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幸せの理由


ヒョンが中国へ帰って半年が過ぎた。
僕らは別れなかったし、繋がり続ける未来を探すことにした。



だけど、だけどやっぱり離れてるのは淋しい。と最近よく思う。




ヒョンは毎日のようにメールや電話をくれるし、日常の些細なことでも僕に教えてくれる。僕も、同じようにギョンスやチャニョルやベッキョンや、それからジョンインのことを話す。それにお父さんやお母さんのことも。ヒョンは楽しそうに聞いてくれるし、なんの不満もない。楽しいなぁと思うし、幸せだなぁとも思う。それでも最近はその時間がしんどく感じるのは、電話を切った後にとても淋しくなるから。淋しさはいまだに慣れない。


なんて話をギョンスにしたら、「淋しさに慣れるのなんて、僕は嫌だな」って言った。
予想外の答えに、僕は少し驚いた。


「そんなのに慣れちゃったら、相手がいてもいなくてもどっちでもいいことになる。それはつまり付き合ってるとは言えないと思う」
「そっか……そうだよね……」


でもさ、じゃあどうしたらいいんだよ。



いくら淋しくたって、物理的に離れてる僕らの距離はそんな簡単な距離じゃないんだ。
淋しいから今から来てください、なんて簡単には言えない。
むしゃくしゃして、イーシンヒョンが中国人のせいだ!なんて言い出しかねない。


そんな言葉、絶対に言っちゃいけないんだ。



「会いに行けばいいじゃん」
「え……?」
「だから、そんなに淋しいならお金でもなんでも貯めて、会いに行ってくればいいじゃん」
「僕が……?」
「うん、ジョンデが」
「でも……」


海外なんて、いくらで行けるのかも分からないのに。きっと僕の小遣いなんかじゃ無理だし、都合のいいバイト先が見つかるとも限らない。


「ジョンデって、案外面倒くさいんだね」
「なにそれ……」


ぶちぶちとへの字口で呟く僕を一瞥して、ギョンスは溜め息をつくと何やら携帯を操作し始めた。


「チャニョリがいいバイト知ってるってさ」
「は……?」
「だから、チャニョリが、」
「え?聞いてくれたの?」
「……だって面倒くさいから」


「ギョンスありがとーーー!!」と抱きつくと、相変わらずの嫌そうな顔をしたけど構わず抱きついた。


友達って、いいな。なんて。



チャニョルに紹介されたバイトは学部の先輩──ジュンミョニヒョンのお爺さんの書庫の整理だった。ひと月もあれば終わると思うけど、早く終わっても同じだけの報酬は渡すから、と言うので有り難く引き受けた。むしろそれでこんなにもらえるの?と思ったけど、行ってみればその言葉の意味も納得の量で。

大学の教授をしていたというヒョンのお爺さんの書庫は、地下室一面が書庫で床にもたくさん積み重なっていた。一体何冊あるんだろう、なんて考えたところで到底分からない程だ。

参考書や学術書の類いは重くて運ぶのも中々の重労働だし、ちょっと触っただけで破れてしまいそうな古い本も何冊かあった。


「大変だろうから、休み休みやりなさい」と言われたけど、僕は休んでる暇なんてないんだ。
早くイーシンヒョンに会いたい。






休み返上で通って、その作業が終わったのはひと月に満たない内だった。

大まかに作者別、種類別に別けて、入りきらないものは新しい本棚を頼んでもらった。
整然と並んだ本たちを見つめて、お爺さんもにっこりと笑ってくれた。


「ありがとう。とても助かったよ」
「いえ、こちらこそ楽しかったです」


「少しだけど色をつけておいたから」と渡された封筒の中身を見ると、少しどころじゃなく増えていたので、驚いて目を見開いた。


「こんなに頂けません!」
「いいんだよ。とても助かったんだから」
「でも……!」
「年寄りに、一度出したものを引っ込めさせるもんじゃない」


そう言って笑ったお爺さんの笑顔を見て、僕はなんだかとても申し訳なく思えた。もっともっと丁寧に整理すればよかった……


「そんなに気にするんじゃない。旅行に行く資金だと聞いているから、餞別だとでも思えばいいさ」
「……わかりました。ありがとうございます。じゃあお土産買ってきますね!」
「はは!楽しみにしてるよ」



