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半分の血


「キムジョンデ……さん?」
「そうですけど?」


突然現れた男は、僕の名前を確認すると「よかった」と言って抱きついてきた。


「え、誰!?なんですか!?」


道行く人はじろりと横目で見ていくし、なんならここはアパートの前だから2階の住人にも見られた。


「ヒョン、俺のこと分かんないの?」
「だから誰?」


ヒョンってことはまさか僕より年下!?


「本当に分かんないの?」


なんだか今にも泣きだしそうな瞳は、確かに幼く見えなくもない。
しかしその顔は、いくら人の顔を覚えるのが苦手な僕でも、何度見たところで知り合いにはいないように思った。

「すみません、僕ちょっと覚えてなくて……どっかでお会いしたことありましたか?」
「いや、会うのは……会うのは初めてだけど……」
「は……?」
「でもずっと知ってた。ヒョンだし」
「だから、ヒョンって……」


「だからぁ、ヒョンはヒョンじゃん」




ある日突然目の前に現れたのは、



半分だけ血の繋がった、弟でした。




「だからぁ、うちのお袋がこの前死んで俺行くとこなくなって。それでヒョンのこと思い出したんだよね」


キムジョンイン、と名乗るその男は、どうやら僕の弟らしかった。
差し出された写真には確かに僕の父が知らない女の人とそれから少し幼いキムジョンインと3人で写っている。
ちなみに父は3年前に亡くなっているけど、そんな話は聞いたことがない。

「とにかく入ってから話そう」と部屋へ促すと、ジョンインは大きな荷物を抱えて僕に続いた。



「えっと……ごめん、ちょっと混乱してて。君は知ってたかもしれないけどさぁ、僕は全然知らなかったし」
「あぁー、そっか」

じゃあ仕方ないね、とジョンインは簡単に納得してみせた。


この男が……僕の弟?

母さんは知ってるんだろうか。
半分だけ血が繋がっているということは、母親は違うわけで……


要するに、愛人の子……?



恐ろしい結論に、思わずひゅっと息を飲んだ。



「ヒョン?大丈夫?」
「……あ、あぁ、うん。で?今更……僕に何の用なんだよ」


思わず眉間に皺を寄せて怪訝に尋ねた。
だって、本妻の子である僕のもとに、愛人の子のお前が。仇討ちでもする?さっき母親が死んだって言ってたけど。お前らのせいで俺の母親は死んだんだ!とか?
言っておくけど僕は全く知らなかったんだから、恨むなら死んだ父を恨めばいいじゃん。なんて。


「あぁだから、さっき俺の母親が死んだって言ったじゃん?で、死ぬ前に言ってたんだ。何かあったらヒョンを頼れって。だから」

「は?……なにそれ。勝手に頼られても困るんだけど」
「まぁ、いいじゃん。血を分けた二人きりの兄弟なんだから」


あはは、って笑う顔は確かにどこか父を思い起こさせるものだった。



血を分けた、か。




*****


その男は、弟だという理由で勝手に居着いた。

2つ下のジョンインは春に高校を卒業したばかりだという。大学は?と聞くと、お金もないし元々行くつもりもなかったからと言っていた。


「ヒョンだって行ってないじゃん」
「僕はほら、高3のときに父親死んじゃったし……」
「あぁ、そっか」

もう3年前だっけ、とジョンインが呟くので、うん、と頷いた。

「そう言えば、葬式に来てないよね?」
「あぁ、まぁ……さすがに愛人と隠し子がのこのこ出てくわけにはいかないでしょ」
「そうだけど……」


彼にとっても、父は父だったはずで。

そんな風に思えるくらいには、僕もジョンインを弟だと思い始めているのだろうか。
一緒に暮らしていた僕よりも、彼は父に似ていた。目鼻立ちもそうだけど、ふとした仕草や表情が、一緒に暮らしていた僕よりも似ていたんだ。
それは妙な嫉妬のようにも思えたし、父を通して兄弟なのだと認めざるを得ないようにも思った。


