Liner Notes
どうしてこうなったんだろう、と考えたことは僕の人生に於いて何度もあった。
今だってそうだ。
「すみません、気を使わせてしまって」
「いや、ジュンミョンからも連絡もらってるし俺たちは問題ないけど、ギョンスは大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫です」
「そうか。それならこの後も最後までよろしく頼むな」
撮影前に今回の映画の監督であるクリスに、昨夜発表された解散の件を話しに行くと、すでに事務所の社長であるジュンミョンから連絡がいっていたらしい。
そりゃそうか、と思い直す。
社長と監督は大学の同級生だったという話を聞いたことがある。
そもそも僕に演技をしてみないかと誘ったのもこの監督で。初めての出会いは、ビーグルズのデビュー曲のミュージックビデオを、社長が当時また駆け出しだったクリスに頼んで撮ってもらったのが最初だ。
それから数年後、映画を撮るからよかったらやってみないかと声をかけてもらったのが、あの『少年』という映画だった。
ビーグルズのターニングポイントにもなった映画。
その映画がヒットしてメディアに取り上げられるようになって、あちこちで俳優ドギョンスとしてインタビューを受けていた時も、『どうしてこうなったんだろう』と思っていた。
もっと言えば、ビーグルズとしてメジャーデビューしたときだって。
元来目立つことが好きではない自分が、どうしてこんな華やかな表舞台に立っているのだろうかと、ふと気がつくといつも考えている。
それでもバンドとしての活動も、俳優としての仕事も、与えられたものに不満なんかなかったし必要とされて評価されることにいつもありがたいと思っていたので、今の仕事を辞めたいと思ったことはない。
ただ、今思っている『どうしてこうなったんだろう』は、いつも思うそれとは違うことははっきりとしていた。
どうして、どうしてバンドが解散したというこんな日なのに僕はここで一人で演技の仕事をしてるんだろう……と。
僕は思えばいつも現状を把握するのに精一杯だった気がする。客観的に見てるようにみえて、その実、置いていかれないようにと必死だった。器用ではない自覚はあるので、人一倍努力して、そうしている内に景色が変化していることにいつも気づけなかった。
今だってそうだ。
気づいたら、目の前の景色が大きく変わっていた。
あの時、あの場所で、本当は何か言うべき事があったはずなのに。
「よーい!」カチンッ!
目の前で助監督のカチンコが鳴って、景色が一気に切り替わる。
僕の頭はチャンネルを切り替えるみたいに存在しない別の誰かへとチューニングされ、ドギョンスとしての不馴れな一人の俳優に様変わりする。
別の誰かを演じるのは楽しかった。自分の内面にある孤独や狂気や、そうした鬱々としたものを吐き出したとしても、それは自分ではないと言い張れたから。
普段の鈍感で不器用で無愛想な自分を、少しだけ偽ることができたから。だから僕は演技の世界へとのめり込んでいったのかもしれない。
それに、ひとつの映画を作ることと、ひとつの曲を作るとこは似てるような気がした。みんなでひとつのものを作り上げていく快感、興奮、歓喜。僕の欲望が音楽以外でも満たせることに気づいたとき、少しだけ悲しいような気がしたし、バンドのみんなを真正面から見れなくなった気がした。
ビーグルズを解散に追い込んだのは、もしかすると僕だったのかもしれない。
「あの、監督……」
「ん?なんだ?」
「僕は、間違えたんでしょうか?」
今日の分が撮り終わって監督が席から立ち上がったのを見て、僕は監督に問いかけた。
無駄にスタイルのいい監督を見上げながら、頭の中の靄を剥いでいく。
監督は僕の目をじっと見て、それからふわりと笑った。
「いや、何も間違えちゃいないよ」
「そうですか……」
「あぁ、安心しろ。お前は何も間違えちゃいない」
そう言って、監督は僕の頭に手を乗せ、ぽんぽんと撫でた。その手はとても優しくて、僕は動くことができなかった。
この監督はいつもそうだ。
僕の迷いを魔法のように消してくれる。
僕はただ俯いて指先の皮を弄った。弦を弾くために固くなったそれ。
ジョンデやチャニョルやベッキョンの顔が脳裏を掠める。
***
「お前、ベース弾けんの?」
楽器屋さんの雑誌コーナーでベースの練習用の教本を探していたとき、不躾に声をかけてきたのがベッキョンだった。
「うち今ベース探してんだよねぇ。よかったら合わせてみない?」
「はい……?」
人見知り全開の目線で返しても何のその。
ベッキョンは驚異的な馴れ馴れしさで強引に話を進めて。一回だけ合わせてみようよ、という誘いに気付いたら頷いていたのが始まりだ。
合わせたら合わせたで「いいじゃん!いいじゃん!」って騒いで、「俺気に入ったからいいよね?」ってチャニョルとイシンヒョンに振れ回って。
そう、あの時も『どうしてこうなったんだろう』って思っていたっけ。
ベースの音色が好きだった。心臓が痺れるみたいな。太く固い弦も、言うことを聞いてくれない頑固なところが自分と似ているような気がしたし。チャニョルはよく、うねるような独特のもっさりとした重みがギョンスっぽくて好きだと言っていた。そのベースをいかせるような曲を作りたいって。
そうやって誉められることが僕は何よりも嬉しかった。
そういえば最近、ベース触ってないな。
タクシーに乗ってマンションに着いた頃、マネージャーのミンソクから着信が入った。
「もしもし……」
「あぁ、ギョンス。もう家か?」
「はい」
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「今日、一緒に現場に行けなくて悪かったな」
「いえ、僕は大丈夫です。社長から監督へ連絡が行っていたみたいですし」
「そうか。ならいいけど、大変なときはいつでも言えよ?俺はギョンスのマネージャーでもあるんだからな」
「ありがとうございます」
「いや、俺が言うのもなんだけど、あまり無理するなよ」
「はい。ヒョン、ご迷惑お掛けして……すみません」
「はは!今日ベッキョンも同じこと言ってたよ」
ミンソクはいつもと変わらない少し高い声で笑って、残りの撮影も頑張れよ、とエールを贈ってくれた。
僕は電話を切ると台本を開いて明日の撮影分をさらいながら、ビーグルズじゃなくなった僕はこのまま俳優としてやっていくんだろうか、とぼんやりと思った。
ステージを照らす暑い照明を思い出す。
観客のうねるような熱気を。
揺れるステージとアンプから溢れる振動を。
派手で華やかなチャニョルのドラムとベッキョンのギターソロ、突き抜けるジョンデのボーカル。それらを支えるのが好きだった。ビーグルズという名前に相応しい賑やかで華やかなバンド。
過ぎてしまったことを考えるのはあまり得意ではない。
それでも考えずにはいられないくらい、確かにそれは僕の一部だった。
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