そうして僕は中国行きの切符を買えるようになった。





「ヒョン、僕会いに行ってもいいですか?」
『え……?』
「ふふふ。僕実はバイトしてたんです」
『いつですか!?』
「ひと月くらい前からです。やっと終ったので切符を買おうと思ってるんですけど、」


いつがいいですか?なんて聞こうとしたのに、ヒョンは大きな声で『そんなことしなくてもぼくが行きましたのに!』と叫んだ。


「いいんです、僕が会いに行きたかったんで。僕がヒョンに会いたかったんです」
『ジョンデ……』
「早く会いたいです……」
『危険なお仕事ですか?』
「え?」
『ジョンデのお仕事は、危険なお仕事でしたか?』
「はは!全然危険じゃないですよ!すごく楽しかったです」


言うと、何を思ったのかヒョンは無言になってしまったので、僕は慌てて「本の整理です!」と言葉を足した。


『本の整理?』
「はい、チャニャルに紹介してもらって。知り合いのお爺さんの本を片付けたんです。ものすごい量で。でも楽しかったですよ」
『そうですか』
「だから、早くヒョンに会いたいです」
『ふふ、ぼくもです』



ねぇ、ヒョン。
早く会わないと、僕はヒョンの温もりを忘れちゃいそうですよ?






日にちを決めて、お父さんやお母さんにはイーシンくんによろしくね、と背中を押されて、ギョンスやチャニャルには散々冷やかされて。僕はドキドキと一緒に真新しいスーツケースに荷物を詰め込むと、韓国を飛び立った。
一人で飛行機に乗るのが初めてなら、イーシンヒョンのご家族に会うのも初めてで。考えると口から心臓が飛び出してしまいそうだった。



もうすぐ、ヒョンに会える。




僕も会いに行きますから、とは確かに言った。空港でヒョンを見送るときに、「次はいつ会えますか?」と恐る恐る尋ねると「日にちの約束はできませんが必ず会いに来ます」とヒョンが抱き締めてくれて。それで僕も「じゃあ僕も必ずヒョンに会いに行きます」って。だけどそれがこんなに早く実現するなんて、思ってもみなかった。


こんなに簡単に行けるなら、会いたいと思ったときに会いに行けるように、やっぱり本格的なアルバイトを始めよう。



飛び立った飛行機は心の準備をする間もなく、あっという間に着いてしまって。あんなに悩んでいた距離は、こんなにも短いものだったのか、って。グズグズしていた自分に情けなくなった。ギョンスに謝らないとな、なんて。



一歩機内から出ると、一面に飛び込んできたのはたくさんの漢字。
あぁ、これがヒョンの国なのか、って。
やっぱりちゃんと習おうと思う。
大切なヒョンの国の言葉を。


荷物を受け取ってゲートへ向かうあいだ中、持ち慣れないスーツケースはぐんと重さを増した気がした。
これはきっと一緒に詰め込んだドキドキの重量が増したからだ。なんて。