「僕のとこには来たじゃん」


嫌味を滲ませて言えば、ジョンインは可笑しそうに片方の口角をつり上げた。

ほら、そうやって笑う仕草も───



「だってうちのお袋、俺のこと産む時じいちゃんばあちゃんに勘当されてるから他に頼れる人いないし」


そりゃそうだろ、なんて。
どこに愛人でいることを許す親がいるんだ。


「さ、寝るよ」


僕は電気を消してベッドへと潜り込んだ。
並べるように床に敷いてある布団から「おやすみ」と呟くジョンインの声が聞こえた。



ジョンインの朝は早い。
ここに住み着きはじめてから始めた近所のパン屋でのバイトは、仕込みがあるとかで僕が起き出す頃にはもう出勤している。
意外と真面目に働いてるので驚いたくらい。
本人曰く、手先は器用らしい。そんなところも父親譲りで呆れた。


ジョンインが出勤したあとの部屋で、僕は毎朝のんびりとトーストをかじってコーヒーを飲む。
なにも変わらない風景なはずなのに、ジョンインが持ってきた荷物の山や畳まれた布団を見て、確かに変わったのだと不思議な感覚に陥る。
けれど、その感覚もいつの間にか馴染んだ風景になっていた。



母さんには言っていない。
どの口でそんなことが言えるんだ。
たまに来る電話に「変わりないよ」と答えるときだけは、妙に心地が悪かった。

隠し事も、その内容も。
いつも優しく笑う母さんを裏切ってるようにしか思えなかったから。



****


「ただいまー」
「あ、おかえり」


朝が早いジョンインはその分帰りが早いので、僕が帰ってくるといつも晩ご飯を作って待っていてくれる。
湯気が立ち上る家に帰ってくるのは、やっぱりいいなと思った。
ご飯だけじゃない。掃除も洗濯も。ジョンインは本当に器用にこなしていた。慣れてるね、と言うと「母子家庭のさだめじゃない?」なんて笑うので、僕は思わず言葉に詰まった。


「ヒョン、俺ね。自分を不幸だと思ったことないよ」
「え……?」
「そりゃあ色々大変だったけど親父はちゃんと定期的に来てくれてたし、まぁこの歳で両親とも他界しちゃったけど。でもほら、ヒョンがいるし」
「僕……?」
「うん、いつも親父から話聞いてたし、写真も見せてもらってたから。ずっと会いたいって思ってた。会ったことなくても自分にはヒョンがいるんだって思ったら独りじゃないような気がしてたから」

だからヒョンに会ったときすごく嬉しかったんだ、とジョンインは恥ずかしそうに目を細めて笑った。


僕はずっと知らなかった。
今さら弟だなんて言われたって……

確かにジョンインとの生活には慣れてきたかもしれないけど、弟との生活にはやっぱり慣れない。

父に似たその人は確かに弟なのかもしれないけど、20年以上ひとりっ子だった僕は兄の仕方がわからないんだ。





******

「ねぇ、ベッキョナー」
「んー?」
「お前のヒョンってどんな感じ?」
「は?」
「だからー、ヒョンって弟にどんな感じで接するのかって聞いてるの」


高校時代の親友に兄がいたことを思い出して、久しぶりの休みに遊ぼうと声をかけた。


「どんなって言われてもなぁ……うちは年離れてるから結構なんでも言うこと聞いてくれるかなぁ」
「ふーん。面倒みたり?」
「まぁ。今は働いてるからあれだけど、昔はよく遊びにも連れてってくれたし、小遣いとかもくれたかなぁ」
「ふーん……」
「なに?」

