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幸せの理由


「ところで、ヒョンはどうしたんですか?こんなところで」
「えっと、教授が今日は休みだというので、どこでご飯を食べようか迷ってました」
「ははは!なんだ、そうだったんですか!」

ここ座ってください、と隣の椅子を引くとヒョンも安心したのか笑顔で席に着く。

「電話してくれれば良かったのに」
「ジョンデの邪魔しちゃいけませんから」
「邪魔だなんて、そんなことないですよ!」

僕が言うとヒョンは、えへへと笑って同じ中身の弁当を広げ始めた。
ヒョンはいつも中国語の担当の教授室で、教授の手伝いをしながらご飯を食べいると聞いていた。その教授が今日はお休みらしい。たまにはこんな偶然も嬉しいのは当たり前。教授、ありがとうございます、と心の中で呟いてみた。


「ジョンデ、今日もママさんの弁当美味しいです」
「ふふ、伝えてあげてください。お母さんもきっと喜びますから」
「はい。……あぁ、そうだ!今日ママさんに何か買って帰ります!プレゼント」
「え?いいですよ、そんなの」
「ダメです。いつも美味しいご飯を作ってくれますから。ジョンデも一緒に選んでください」
「あはは!わかりました」

じゃあ終わったら連絡しますね、なんて笑いあってると、向かいに座るギョンスがじっとこっちを見ていることに気づいた。


「ん?どうしたの?」
「……あ、いや。最近のジョンデの上機嫌の理由はこれか、と思って」
「なにそれー!」
「確かに、ジョンデってホントすぐ顔に出るからなぁ!」
「うん」

なにそれ、僕ってそんなに分かりやすい?
チャニョルとギョンスが当たり前のように話してる自分の新たな事実にちょっと驚きだ。

「気を付けなきゃ……」
「は?なに言ってんの。それがお前のいいとこじゃん」

なぁ?とチャニョルがギョンスに問うと「うん」とギョンスも頷く。イーシンヒョンまでもが「ジョンデはいい人です」なんて言うから僕は可笑しくなって「そうなのかなぁ」と単純にも理解してしまった。

「あ、イーシンさん、いつでも部室来ていいですからね!ジョンイナもいつでもどうぞって言ってたし」
「ありがとうございます」

「ジョンイナってジョンイン?」
「あぁ、うん」
「なんで?」
「イーシンさん、ダンスもするんだって」

ね?とチャニョルが言うと、ヒョンも「はい」と恥ずかしそうに頷く。そんな姿もやっぱり僕には可愛く思えた。

「あの……」
「はい?」

珍しくヒョンが自分からチャニョルに話しかけたとこにちょっと驚く。

「あの、今度キーボード貸してください」
「……?はい、だからいつでも……」
「違います。ジョンデと二人で使いたいですから、誰もいないとき……」
「は……?」

固まるチャニョルに僕は、あぁ、あのことか、と苦笑いするしかなかった。

「ぼくの作った曲、ジョンデにだけ聴かせる約束しました」
「は、はは」

なんだかもう、みんなして盛大に苦笑いで。僕は嬉しいやら恥ずかしいやら、きっと今ものすごく赤くなってるんだろうなぁなんて、やっぱりちょっと恥ずかしい。でも嬉しい。

チャニョルは「いつでもどーぞ」と呆れていた。





夕方になって授業が終わる頃、僕らは旧講堂の脇の木の下で待ち合わせをした。
ヒョンは少し遅れるというので、僕は木の根元で本を読んで待っていたんだけど、西日の心地よい微睡みの中、気がついたら眠っていたんだ。
目を覚ましたときには隣にイーシンヒョンがいて、その肩に凭れていて、やっぱりちょっと幸せだった。

「あ、起きましたか?」
「はい、ごめんなさい……だいぶ寝ちゃいましたよね?」
「大丈夫です、ジョンデの寝顔見ていましたから」
「ん……?」

「ジョンデの寝顔かわいいです」

「……も、もー!何言ってるんですか!このヒョンはー!」

あまりにも真っ直ぐに見つめられてそんなことを言うもんだから、僕は恥ずかしくてヒョンをペシペシと叩く。だって耳まで赤くなってるのが鏡を見なくたって分かっちゃうくらいなんだ。


「ジョンデ……」

「はい?」


不意に呼ばれて顔をあげると、ヒョンの顔はすぐ目の前で、え?っと思った瞬間に唇に柔らかな感触が触れていた。


え……えぇぇぇぇぇ!?