到着ロビーに着くとすぐにヒョンの笑顔が目に入って、僕は急いで駆け寄った。


「ヒョン!!」
「ジョンデ!!」


ガタンと音をたてて倒れたスーツケースも気にせず、僕はヒョンの胸に飛び込んだ。
ぎっちりと抱き締められる感触。
それからヒョンの匂い。


大好きなイーシンヒョンだ。


「ヒョン、会いたかったです」
「ジョンデ……ぼくもです」


離れがたくて離れがたくて、周りの目も気にせず僕らは抱き合った。
離れていた分を埋めるように。
僕の大好きが伝わるように。


「ありがとうです。会いに来てくれて」
「だって、会いたかったから……」


ヒョンが優しく頭を撫でてくれるから、僕は思わず泣きそうになった。

やっぱり、ヒョンといると僕は幸せなんだ。


大好きで大好きで、大好きなイーシンヒョン。




かなりの時間ロビーの真ん中で抱き合ってようやく離れたころ、ヒョンの顔をまじまじと見つめると、恥ずかしさに赤面した。


「どうしましたか?」
「だって……久しぶりに会ったから……」
「そっか、そうですね。ぼくもちょっと照れます……」


照れたヒョンは相変わらず首の後ろを恥ずかしそうに掻いていて、変わらない仕草に嬉しくなった。



空港からはリムジンバスに乗って駅まで出て。それからヒョンの家に向かう。荷物を置いて、休んでから観光に連れていってくれるらしい。
家に着くなりイーシンヒョンのお母さんとお婆ちゃんが迎えてくれてとてもビックリしたけど、二人ともヒョンに似てとても優しそうだ。


「ママはジョンデにとても会いたがってました。だから今とてもウレシいそうです」
「へへ。僕もとても嬉しいです。ずっとお会いしたかったので」
「オアイ?」
「会いたかったってことです」
「あー!じゃあジョンデがウレシいからぼくもウレシいです」
「はは!じゃあみんな嬉しいですね!」




初めて入ったヒョンの部屋は、思っていたような……そうでもないような……楽器や譜面がたくさん散乱していて、ヒョンは「ジョンデが来るまでに片づけようと思ったんですけど、間に合いませんでした」と苦笑して見せた、そんな部屋だった。ここでたくさんの時間を過ごして、ここで一日の終わりに僕と電話して。そんなヒョンの一日を想像して、なんだかとても不思議だ。


「あ!ジョンデに聴かせたい曲いっぱいあります」
「ほんとですか」
「はい。ジョンデのためにたくさん曲作るって約束しましたから」


いつかの約束を思い出して、心臓がくすぐったい。


「ぼくはいつもジョンデのことを考えて作ってます」


言っておもむろにキーボードに触ると、軽やかに広がるヒョンの世界。留学中何度も何度も聴かせてもらった僕だけの曲。
いろんな思い出が一気に蘇って、とても感慨深い。
半年前の話なのに、すごく昔の思い出のような気がして、離れていた期間の長さを思った。そしてまた、これから離れなければいけない時間……




「ヒョン……」




キーボードを弾いているヒョンに後ろから抱きつく。ヒョンは固まって、奏でていた音が止まった。


「……どうしましたか?」
「……」
「ジョンデ……?」

「ヒョン……淋しかったです。僕、ヒョンがいなくて、すごく淋しかったです……」


あんなにずっと一緒にいたから余計に。ヒョンの笑顔を見れないことが、ヒョンの温もりを感じられないことが、すごく、すごく淋しくて。強がっていたって、やっぱり淋しかったんだ。


「……よかったです」
「へ……?」
「ジョンデあんまり淋しい言わないから、平気なのかと思ってました」
「だって……!」


だって、淋しいなんて言葉、口にした途端に止まらなくなってしまうから。止まらなくなったらヒョンを悲しませてしまうし、そんなこと絶対にしたくなかったから。


「ぼくも、いつも淋しいです。でも淋しいときはいつもジョンデのことを考えながら曲をつくってました」


そしたらいっぱい曲できました、ってヒョンは振り返って恥ずかしそうに笑う。


どうして僕らはこんなにも好きあってるのに一緒にいられないんだろう。学生である自分がとても歯痒い。一緒にいたいのにできないなんて……



「でもジョンデ、ぼくはジョンデを離せませんよ」


重なった視線の先、ヒョンの顔はとても真剣で。


「知ってます……僕だって同じですから」


同じように、いくら辛くても淋しくても、ヒョンのいない人生なんて考えられないから。


ゆっくりと重なった唇は、前よりも涙を味わった分だけ、しょっぱいような気がした。



「少し出かけましょうか」


ヒョンの部屋で寛いでいろんな話をして、たくさん甘えて。そうして少し日が傾き始めた頃、ヒョンはそう言って立ち上がった。


「やった!どこに連れていってくれるんですか?」
「ふふ、ナイショです」


とにかく出掛けましょうと言うので、ヒョンに倣って仕度をした。


外に出ると駐車場にまわって車に乗り込んだ。運転するヒョンはもちろん初めてで。
以前留学中のとき「この国の大学生は車持ってないですか?」と聞かれたことがあって「中国の大学生はみんな車持ってます」と言っていたので、ヒョンが車を持っていることは知っていたけど、見るのも乗るのも初めてで、僕はドキドキしながら助手席に座った。助手席から見るヒョンもやっぱり格好よくて、ハンドルを握るヒョンは別人みたいに見えた。


