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Sing a Song!

Track1 ; Superstar



ピーンポーン



古いアパート独特ののんびりとしたチャイムの音が鳴って、その日、ジョンデの朝は始まった。
朝と言っても時刻にしたらもう昼で。
昨夜はバイトが深夜のシフトだったので帰宅が朝方だったから、まぁしょうがない。


「はーい」


寝惚けたままドアを開けると、見知らぬ男が立っていた。


「あの……ここって、クリスの家じゃないんですか?」


相手はジョンデが出たことで酷く戸惑っているようだ。目を白黒とさせている。


「えっと……昨日までは?」


ジョンデは黙考して疑問形で返した。


「昨日?あの、じゃあクリスは?どこに行ったか知りませんか!?」

唐突に何なんだ、と普段穏やかな性格のジョンデですらさすがに驚くほどの勢いだ。

「……さぁ?」

そもそも、”クリス”とはジョンデにとって高校時代の先輩で、しかし鞄ひとつで半ば強引にこの部屋に居着いた人なので今までも急に居なくなったことは何度もあった。最初のうちはそれなりに心配もしたが、最近は干渉していない。かなりの気まぐれな人なので、大方新しい恋人のところにでも転がり込んだんだろう。

「……恋人?」

そんな予測話をすると、目の前の男は、へにゃりと顔を歪めて俯いた。

「恋人、か。そっか……」
「え……や、多分って話ですよ……?」
「いや、いいんだ。寝てたところごめんね……」
「あの……」

引き留める声も虚しく、男はドアを閉めて去っていった。

訳あり気味のあの人は、クリスの何だったんだろう……
泣きそうに歪んだ顔が、妙に目に焼き付いた。




*


「こんばんは」

「よう。今日もよろしくな」
「はい」


週末、日が暮れ始めた時間にバーに行って歌うのがジョンデの仕事だ。

「よっ!」

カウンターの奥から小さく手をあげて笑顔を溢すのはバーテンダーのチャニョル。ジョンデとは同い年で気の合う友達だ。
だけどそう思ってるのはチャニョルだけで、ジョンデの方はそうは思ってない。


客席をぐるりと見回して年齢層を確認する。
今日のお客さんは年配層が多いので、オールディーズのナンバーに決めてピアノの前に座った。マスターがレコードの針を上げると少しの静寂の後ピアノの音が響き始める。


Oh, Danny Boy, the pipes, the pipes are calling, From glen to glen and down the mountain side.
The summer's gone and all the roses fallin'. T'is you, ti's you must go and I must bide.

(ダニー・ボーイ バグパイプの音が呼んでいる
谷から谷へ そして山際まで響き渡る
夏が終わり バラはみんな散ってしまった
おまえは去って行き 私は待ち焦がれる)
"Danny Boy"


母が出兵する息子を送る歌。帰ってきて欲しいと。もし帰ってきたときに私が死んでいてもお墓の前で抱き締めるわ、と。
100年も昔の、アイルランド民謡に歌詞を載せた欧米では弔いの歌として有名な曲。
物悲しいがどこか力強い。そんな曲だ。

ピアノはそんなに得意ではないが歌の伴奏程度には弾ける。だからこの仕事が出来てるわけだけど。


ジョンデはBGMのように何曲かを気まぐれに歌ってカウンターへと着いた。


「お疲れ。今日も好調?」
「はは、ありがとう」

チャニョルがいつものようにジントニックを出しながら笑顔を溢す。
いたずらっ子のようなその笑みは、シックなこのバーには若干不釣り合いだが、女性にはなかなかの人気だ。

彼に恋心を抱いたのはいつ頃だったかジョンデは考えた。
自分の力に限界を感じて音大を中退して、それでも歌に関わることを止められずぐだぐだしていたとき、歌ってみないか?とこの店のマスターに拾われた。初めて歌ったとき、チャニョルは満面の笑みで「ジョンデの歌、好きだな」と言った。
そう言ってくれる人は今までも居たけど、すっかり自信を失っていた当時、その言葉は本当に嬉しかったのだ。話をするうち同い年だと言うことがわかり、ますます意気投合した。いつも笑顔で迎えてくれる彼に惹かれるのに、時間はかからなかった。


