キム四兄弟の話
バイトが休みの日、僕はジョンインと二人でソギヒョンのアパートへ出向いて荷造りの手伝いをした。
ところで、ソギヒョンの綺麗好きは家族の間ではあまりにも有名だったんだけど、僕たちは若干呆れてしまったのだ。要するにただ箱に詰めていけばいいというほど片付いていたから。
ちなみにミョニヒョンの方は、部屋中ひっくり返したみたいに散らかってるので、いつもソギヒョンに怒られている。
「ヒョン、荷造りするの簡単すぎてすぐ終わっちゃいそうなんだけど……」
せっかく楽しいことを見つけたのにと言わんばかりのジョンインは、ソギヒョンに向かってブーブーと文句を言っている。
「はは!じゃあジュンミョンのとこでも行けばいいだろ?」
「あはははは!そうだよ、やりがいあるんじゃない?」
「はぁ~?あり得ないし……」
膨れっ面をしながら段ボールの底にガムテープを貼っていくジョンインを見ながら、僕とソギヒョンは顔を見合わせて笑った。きっと今頃くしゃみでもしてるかもしれない。
「じゃ、残りは明日、一気にやっちゃおう」
「うん!トラックって明日何時に来るの?」
「えっと、確か1時だと思う」
日曜日の明日は、ソギヒョンの会社から軽トラを借りて一気に運んでしまう計画をしているのだ。
「ミョニヒョンも来るって?」
「あぁ、昨日連絡来てたよ」
「絶対足手まといにしかならないと思うけど」
「あはは!ニニ、それ本人の前で言うなよ?へそ曲げるから」
僕らはその晩、ソギヒョンのアパートに最初で最後のお泊まりをした。僕とジョンインがヒョンのベッドにくっついて寝て、ヒョンはその横に掛け布団を適当に敷いて寝た。
こんなふうに川の字みたいに寝るのもたまにはいいかもしれない、なんて大きくなったジョンインを横目に僕は目を閉じた。
ソギヒョンの早起き癖は、実家にいた頃と変わらないらしい。ヒョンがいた頃、誰よりも早く起きて朝食の準備をしてくれていたのは、他でもなくこのソギヒョンだった。
トーストとスクランブルエッグと牛乳。
これがヒョンの朝食セットだけど、引っ越し当日の今日はさすがにそんなわけにはいかなかったのか、コンビニのタマゴサンドとパック牛乳が3つテーブルに置いてあった。
「ヒョン、おはよう」
「あぁ起きたか?」
「うん」
ニニはまだ寝てるけど、と言いながら気持ち良さそうに寝てるジョンインのお尻をペチンと叩く。
「ニニ!朝だよ!」
「う~ん……」
末っ子の寝起きの悪さはピカイチだ。
早くご飯を食べて荷造りの仕上げをしなきゃいけないっていうのに。
「仕方ない……最終兵器だ!」
そう言って僕は腕まくりすると、ソギヒョンはぎょっとした顔で僕を見た。
僕はソギヒョンに向かってニヤリと笑顔を浮かべる。それから、
「おりゃ~!!!!!」
勢いよくジョンインの脇腹に襲いかかった。
ぎゃあぎゃあと騒ぎながらソギヒョンのベッドの上を転がりまわるジョンインに僕も容赦なく襲い掛かる。
「コラッ!早く起きろ!!」
「やだ!!やめろってばぁ!!!」
そんな僕らを見て、ソギヒョンは笑いながら朝ごはんを食べていた。
「朝っぱらから騒がしいなぁ」
呆れながらドアの横に立ってたのは、昨日さんざん噂話をしたあの人だ。
「ジュンミョナ、」
「あぁ、おはよう」
「ヒョン!!早かったね!」
「おはよう」
ソギヒョンの狭いアパートに男が四人も居るとやっぱり何だか狭苦しい気がする。
だけどまぁ、とにかく僕らはリサイクル業者さんが来る前に頑張って最後の荷造りをした。
案の定、「実家だからそんなに大した荷物も無いんだけどなぁ」と、弟勢揃いの様子を見てソギヒョンは苦笑を漏らした。
午後にはソギヒョンの会社の人が軽トラを持ってきてくれたので、それにみんなで荷物を運んだ。ソギヒョンが運転して、助手席にはニニが座る。
