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平行線の2人


家に帰ってこれると思うなよ。
僕だってキライだ。



ラジオからの帰りの車中、こんなことになってると教えてくれたのは、隣に座るミンソギヒョンで、「セフンのやつ拗ねてる」なんて笑いながらも「あー!そんなつもりじゃなかったのにー!」と頭を抱えてるヒョンは相変わらず優しい。

僕はというと、酷い人間だという自覚は多分にある。誰に対してかと聞かれれば、それはセフンにではなく、ジョンインに、だ。


こっそりと届いたメールはやっぱりセフンからだった。


──あんなこと言って、僕知りませんからね。


だよな、なんて苦笑いを浮かべると、ミンソギヒョンが「どうした?」って心配顔を向けるので「なんでもないです」と笑顔を作った。




『ヒョンが好きです』


真っ直ぐな瞳でジョンインがそう言ったのは、2週間前のこと。


『別に急がないんで、ちゃんと考えてください』


そう言われていた告白の答えを、僕はあろうことか電波の上でしてしまったのだ。宿舎に帰る足取りのなんと重いこと。僕は本当に酷い人間だと思う。弟のように可愛がっていたジョンインの気持ちを、乱雑に踏みにじったのだから。

でも、言ったことは事実だった。
僕にとってジョンインは、やんちゃでかわいい弟。それ以上でもそれ以下でもない。だというのに、あいつは……

いつからか弟の顔をして近づいて来たかと思えば、鋭い欲を孕んだ視線を寄越すようになったていたことに、僕はちゃんと気づいていた。気付いていて知らない振りをし続けていた。だって僕にはどうにも出来ないから。
恋愛なんて懲り懲りなんだ。僕は歌さえあればそれでいい。



宿舎に帰ると何人かは起きていたけど、ジョンインはもう寝ているようだった。そっと胸を撫で下ろすと、セフンと目があって、ぷいっと反らされた。
はぁ、と溜め息なんかつきながら苦笑い。
セフンが拗ねる理由は自分の順位なんかじゃないことは分かりきっている。
どういうわけだかこの弟は、すべてを知っているようだった。単純に仲が良いからなのか、はたまたその鋭い観察眼のせいなのか。どちらにせよ、ちっとも笑えない。

あー、明日どんな顔してジョンインに会えばいんだろう……





僕の脳みそは、一晩寝れば大抵のことはリセットされる仕組みらしい。
それに気づいたのは、昨日のことなんてすっかり忘れて洗面所で歯を磨いているときのことだった。


「……ひっ!…………ゲホッ!ゲホッ!」


にょきっと鏡に映り込んできた人物を見て、僕は思わず思いっきり噎せた。
メンソールの歯磨き粉が喉に入って、慌てて吐き出す。
のそのそと背中を撫でてくれる手の持ち主は、僕を好きだと言ったその人だ。


「くっ……!はぁはぁ。ありがと」


噎せたついでに口をゆすいで、なんとか起き上がって鏡越しに礼を言えば、半開きの目とうっすら視線が重なった。


「起きてる?」
「うーん……」
「歯磨いていいよ、僕終わったから」
「うん……」


腕を掴んで鏡の前に引っ張って、僕は洗面所を明け渡した。


「早く支度終わらせてね~」なんて言いながら洗面所を後にしようとしたら、今度は僕の腕を掴まれて……思わず心臓が飛び跳ねた。


「ヒョン……」
「な、なに?」
「昨日のって、返事?」
「あー、う~ん……」


あぁ、やっぱり聞かれたか、と居たたまれなく苦笑いで答えると、「そう」と言って腕を離された。あまりにあっさりとしていて拍子抜けしたほど。

きちんと話さなきゃいけないと思いつつも、今のタイミングじゃないよなぁ、なんて逃げを打っていて自分自身に心底呆れた。



-------


その人は、本当に悔しそうに泣いていた。


涙の粒が瞳からこぼれ落ちることが心の底から憎らしいかのように。必死に必死に堪えて。それなのに、重力に逆らいきれずに流れ落ちる涙は酷く綺麗で。


ジョンデヒョンの涙を見たのは、初めてだった。


俺はあまりの光景に、声をかけることさえ出来なくて。深夜の薄暗いキッチンで、あろうことかその人の涙は、一際綺麗に輝いて見えたんだ。




「ジョンイナ……?何してるの?」


背後から訝しげに声をかけてきたのは、ジュンミョニヒョンだった。
俺は驚いて振り向くと「あ、いや……別に……」と口ごもる。しまった、と振り返って見やったキッチンでは、ジョンデヒョンがもういつもの顔で笑っていた。