唇を離したヒョンは目の前でにこりと笑った。僕はあまりの驚きに瞬きさえ忘れてしまったほどで。

て、展開が急すぎるよ!!!

なんて誰にぶつけたらいいのかさえ分からないような文句が頭の中を駆け巡って、結局それは目の前のヒョンに向かった。


「ちょ、えっ!?な、何しました!?」

「ふふふ、キスしました」


ふふふ、じゃないでしょー!!!


「なんで!?」
「ジョンデが可愛かったからです」
「もー!からかわないでください!」

ヒョンは、へへへ、と笑うので僕は呆れるしかない。

「さ、買い物して帰りましょう。お母さんにプレゼント買うんでしょ?」
「はい!」


まったく……なんて呟きながらも、満更じゃないことは自分が一番分かっている。この、思い付きのようなキスが、僕はとっても嬉しかったんだ。ドキドキして、呼吸困難になりそうだったほどに。


結局お母さんにはお花の鉢植えを買って帰った。ガーデニングは母の趣味なのだ。家に帰って早速渡すと、そりゃあもう盛大に、こっちが引くくらいに喜んでくれて。イーシンヒョンも嬉しかったのか頬っぺたをピンク色にしてずっと恥ずかしそうに笑っていた。あぁ、やっぱりヒョンがいると幸せだ。




その夜はなかなか寝付けなかった。
ヒョンに貸してる部屋は僕の隣で。なんならベッドが寄せてある方の部屋で。この壁の向こうにヒョンがいるのだと思ったら、途端に胸の内が落ち着かなくなったのだ。あのキスを、ヒョンの顔を、思い出してみてはベッドの上でひとりじたばたともがいて。布団を被ってみたり、蹴飛ばしてみたり、叫び出しそうになる衝動を必死に堪えた。

そうしていつのまにか眠っていたら気づいたら朝で。「ジョンデー」というヒョンのふわふわした声が耳を擽る。あぁ、幸せ。夢の中でもヒョンの声が聞けるなんて、本当に幸せな夢だ!


「ジョンデー、ママさんが怒ってますよ?」

へ……?

「ジョンデー、起きましょう?朝です」

ゆさゆさと揺すられて、重たい瞼をどうにかこじ開けて。ゆっくりと焦点が重なると、目の前には昨夜何度も思い返していたあのイーシンヒョンのドアップ。


「……ヒョン!!!」


僕は思わず飛び起きた。ヒョンは朝から眩しい笑顔で「遅刻しますよ」とのんびり言うので釣られるように時計を見ると、いつもならそろそろ出ないといけない時間で。僕は慌ててベッドから抜け出した。


「ママさんが下で怒ってました」
「あぁぁぁ!!ありがとうございます!!あ、ヒョン先に行ってください!僕あとから走っていくので!」
「わかりました」


そう言ってドアに手を掛けたところで、ヒョンは「あぁ!」と言って振り返る。
ん?と思って固まってると「忘れてました」と寄ってきて、またチュッと触れる唇と唇。


「おはようございますのキスです」


にこりと笑ってヒョンは爽やかにドアの向こうへ消えていった。


もぉーーーー!!!!


どうやら僕の心臓は、朝から大忙しのようです。




「ギリギリセーフ!!」と教室に滑り込むと、隣でギョンスが呆れ顔で笑っていた。

「おはよう」
「あぁ、ギョンス。おはよう!」

寝坊?と聞きながら僕の頭に手をやるので「そう」と笑うと、「寝癖ついてるから」と髪の毛を撫で付けてくれた。

「ねぇ、ギョンス!ギョンス!」

ぐいぐいと近寄って肩で小突く。ギョンスは面倒くさそうに「なに?」と答えた。

「僕、好きな人できたかも」
「……かも?」
「あぁー、うーん……できた」
「……あっそう」
「え?驚かないの??」
「別に。イーシンさんでしょ?」
「えっ!?なんで知ってるの!?」
「分かるよ普通に」
「なにそれなんで!?」


しつこく聞いてももうこれ以上は話しません、とばかりにギョンスは授業に集中してしまう。あぁ、もう!なんてもどかしく思うけれど、そんなのはいつものことだ。


好きな人──と言葉にしてから更に心臓が落ち着かなくなった。好きな人?好きな人。
イーシンヒョンは僕の好きな人。
キスされたから?
いーや。一緒にいると幸せになるから!