僕とミョニヒョンはリサイクル業者さんの到着を待つことになったので、このまま二人で留守番だ。
「なぁ、チェナ」
「んー?」
近所のコーヒーショップでアイスコーヒーをテイクアウトしてソギヒョンのアパートに戻る道すがらミョニヒョンは僕に問いかけた。
「ミンソギが帰ってくるの嬉しい?」
「うん、もちろんだけど?」
「ふーん……そっかぁ……」
ミョニヒョンは少しだけ淋しそうな横顔を見せた。
僕は何となく気づいていたんだ。ソギヒョンが惑星堂を継ぐと言った日からミョニヒョンがちょっとだけ寂しそうにしているのを。
だから今日だって朝が苦手なのにも関わらず早朝から手伝いに来てたし、僕がバイトの日もわざわざ仕事を早く切り上げてきて実家に寄ってくれているんだ。
「……くふふ」
「なに?」
「ヒョン、実はヒョンも帰ってきたいんでしょ?」
「……え?」
僕がそう言うと、ヒョンは少しだけ赤く頬を染めた。
ミョニヒョンは昔から優秀だ。
兄弟の中でも明らかに一人だけ頭の出来が違っていて、父さんやソギヒョンはいつもミョニヒョンの成績を褒めていたし、僕やジョンインが勉強を教わるのはいつもミョニヒョンだった。だからというわけではないけど、ミョニヒョンは兄弟の中で誰よりも優等生なタイプで。そういう意味では、いつも少しだけ特別だった。
僕らはミョニヒョンの勉強の邪魔だけはしちゃいけなかったし、ソギヒョンが家計のために就職すると言ってそれを聞いたミョニヒョンが自分も就職すると言ったときもミョニヒョンだけは大学に行けとみんなで迫った。そしてそういうみんなが期待したものに対して、ミョニヒョンはいつも従順だった。
だから今だって、みんなミョニヒョンだけは仕事を辞めてはいけないと思っている。惑星堂を再開するために兄弟が力を合わせているこんなときでさえも。
だってそれは、いつも教師という仕事が楽しいと言っているから。ずっと学校の先生になりたいと言っていたのを知っているから。
僕はきっとミョニヒョンの一番最初の教え子だった。だから僕は知っているんだ。
ミョニヒョンはいつだって僕の自慢のヒョンだ。
「ふふ……ヒョンも帰ってきてもいいよ」
「は?」
「だってキム家は四兄弟じゃん!ソギヒョンには僕がお願いするから、ヒョンも帰ってきなよ」
「な、なに言ってんだよ……!第一寝る場所だってないだろ」
「そんなの、どうにでもなるって」
「どうにでもって……!」
照れくさそうに叫ぶミョニヒョンを置いて、僕は笑いを噛み締めながらソギヒョンのアパートのドアを開けた。
リサイクル業者を見送って実家に帰ると、ソギヒョンとジョンインが父さんの寝室の整理をしていた。ソギヒョンの部屋はここになるのだ。
わが家は、1階が惑星堂、2階がリビング、3階に8帖の寝室と6帖の子供部屋が2部屋という造りだ。それを僕ら子供たちの成長に合わせてみんなでシャッフルしながら使っていて、ミョニヒョンが大学生の頃は僕とニニが二人で8帖間を使ったりしていたんだけど、今は6帖間を僕とニニがそれぞれ個室として使っているので、ソギヒョンは必然的に父さんの部屋となった。
「あー!ちょっとこれ見て!」
父さんの荷物を片づけていると、ミョニヒョンが声を上げた。
「なになに!?」
「これ!父さんと母さんの写真」
「わっ!本当だ!若いーー!!!」
新婚時代か、はたまた結婚前か。
若かりし頃の二人が色あせた写真の中で並んでいる。
僕は母さんの記憶がほとんどないし、ジョンインに至ってはまったく覚えていないので、僕らにとっての母は遺影の中で笑っている姿がほとんどだ。アルバムはあっても母さんの写真を見ようとするとそこには必ず上三人が映っているので、末っ子を思うとほとんどアルバムを開けなかった。だから、遺影じゃない母さんは久しぶりだ。
