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恋の期限は愛のはじまり


「ねぇ、僕の恋人になってくれないかなぁ」


"飛び級した天才"

それが僕の肩書きだった。小さな頃からひたすらに勉強だけをさせられてきた僕はもちろん友達なんかいないし、誰かと遊んだ記憶がない。いや、勉強は好きだったから、それ自体が苦だと思ったことはないんだけど。目の前の難解な数式が解けたときには快感すら覚えるし。

そんな僕が目の前の大男にこんなことを言うのには、ちょっとだけワケがある。


「少しの間でいいんだ。そう、二週間。もちろんその間の経費は僕が持つし、なんなら別に報酬を払ったっていい。どうかな、悪い条件じゃないと思うんだけど」


彼を選んだのは単なる勘。女よりは男の方が後腐れもなくて面倒くさく無さそうだったし、恋人としては無理だったとしても、最悪友達としてならやれそうだったから。それに彼は他のクラスメートのように群れてなかったから。友人のいないもの同士が一緒にいる分には問題ないだろう、なんて安易な考え。それだけ。



そうして始まった僕とクリスの二週間。
正直、恋人っていうのが何をするのか分からないけど、僕にとっては勉強以外の非日常だ。



「結構寒いね」


まずは昼休みに屋上へ連れ出して一緒に弁当を食べた。


「でも恋人ってこうやって一緒に食べたりするんでしょ?」
「……あぁ?さぁ」
「知らないの?困るよそれじゃ。僕は恋人がどういうものか知らないんだから。君がリードしてくれなきゃ」
「……お前に付き合うんだから、お前の好きなようにすればいい」
「……そっか!それもそうだね」



クリスがそう言ったから、僕は僕が読んだ数少ない恋愛小説なんかを思い出して、多分恋人がするであろうことを一つずつ消化していくことにした。
例えば一緒に映画を見たり。
例えば一緒に遊園地に行ったり。
例えば一緒に自転車に乗ったり。
例えば一緒にご飯を食べたり。

クリスはいつも僕の提案に乗ってくれた。それが楽しいのかどうは知らないけれど。
ちなみに別途報酬の件は、いらないと最初から断ってきたので僕が払うのはデート代だけだ。
彼にとっては単なる暇つぶしなのかもしれないけれど、僕にとってはすること全てが初めての経験で、どれもとても新鮮だった。


「そういえば、何で二週間?」
「あれ?言ってなかったっけ?転校するんだよ、僕。海外の大学に」
「……ふーん」


残り、あと1週間と3日。


今日は帰りに河川敷を少し散歩した。
クリスはおしゃべりな人では無かったけれど、僕の一方的な話をいつも最後まで聞いてくれる。僕が問えば簡潔に答えをくれて、笑うと少しだけ幼くなるんだ。


「僕ね、今まで勉強しかしてこなかったから、こうやって誰かと並んで歩くのは初めてなんだ。けど、どうしても向こうの大学に入る前に高校生らしいことをしておきたかったから」


僕より15センチ近く高いクリスの顔を見上げて笑った。


「別にね、勉強することは好きだからいいんだけど、10代の思い出?なんてね、」


あははっと笑って恥ずかしくなって少し俯くと、不意に掴まれた右手。


「……え」
「恋人、なんだろ?」
「そうだけど……」


握られた手は大きくて、アクセサリーがゴツゴツと当たって、力強い暖かい手だった。
そのまま彼の上着のポケットに入れられて、そっと絡まる指。
恋人ってこういうのなのかもしれない。



残り、あと1週間。


一緒に食べるお昼ご飯も、並んで帰る放課後も、少しだけ慣れてきた。
最近ではクリスも少しだけ笑ってくれようになったし、クリス自身の話も聞けばぽつりぽつりとしてくれる。寡黙な人なのかと思ったけど、意外と不器用なだけなのかもしれない。

クリスは本が好きだと教えてくれた。世界中の様々なジャンルの本を読んだ、と。それから、その本の世界を体感するためにいつか世界中を旅して歩くんだ、と。僕は本なんて脳の休息のためにくらいしか読まないから、その話はとても新鮮だった。


「もっと時間があれば、おすすめの本とか借りたんだけどな」
「あぁ、そうだな……」


そう、どんなに仲良くなっても僕たちには時間がない。一緒にいれるのはあと1週間。


「ねぇ、クリス。恋人らしいことしようか?」
「は……?」


僕はクリスのシャツの襟を掴むと勢いよく引き寄せて、その唇に重ねた。


「恋人なんかだから、いいんだよね?」


聞くと、「あ、あぁ……」って。
戸惑い顔のクリスが少しだけ可愛く見えた。

初めてのキスは意外と呆気なくて。どうしてそんなことをしたのかと聞かれれば、僕にもよくわからない。ただ、どうせなら少しだけ恋人らしいこともしたいと思った。彼に甘えたかったのかもしれない。
実際、恋人になって、とは言ったものの、恋人らしいことなんかほとんどしてなくて。ただ友達ができた、くらいな感じで。それはそれでいいんだけど、それじゃダメで。


「クリスは今まで彼女とどんなふうに過ごした?」
「どんなって……」
「そういうふうにして。男の僕じゃ無理かもしれないけど、そういうふうにして欲しい……」


どうしてかこの時、クリスに愛されたいと思ったんだ。
そんなの意味がないことなのに。

誰かと共に過ごす時間の大事さを初めて知ったからかもしれない。なんて。




それからの彼は優しかった。
とにかく優しくて、繋いでくれる手も、向けられる笑みも。食べ溢しがついてるって拭ってくれたり、寒いだろって上着を貸してくれたり。「どうしたの?」って聞けば決まって「恋人なんだろ?」って返ってきて。恋人って、こんなに甘いものだなんて、僕が読んだ恋愛小説には書いてなかったのに。