今日は金曜日なので、僕もヒョンも3限までの日だ。最近の待ち合わせは専ら旧講堂の脇の木の下で。僕らが初めてキスした場所。

あ、ヒョンだ!と駆け出そうとした僕の目に、もう一人の人物が目に留まった。長身でイケメン。まるでマンガから飛び出したようなその人は、ヒョンと親しげに喋っていた。あぁー、もうそんな笑いかけないでよ!


「……ヒョン?」
「あぁ、ジョンデ!」

にこりと笑いかけてくれる笑顔は僕の大好きないつものイーシンヒョン。

「ヒョンの友達ですか?」
「はい、同じ中国人のクリスです」

その人は柔らかに笑って僕に手を差し出した。恐る恐る握手をする僕を見て更に笑って中国語でヒョンに何か話していて、僕はちょっと怖くて固まった。
中国語で話すヒョンはまるで別人みたいに知らない人に見えて、なんだか淋しくて……うん。


じゃあ、と言ってクリスさんは去り際に僕の頭を撫でていった。僕はまた驚いて固まってるとイーシンヒョンが「行きましょう」と手を引いてくれて。
なんか……すごい人だった。


「格好いい人ですね」
「あぁ、クリスですか?背が高くて羨ましいですね」
「背ですか?」
「他に何かありますか?」
「あ、いや、顔とか……」
「え、ジョンデはああいうのが好きですか!?」
「あ、いや、別にそういうわけじゃ……」


なんだか噛み合わない会話をしながら、その日僕らが向かったのは軽音部の部室だった。
昼間チャニョルに借りる約束をしたのだ。5時までだったら空いてるからいいよ、というありがたい言葉により二人だけで貸してもらうことにした。





「ジョンデ、どうしましたか?」

部室のキーボードの前、イーシンヒョンが座って鍵盤を撫でて。僕は近くにあった椅子を引っ張ってきて座ったのはいいのだけれど、なんだか……うん。
さっきのヒョンが知らない人みたいで、思い出してはすごくもやもやしていた。

「なんか、すごく僕の勝手なことを言ってもいいですか?」
「なに?」
「……さっきのヒョンを見て、ちょっと淋しかったです」
「さっきのぼく、ですか?」
「はい……あの、中国語しゃべってたから……」
「中国語?ぼくは中国人ですよ?」
「そうなんですけど……」


やっぱり僕も中国語習わないとダメかな、なんてうつ向いてしまった僕に、ヒョンは近づいてきたかと思ったら次の瞬間には抱き締められていて。

ジョンデ、と呼ばれたと思ったら上を向かされ唇を塞がれていた。
前にしたのよりずっとずっと長くて、ずっとずっと甘いやつ。

僕は泣きそうに胸が苦しくなった。

いつの間にこんなに好きになっていたんだろう……



「ジョンデ、ぼくは時間を無駄にしたくありません」
「ヒョン……」

「僕には1年しかありません」
「うん……」


1年という言葉に心臓が悲鳴をあげる。
知っていたけど、改めて突き付けられた事実。


「だからジョンデ、ぼくの恋人になってください」


ヒョンの瞳は今まで見たことがないくらいに真剣で、射抜かれた僕は何も紡げない。


「ぼくは意味もなくジョンデにキスしたわけじゃありません。ジョンデが好きだからキスしました。ジョンデが笑うとぼくも幸せです。だからぼくのそばでずっと笑ってください。そしたらぼくはジョンデのためにたくさん曲を作ります。ダメですか?」


「ダメじゃないです……」


どうにか絞り出した言葉は、涙混じりで酷く情けない声だった。


「ジョンデ、」
「……僕もヒョンが笑ってくれたら、幸せです」


にこりと笑って噛み締めると、あれ?なんか、すごいことが起こったような……


僕でいいんですか?と問うと、「ジョンデがいいんです」とヒョンは笑った。
二人して真っ赤な顔で笑って、自然と縮まる距離。埋められる内にたくさん埋めておこうか、なんて。どうしたって離れる未来はあるのだから。一年後のことは一年後に考えるとして、今はとりあえずこの幸せにどっぷりと浸ることにする。


重なった唇は永遠にヒョンのもの、僕のもの。


イーシンヒョンがそばにいるだけで、僕は幸せなんだ。






おわり
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