繋がる、伝わる
---------
弟・ジョンデ
---------
その瞬間、僕は先輩の腕を掴んで走っていた。
「ジョンデくん?」
「はは、すみません……僕ビックリしちゃって!」
しばらく走ったところで掴んでた腕を引っ張られて、立ち止まった。
一生懸命に笑って先輩を見れば、困ったような顔で見つめられて。僕も思わず苦笑した。
「ジョンデくん」
「……先輩…………」
ふわりと先輩の掌に包まれた僕の手は、ギリギリと拳を握りしめていたことに気づいた。
情けないな。こんなにも動揺するなんて。
思わぬところで突きつけられた現実は、僕が望んでいたものなはずなのに。酷く淋しくて、苦しかった。
ベッキョニがそばにいない僕は、上手く笑えない。
ふわりと抱き締められた腕の中、先輩にすがるしかない僕は、ベッキョンとは違う体温にしがみつく。
「先輩……、僕は先輩が好きです……」
「うん、知ってるよ」
「ちゃんと、好きですから……」
「うん……」
ベッキョニとは違う温もり。
ベッキョニとは違う匂い。
ベッキョニとは違う、心臓のリズム。
僕はこの人を選んで、ベッキョニはチャンニョリを選んだ。
きっとそれだけのこと。
頭では分かってるのに、最近まともに触れないベッキョニの体温を思い出して、チャンニョリが羨ましくて仕方なかった。
***
「ただいまー」
階段の下からベッキョンの声が聞こえて、急いで掛け下りる。
「おかえり!」
「あぁ、ただいまー」
腹減ったなぁ、なんて言いながらリビングに向かおうとするベッキョンの腕を僕は慌てて捕まえた。
「ねぇ!今日さ、僕見ちゃったんだよねー!」
「は?何を?」
「ベッキョニがぁー、キスしてるとこ!!」
えへへ、と笑いながら言うと、ベッキョンは盛大に目を見開いた。
「あれ、お前だったんだ……」
「うん!そう、僕とイシン先輩!」
「ラブラブだねぇ!羨ましいなぁ~」なんて笑って、ベッキョンの腕を両手で掴む。不意をついたせいか、避けられることはなかった。
久しぶりに触れた体温はやっぱり馴染みがよくて、とても安心するものだった。
ほっとして泣きそうになったのを、必死に堪える。
「ベッキョニさぁ、やっぱりチャンニョリのこと好きなんじゃん!もー、僕心配して損しちゃったよー!ベッキョニもキスとかしたりするんだね!兄弟のキスシーンとか見たくないって言うけど、ホントそんな感じ!次はちゃんと人いないの確認しないとダメだよ?僕だったから良かったもののさぁ、先生とかに見られてたら大変なことになってたじゃん!」
ペラペラと回る口を、どうしてか止めることができなかった。もう自分でもなに言ってんのか分かんないほど、どうにも止め方が分からない。
そんな僕を、もう一人の冷静な自分が見つめてるのが分かった。
「あーもー!ちょっと僕妬けちゃうなぁ!だって二人すんごいお似合いなんだもん!でも僕の目に狂いはなかったってことでしょ?」
「……ジョンデ」
「僕ベッキョニのことなら何でも分かるんだから!」
「ジョンデ!」
ベッキョニの上げた声に驚いて、びくりと肩が揺れた。
「…………ん?なぁに?」
「腕。離せよ」
「…………なんで?」
「痛い」
笑顔で話続ける僕を前に、ベッキョニの顔は、これっぽっちも笑ってなんてなかった。
「…………嫌だ。だって手離したら、ベッキョニまたどっか行っちゃうでしょ?」
「どっかって、家じゃんここ」
「でも僕の前からいなくなるじゃん……避けられてることに気づけないほど、僕は鈍くなんかないよ」
掴んでいた手に力を込めて、その腕に抱きつく。
離してなんかやるもんか。
「別に避けてるわけじゃ……」
決まり悪そうに目を反らして呟くベッキョニは、双子なのに何を考えてるか分からなかった。
「僕たちが離れなきゃいけない理由ってなぁに?お互いに好きな人ができたって、僕たちが双子なことには変わりないじゃん。今までだってずっと一緒にいたんだから、これからだってずっと一緒なんだよ?」
僕は、間違ったことなんて言ってない。
「…………お前さぁ、俺のことなら何でも分かるって言ったよな?」