「あれ?ジョンデもいたの?」
「ヒョン!どうしたんですかぁ、こんな時間に」


それにジョンインも、と視線を寄越されて、俺は咄嗟に口ごもる。
さっき見たヒョンは幻だったんだろうか。




その涙を見てしまったことに、どうやら気づかれてなかったみたいだ、と胸を撫で下ろしたのはそれから2日ほど経った頃。
翌日何か言われるかと様子を伺っていたけど、いつもと変わらないヒョンを見て、どうにか胸を撫で下ろした。
どうしてそんなに気にするのかと聞かれれば、それはとても罪悪感を感じさせるものだったから。とかそんな理由だと思う。

見てはいけないものを見てしまった───

あのとき俺はそう思ったんだ。



何に対してそんなに悔しかったんだろうか。
気にならないと言えば嘘になる。でもそれは、メンバーといえど踏み込んではいけない領域のように思えて──ジョンデヒョンは特に、そういった弱味を見せることに抵抗がある人だから──気づかれていなかったことに安堵した。


それなのに、俺の目はあれ以来、ジョンデヒョンから離れない。


それまでは意識したことなんてなかったのに、そうやって見るようになれば、ヒョンのいろんな表情に気が付いた。
大口を開けて目を細めて全身で笑う姿。かと思えば一転して真顔になる瞬間。はっとするほど鋭い顔。すべてに無関心になる瞬間。それから、真剣に歌と向き合う姿。次々と突き付けられる今まで知らなかったヒョンの表情に、俺の心臓はぎりぎりと鳴り響いた。
俺はこのとき初めて、この人をもっと知りたいと思ったんだ。



次に涙を見たのは、移動の車でヒョンと隣になった時だった。

俺はその日もいつものように乗るなりすぐにずるずると眠りに落ちて、隣に誰が座ったかも知らなかった。
だけど、ふと肩に重みを感じて目を覚ますと、隣にはジョンデヒョンがいて、苦しそうな顔で眠っていた。眉間にはシワを寄せ、いつもは上がってる口角も下げ、目尻には……滲む涙。それは、どんな酷い夢を見ているのだろうかと、俺まで苦しくなるほどで。

ぽろりと滴が落ちた瞬間、気づいたらその涙を拭っていた。


「ん……っ……」


漏れた声に、びくりと体が反応した。


あ……


長い睫毛を瞬かせ、ゆっくりと瞼を押し上げる。その仕草は、まるでスローモーションのように写って、とても綺麗だ。


「ジョン、イナ……?」
「あぁ、はい」
「……あ、ごめん!」


凭れていたことに気づいてか、慌てて体勢を直すヒョン。重かったでしょ?と笑った顔は、やっぱりもういつものヒョンの顔で。心地よかった体温がなくなって、何だか急に肌寒く感じた。


「ヒョン、」


呼び掛けて、口ごもる。


「なに?」
「いえ……」


何か悩みでもあるんですか?という一言が言えなかった。

拭った涙の滴はすでに蒸発して、俺の指にもヒョンの目尻にも、それは初めから存在していなかったかのように消えていた。




「ヒョン、」
「んー?どうした?」


本人に聞けないのならと、俺はミンソギヒョンに声を掛けた。


「ジョンデヒョンのことで……」


ジョンデ?と不思議そうにいつもの高い声で返される。
ジョンデヒョンが最も信頼を置いてると思われるミンソギヒョン。この人ならなにか知ってるかもしれない。そう思ったけど……


「あの……ジョンデヒョン、何かありました?」
「何かって?」


目尻のはね上がったアーモンドアイを見開いて、ぱちりと瞬きを数度したあと、やっぱり不思議そうに声を上げた。


「や、知らないならいいです……」
「なんだよそれ」


可笑しそうに笑われたことが恥ずかしくて、なんだか妙に居たたまれなくなった。


それからもずっと、ぐるぐるぐるぐるとジョンデヒョンのことが頭を回った。あの人がまたどこかで隠れて泣いてるんじゃないかと思うと気が気じゃなかった。平気なフリして笑ったあと、どこかでひとり泣いてるんじゃないかって……
意思の強いあの目から、ぎりりと流れ出すあの涙が、俺の胸を締め付けた。