「こうやって今見るとさぁ、ソギヒョンにちょっと似てるね」
「そう?」
「うん、目元とか、ほっぺたとか」
「あぁー、確かにそうかもね」
僕らは、ヒョンの横に母さんの写真を並べて見比べた。
「ねぇ、母さんってどんなだった?」
不意にジョンインが口を開く。
ジョンインが母さんのことを口にする事はあまりなかったので、驚いて思わずみんなで見やると、ジョンインは照れくさそうに「なに?」と口を尖らせた。
「う~んとねぇ、」
ミョニヒョンが懐かしそうに話し始める。
「明るくて、楽しい人だったよ。寡黙な父さんとは正反対。おっちょこちょいで、いつもみんなで笑ってたかな」
ニニが生まれてくるのもすごく楽しみにしてたしね、とミョニヒョンはジョンインの頭を撫でると、ジョンインは擽ったそうに頬を染めた。
「あ、本が好きだったところは、ニニが一番似たな」
ソギヒョンが思い出したように言うと、ミョニヒョンも「そうかも」と笑った。
「え?本好きなのって、父さんじゃないの?」
「ニニ、オヤジが本読んでるの見たことある?」
「そういえばないかも……」
「だろ?」
「でも父さんの部屋に本いっぱいあったからてっきり……」
「はは!これは全部母さんの形見の本だよ」
「なんだ、そうなんだ」
へぇ、なんて言いながら、ジョンインは照れくさいのか並んでいた母さんの本を手に取ってパラパラと捲りはじめた。僕らはそんな後姿を見てくすくすと笑った。
ジョンインは末っ子のくせに今じゃ一番背も高くて、見た目は一番父さんに似ている。しかも本が好きなのは母さん似で。上手に両親のDNAを引き継いでいるニニを見て、僕は少しだけ羨ましくなった。僕はどっちにも中途半端だ。
「あ!そういえば!」
再開された片づけの手を止めて、僕は盛大に声を上げた。
「なんだよ、大きな声で」
ミョニヒョンが迷惑そうに僕を見る。
僕はそんなミョニヒョンを見て、ニヤリと笑った。
「ミョニヒョンも一緒に住みたいって!」
「……おい!ジョンデ!!!」
ミョニヒョンは焦ったのか、思わず僕の本名を叫んだ。
「あはは!ジョンデだって!」
ニニが腹を抱えて笑っている。
「そうなの?」
ソギヒョンが驚いたように目をパチパチと見開いた。
うんうん、と僕が何度も頷くと、ミョニヒョンは都合が悪そうに「別にそんなこと言ってないだろ」と口を尖らす。
うちは兄弟が多いせいか、ヒョンたちは就職すると二人とも一人暮らしを始めた。そのおかげで僕やニニも今個室を使えているんだけど。ソギヒョンが戻ってくるとなると、一人だけ一人暮らしのヒョンは寂しいに決まっているんだ。それがミョニヒョンとあらば尚のこと。
「別にいいじゃん、帰ってくれば」
「そうだよ」
「いや、でも……部屋ないし……」
「俺、またチェンヒョンと二人でこの部屋使ってもいいよ」
「えー!」
「ほら、どうせチェニはそう言うだろ?」
「あはは!嘘だって!良いよ、ニニと同じ部屋でも」
「どうする?戻るなら今日一緒に部屋動かしちゃうけど」
「え?今決めるの!?」
「うん」
即決しろと迫るソギヒョンに、ミョニヒョンは何やらブツブツ言っていたけど、結局呆れたソギヒョンに「決定ね」と念を押され、僕とジョンインも部屋を移動することになった。
考えてみれば、僕とジョンインはジョンインが生まれた時から10年以上、僕が高1の頃までずっと同じ部屋を使っていた。だからまぁ、気にならないと言えば気にならないし、そんなことより兄弟がまた4人一緒に住めるようになることの方が嬉しかったりするから、僕も大概ブラコンなんだな、なんて。
父さんが遺してくれたものは、このお店と兄弟の絆……なんちゃって!