「うん、言ったよ?だってそうじゃん」
「じゃあさ、俺が誰を好きかも分かるってことだよな?」
「だから、チャンニョリ……」
言いかけた僕の言葉に、ベッキョニはぎろりと視線を寄越して。
「俺は……俺が好きだと思うヤツは……生まれたばっかの頃から今も、ずっと隣にいたお前だけだ。今までだってそうだし、これからだってそう」
真っ直ぐな言葉と視線が突き刺さって、思わず手を離していた。
どくりと心臓が騒ぐ。
「言ったよな?お前が好きだって」
「でもチャンニョリとキス……」
してたじゃん。廊下の真ん中で。
本当に恋人みたいにキス、してたじゃん。
「お前がさ、ジョンデが……俺はチャニョリのことが好きだって言うから。よく分かんないけど付き合ってみたら分かるんじゃないかって思ったんだよ。付き合ったら、キスしたら、お前の言ってたことが分かるんじゃないかって」
「ぼ、く……?」
「そう、お前。でも全然分かんねぇ。やっぱり俺はお前が好きだし、お前以外はいらない。だからさぁ、応える気がないならほっとけよ」
ダメな兄貴で悪かったな。
そう言って小さく笑ったベッキョンは、僕には泣いてるように見えた。
「……ねぇ、じゃあさ。もしかして、僕が先輩とか……ベッキョニじゃない人と付き合ってる限り、僕たちはずっとこのままなの?」
僕はずっとベッキョニに触れないの?
「多分。少なくとも俺がお前を好きでいる間は」
「……さっきこれからもって言った」
「じゃあずっとじゃねぇの?」
「そんなの……嫌だよ。僕たちはずっと一緒で、ずっと繋がってるんだよ?」
だって双子じゃん、と言うと、ベッキョニはやっぱり悲しそうに笑って、
「俺の気持ちも考えろよ」って。
「お前のことただの弟だって思えるように努力してんだからさぁ。単なる双子の独占欲だって。お前が、あの先輩を好きな気持ちと違う気持ちで俺を好きだって言ったから、その好きと同じになれるように頑張ってんだよ。言わすなバカ」
言うとベッキョニは僕の頭をひと撫でしてリビングへと消えてしまった。
脳天に残るのは大好きなベッキョニの温もり。
ばたんと閉じるドアの音が嫌に大きく耳に響いた。
---------
兄・ベッキョン
---------
ジョンデの目が、淋しそうに揺れていたことを知っている。
置いていかないで、って訴えていたことを。
『チャニョラ、なんか笑わせて』
『なになに?急に』
『とにかく何でもいいから』
そんなメッセージを送り合いながらご飯を食べて、部屋には戻らず居間で時間を潰した。あの、小さく狭い俺たちの世界で、二人きりになれる自信はなかったから。
喧嘩でもしたの?と母さんが笑う。俺は「別に~」なんて答えながら楽しくもないテレビ番組をぼんやりと見ていた。
チャニョルは文字で必死に俺を笑わそうとしてくれる。そのイチイチに『なんだよそれ~!』とか笑ったリアクションを返していたけど、途中から惨めに思えて『ごめん』とただ一言返して切り上げた。
「あんたいつまでその格好でいるの!早く着替えてお風呂入っちゃいなさい」
「うーん……」
「もー、まだなら先にジョンデに声かけて」
「面倒くさーい」
「……ベッキョナ!!」
結局母さんに怒られて、俺は渋々と部屋に戻ることにした。その足取りは、生まれて初めて感じるような重さだった。
ガチャリと自室のドアを開けると、ジョンデはいつものように宿題でも片付けているのか机に向かっている。
俺たちが過ごしてきた小さな二人だけの世界。
対のように置かれたジョンデの机はいつだってきちんと整えられていて、棚の上には昔誕生日にプレゼントされた色違いのクマのぬいぐるみが俺の分と2つ、ちょこんと腰掛けている。いつのまにかジョンデの机で2つ並んでいたそれを見て、俺はいつだって満足していたんだ。俺のもそこにいる方がいいなって。
「……ベッキョナ、さっきの……」
「あ、ごめん風呂入れって母さん怒ってるから」
「そっ、か……」
ジョンデが開きかけた口を、俺はすぐさま遮った。
