半分の血
ピンポン、と古ぼけたチャイムが鳴ったのはそんなときだった。
こんな時間に誰だろうと玄関を開ければ、ドアの先。
それは今現れてはいけない人。
僕らを、瞬時に現実へと引き戻す、その人。
僕の大好きな、
「母さん……!」
電話したんだけど出ないから来ちゃった、と笑いながら玄関の先へ押し入る。
「あ、ちょっと……!」
慌てて腕を掴もうとしたけど、それはもう後の祭りで。
「ごめんなさい、お友だち?」
「あ、ああ!うん!そう友達!」
だからね、ごめん母さん!なんて言葉は母さんの声に掻き消される。
「ジョンイナ……?」
「え……」
「あなた、ジョンインでしょ?」
「あの……えっと……」
何が起きたのかわからず、ジョンインは慌てたように僕を見る。僕だってどうしていいかわからなくて、しどろもどろとしてるのに。
「大きくなったわね……ますますあの人にそっくりになって……」
ちょっと待って。
母さんはジョンインを知ってるの……?
どうして?
ジョンインは父さんの隠し子だよ?
思ってもない反応に頭が追い付かない。
「ジュニは元気?」
「え……」
「あなたのお母さんよ」
さらに反応に困る名前に、僕もジョンインも固まるしかなかった。
「あの……えっと……年明けに死にました」
ジョンインが呟くと、母さんは目を見開いた。
「うそ……」
「……あの、お袋のこと知ってるんですか?」
「もちろん。綺麗な人だったわ……」
みんな死んじゃうのね……、と呟く母は酷く悲しそうで。
どうしてそんな悲しそうな顔をするんだろう。
それは、勘のいい僕ですら考えの及ばないもので、頭の追い付かない僕らに母さんは更なる爆弾を落とす。
「ジュニはね、元々私の親友だったのよ」
「は……?」
「幼馴染みっていった方が早いかしら」
「でも……父さんの、愛人だったんでしょ?」
ちらりとジョンインを見やれば、酷く悲しそうな顔をしている。
お前が悪い訳じゃないんだ。
だからそんな顔しないで。
「愛人……そうね。一般的には」
「どういう意味……?」
そうね、と呟いて母さんは僕を見た。
「もうあなたも成人したんだから、本当のことを言うべきなのかしら」
「本当のこと……?」
少しの沈黙のあと、母さんはゆっくりと話始めた。
******
お母さんがお父さんと知り合ったのはアルバイト先の喫茶店だったのは知ってるわよね?一緒に働きはじめて仲良くなったんだけど、そこであの人を紹介されたの。お父さんの後輩。とても素敵な人でね、三人でよく遊んだわ。そうして自然な流れでお母さんはあの人と付き合い始めたのよ。それから間も無くして体調の変化に気づいて病院へ行ったら、妊娠していることが分かったの。嬉しくてすぐにあの人へ電話したわ。急いで帰りますからって。待っててくださいって、嬉しそうにはしゃいでいた。だから私はひたすらあの人のアパートであの人の帰りを待っていたんだけど。でもね、とうとうあの人は帰ってこなかったわ。帰りにトラックに轢かれて即死だって。私、意味が分からなくて。何日も泣き続けたわ。何日も何日も。とうとう泣き疲れて死のうとしたときお父さんが言ったのよ。あいつが残したこの子も殺すのかって。そしたらあの人の嬉しそうにはしゃいでた声が蘇って。結局死ぬこともできなくなったの。生きることも死ぬこともできなくて八方塞がりで。そんな中でもお腹だけはどんどん大きくなっていくし。それで見かねたお父さんが、俺がこの子の父親になるって。あいつの代わりになれるか分かんないけど、この子の親になりたいって言ったのよ。
「え、つまり……?」
「ふふ。あなたのお父さんは別な人なの」
「は……!?」
「言うつもりはなかったんだけどね」
え、ちょっと待ってよ。
まったくもって頭が追い付かない。
父さんは別の人?
あの優しかった父さんは、僕の父さんじゃなかったの!?