そんなこんなで、父さんが亡くなってから早1ヶ月。
ソギヒョンは引き継ぎが終わったのか会社を辞めて、本格的に惑星堂再開に向けて準備を始めた。
「帰ってきたらさ、カウンターの中にソギヒョンがいるんだ!」
そう言って嬉しそうに笑みをこぼしたのは、他でもなく末っ子ジョンインだ。
「そっか、そうだね。やっぱりカウンターの中には人がいなくちゃだ!」
「うん、俺もそう思う」
香ばしい豆の香りと、レコードプレイヤーから薄く流れるBGM。
それが、僕らにとっての父さんの記憶。
そして家族の絆。
「ヒョン、そのコーヒー味見してもいい?」
「ん?あぁ、いいよ」
ソギヒョンはカウンターの奥にセットした水出しコーヒーを氷の入ったグラスに注いでくれる。
「ニニは?」
「いらなーい」
喫茶店の息子の癖に、いつまでたってもコーヒーの苦手なジョンイン。カフェオレにしてやるよ、と笑うソギヒョン。
今は中学校で数学を教えてるミョニヒョンももうすぐ帰ってくる。
ほろ苦いコーヒーは喉の奥を擽って、まるでソギヒョンのように優しく胃に落ちた。ほっ、と一息つくには最適な、父さん譲りの腕前。カウンターの奥に並んだサイフォンをカチャカチャと揺するヒョンを見て僕はコーヒーを飲み干した。
「さ、僕晩ご飯の仕度してくるね!」
「手伝う?」
「邪魔するからいらない」
「ケチー」
ジョンインとじゃれあって、笑い声を聞きながらリビングへと上がっていく。
今日はみんな大好きな唐揚げにしよう。
冷蔵庫の中身に思いを馳せて階段を踏みしめた。
キム家の四兄弟は、今日も元気です!
つづく?
ところで、ソギヒョンの綺麗好きは家族の間ではあまりにも有名だったんだけど、僕たちは若干呆れてしまったのだ。要するにただ箱に詰めていけばいいというほど片付いていたから。
ちなみにミョニヒョンの方は、部屋中ひっくり返したみたいに散らかってるので、いつもソギヒョンに怒られている。
「ヒョン、荷造りするの簡単すぎてすぐ終わっちゃいそうなんだけど……」
せっかく楽しいことを見つけたのにと言わんばかりのジョンインは、ソギヒョンに向かってブーブーと文句を言っている。
「はは!じゃあジュンミョンのとこでも行けばいいだろ?」
「あはははは!そうだよ、やりがいあるんじゃない?」
「はぁ~?あり得ないし……」
膨れっ面をしながら段ボールの底にガムテープを貼っていくジョンインを見ながら、僕とソギヒョンは顔を見合わせて笑った。きっと今頃くしゃみでもしてるかもしれない。
「じゃ、残りは明日、一気にやっちゃおう」
「うん!トラックって明日何時に来るの?」
「えっと、確か1時だと思う」
日曜日の明日は、ソギヒョンの会社から軽トラを借りて一気に運んでしまう計画をしているのだ。
「ミョニヒョンも来るって?」
「あぁ、昨日連絡来てたよ」
「絶対足手まといにしかならないと思うけど」
「あはは!ニニ、それ本人の前で言うなよ?へそ曲げるから」
僕らはその晩、ソギヒョンのアパートに最初で最後のお泊まりをした。僕とジョンインがヒョンのベッドにくっついて寝て、ヒョンはその横に掛け布団を適当に敷いて寝た。
こんなふうに川の字みたいに寝るのもたまにはいいかもしれない、なんて大きくなったジョンインを横目に僕は目を閉じた。
ソギヒョンの早起き癖は、実家にいた頃と変わらないらしい。ヒョンがいた頃、誰よりも早く起きて朝食の準備をしてくれていたのは、他でもなくこのソギヒョンだった。
トーストとスクランブルエッグと牛乳。