「こんなところで歌ってるだけじゃもったいないよ」と彼はいつも言う。

「いいんだ。バーで歌うのが好きだから」

チャニョルが居る、このバーで歌うのが好きだから。
ジョンデは声には出さずひとりごちる。
それに、BGM程度に聴いてもらうのが今の自分には合っている、と。それは決して卑下ているわけではなく、純粋にそう思ってるのだ。今はただ、何かに紛れるように歌うのが心地いい、と。



「じゃあ、帰ります」

ありがとうございました、とマスターに頭を下げてジョンデは店を後にした。



*



「……誰?」

アパートの前に着くとドアの前で誰かがしゃがんでいる人影が見えた。

「……あ」

近づいて確認すると、

「朝の人?」
「あ、あの、おかえりなさい」

言って立ち上がる。

「……何か?」

訝しげに聞くと、「えっと……」としどろもどろになりながら俯いた。


「……待たせてもらえませんか?」


酷く言いにくそうにゆっくりとその男は口にする。

「は?」
「あの、だから、クリスを……」

あぁ、なるほど。
ジョンデは瞬時に理解した。

「帰ってこないと思いますけど?」
「分かってます!それでもいいんです!」
「いやいやいや」
「家賃、ちゃんと払いますから!」

家賃って。完全に居着くつもりじゃん。
呆れるように肩を落とした。

「えっと、ごめんなさい、それはちょっと……」

やっとクリスも居なくなってのんびり過ごせると思ってたのに。
ジョンデはやんわりと拒否をする。

「僕も……困ってるんです……」

深夜に玄関先での押し問答も近所迷惑甚だしいので、とりあえずと中へ入れたが、なんだかどうも話が怪しい。


要するにこういうことだ。

彼(その人はレイと名乗った)はクリスの恋人で今日から新しい部屋を借りて同棲するはずだった。だけど引っ越し業者とその部屋を訪ねたら、鍵が開いていないどころか、アパートの契約もされていなかったのだ。二人で出した敷金礼金前家賃は全てクリスが持っていた。今まで住んでいた部屋は解約してしまったし、新たに借りるお金もないのでこの部屋でクリスを待たせてほしい、と。

おっとりと遠慮気味な話し方の割りに、一切引かない強引さがある。


「いや、でも……」

いくらクリスの恋人だった人だとはいえ、いきなり見ず知らずの人と暮らすのはさすがのジョンデも抵抗がある。なのに、

「じゃあ、今晩だけでも……」

お願いします、と懸命に頭を下げるレイに、今朝の泣きそうに歪んだ顔が重なって、居畳まれずに頷いたのがすべての始まりだった。




*

「あはは!逃げられたの?」

やっぱりね!と笑うのはレイの親友、ルハンだ。

「俺あいつ嫌いだったから清々するー」
「そんな……」
「だってさ、クリス俺にも手出そうとしたじゃん。レイの友達だって分かっててさ。そんな奴なんだよ」
「でも……優しい人だよ」
「そんなの優しさじゃありませーん。優しいって言うのはミンソギみたいな人のことを言うの!」

わかってるけど。だらしない人だってのは分かってるけど。それでも彼の優しさはレイには麻薬のような中毒性があった。
気障な言葉で。包み込むような暖かさで。強引な仕草で。甘く危険な香りがするクリスから抜け出せなかった。


「で?その一緒に住むことになった男は?」
「別に、一緒に住むって訳じゃ……」
「住めばいいじゃん。どうせ部屋空いてるんでしょ?そういう強引さって重要じゃん?俺手伝ってあげるからさ!」

確かに住まわせてもらえればありがたいけど。荷物も引っ越し業者に預けたままだし。
そうは思っても、ジョンデのあの困惑したように垂れ下がった眉を思い出せば、レイは素直に頷けなかった。