残り、あと4日。


今日は休日なので1日デートをした。肩に腕をまわされて、引き寄せられる力が心地よい。


「ねぇ、リスや。僕分からないことがあるんだけど」
「ん?なに?」
「僕が今楽しいなって思うのは恋人といるからなのかな。それとも、クリスと一緒にいるからなのかな」


どう思う?って聞くと、クリスはいつものように「さぁ?」って言って笑う。
お前は答えを知ってるの?僕にとっては数式を解くより難解なんだけど。


「あそこ、寄ろう」


クリスが指したのは流行りのカフェだった。


「あぁ、うん!ちょうど寒くなってきたなって思ってたんだ」


言うと、彼は小さく笑った。
スマートにエスコートされて、ちょっとくすぐったいけど嬉しくて。照れ笑いを浮かべると、やっぱり優しい笑みを浮かべられて。
その日は1日たくさん歩いてたくさん話をした。彼の好きな本の話や僕が好きな数式の話や色々たくさん。


「じゃあ、いつかリスが世界を旅した時、世界中のどこかで会えるかもしれないね」
「そうだな」
「もうおじさんになってて気づかないかもしれないけど」
「はは!それでもきっと見つけるさ」
「じゃあ僕はその時恥ずかしくない人間になってないと」
「そうだな、ノーベル賞くらいは取っといてもらわないとな」


他愛もない話が延々と繰り広げられる時間。でも時間は永遠なんかじゃなくて。帰りたくなんかなくて、このまま一緒に入れたらいいのにって何度も思った。
高校生らしいことをしておきたくて。恋人っていうものを味わっておきたくて。そうして始めた関係なのに、あと何日かで終わってしまうことが焦れったくて仕方ない。

僕は今日の記念にとお揃いのストラップを買った。そうやって小さな幸せが増えると同時に、切なさが増す。



その日の帰り際、僕らは初めて大人のキスをした。



温かくて優しくて、だけど少しだけ強引で。抱き締められた腕の中では胸が苦しくて。意味もなく涙が出そうだった。


帰宅して部屋に戻ると、荷物がまとめられたそこは、駄々っ広くて酷く寂しい。
これから始まる新たな生活へ向けて期待が膨らんでるはずだったのに。寂しい。苦しい。きっと抱き締められた感触がいつまでも残っていたから。


僕はもしかしたら、大きな過ちを犯したのかもしれない。

とても大きな過ちを。



残り、2日。



「ねぇ、リスや」
「なんだ?」

放課後、僕たちは屋上にいた。
彼に抱き抱えられるように腕の中に収まって、背中に体温を感じる。


「僕が恋人になってって言ったとき、どうしてOKしたの?」
「あぁ、知りたい?」
「うん」
「最初は、罰ゲームか何かかと思った。じゃなかったらバカにされてるのかって。お前、金やるから、なんて言うからさ」
「あはは、ごめん」
「だから様子を見てみようと思ったんだ。ま、暇だったし」

後ろからまわされた手に、僕の手を掴まれて指遊びをされている。
本当に大きな手だ。

「適当にからかってみるのも面白いし、面倒くさくなったらやめればいいかって」
「どう?やめようと思った?」
「いや。でも、断ればよかったと思ってる」
「……なんで?」
「離れるのがキツくなったから……」


抱き締められてる腕に、ぎゅと力が加わった。


「俺を置いてくお前が憎い」

「僕も……行きたくないとか言ったら怒られるのかな」


こんなはずじゃなかったのに。

呟いて、身を捩って正面から抱きついた。首に腕をまわして、肩に顔を埋めると、更に力強く抱き締めてくれて。もうこの腕から1ミリも離れたくない。

だけど、僕らに残ってるのはあと1日。明日だけだ。




最後の日。

僕らは昨日と同じように何もせず、ただ一緒の時間を過ごした。

屋上で並んで座って。寄り添って指を絡めて。クリスの肩に頭を凭れて。くっついて体温を分け合った。


「ねぇ、リスや」
「ん?」
「この指輪、ちょうだい」


絡ませていた指をほどいて、彼の小指についているトルコ石の指輪を弄った。


「あぁ、いいけど……?」
「やった!思い出にするから」


言って指輪を抜き取り自分の小指にはめる。


「似合う?」


掌を空に向けて掲げると、淡いブルーのトルコ石がキラキラと輝いた。


「俺の方が似合うな」
「えー!」
「はは!冗談。似合うよ、とても」
「大事にするね 」


言って、そっと指輪を撫でた。




「リスや、ありがとう。二週間僕の我が儘に付き合ってくれて。お陰でとても楽しかったよ」


精一杯の笑顔を作る。
二週間の最後は笑って終わりたいから。
何もないところから始めて、いつの間にかこんなにもかけがえのない人になっていたなんて。

選んだのがクリスでよかった。


「ジュンミョナ、」


指を絡めながら、初めて名前を呼ばれた。


「必ず会いに行く。何年かかっても、必ず」

「……うん」

「だから、がんばれよ」


言って、僕の頭を撫でる大きな手。

淋しくて。苦しくて。悲しくて。
明日からもう会えないのかと思うと、この二週間が嘘みたいに思える。クリスと過ごした二週間は宝物みたいにキラキラとしてて。

絶対に忘れない。

大きな手も、優しい笑顔も、低くて柔らかな声も。

絶対に。


僕は泣きそうになるのを必死に堪えた。









終わり
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