隅で背を向けて黙々と制服から部屋着に着替えて風呂に向かう。
***
兄弟だとか何だとか。
沸きたての湯船に浸かってひたすらに考えた。
小さかったジョンデの笑顔。
宝物のような思い出のひとつひとつ。
切り取られたそれにはいつだってあいつがいて。俺たちの記憶は2つで1対だった。
それは俺たちの存在そのもので、俺の記憶にはあいつのすべてが映っていて、あいつの記憶には、きっと俺のすべてが映っている。
だけど、それもそろそろおしまいなんだろう。
これからはジョンデがいない俺の記憶が出来上がり、ジョンデには俺のいない記憶が出来上がっていく。それは2つ揃えたところで、1つにはなりえないんだ。
なんと酷く残酷なことなんだ。
風呂から上がって部屋に戻ると、入れ替わるようにジョンデはあっさりと風呂へ向かった。
ほっと胸を撫で下ろしてさっきまでジョンデが座っていた机に何気なく目をやる。
通りすぎた視界に違和感を覚えて視線を戻すと、2頭のクマはジョンデの机の真ん中に置かれていた。
寄り添うように座るぬいぐるみは、きっとかつての俺たちだ。
楽しくて幸せだった二人だけの世界。
先に寝てしまえ、とジョンデが戻る前に俺はベッドに潜って無理矢理に目をつぶった。
並んだ2頭のクマのうち、ジョンデのクマの方を掴んでベッドの枕元に置いたのはほとんど無意識だったと思う。
俺はジョンデを選べない代わりに、せめてもとそのクマを選んだ。
記憶が遠退く間際、ガチャリとドアが開いてジョンデが戻ってきたのを知らせる。
動く気配が止まって、ふわりと空気が揺れた気がしたけど、俺の記憶はそこで途切れた。
---------
弟・ジョンデ
---------
お風呂から上がって部屋に戻ると、ベッキョンはもうすでにベッドに潜ったあとだった。
ベッキョンがお風呂に入っている間に並べ直した2頭のクマ。ベッキョンはそれに気づいてくれただろうか、と机に視線を向けた。
4才の誕生日に祖父母から貰ったクマのぬいぐるみを、ベッキョンは6才になる頃には飽きて部屋の隅に放り投げていたのを僕がこっそりと自分のものにしたんだ。
ベッキョンはとっくに戦隊ものだか何だかに興味が移っていたけれど、僕はどうしてだかそのぬいぐるみが大事でずっと机の上に飾っていた。
その、2つ並べたはずのぬいぐるみが、お風呂から上がると1つになっていた。
あれ?おかしいなぁ、なんて思ってベッドで眠るベッキョニを見ると枕元に置かれたぬいぐるみ。
あ、って思ったのは、それが僕のぬいぐるみの方だったから。ベッキョニがベッドに連れていったのは、僕の方のぬいぐるみだった。
心臓が、こそばゆく鳴り響く。
僕は机の上に飾っていた残されたベッキョンの方のぬいぐるみを連れてベッドへと上がった。
今日は上手く眠れるような気がする。
***
「……デくん?ジョンデくーん?」
「……はい!?」
どうしたの?と首をかしげるイシン先輩に、「えっ!?」と慌てて視線を向けた。
放課後の音楽室は僕のオアシスで、先輩は僕の栄養素だ。
でも先輩が栄養素なら、ベッキョンは水や空気や酸素で。そういう、呼吸するために必要なもので。
その重要度に違いなんてないはずなのに。
「悩み事?」
「いえ、大丈夫です!」
「大丈夫じゃないよ?」
最近上の空なこと多いし、と先輩は悲しそうに笑う。
どうしてそんな悲しそうな顔するんだろう。
そういえば、この前ベッキョニも悲しそうに笑ってたなぁなんて思い出して、万事が上手くいき始めていたはずなのに何故だか歯車が狂い始めてることに気がついた。
「……僕の妖精さんは飛びたくてウズウズしてるように見える」
「え……?」
「でもダメ。僕は意地悪だから」
先輩はそっと僕を抱き締めると、いつものように優しくキスをした。
その瞬間よみがったのは、ベッキョナの顔で。
チャンニョリと恋人みたいにキスしていたベッキョニの……悲しそうに笑う顔───
「あ……」
先輩を押しやったのは無意識のうちだった。
「……すみません」
「どうして謝るの?」
「だって……」
なんで?なんなの?