知らないヒョンをどんどん知って、僕はもっとヒョンに恋をする。



車はずっと山道の方に入っていって、辺りは急に暗さを増してきた。




「わぁ!」
「どうですか?」
「すごい綺麗です!!」
「よかったです。喜んでもらえました」



着いた先、一面に広がるのはきらびやかな夜景。
宝石箱をひっくり返したみたいに赤や黄色や緑や青や、いろんな色が輝いていた。


「この国のネオンはここから見るのが一番キレイです」
「はい、とっても……」


ヒョンの国。ヒョンの街。
ヒョンが勉強したり遊んだり、日々を過ごす灯り。それらは集まって、強烈な力強さで僕の脳みそに刻み込まれた。


「僕多分、一生忘れないと思います……」
「へへ。ウレシいです。ずっとジョンデに見せたいと思ってましたから」


やっと夢が叶いました、


なんて言ってヒョンは僕の手を握る。
僕はそれを、懸命に握り返した。

伝わる熱の量は、前と然程変わってないのかもしれない。それなのに変わったような気がしていたのは、不安や淋しさや、そうした色々なものが僕らの間を阻んでいたから。
この熱は変わらないんだということを知れただけでも、僕が中国へ来た成果は大いにあったと思う。
僕の気持ちが、僕らの気持ちが変わらない限り、この熱は変わらない。





ヒョンの家に戻るとヒョンのお母さんがたくさんの料理を作って待っていてくれた。

「おいしそう!」と声をあげると、たくさん食べてください、とヒョンが通訳をする。

ヒョンのお父さんやお母さんやお婆ちゃんとみんなで食卓を囲んで、ヒョンの通訳を交えてたくさん笑いながらたくさん食べた。
ヒョンの通訳はちょっと頼りなかったけど、それがまた面白くて笑った。
僕も、ちゃんと中国語習わなきゃ。
今まではヒョンが韓国語を話すから必要性を感じなかったけど、ヒョンががんばって韓国語を勉強してたみたいに、僕も中国語を習いたい。





ヒョンの部屋に並べられた布団を見て、少し恥ずかしくなったのは仕方ないと思うんだ。

僕だって健全な男だから。


初めて繋がったのは付き合い初めて三ヶ月くらい経ったときだったと思う。家じゃさすがに無理だから抑えていたけど、お互いに持て余していた熱がとうとう限界を迎えて、繁華街まで出てホテルに駆け込んだ。本当に面白いくらいに二人とも余裕がなくて、服を脱ぐのも焦れったいほど、縺れ合ってベッドに押し倒された。手順なんかもめちゃくちゃで、ただ想いをぶつけ合うような、気持ちが先走ってしまうような、そんなハジメテだった。

恥ずかしくて照れくさい、僕らの大事な思い出だ。




「ヒョン……まさか、やりませんよね?」


だってほら、ここヒョンの家だし。ご家族いるし。いくらなんでも、ねぇ?なんて、思っていると、「ん?何をですか?」とヒョンが惚けるので、ぺしんとヒョンの腕を叩く。


「あぁ!ジョンデがしたいならいいですよ?」
「ヒョン!いいわけないじゃないですか!もー!」


僕が声をあげると、ヒョンは可笑しそうに笑っていた。


「…………でも、一緒に寝るくらいなら」


それくらいなら全然いい。
いや、むしろして欲しい、かも……なんて。


「もちろん!そうしましょう!ジョンデだきしめて寝ます!でも……止まらなくなったらごめんなさい」
「…………もー!!」


結局、一晩中ヒョンの腕の中で眠ったけど、我慢なんて、僕の方ができないかもしれない……とても口には出せないけど。


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