「じゃあ……じゃあジョンインは!?僕の弟じゃないの!?」
「うーん、そうね。血は繋がってないわね」
ふふふ、と笑う母さんに呆れて一気に力が抜けた気がした。マイペースもここまで来ると手に負えない。
「あの……俺は……」
ジョンインがそっと口を開く。
「あなたはもちろんあの人の子供よ。あの人とジュニの子供」
どう見たってそっくりじゃない。背格好も顔つきも。
ふふふ、と相変わらずのんびりと笑う母さんに呆れながら、僕らは話の続きを聞いた。
ジュニがお父さんと出会ったのは、あの人が死んでお母さんも死のうとしてたとき。親友だったジュニが心配してお見舞いに来てくれたのよ。そこで二人は出会ったの。その時はお母さんも自分のことで精一杯だったから気づかなかったけど、きっと二人はすでに惹かれあってたのね。お父さんと結婚して一年が経つ頃、二人で私の前に立ったわ。それで子供ができたから産むことを許してほしいって。バカみたいよね。こそこそと付き合っていたくせに、離婚してほしい、じゃなくて産むことを許して欲しいって言ったのよ?だから私、離婚しないならいいわよって言ったの。ジョンデの父親になるって言ったのはお父さんの方だから、父親を2回も失わせることはできないって。そしたら、それでもいいって言うから、じゃあ勝手にしたら?って言ったわ。酷い人間だと思われてもいいから、あの時私にはお父さんが必要だったのよ。愛し合ってる二人を簡単に引き離してしまえるくらいには。でも二人とも変なところで真面目だからそれで納得していたわ。誰が見ても悪いのは私なのにね。
「ごめんなさいね」と母さんはジョンインを見やる。
ジョンインはやっぱり複雑そうな顔をしていた。
「でもお父さんはあなたたち二人とも……二家族とも、とても愛していたと思うわ。だって血なんか繋がってないのに兄弟みたいに同じ文字付けてとても楽しそうに笑っていたもの」
名前は二人ともお父さんが付けたのよ、と母さんは小さく笑った。
「あの……お袋、死ぬ前に言ってたんです。とても幸せだったって。だから俺……」
「そう……よかった……」
母さんはぽつりと呟いた。
その表情は安堵のようにも見えて。きっと長い間心の凝りだったのかもしれない、なんて。
壊していたのはジョンインたち家族ではなく、僕ら親子だった。
知らなかったとはいえ、言葉が出ない。
そして、結局僕らの血は、繋がっていなかった。
ベッキョンは確か、僕らを見比べて似てるって言ってたっけ。
とにかく、僕らが惹かれあう理由は血ではなかったということだ。
ジョンインを見やれば、彼も複雑な表情を浮かべていた。
こうなってしまえば何もかも、もうこの世にはいない父さんのせいに思えて。混乱する頭の隅で僕は小さく悪態をついた。
「そういえば、どうしてあなたがここにいるの?」
今さらかよ、なんてツッコミはもはやこの母さんにとっては意味をなさない。
「お袋が、自分が死んだらヒョンを頼れって……」
「ふふふ、そう。あの子らしいわ」
とにかく、爆風のように撒き散らして母さんは帰っていった。
残された僕らは……
「僕ら、なんだったんだろうね……」
「うん……」
「ごめんな」
「ううん……」
「……あ!ごめんチキン冷めちゃった」
「あぁ、もー」
この時温め直したチキンの味を、僕は一生忘れないと思う。
よかったなんて言えないけれど、僕らはまたいつものように同じベッドで眠った。
「ヒョン、」
「なに……?」
「悪かったって思わないでね」
「……」
「前も言ったとおり、俺もお袋もちゃんと幸せだったから」
「うん……」
「何度もヒョンに謝られたら、悲しくなる」
「……うん」
僕には、僕らには。
それはどうしようもできない過去で。
僕の母さんとジョンインのお母さんと、僕らの父さん。それに僕の本当のお父さん。
複雑に絡まりあっていたそれは母親の「みんな死んじゃうのね」というあの一言のように、親たちにとってはもう過去の話なのかもしれない。
けれど息子たちは、今もこうしてひとつのベッドで身を寄せあう。
家族とか、兄弟とか、血とか。
それは何一つ僕らには当てはまらなくて。
結局残ったのは、ただの愛情ひとつだけだ。
「ジョンイナ、」
「なに?」
「……好きだよ、お前のこと。好きだから」
「うん……俺も。ヒョンが好き……」
それは酷く自然に紡ぎ出された言葉で。
向き合って、抱き締めあって、惹かれあう理由を探す。この体に流れる血は全く別のものだったけど、僕らが惹かれあったのはそういうものではなかったけれど、それよりももっと大事なものだったんだと思う。
目の前にあるのは、ジョンインという一人の男だけ。
血は繋がってないけれど、ジョンインはやっぱり今も可愛い僕の弟で。
血が繋がってないからこそ、僕の愛しい人なのかもしれない。
おわり
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ジョンインの母 ジュニ
ジョンデの母 レイ
二人の父 クリス
ジョンデの実父 チェン
という親世代の話をいつか書ければきっと楽しいかもしれないです笑
念願のキムジョン(義)兄弟、なんとか書けました(^^;