頭の中も、心の中も、ずっとモヤモヤと霧がかかっている。視界の悪いところでひとりぼっちで。手を伸ばしても何も掴めないみたいに心細くて、誰か助けてって心が叫んでいる。
助けて、誰か。
ベッキョナ、行かないで。
「すみません……!」
瞬間、僕は音楽室を飛び出していた。
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弟・ジョンデ
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その瞬間、僕は先輩の腕を掴んで走っていた。
「ジョンデくん?」
「はは、すみません……僕ビックリしちゃって!」
しばらく走ったところで掴んでた腕を引っ張られて、立ち止まった。
一生懸命に笑って先輩を見れば、困ったような顔で見つめられて。僕も思わず苦笑した。
「ジョンデくん」
「……先輩…………」
ふわりと先輩の掌に包まれた僕の手は、ギリギリと拳を握りしめていたことに気づいた。
情けないな。こんなにも動揺するなんて。
思わぬところで突きつけられた現実は、僕が望んでいたものなはずなのに。酷く淋しくて、苦しかった。
ベッキョニがそばにいない僕は、上手く笑えない。
ふわりと抱き締められた腕の中、先輩にすがるしかない僕は、ベッキョンとは違う体温にしがみつく。
「先輩……、僕は先輩が好きです……」
「うん、知ってるよ」
「ちゃんと、好きですから……」
「うん……」
ベッキョニとは違う温もり。
ベッキョニとは違う匂い。
ベッキョニとは違う、心臓のリズム。
僕はこの人を選んで、ベッキョニはチャンニョリを選んだ。
きっとそれだけのこと。
頭では分かってるのに、最近まともに触れないベッキョニの体温を思い出して、チャンニョリが羨ましくて仕方なかった。
***
「ただいまー」
階段の下からベッキョンの声が聞こえて、急いで掛け下りる。
「おかえり!」
「あぁ、ただいまー」
腹減ったなぁ、なんて言いながらリビングに向かおうとするベッキョンの腕を僕は慌てて捕まえた。
「ねぇ!今日さ、僕見ちゃったんだよねー!」
「は?何を?」
「ベッキョニがぁー、キスしてるとこ!!」
えへへ、と笑いながら言うと、ベッキョンは盛大に目を見開いた。
「あれ、お前だったんだ……」
「うん!そう、僕とイシン先輩!」
「ラブラブだねぇ!羨ましいなぁ~」なんて笑って、ベッキョンの腕を両手で掴む。不意をついたせいか、避けられることはなかった。
久しぶりに触れた体温はやっぱり馴染みがよくて、とても安心するものだった。
ほっとして泣きそうになったのを、必死に堪える。
「ベッキョニさぁ、やっぱりチャンニョリのこと好きなんじゃん!もー、僕心配して損しちゃったよー!ベッキョニもキスとかしたりするんだね!兄弟のキスシーンとか見たくないって言うけど、ホントそんな感じ!次はちゃんと人いないの確認しないとダメだよ?僕だったから良かったもののさぁ、先生とかに見られてたら大変なことになってたじゃん!」
ペラペラと回る口を、どうしてか止めることができなかった。もう自分でもなに言ってんのか分かんないほど、どうにも止め方が分からない。
そんな僕を、もう一人の冷静な自分が見つめてるのが分かった。
「あーもー!ちょっと僕妬けちゃうなぁ!だって二人すんごいお似合いなんだもん!でも僕の目に狂いはなかったってことでしょ?」
「……ジョンデ」
「僕ベッキョニのことなら何でも分かるんだから!」
「ジョンデ!」
ベッキョニの上げた声に驚いて、びくりと肩が揺れた。
「…………ん?なぁに?」
「腕。離せよ」
「…………なんで?」
「痛い」
笑顔で話続ける僕を前に、ベッキョニの顔は、これっぽっちも笑ってなんてなかった。
「…………嫌だ。だって手離したら、ベッキョニまたどっか行っちゃうでしょ?」
「どっかって、家じゃんここ」
「でも僕の前からいなくなるじゃん……避けられてることに気づけないほど、僕は鈍くなんかないよ」
掴んでいた手に力を込めて、その腕に抱きつく。
離してなんかやるもんか。
「別に避けてるわけじゃ……」
決まり悪そうに目を反らして呟くベッキョニは、双子なのに何を考えてるか分からなかった。
「僕たちが離れなきゃいけない理由ってなぁに?お互いに好きな人ができたって、僕たちが双子なことには変わりないじゃん。今までだってずっと一緒にいたんだから、これからだってずっと一緒なんだよ?」