「ヒョン。ヒョンヒョン、ヒョン!ジョンデヒョン!」
「もー、なに!」


ジョンイナうるさい、と振り向いた顔がいつもの苦笑いで、俺はそっと胸を撫で下ろす。
後ろから肩に腕を回して、歩いてるジョンデヒョンを捕まえた。庇護欲?そんな単純なものじゃない。膨らみ始めた感情は、もっと複雑で手に負えないものだ。いつでも底抜けに笑っていて欲しい。泣くことがあるならそばに居たい。片時も目を離したくなかった俺は、できる限りヒョンの近くにることにした。ヒョンがSOSのサインを出したとき、それを一番に察知する存在でいたかったんだ。それがどんなに微量なものだったとしても。


「ジョンイナ、なんなの最近」
「何って?」
「なんか……いっつもちょっかい掛けてくるから。今まで僕のことなんて見向きもしかなかったくせに」


ギョンスのとこでも行けばいいじゃん、とジョンデヒョンは苦笑を浮かべる。


「迷惑ですか?」
「迷惑っていうかぁ……あ!分かった!ギョンスに焼きもちでも焼かせようとしてるんでしょ!?」
「なんですか、それ」
「うーん、スホヒョンってのもあるか……どっちにしても、ジョンイナは色男だなぁ。年下のくせに」
「色男……?」


俺が?と思わず目を丸くした。
しっかりしているようで抜けているのはこのヒョンに限ったことじゃないけど、ジョンデヒョンの場合は普段がしっかりしすぎているせいでいつも意外性を感じてしまうんだ。
思わず笑うと、ぎろりと睨まれて小突かれた。


そうして過ごす内にいつからだったか、ヒョンは俺の視線を居心地が悪そうに避けるようになった。あぁ、俺の想いが伝わってしまったんだ、とすぐに気付いた。周りの変化に敏感なヒョンは、俺の視線に含まれてる意味さえも感じ取ってしまったのかもしれない。
諦めは早かった。ヒョンには申し訳ないけど、どうにもならない熱を吐き出してしまいたかったんだ。


「ヒョンが好きです。別に急がないので、ちゃんと考えてください」


そう伝えたときヒョンは、あぁ、ついに言われちゃった、という顔で。下がり眉をさらに下げて困り果てて見せたんだ。弟にそんなことを言われたって、という戸惑いが綺麗に顔に描かれていた。
俺はというと、伝えたことで胸のつっかえが取れたのか、妙にスッキリとしていて。
答えはいつになるかなんて分からない。もしかしたらうやむやに流されて終わってしまうかもしれない。でも、それならそれで、いつかこの気持ちも収まるだろうと高を括っていた。


なのに、まさかこんな形で答えが返ってくるなんて……




ジョンデヒョンとミンソギヒョンが先輩のラジオに出るという。宿舎にいた何人かのメンバーでラジオの前に並んで。「そろそろ始まるぞー」とヨリヒョンが言うのでお菓子とジュースを持って駆け寄った。
二人でのラジオは初めてだから楽しみだ、とジョンデヒョンが今朝鼻歌混じりに言っていたのを思い出す。別にどうという気持ちはない。ただ、ヒョンたちの仕事を見届けるというだけ。それだけの意味だったはずなのに……

話は途中でおかしな方向に行き、出てきた問いが『付き合いたくないメンバーは?』という俺にとっては今一番敏感な話題───


その1位に自分を挙げたジョンデヒョン。



それはきっと答えだったんだと思う。
セフンが隣でぎくりと身を揺らして視線を寄越したけど、それには気づかないふりをして、俺は自室へと戻った。


別にわかっていたことだ。ヒョンが自分を受け入れないだろうことなんて。それなのに受けた衝撃はあまりにも大きくて、笑うに笑えない。
ただ……ただヒョンを独り占めしたかっただけなんだ。どんな理由をこじつけたって、結局はそんな単純なことに行き着く。だけどヒョンはそれを許してはくれなかった。あの人の内側には入れない。


それがひたすら悲しかった。




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