これがヒョンの朝食セットだけど、引っ越し当日の今日はさすがにそんなわけにはいかなかったのか、コンビニのタマゴサンドとパック牛乳が3つテーブルに置いてあった。
「ヒョン、おはよう」
「あぁ起きたか?」
「うん」
ニニはまだ寝てるけど、と言いながら気持ち良さそうに寝てるジョンインのお尻をペチンと叩く。
「ニニ!朝だよ!」
「う~ん……」
末っ子の寝起きの悪さはピカイチだ。
早くご飯を食べて荷造りの仕上げをしなきゃいけないっていうのに。
「仕方ない……最終兵器だ!」
そう言って僕は腕まくりすると、ソギヒョンはぎょっとした顔で僕を見た。
僕はソギヒョンに向かってニヤリと笑顔を浮かべる。それから、
「おりゃ~!!!!!」
勢いよくジョンインの脇腹に襲いかかった。
ぎゃあぎゃあと騒ぎながらソギヒョンのベッドの上を転がりまわるジョンインに僕も容赦なく襲い掛かる。
「コラッ!早く起きろ!!」
「やだ!!やめろってばぁ!!!」
そんな僕らを見て、ソギヒョンは笑いながら朝ごはんを食べていた。
「朝っぱらから騒がしいなぁ」
呆れながらドアの横に立ってたのは、昨日さんざん噂話をしたあの人だ。
「ジュンミョナ、」
「あぁ、おはよう」
「ヒョン!!早かったね!」
「おはよう」
ソギヒョンの狭いアパートに男が四人も居るとやっぱり何だか狭苦しい気がする。
だけどまぁ、とにかく僕らはリサイクル業者さんが来る前に頑張って最後の荷造りをした。
案の定、「実家だからそんなに大した荷物も無いんだけどなぁ」と、弟勢揃いの様子を見てソギヒョンは苦笑を漏らした。
午後にはソギヒョンの会社の人が軽トラを持ってきてくれたので、それにみんなで荷物を運んだ。ソギヒョンが運転して、助手席にはニニが座る。
僕とミョニヒョンはリサイクル業者さんの到着を待つことになったので、このまま二人で留守番だ。
「なぁ、チェナ」
「んー?」
近所のコーヒーショップでアイスコーヒーをテイクアウトしてソギヒョンのアパートに戻る道すがらミョニヒョンは僕に問いかけた。
「ミンソギが帰ってくるの嬉しい?」
「うん、もちろんだけど?」
「ふーん……そっかぁ……」
ミョニヒョンは少しだけ淋しそうな横顔を見せた。
僕は何となく気づいていたんだ。ソギヒョンが惑星堂を継ぐと言った日からミョニヒョンがちょっとだけ寂しそうにしているのを。
だから今日だって朝が苦手なのにも関わらず早朝から手伝いに来てたし、僕がバイトの日もわざわざ仕事を早く切り上げてきて実家に寄ってくれているんだ。
「……くふふ」
「なに?」
「ヒョン、実はヒョンも帰ってきたいんでしょ?」
「……え?」
僕がそう言うと、ヒョンは少しだけ赤く頬を染めた。
ミョニヒョンは昔から優秀だ。
兄弟の中でも明らかに一人だけ頭の出来が違っていて、父さんやソギヒョンはいつもミョニヒョンの成績を褒めていたし、僕やジョンインが勉強を教わるのはいつもミョニヒョンだった。だからというわけではないけど、ミョニヒョンは兄弟の中で誰よりも優等生なタイプで。そういう意味では、いつも少しだけ特別だった。
僕らはミョニヒョンの勉強の邪魔だけはしちゃいけなかったし、ソギヒョンが家計のために就職すると言ってそれを聞いたミョニヒョンが自分も就職すると言ったときもミョニヒョンだけは大学に行けとみんなで迫った。そしてそういうみんなが期待したものに対して、ミョニヒョンはいつも従順だった。
だから今だって、みんなミョニヒョンだけは仕事を辞めてはいけないと思っている。惑星堂を再開するために兄弟が力を合わせているこんなときでさえも。
