Sing a Song!
Track9 ; I Won't Last A Day Without You
こんな二人をみて、神様は呆れるだろうか。
それともルハンのように『それみたことか』と笑うだろうか。
隣で眠るジョンデを眺めながらレイは思う。
昨夜、ジョンデに好きだと言われて、堪えきれずに押し倒したのは自分だ。あんな真っ直ぐな目で見つめられて、真っ直ぐに放たれた言葉は、真っ直ぐにレイの心臓に突き刺さったのだ。
抱き締めた腕の中、目元にかかる前髪を払い除けてあげればジョンデは、う~ん、と愚図りだした。それが何とも可愛くて、覗いた額にキスを落とした。朝日が照らしてとても綺麗だ。
ぱちぱちと何度か瞬きをして長い睫毛を揺らす仕草さえ愛しく感じた。
「ふふ、起こしちゃった?」
問えば、ふにゃりとした笑みを向ける。
「おはよう」
「おはよう……ございます」
「身体、大丈夫?」
「……多分」
恥ずかしそうに、ぎゅっとシーツに潜ってジョンデが呟く。レイは堪らず抱き締めた。
幸せとは正に今のようなことで、なんて素敵な朝なんだ!と叫び出したいほどだった。
自分達はほんの幾日か前までは互いに別々の人を想っていた。それなのに今はこんなにも心が重なっているなんて。いつから?なんて、どうか聞かないで欲しい。変わり身の早さに苦笑さえ漏れるくらいなのだ。それでも、今は胸が震えるほどの想いでジョンデが好きなのだから仕方がない。
「ねぇ、レイさん」
ジョンデはもじもじとシーツから顔を出して眠気眼を必死に擦りながら呟いた。
「ん?なぁに?」
そんなに擦ったら赤くなっちゃうのに、とのんびり考えながら返事を返す。
「あの僕、ずっと考えてたんですけど……やっぱりオーディション、受けようかと思います」
「オーディション……?」
随分唐突な話だと思いながらも以前ジョンデが見ていた用紙を思い出した。
「だからその……レイさんのために、歌ってもいいですか……?」
恥ずかしそうに、やっぱりもじもじと呟いた言葉に、心臓がどきりと跳ねた。
「誰かのために歌ったことがないって前に言いましたよね。でも僕、分かったんです」
いつもいつも、僕はレイさんのために歌ってました。
そう言ったジョンデのはにかみ笑顔は、今まで見たどんな笑顔より可愛いと思ったし、愛しいと思った。
「もちろん!」
言って抱き締める腕に力を込めてキスを落とせば、ジョンデはくすぐったそうに笑う。
恋なんて、簡単なものだった。
どんなにぐちゃぐちゃと頭で考えても落ちるときには簡単に落ちる。そして何十メートルもの深い深い穴に落ちてからようやく、あぁもう抜け出せないんだ、と気がつくのだ。
レイは確かに落ちていた。
ジョンデという深い深い穴に。
「レイさん、僕、幸せです」
「うん、僕も。幸せだよ」
朝日が差し込むベッドの中、何度も何度も唇を寄せあった。
レイにとって、抱く方はとても久しぶりだった気がする。
それなのにジョンデとはぴたりと重なったような気がして。あぁ、これが本来のカタチなのか、と実感した。堪えきれない衝動や、胸に抱き止める感覚。お腹の底から愛おしくて。包み込んで閉じ込めてしまいそうだった。
腕の中で笑うジョンデの首元。
昨夜付けた所有の印が静かに存在を主張していた。
*
レイがスタジオへ行く時間だからと名残惜しそうな顔をして、それでもいつもよりいくらか遅くに家を出て、ジョンデもようやくベッドから起き上がった。
嬉しいやら恥ずかしいやらで、心がふわふわと浮いているような感覚だ。黙っていてもにやけるし、体の痛みを感じてもにやける。昨夜の最中のレイの顔でも思い出そうものなら、顔から火でも出そうなほどだ。
熱く真剣な眼差しは踊ってる時と少しだけ似ていた。でも込められた熱の性質は明らかに違っていて。その熱が一心に自分に向けられているのだと、甘く痺れるような感覚がした。
Don't you remember you told me you loved me baby
You said you'd be coming back this way again baby
Baby, baby, baby, baby, oh, baby,
I love you I really do
(ねえ覚えていない?