僕は、間違ったことなんて言ってない。
「…………お前さぁ、俺のことなら何でも分かるって言ったよな?」
「うん、言ったよ?だってそうじゃん」
「じゃあさ、俺が誰を好きかも分かるってことだよな?」
「だから、チャンニョリ……」
言いかけた僕の言葉に、ベッキョニはぎろりと視線を寄越して。
「俺は……俺が好きだと思うヤツは……生まれたばっかの頃から今も、ずっと隣にいたお前だけだ。今までだってそうだし、これからだってそう」
真っ直ぐな言葉と視線が突き刺さって、思わず手を離していた。
どくりと心臓が騒ぐ。
「言ったよな?お前が好きだって」
「でもチャンニョリとキス……」
してたじゃん。廊下の真ん中で。
本当に恋人みたいにキス、してたじゃん。
「お前がさ、ジョンデが……俺はチャニョリのことが好きだって言うから。よく分かんないけど付き合ってみたら分かるんじゃないかって思ったんだよ。付き合ったら、キスしたら、お前の言ってたことが分かるんじゃないかって」
「ぼ、く……?」
「そう、お前。でも全然分かんねぇ。やっぱり俺はお前が好きだし、お前以外はいらない。だからさぁ、応える気がないならほっとけよ」
ダメな兄貴で悪かったな。
そう言って小さく笑ったベッキョンは、僕には泣いてるように見えた。
「……ねぇ、じゃあさ。もしかして、僕が先輩とか……ベッキョニじゃない人と付き合ってる限り、僕たちはずっとこのままなの?」
僕はずっとベッキョニに触れないの?
「多分。少なくとも俺がお前を好きでいる間は」
「……さっきこれからもって言った」
「じゃあずっとじゃねぇの?」
「そんなの……嫌だよ。僕たちはずっと一緒で、ずっと繋がってるんだよ?」
だって双子じゃん、と言うと、ベッキョニはやっぱり悲しそうに笑って、
「俺の気持ちも考えろよ」って。
「お前のことただの弟だって思えるように努力してんだからさぁ。単なる双子の独占欲だって。お前が、あの先輩を好きな気持ちと違う気持ちで俺を好きだって言ったから、その好きと同じになれるように頑張ってんだよ。言わすなバカ」
言うとベッキョニは僕の頭をひと撫でしてリビングへと消えてしまった。
脳天に残るのは大好きなベッキョニの温もり。
ばたんと閉じるドアの音が嫌に大きく耳に響いた。
---------
兄・ベッキョン
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ジョンデの目が、淋しそうに揺れていたことを知っている。
置いていかないで、って訴えていたことを。
『チャニョラ、なんか笑わせて』
『なになに?急に』
『とにかく何でもいいから』
そんなメッセージを送り合いながらご飯を食べて、部屋には戻らず居間で時間を潰した。あの、小さく狭い俺たちの世界で、二人きりになれる自信はなかったから。
喧嘩でもしたの?と母さんが笑う。俺は「別に~」なんて答えながら楽しくもないテレビ番組をぼんやりと見ていた。
チャニョルは文字で必死に俺を笑わそうとしてくれる。そのイチイチに『なんだよそれ~!』とか笑ったリアクションを返していたけど、途中から惨めに思えて『ごめん』とただ一言返して切り上げた。
「あんたいつまでその格好でいるの!早く着替えてお風呂入っちゃいなさい」
「うーん……」
「もー、まだなら先にジョンデに声かけて」
「面倒くさーい」
「……ベッキョナ!!」
結局母さんに怒られて、俺は渋々と部屋に戻ることにした。その足取りは、生まれて初めて感じるような重さだった。
ガチャリと自室のドアを開けると、ジョンデはいつものように宿題でも片付けているのか机に向かっている。
俺たちが過ごしてきた小さな二人だけの世界。
対のように置かれたジョンデの机はいつだってきちんと整えられていて、棚の上には昔誕生日にプレゼントされた色違いのクマのぬいぐるみが俺の分と2つ、ちょこんと腰掛けている。いつのまにかジョンデの机で2つ並んでいたそれを見て、俺はいつだって満足していたんだ。俺のもそこにいる方がいいなって。
「……ベッキョナ、さっきの……」
「あ、ごめん風呂入れって母さん怒ってるから」
「そっ、か……」
ジョンデが開きかけた口を、俺はすぐさま遮った。
隅で背を向けて黙々と制服から部屋着に着替えて風呂に向かう。
***
兄弟だとか何だとか。
沸きたての湯船に浸かってひたすらに考えた。
小さかったジョンデの笑顔。
宝物のような思い出のひとつひとつ。