兄弟でも出来た?なんてベッキョンが笑いながら言うので、僕は「うん」と頷いた。

「……は?」

「だから、兄弟できたの」
「え?いやいや、お前の母ちゃんいくつだよ!再婚でもすんの!?」
「なわけないじゃん」
「だよな!ビックリした!」

脅かすなよー!と笑うベッキョンに、それでも僕は続ける。

「弟、いたの」
「いたっ、て……?」
「腹違いの弟」

「マジかよ……」


呟いたベッキョンに、僕は小さく「うん」と頷いた。


「今さぁ、一緒に住んでんだけど、どうしたらいいかわかんなくて」
「はぁ?待て待て待て!展開急すぎるから!一緒に住んでるって何!?」
「うん、押し掛けてきたから」


混乱するベッキョンに僕はことの成り行きを話すと、「会いたい!会わせろ!」と騒ぐ。
結局押しきられるように、僕は親友を連れてアパートへと帰った。


部屋に入るとジョンインはまだ帰ってきてなくて、それでも荷物やら布団やらを見て明らかに誰かがいる状態を可笑しそうに見回していた。

何がそんなに可笑しいんだよ。


「へぇー!ホントに一緒に住んでんだ!?」
「だからそう言ったじゃん」
「そうだけど、腹違いってことはアレだろ?浮気とかさぁ」
「うん、まぁ……」
「お前の父ちゃんやるな!」

ぎゃははと笑うベッキョンを思いっきり睨むと、流石に悪いと思ったのか、申し訳なさそうに眉を下げた。



「ただいまー」


ジョンインが帰って来て一目散に駆けつけたのは、やっぱりベッキョンだった。

玄関の方からジョンインの戸惑いの声が聞こえて、ちょっと笑った。


「おかえりー」


戸惑うジョンインに声をかけると、「……ただいま」と混乱した頭で呟く姿を見て、結局僕は普通に笑ってしまった。


「あぁ、ごめんね。これ、高校の時の友達のベッキョン」
「よろしくなー!」
「……こちらこそ」


僕と初めて会ったときとはえらい違いだな、なんて。あんなに懐っこく笑っていたのに、こんなに人見知りする人だったなんて。


「もっと似てるかと思ったけど、案外似てないもんだな!」
「まぁ、半分だけだし」
「お前と違ってイケメンじゃん」
「うるさい」
「いや、でも待てよ……」
「なに?」


ベッキョンは僕とジョンインの顔を交互に見比べると「やっぱり似てるわ!」と笑う。


「はぁ?どこがー?」
「目の辺りとか、ちょっと似てる気がする」


うんうん、なんて頷くベッキョンをよそに僕は思わずジョンインの顔を見ると、ジョンインも僕の顔を見ていて、二人して首を傾げた。

端から見ると、僕らでも似てるらしい。

僕はジョンインに父を重ねることがあっても、自分達が似てるとは思わなかったから、なんだか少しだけ嬉しいような気がした。ジョンインは、本当に僕の弟らしい。


僕らは3人で適当にラーメンなんかを作って食べた。
僕が聞けなかったことまで遠慮なく聞くベッキョンのお陰で、僕はジョンインのことをまた少しだけ知ることが出来た。
ジョンインのお母さんのことや、父との関わりや、ダンスが趣味だとか、果ては彼女はいるのかとかまで。
彼のお母さんは癌で亡くなったらしい。病院代を稼ぐために高校もろくに行かずバイトばかりしていたみたいだけど、お母さんが亡くなった今、その必要もなくなった、と穏やかな顔で笑っていた。
僕はその話を複雑な心境で聞いているしかなかった。




「ヒョンが悪いとか思わないでね」


ベッキョンが帰って、今日もそろそろ寝ようかと電気を消してベッドに入ったところで、ジョンインが呟く。


「なにを……?」
「俺の母親のこと。治療費を出せばよかったとかさ。思ってない?」
「それは……」


思ってないことない。
ただ、現実には不可能だっただろうな、とも思うけど。


「お袋が死んだのは確かに悲しいけど、病気はどうにもならないし、愛人として生きる道を選んだのはあの人だから。ヒョンの家はなにも悪くないよ」
「そうかもしれないけど……」
「お袋、幸せだったって言ってたよ。俺もそう思うし。もちろんヒョンたち家族には悪かったなって思うけど……」
「それは……」


母さんの笑顔を思い出す。
そしてその横で笑う父さんを。
裏切り続けていたんだろうか。あの人は。
その答えは、もう聞くことができない。

幸せだったと言う愛人とその息子。
今も知らないだろう本妻である母と、思わぬ形で知ってしまったその息子。
父さんはとんだ置き土産を残してくれた。

半分だけ同じ血が流れているその弟を、僕は憎めばいいのか。それとも愛せばいいのか。


世界でひとりだけの僕の弟は、無邪気に会いたかったと言う。


受け入れるには、酷く複雑に思えた。


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