私のことを愛してるといってくれたでしょう
また戻ってくるよといってくれたでしょう
ねぇ、あなた
本当にあなたが好きなの)
"Superstar"/Carpenters
鼻歌混じりに歌ったのは、レイが引っ越して来た日に初めて彼の前で歌った曲で。
そんなに幸せな曲じゃないはずなのにな、と笑いながらも原曲よりもリズミカルなテンポで紡いでいて、さらに可笑しくなる。
ジョンデは自室へ向かうと、ほとんど使われていないようなパソコンを開いて、指定されたページへとアクセスした。必要事項を記載して、送信ボタンをクリックする。
「よしっ、と」
オーディションにエントリーした。
やっと、本気で歌と向き合ってみようと思えたのだ。やっと。
もう気持ちは揺らがない。
レイへの溢れる想いをのせて、真っ直ぐに歌いたい。それがどんなふうに作用するのかジョンデは試したかった。自分はどこまで行けるのか。どこまで飛べるのか。あの、見る者を高揚させるレイのダンスのように。高く高く飛びたい。
『オーディション受けることにした』
ギョンスにメールを飛ばして、レコード棚を物色する。なんの曲を歌おうか。
やっぱり歌い慣れた曲がいいよな、とかひとりでぶつぶつと呟きながら何枚ものレコードを取り出し、気になるものには片っ端から針を落とした。オーディションでは楽器の弾き語りも可能と出ていたので、さらにピアノの練習もしなければならない。コンビニのバイトは少し回数を減らそう。それから、バーに連絡して昼間ピアノを借りれるかどうか聞かなければ。
やることはいっぱいだ。
久しぶりに弾む胸のリズムがとても心地よかった。
Touch me and I end up singing
Troubles seem to up and disappear
You touch me with the love you're bringing
I can't really lose when you're near
When you're near my love
(あなたが触れてくれるから私は歌える
悩みや苦しみも消えていくし
触れられると愛を感じる
あなたが近くに居るだけで
あなたが寄り添っていてくれるだけで……)
"I Won't Last A Day Without You "/The Carpenters
『そっか、がんばって!応援してる』
ギョンスからの返信を見てさらに気合いが入った。
*
スタジオに着いたレイは早速ジョンインから不思議そうな眼差しを向けられた。
「ヒョン、なんかいいことでもありました?」
「ふふ、わかる?」
「えぇ……なんか駄々漏れてます」
「はは!まいったなぁ!」
なんて言いつつもレイは到底まいってるとは思えないような笑みを浮かべて笑っているものだから、うんざりとしたジョンインはそれ以上の追求を止めた。
一方レイは、ただ幸せだった。
幸せな朝を迎えて、幸せな一日を送れる。
腕の中にある幸せを噛み締めることがこんなにも贅沢なことだったなんて。
オーディションを受けると言ったジョンデの眼差しを思い出して、レイはふわりと浮き足立つ足元をしっかりと踏みしめた。そろそろ自分もダンスと本気で向き合わねば。そんな思いが不意に頭を過った。
*
そうしてジョンデは昼間無人のバーを借りて練習を始めた。
オーナーに事情を話したら喜んで明け渡してくれたのだ。この店から有名人が出れば有り難く名前を使わせてもらうから気にするな、なんて冗談なのか本気なのかよく分からない言葉を付けたして笑いながら。改めてみんなに応援されているのだと実感したし、それはとても贅沢なことなんだと気付いた。
あーあーと喉の調子をみながら軽くストレッチを始める。レイと付き合いはじめてからは喉の調子もよくて、上手くいくときはすべてが上手くいくもんなんだなぁと嬉しくなった。
こんな風に歌える日が来るなんて、ジョンデは想像だにしていなかった。あの、壁が見えたときの絶望といったら言葉には出来ないほどで。幼い頃から歌うことが大好きだったジョンデは、歌えなくなった自分なんて何もない空っぽの入れ物のように感じたくらいだし、自分の無力さに悔し涙を何度も流した。もう二度と戻りたくなんてない。
お昼頃になってガチャリとドアが開くと、ひょっこりとレイが顔を出した。
「あ!レイさん!」
「がんばってるかなぁと思って」
ご飯買ってきたよ、とレイは袋を掲げて見せた。