切り取られたそれにはいつだってあいつがいて。俺たちの記憶は2つで1対だった。
それは俺たちの存在そのもので、俺の記憶にはあいつのすべてが映っていて、あいつの記憶には、きっと俺のすべてが映っている。
だけど、それもそろそろおしまいなんだろう。
これからはジョンデがいない俺の記憶が出来上がり、ジョンデには俺のいない記憶が出来上がっていく。それは2つ揃えたところで、1つにはなりえないんだ。
なんと酷く残酷なことなんだ。
風呂から上がって部屋に戻ると、入れ替わるようにジョンデはあっさりと風呂へ向かった。
ほっと胸を撫で下ろしてさっきまでジョンデが座っていた机に何気なく目をやる。
通りすぎた視界に違和感を覚えて視線を戻すと、2頭のクマはジョンデの机の真ん中に置かれていた。
寄り添うように座るぬいぐるみは、きっとかつての俺たちだ。
楽しくて幸せだった二人だけの世界。
先に寝てしまえ、とジョンデが戻る前に俺はベッドに潜って無理矢理に目をつぶった。
並んだ2頭のクマのうち、ジョンデのクマの方を掴んでベッドの枕元に置いたのはほとんど無意識だったと思う。
俺はジョンデを選べない代わりに、せめてもとそのクマを選んだ。
記憶が遠退く間際、ガチャリとドアが開いてジョンデが戻ってきたのを知らせる。
動く気配が止まって、ふわりと空気が揺れた気がしたけど、俺の記憶はそこで途切れた。
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弟・ジョンデ
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お風呂から上がって部屋に戻ると、ベッキョンはもうすでにベッドに潜ったあとだった。
ベッキョンがお風呂に入っている間に並べ直した2頭のクマ。ベッキョンはそれに気づいてくれただろうか、と机に視線を向けた。
4才の誕生日に祖父母から貰ったクマのぬいぐるみを、ベッキョンは6才になる頃には飽きて部屋の隅に放り投げていたのを僕がこっそりと自分のものにしたんだ。
ベッキョンはとっくに戦隊ものだか何だかに興味が移っていたけれど、僕はどうしてだかそのぬいぐるみが大事でずっと机の上に飾っていた。
その、2つ並べたはずのぬいぐるみが、お風呂から上がると1つになっていた。
あれ?おかしいなぁ、なんて思ってベッドで眠るベッキョニを見ると枕元に置かれたぬいぐるみ。
あ、って思ったのは、それが僕のぬいぐるみの方だったから。ベッキョニがベッドに連れていったのは、僕の方のぬいぐるみだった。
心臓が、こそばゆく鳴り響く。
僕は机の上に飾っていた残されたベッキョンの方のぬいぐるみを連れてベッドへと上がった。
今日は上手く眠れるような気がする。
***
「……デくん?ジョンデくーん?」
「……はい!?」
どうしたの?と首をかしげるイシン先輩に、「えっ!?」と慌てて視線を向けた。
放課後の音楽室は僕のオアシスで、先輩は僕の栄養素だ。
でも先輩が栄養素なら、ベッキョンは水や空気や酸素で。そういう、呼吸するために必要なもので。
その重要度に違いなんてないはずなのに。
「悩み事?」
「いえ、大丈夫です!」
「大丈夫じゃないよ?」
最近上の空なこと多いし、と先輩は悲しそうに笑う。
どうしてそんな悲しそうな顔するんだろう。
そういえば、この前ベッキョニも悲しそうに笑ってたなぁなんて思い出して、万事が上手くいき始めていたはずなのに何故だか歯車が狂い始めてることに気がついた。
「……僕の妖精さんは飛びたくてウズウズしてるように見える」
「え……?」
「でもダメ。僕は意地悪だから」
先輩はそっと僕を抱き締めると、いつものように優しくキスをした。
その瞬間よみがったのは、ベッキョナの顔で。
チャンニョリと恋人みたいにキスしていたベッキョニの……悲しそうに笑う顔───
「あ……」
先輩を押しやったのは無意識のうちだった。
「……すみません」
「どうして謝るの?」
「だって……」
なんで?なんなの?
頭の中も、心の中も、ずっとモヤモヤと霧がかかっている。視界の悪いところでひとりぼっちで。手を伸ばしても何も掴めないみたいに心細くて、誰か助けてって心が叫んでいる。
助けて、誰か。
ベッキョナ、行かないで。
「すみません……!」
瞬間、僕は音楽室を飛び出していた。
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