だってそれは、いつも教師という仕事が楽しいと言っているから。ずっと学校の先生になりたいと言っていたのを知っているから。
僕はきっとミョニヒョンの一番最初の教え子だった。だから僕は知っているんだ。
ミョニヒョンはいつだって僕の自慢のヒョンだ。
「ふふ……ヒョンも帰ってきてもいいよ」
「は?」
「だってキム家は四兄弟じゃん!ソギヒョンには僕がお願いするから、ヒョンも帰ってきなよ」
「な、なに言ってんだよ……!第一寝る場所だってないだろ」
「そんなの、どうにでもなるって」
「どうにでもって……!」
照れくさそうに叫ぶミョニヒョンを置いて、僕は笑いを噛み締めながらソギヒョンのアパートのドアを開けた。
リサイクル業者を見送って実家に帰ると、ソギヒョンとジョンインが父さんの寝室の整理をしていた。ソギヒョンの部屋はここになるのだ。
わが家は、1階が惑星堂、2階がリビング、3階に8帖の寝室と6帖の子供部屋が2部屋という造りだ。それを僕ら子供たちの成長に合わせてみんなでシャッフルしながら使っていて、ミョニヒョンが大学生の頃は僕とニニが二人で8帖間を使ったりしていたんだけど、今は6帖間を僕とニニがそれぞれ個室として使っているので、ソギヒョンは必然的に父さんの部屋となった。
「あー!ちょっとこれ見て!」
父さんの荷物を片づけていると、ミョニヒョンが声を上げた。
「なになに!?」
「これ!父さんと母さんの写真」
「わっ!本当だ!若いーー!!!」
新婚時代か、はたまた結婚前か。
若かりし頃の二人が色あせた写真の中で並んでいる。
僕は母さんの記憶がほとんどないし、ジョンインに至ってはまったく覚えていないので、僕らにとっての母は遺影の中で笑っている姿がほとんどだ。アルバムはあっても母さんの写真を見ようとするとそこには必ず上三人が映っているので、末っ子を思うとほとんどアルバムを開けなかった。だから、遺影じゃない母さんは久しぶりだ。
「こうやって今見るとさぁ、ソギヒョンにちょっと似てるね」
「そう?」
「うん、目元とか、ほっぺたとか」
「あぁー、確かにそうかもね」
僕らは、ヒョンの横に母さんの写真を並べて見比べた。
「ねぇ、母さんってどんなだった?」
不意にジョンインが口を開く。
ジョンインが母さんのことを口にする事はあまりなかったので、驚いて思わずみんなで見やると、ジョンインは照れくさそうに「なに?」と口を尖らせた。
「う~んとねぇ、」
ミョニヒョンが懐かしそうに話し始める。
「明るくて、楽しい人だったよ。寡黙な父さんとは正反対。おっちょこちょいで、いつもみんなで笑ってたかな」
ニニが生まれてくるのもすごく楽しみにしてたしね、とミョニヒョンはジョンインの頭を撫でると、ジョンインは擽ったそうに頬を染めた。
「あ、本が好きだったところは、ニニが一番似たな」
ソギヒョンが思い出したように言うと、ミョニヒョンも「そうかも」と笑った。
「え?本好きなのって、父さんじゃないの?」
「ニニ、オヤジが本読んでるの見たことある?」
「そういえばないかも……」
「だろ?」
「でも父さんの部屋に本いっぱいあったからてっきり……」
「はは!これは全部母さんの形見の本だよ」
「なんだ、そうなんだ」
へぇ、なんて言いながら、ジョンインは照れくさいのか並んでいた母さんの本を手に取ってパラパラと捲りはじめた。僕らはそんな後姿を見てくすくすと笑った。
ジョンインは末っ子のくせに今じゃ一番背も高くて、見た目は一番父さんに似ている。しかも本が好きなのは母さん似で。上手に両親のDNAを引き継いでいるニニを見て、僕は少しだけ羨ましくなった。僕はどっちにも中途半端だ。