「わぁ!ありがとうございます!そろそろお腹空いてたんですよ」
「よかった、一緒に食べよう」
レイはこうして練習の合間を見ては、近くはないはずのバーまで顔を出してくれるようになった。
サンドイッチを頬張りながら口を開く。
「曲、決まった?」
「うーん、まだちゃんと決めた訳ではないですけど、だいたいは」
「そっか。がんばってね」
そう言ってふわりと微笑んだ笑顔が、ジョンデには何よりも力になるようだった。
「じゃあ行くね」
帰り際、然り気無く触れる唇の熱に、気恥ずかしいような、むず痒いような感覚に陥って。未だ馴れないそれに、ジョンデはレイが帰ったあとも少しだけ悶絶する。その行為を、その距離を、許されているという感覚はジョンデをいつも幸せにする。
*
オーディションを前日に控えて、ジョンデとレイは食事に出ていた。それは、たくさん食べてたくさん力をつけて、というレイの計らいだった。翌日のためにお酒はさすがに控えたけれど、いつもは行かないようなお店で、美味しいものをたくさん食べた。
「ジョンデはよく食べるのに、どうしてそんなに細いの?」
「え、細いですか?」
「うん、ビックリしたよ」
「筋トレはしてるんですけどね。レイさんみたいにはつかないみたいで……」
言って、レイの鍛え上げられた逞しい胸板を思い出して、思わず赤面する。
「あ、赤くなった」
ふふふ、なんて楽しそうに笑みを浮かべるレイをジョンデは恨めしく見つめる。
「オーディションが終わったら……また抱いてもいい?」
「……そんなこといちいち聞かないでください」
「だって赤くなるジョンデが可愛いから」
「そんな意地悪な人だなんて知りませんでした」
くすくすと笑うレイから視線をそらしてうつ向く。レイとはあれ以来肌を重ねてはいない。それはオーディションを受けると言ったジョンデの体調を気遣ってのことだ。そんな優しさがジョンデには嬉しかったし、また熱量をも上げさせた。早くまたあの熱い眼差しで見つめられたい。そのために、レイにきちんと胸を張れるように、オーディションを頑張ると決めたのだ。
「僕、がんばりますね。レイさんのために」
*
Day after day
I must face a world of strangers
where I don't belong
I'm not that strong
It's nice to know that there's someone I can turn to
Who will always care
You're always there
When there's no getting over that rainbow
When my smallest of dreams won't come true
I can take all the madness the world has to give
But I won't last a day without you
(毎日毎日
馴染めない他人ばかりの世界と向き合わなくちゃいけない
そこに私の居場所なんてない
そんなに私は強くないから
だから頼りになる人が居てくれることが嬉しいの
その人はいつも私を支えてくれる
貴方はいつもそばにいてくれた
あの虹の向こう側へ行けなくても
ささやかな望みすら打ちのめされても
世界中の全ての混乱でさえ受け入れられるわ
だけど貴方が居ないと生きていくことさえできないの)
"I Won't Last A Day Without You "/The Carpenters
その歌は、ジョンデの気持ちそのものだった。
レイがいたから歌えた。レイのために。
この先にどんなことが待っていようと、あの笑顔がそばにあれば怖いことなんて何もないような気さえする。レイに恋をした自分は、無敵のように思えた。愛されるということは、本当に強くなれるのだ。
勇気を分けてもらうように、レイのあの優しい笑顔を思い出してジョンデは力の限り歌った。
オーディションは万事うまく言ったように思う。
もちろん緊張はしたものの、自分の出せる限りの力を出し尽くしたし、やりきったという爽快感さえ感じていた。
ただいま、とドアを開けると、おかえり、と笑顔で迎えられて、ジョンデはそのまま真っ直ぐにレイに抱きついた。はぁ、と息をついて、漸く緊張が解れた気がした。
「どうだった?」
「うまく歌えたかは分かんないですけど、精一杯がんばりました」