それなのに、善は急げとばかりにルハンはレイの腕を掴んで立ち上がるもんだから、残念ながらあとは為すがままだ。


*


ピーンポーンと鳴った音に起こされて既視感を覚える。

居間に行くとソファーの上に綺麗に毛布が畳まれていて、昨日の人は帰ったのか、なんて安堵した……はずなのに。


「はい」


ドアを開けると、まさにその彼が立っていた。

「昨夜は、ありがとうございました……」

「ふーん。ま、いっか。悪い人では無さそうだしね!ありがとうついでに、彼に部屋貸してくれないかなぁ?」

そう言ってレイの後ろから姿を現したのは、漫画みたいにキラキラした瞳の男ルハンだっだった。


「あの……」

戸惑うジョンデを余所に「部屋空いてるならいいよね?」と強引に詰め寄る。

「レイさ、行くとこないんだよねー。可哀想でしょ?恋人にも振られてさ。可哀想じゃない?」
「……えぇ、まぁ」

釣られて頷くと、「じゃあ決まりね!」とルハンは笑顔でレイを押しやる。

「あ、あの!ちょっとルハン!」
「よかったね!住まわせてくれるってさ!」
「え?あの、ちょっと……」

じゃあ!と言って嵐のようなその男は去っていった。



「あ、あの……」


残されたレイが口を開く。

「はい?」
「迷惑、ですよね?」
「まぁ……」

迷惑以外のなにものでもない。
なのに……


「いいです!帰りますから!」

ごめんなさい、と背を向けたレイに「部屋、決まるまでなら」なんて声を掛けたのはどうしてだろうか。ジョンデは自分でも驚いていた。


「ホントに?!ありがとう!」



*


早速クリスが使っていた部屋へと荷物が運ばれた。
大分減らしたんだけど。という割には多いのは二人で使うはずだった食器や家具なんかがあるからだろうか。

「せっかく買ったのにな……」と呟いた彼の横顔は酷く悲しそうだ。


「ねぇ、飲まない?」

片付けも粗方終わり、日も傾き始めた頃、年代物のワインを取り出してレイは言う。

「それ、高いやつじゃないですか?」

見るとラベルには1991年と記されている。確か、不作の年で高価な値がついているとチャニョルがいつだか教えてくれた気がする。

「いいんだ。開けちゃいたい気分だから」

今日は仕事が休みだから飲んでも差し支えないんだけど。
ジョンデは戸惑いながら思案する。

「部屋が決まるまでだけど、よろしくお願いしますってことで」

ね?と笑う彼の左頬には片笑窪が見えた。



乾杯!とグラスを傾ける。
ワインの味はよくわからないけど、飲みやすい美味しいものだ。

「これさ……クリスが買ってくれたんだ」

一口目を飲み込んだところでレイは遠慮がちに話し始めた。

「僕の生まれ年なの。高いのにさ。無理しちゃって」

気障だよね、と苦い笑みを浮かべる。
あぁ、クリスならしそうだな、とジョンデも釣られて苦笑した。

「引っ越した日に開けようって約束したんだけど、叶わなかったな」と呟いた顔は、やっぱりどこか痛々しい。僕はどうせ振られちゃったし、という空気を纏うレイをジョンデはどこか不思議な気分で眺めていた。



「ジョンデくんは何の仕事してるの?」

呆けていたところ唐突に聞かれて、ジョンデは瞬間戸惑った。
主に平日の夜はコンビニのバイトで週末はバーで歌わせてもらってると伝えると、「歌?!すごいね!」と食いついた。

「全然。何もすごくなんかないです。僕なんて落ちこぼれもいいとこですから」

自嘲気味に溢すと、「何か歌ってよ」とレイがせがむ。
昨日も思ったけど、遠慮がちに強引な人だ。それでも嫌味に見えないのは彼の人柄だろうか。たくさんは知らないけど、眼差しは酷く優しい気がする。

「じゃあ、」と言ってジョンデはほろ酔いの体で、古い歌を小さく口づさんだ。


Don't you remember you told me you loved me baby
You said you'd be coming back this way again baby
Baby, baby, baby, baby, oh, baby,
I love you I really do

(ねえ覚えていない?
私のことを愛してるといってくれたでしょう
また戻ってくるよといってくれたでしょう
ねぇ、あなた
本当にあなたが好きなの)
"Superstar"/Carpenters




恥ずかしいなぁ、と伏せていた視線を上げると、目の前、レイははらはらと涙を溢していた。
ジョンデは驚いてレイが座るソファーへと駆け寄って、大丈夫?と背中を擦る。


「優しい声だね」と涙に濡れた顔を歪めて笑みを浮かべたレイの横顔はとても綺麗だった。






続く
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