「あ!そういえば!」
再開された片づけの手を止めて、僕は盛大に声を上げた。
「なんだよ、大きな声で」
ミョニヒョンが迷惑そうに僕を見る。
僕はそんなミョニヒョンを見て、ニヤリと笑った。
「ミョニヒョンも一緒に住みたいって!」
「……おい!ジョンデ!!!」
ミョニヒョンは焦ったのか、思わず僕の本名を叫んだ。
「あはは!ジョンデだって!」
ニニが腹を抱えて笑っている。
「そうなの?」
ソギヒョンが驚いたように目をパチパチと見開いた。
うんうん、と僕が何度も頷くと、ミョニヒョンは都合が悪そうに「別にそんなこと言ってないだろ」と口を尖らす。
うちは兄弟が多いせいか、ヒョンたちは就職すると二人とも一人暮らしを始めた。そのおかげで僕やニニも今個室を使えているんだけど。ソギヒョンが戻ってくるとなると、一人だけ一人暮らしのヒョンは寂しいに決まっているんだ。それがミョニヒョンとあらば尚のこと。
「別にいいじゃん、帰ってくれば」
「そうだよ」
「いや、でも……部屋ないし……」
「俺、またチェンヒョンと二人でこの部屋使ってもいいよ」
「えー!」
「ほら、どうせチェニはそう言うだろ?」
「あはは!嘘だって!良いよ、ニニと同じ部屋でも」
「どうする?戻るなら今日一緒に部屋動かしちゃうけど」
「え?今決めるの!?」
「うん」
即決しろと迫るソギヒョンに、ミョニヒョンは何やらブツブツ言っていたけど、結局呆れたソギヒョンに「決定ね」と念を押され、僕とジョンインも部屋を移動することになった。
考えてみれば、僕とジョンインはジョンインが生まれた時から10年以上、僕が高1の頃までずっと同じ部屋を使っていた。だからまぁ、気にならないと言えば気にならないし、そんなことより兄弟がまた4人一緒に住めるようになることの方が嬉しかったりするから、僕も大概ブラコンなんだな、なんて。
父さんが遺してくれたものは、このお店と兄弟の絆……なんちゃって!
そんなこんなで、父さんが亡くなってから早1ヶ月。
ソギヒョンは引き継ぎが終わったのか会社を辞めて、本格的に惑星堂再開に向けて準備を始めた。
「帰ってきたらさ、カウンターの中にソギヒョンがいるんだ!」
そう言って嬉しそうに笑みをこぼしたのは、他でもなく末っ子ジョンインだ。
「そっか、そうだね。やっぱりカウンターの中には人がいなくちゃだ!」
「うん、俺もそう思う」
香ばしい豆の香りと、レコードプレイヤーから薄く流れるBGM。
それが、僕らにとっての父さんの記憶。
そして家族の絆。
「ヒョン、そのコーヒー味見してもいい?」
「ん?あぁ、いいよ」
ソギヒョンはカウンターの奥にセットした水出しコーヒーを氷の入ったグラスに注いでくれる。
「ニニは?」
「いらなーい」
喫茶店の息子の癖に、いつまでたってもコーヒーの苦手なジョンイン。カフェオレにしてやるよ、と笑うソギヒョン。
今は中学校で数学を教えてるミョニヒョンももうすぐ帰ってくる。
ほろ苦いコーヒーは喉の奥を擽って、まるでソギヒョンのように優しく胃に落ちた。ほっ、と一息つくには最適な、父さん譲りの腕前。カウンターの奥に並んだサイフォンをカチャカチャと揺するヒョンを見て僕はコーヒーを飲み干した。
「さ、僕晩ご飯の仕度してくるね!」
「手伝う?」
「邪魔するからいらない」
「ケチー」
ジョンインとじゃれあって、笑い声を聞きながらリビングへと上がっていく。
今日はみんな大好きな唐揚げにしよう。
冷蔵庫の中身に思いを馳せて階段を踏みしめた。
キム家の四兄弟は、今日も元気です!
つづく?