「そっか。おつかれさま」
言って、レイの唇がゆっくりと落ちてくる。
甘やかな期待に胸を膨らませて、ジョンデはそれを受け止めた。
前へ進むことは、もう怖くない。
そうしてジョンデの元にその通知が届いたのは、それから一週間後のことだった。
続く
こんな二人をみて、神様は呆れるだろうか。
それともルハンのように『それみたことか』と笑うだろうか。
隣で眠るジョンデを眺めながらレイは思う。
昨夜、ジョンデに好きだと言われて、堪えきれずに押し倒したのは自分だ。あんな真っ直ぐな目で見つめられて、真っ直ぐに放たれた言葉は、真っ直ぐにレイの心臓に突き刺さったのだ。
抱き締めた腕の中、目元にかかる前髪を払い除けてあげればジョンデは、う~ん、と愚図りだした。それが何とも可愛くて、覗いた額にキスを落とした。朝日が照らしてとても綺麗だ。
ぱちぱちと何度か瞬きをして長い睫毛を揺らす仕草さえ愛しく感じた。
「ふふ、起こしちゃった?」
問えば、ふにゃりとした笑みを向ける。
「おはよう」
「おはよう……ございます」
「身体、大丈夫?」
「……多分」
恥ずかしそうに、ぎゅっとシーツに潜ってジョンデが呟く。レイは堪らず抱き締めた。
幸せとは正に今のようなことで、なんて素敵な朝なんだ!と叫び出したいほどだった。
自分達はほんの幾日か前までは互いに別々の人を想っていた。それなのに今はこんなにも心が重なっているなんて。いつから?なんて、どうか聞かないで欲しい。変わり身の早さに苦笑さえ漏れるくらいなのだ。それでも、今は胸が震えるほどの想いでジョンデが好きなのだから仕方がない。
「ねぇ、レイさん」
ジョンデはもじもじとシーツから顔を出して眠気眼を必死に擦りながら呟いた。
「ん?なぁに?」
そんなに擦ったら赤くなっちゃうのに、とのんびり考えながら返事を返す。
「あの僕、ずっと考えてたんですけど……やっぱりオーディション、受けようかと思います」
「オーディション……?」
随分唐突な話だと思いながらも以前ジョンデが見ていた用紙を思い出した。
「だからその……レイさんのために、歌ってもいいですか……?」
恥ずかしそうに、やっぱりもじもじと呟いた言葉に、心臓がどきりと跳ねた。
「誰かのために歌ったことがないって前に言いましたよね。でも僕、分かったんです」
いつもいつも、僕はレイさんのために歌ってました。
そう言ったジョンデのはにかみ笑顔は、今まで見たどんな笑顔より可愛いと思ったし、愛しいと思った。
「もちろん!」
言って抱き締める腕に力を込めてキスを落とせば、ジョンデはくすぐったそうに笑う。
恋なんて、簡単なものだった。
どんなにぐちゃぐちゃと頭で考えても落ちるときには簡単に落ちる。そして何十メートルもの深い深い穴に落ちてからようやく、あぁもう抜け出せないんだ、と気がつくのだ。
レイは確かに落ちていた。
ジョンデという深い深い穴に。
「レイさん、僕、幸せです」
「うん、僕も。幸せだよ」
朝日が差し込むベッドの中、何度も何度も唇を寄せあった。
レイにとって、抱く方はとても久しぶりだった気がする。
それなのにジョンデとはぴたりと重なったような気がして。あぁ、これが本来のカタチなのか、と実感した。堪えきれない衝動や、胸に抱き止める感覚。お腹の底から愛おしくて。包み込んで閉じ込めてしまいそうだった。
腕の中で笑うジョンデの首元。
昨夜付けた所有の印が静かに存在を主張していた。
*
レイがスタジオへ行く時間だからと名残惜しそうな顔をして、それでもいつもよりいくらか遅くに家を出て、ジョンデもようやくベッドから起き上がった。
嬉しいやら恥ずかしいやらで、心がふわふわと浮いているような感覚だ。黙っていてもにやけるし、体の痛みを感じてもにやける。昨夜の最中のレイの顔でも思い出そうものなら、顔から火でも出そうなほどだ。
熱く真剣な眼差しは踊ってる時と少しだけ似ていた。でも込められた熱の性質は明らかに違っていて。その熱が一心に自分に向けられているのだと、甘く痺れるような感覚がした。
Don't you remember you told me you loved me baby
You said you'd be coming back this way again baby
Baby, baby, baby, baby, oh, baby,
I love you I really do
(ねえ覚えていない?
