくなった。


クリスは最後、意味ありげに「どうかあいつをロンドンに連れて行ってやってくれ」と言った。







バーから帰宅するジョンデを待ちながら、レイはソファーに掛けて映画を見ていた。古い古いモノクロの無声映画だ。それをただ眺めるのがレイは好きだった。

「おかえり」

がちゃりと開いたドアを見てレイは声をかける。かけられた方は何だか戸惑い顔で、思わず「どうしたの?」と口をついていた。
そばに寄ってきたジョンデが差し出したのは一枚の名刺だった。何から話したらいいのか分からない、といった風に思考を巡らせて、ジョンデはぽつりと口を開いた。


「もらったんです、今日。バーで」


どういうこと?と聞き返すと、やっぱり混乱しながらも口を開く。

「僕のオーディションを見たんですって。それで今日たまたま店で僕を見て声をかけたって。一緒に仕事がしたいって」


レイさん、どうしよう……とジョンデは呟く。


「どうって、いい話なんじゃないの?」
「そうなんですけど……ロンドンに、来ないかって言うんです」
「ロンドン?」
「えぇ……」

不安気なジョンデを見て、レイは自ずと状況を掴めてしまった。やっとまた音楽と向き合い始めたジョンデに、行かないでなんて言えるはずもなく「よかったね」とぎこちない笑みを浮かべる。

「それでクリスが……」
「クリス?」

馴染んだ名前に思わずどきりと心臓が脈を打つ。

「えぇ、たまたまバーに来てて、通訳してもらったんです。それで、僕たちにとって間違いなくいい話だからって」
「僕たち?」
「はい、僕とレイさん。それに、レイさんをロンドンに連れて行ってやってくれって。これどういう意味なんですかね?」

ロンドンに何かあるんですか?と言われて、レイには思い当たることがひとつあった。でもそれをクリスが知っていたということに驚かずにはいられなくて。

はは!と思わず笑いがこぼれた。

「師匠がいるんだよ、僕の。でもそんなことクリスが知ってるなんて知らなかったな」
「え……?」
「ロンドンで一緒にやらないかって何度も声を掛けられてたんだけど、ずっと断ってたんだ。その……クリスと離れたくなくて」


なるほどね、僕らにとって、か……


レイは呟いて笑った。

ジョンデは全く知らなかった話に驚き、目を見開いて、心痛な面持ちで眉を寄せた。


「ねぇ、ジョンデ!僕らはやっぱり運命だと思わない?出会うべくして出会ったから、神様が素敵な道を用意してくれてるんだよ、きっと」
「そう、なんですか……?」

不安げに戸惑うジョンデに「うん」と笑顔で頷けば、ジョンデはぎゅっと抱きついてきた。

「決めた!ロンドンに行こうよ」
「僕は……僕は歌が歌えてレイさんと一緒にいれるなら……そんなに素敵なことはないです」


肩越しに呟くジョンデの言葉に胸が締め付けられる。


「うん、」


可能性なら無限大にあるはずだ。
二人の未来はまだ始まったばかりなのだから。







ジョンデは引っ越しの手続きやら何やらで、準備には一ヶ月ほどの期間をもらった。それでも、夢を胸に抱いてする作業はとても新鮮だったし、ましてやレイも一緒なのだと思えば楽しくないわけがなくて。荷物は二人とも最小限にして、不要な家具や荷物はタオやルハンに譲ったり預けたり。とにかく新たな生活は身ひとつでいいような気がして、本当に二人して身の回りのものだけを詰め込んだ。
レイも師匠に連絡して「ロンドンに行くことにした」と伝えれば、師匠はもうレイの渡航を半分諦めていたらしく、大層に喜ばれたと言っていた。自分一人の都合じゃないことがジョンデの心を軽くしたし、また共に頑張ろうと思える糧にもなった。


「ねぇ、レイさん」
「なぁに?」
「もし僕にロンドン行きの話がなくて、レイさんがまたロンドンに来ないかって誘われてたら、その話受けてました?」

引っ越しの片付けをしながら近くで作業するレイに、ジョンデはふと沸いた疑問を口にした。

「ふふ、なにそれ」
「だって前はクリスと離れたくなくて断ってたんですよね?じゃあ、僕だったとしたらどうなのかなぁと思って……」

引き留めるつもりなんて無いのだけれど、自分がレイの理由になりうるのか。ジョンデはそんな陳腐なことが気になったのだ。

「うーん、どうだろうね。想像したこと無いから分かんないなぁ。ロンドン行きの話もすっかり忘れてたし」

レイは穏やかに笑みを浮かべる。

「でもさ、大事なのは今の状況だと思うよ。ジョンデにロンドン行きの声が掛かって、僕の師匠もロンドンで僕を呼んでるっていう、この状況。これがすでにあり得ないほどの運命だと思うから」

それに勝るものなんてないんじゃない?なんて真顔なのか笑顔なのか判断のつかないような顔でレイが言うもんだから、ジョンデは笑うしかなかった。

この出逢い、この状況こそが二人が勝ち得たものなのだ。




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