私のことを愛してるといってくれたでしょう
また戻ってくるよといってくれたでしょう
ねぇ、あなた
本当にあなたが好きなの)
"Superstar"/Carpenters
鼻歌混じりに歌ったのは、レイが引っ越して来た日に初めて彼の前で歌った曲で。
そんなに幸せな曲じゃないはずなのにな、と笑いながらも原曲よりもリズミカルなテンポで紡いでいて、さらに可笑しくなる。
ジョンデは自室へ向かうと、ほとんど使われていないようなパソコンを開いて、指定されたページへとアクセスした。必要事項を記載して、送信ボタンをクリックする。
「よしっ、と」
オーディションにエントリーした。
やっと、本気で歌と向き合ってみようと思えたのだ。やっと。
もう気持ちは揺らがない。
レイへの溢れる想いをのせて、真っ直ぐに歌いたい。それがどんなふうに作用するのかジョンデは試したかった。自分はどこまで行けるのか。どこまで飛べるのか。あの、見る者を高揚させるレイのダンスのように。高く高く飛びたい。
『オーディション受けることにした』
ギョンスにメールを飛ばして、レコード棚を物色する。なんの曲を歌おうか。
やっぱり歌い慣れた曲がいいよな、とかひとりでぶつぶつと呟きながら何枚ものレコードを取り出し、気になるものには片っ端から針を落とした。オーディションでは楽器の弾き語りも可能と出ていたので、さらにピアノの練習もしなければならない。コンビニのバイトは少し回数を減らそう。それから、バーに連絡して昼間ピアノを借りれるかどうか聞かなければ。
やることはいっぱいだ。
久しぶりに弾む胸のリズムがとても心地よかった。
Touch me and I end up singing
Troubles seem to up and disappear
You touch me with the love you're bringing
I can't really lose when you're near
When you're near my love
(あなたが触れてくれるから私は歌える
悩みや苦しみも消えていくし
触れられると愛を感じる
あなたが近くに居るだけで
あなたが寄り添っていてくれるだけで……)
"I Won't Last A Day Without You "/The Carpenters
『そっか、がんばって!応援してる』
ギョンスからの返信を見てさらに気合いが入った。
*
スタジオに着いたレイは早速ジョンインから不思議そうな眼差しを向けられた。
「ヒョン、なんかいいことでもありました?」
「ふふ、わかる?」
「えぇ……なんか駄々漏れてます」
「はは!まいったなぁ!」
なんて言いつつもレイは到底まいってるとは思えないような笑みを浮かべて笑っているものだから、うんざりとしたジョンインはそれ以上の追求を止めた。
一方レイは、ただ幸せだった。
幸せな朝を迎えて、幸せな一日を送れる。
腕の中にある幸せを噛み締めることがこんなにも贅沢なことだったなんて。
オーディションを受けると言ったジョンデの眼差しを思い出して、レイはふわりと浮き足立つ足元をしっかりと踏みしめた。そろそろ自分もダンスと本気で向き合わねば。そんな思いが不意に頭を過った。
*
そうしてジョンデは昼間無人のバーを借りて練習を始めた。
オーナーに事情を話したら喜んで明け渡してくれたのだ。この店から有名人が出れば有り難く名前を使わせてもらうから気にするな、なんて冗談なのか本気なのかよく分からない言葉を付けたして笑いながら。改めてみんなに応援されているのだと実感したし、それはとても贅沢なことなんだと気付いた。
あーあーと喉の調子をみながら軽くストレッチを始める。レイと付き合いはじめてからは喉の調子もよくて、上手くいくときはすべてが上手くいくもんなんだなぁと嬉しくなった。
こんな風に歌える日が来るなんて、ジョンデは想像だにしていなかった。あの、壁が見えたときの絶望といったら言葉には出来ないほどで。幼い頃から歌うことが大好きだったジョンデは、歌えなくなった自分なんて何もない空っぽの入れ物のように感じたくらいだし、自分の無力さに悔し涙を何度も流した。もう二度と戻りたくなんてない。
お昼頃になってガチャリとドアが開くと、ひょっこりとレイが顔を出した。
「あ!レイさん!」
「がんばってるかなぁと思って」
ご飯買ってきたよ、とレイは袋を掲げて見せた。
「わぁ!ありがとうございます!そろそろお腹空いてたんですよ」
「よかった、一緒に食べよう」
レイはこうして練習の合間を見ては、近くはないはずのバーまで顔を出してくれるようになった。
サンドイッチを頬張りながら口を開く。
「曲、決まった?」
「うーん、まだちゃんと決めた訳ではないですけど、だいたいは」
「そっか。がんばってね」
そう言ってふわりと微笑んだ笑顔が、ジョンデには何よりも力になるようだった。
「じゃあ行くね」
帰り際、然り気無く触れる唇の熱に、気恥ずかしいような、むず痒いような感覚に陥って。未だ馴れないそれに、ジョンデはレイが帰ったあとも少しだけ悶絶する。その行為を、その距離を、許されているという感覚はジョンデをいつも幸せにする。
*
オーディションを前日に控えて、ジョンデとレイは食事に出ていた。それは、たくさん食べてたくさん力をつけて、というレイの計らいだった。翌日のためにお酒はさすがに控えたけれど、いつもは行かないようなお店で、美味しいものをたくさん食べた。
「ジョンデはよく食べるのに、どうしてそんなに細いの?」
「え、細いですか?」
「うん、ビックリしたよ」
「筋トレはしてるんですけどね。レイさんみたいにはつかないみたいで……」
言って、レイの鍛え上げられた逞しい胸板を思い出して、思わず赤面する。
「あ、赤くなった」
ふふふ、なんて楽しそうに笑みを浮かべるレイをジョンデは恨めしく見つめる。
「オーディションが終わったら……また抱いてもいい?」
「……そんなこといちいち聞かないでください」
「だって赤くなるジョンデが可愛いから」
「そんな意地悪な人だなんて知りませんでした」
くすくすと笑うレイから視線をそらしてうつ向く。レイとはあれ以来肌を重ねてはいない。それはオーディションを受けると言ったジョンデの体調を気遣ってのことだ。そんな優しさがジョンデには嬉しかったし、また熱量をも上げさせた。早くまたあの熱い眼差しで見つめられたい。そのために、レイにきちんと胸を張れるように、オーディションを頑張ると決めたのだ。
「僕、がんばりますね。レイさんのために」
*
Day after day
I must face a world of strangers
where I don't belong
I'm not that strong
It's nice to know that there's someone I can turn to
Who will always care
You're always there
When there's no getting over that rainbow
When my smallest of dreams won't come true
I can take all the madness the world has to give
But I won't last a day without you
(毎日毎日
馴染めない他人ばかりの世界と向き合わなくちゃいけない
そこに私の居場所なんてない
そんなに私は強くないから
だから頼りになる人が居てくれることが嬉しいの
その人はいつも私を支えてくれる
貴方はいつもそばにいてくれた
あの虹の向こう側へ行けなくても
ささやかな望みすら打ちのめされても
世界中の全ての混乱でさえ受け入れられるわ
だけど貴方が居ないと生きていくことさえできないの)
"I Won't Last A Day Without You "/The Carpenters
その歌は、ジョンデの気持ちそのものだった。
レイがいたから歌えた。レイのために。
この先にどんなことが待っていようと、あの笑顔がそばにあれば怖いことなんて何もないような気さえする。レイに恋をした自分は、無敵のように思えた。愛されるということは、本当に強くなれるのだ。
勇気を分けてもらうように、レイのあの優しい笑顔を思い出してジョンデは力の限り歌った。
オーディションは万事うまく言ったように思う。
もちろん緊張はしたものの、自分の出せる限りの力を出し尽くしたし、やりきったという爽快感さえ感じていた。
ただいま、とドアを開けると、おかえり、と笑顔で迎えられて、ジョンデはそのまま真っ直ぐにレイに抱きついた。はぁ、と息をついて、漸く緊張が解れた気がした。
「どうだった?」
「うまく歌えたかは分かんないですけど、精一杯がんばりました」
「そっか。おつかれさま」
言って、レイの唇がゆっくりと落ちてくる。
甘やかな期待に胸を膨らませて、ジョンデはそれを受け止めた。
前へ進むことは、もう怖くない。
そうしてジョンデの元にその通知が届いたのは、それから一週間後のことだった。
続く