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〇〇とチェン

180511 春は好きか? シプチェン


春になって噂の新人がうちの部署へやって来た。
まさか、と思っていたら教育係に任命された。
「キムジョンデです、よろしくお願いします」とにこやかに交わされた挨拶は、噂通りの懐っこさだった。



今年の新人の中に一際かわいいのがいると噂が立ったのは、入社式から間もなくの頃だった。受付けの子たちが目を輝かせて噂をしていて、たまたま通りがかった時にどうしたの?と聞いたら、今年はアタリの子がいるんだと教えてくれた。可愛らしい笑顔に懐っこい性格、おまけに名門大学出身。そんな奴いるのかよ、と思っていたらどうやらいたらしい。世の中はまだまだ奥深いな。

なーんて傍観者よろしく決め込んでいたというのに、新人研修を一通り終わらせた彼は、どういうわけだかうちの部署に配属になり、おまけに俺の下に就いてしまった。
初めて見たときに思ったのは、あぁ住む世界の違う奴だなってことで。
瞳をキラキラと輝かせて ──── そうでなくても新入社員はみんな生き生きとしているというのに、そんな中にいても埋もれることのない輝きを持っていると思った。

とにかく、この2,3日で『若者』というものは俺の思考の範疇を軽々と超えてくるということだけは分かった。

配属してきた彼に、俺はまず今年度のプロジェクトの策提案を説明するところから始めた。
うちの部署はこんなことをしていてこういう仕事なのだ、というプロットみたいなもの。そんな俺の話のいちいちに、彼は本当に一生懸命に耳を傾け、メモを取っていた。疑問に思ったことは素直に質問をし、理解が難しい場合には正直に分からないと答えた。そんな姿も好ましく見えたし、目上に対する態度も決して悪くはない。適度な雑談にも乗るし、休憩中なんかは楽しそうに笑っていた。

だけど少しずつおかしいなと思い始めたのは、ちょうど歓迎会の辺りからだ。
帰り際、同じ方向だからタクシーを乗り合いにしようと言ったら、キムジョンデは突然「もう一軒行きたいです」と駄々をこね始めたんだ。もっと先輩と飲みたいです、親しくなりたいです、って騒いで。そんなこと言われたら断るに断れなくて、じゃあその辺のチェーン店の居酒屋でもいいかって適当に入れば、にこにこと嬉しそうに笑って俺を見ていた。

「あの……君飲み過ぎじゃない、ですか?」
「……すみません」
「いや、別に責めてる訳じゃないんだけど」
「じゃあ酔っぱらったついでなので、先輩のこと『ヒョン』って呼んでもいいですか?」
「は?……あ、あぁ、まあ。どうぞ……」

まぁ俺だって親しい先輩のことはヒョンと呼んでるしいいんだけども。だけどなんだろうか、この違和感は。まっすぐな瞳で、全身全霊で、「ヒョン、僕のことよろしくお願いしますね!」って。
僕もヒョンのように仕事ができる人になりたいんです、とか、ヒョンの仕事してる姿は格好いいです、とか。いやいやいや、同性の間で普通こんなこと言うか?みたいなことを、キムジョンデは臆せず真っ直ぐに伝えてくる。一方言われた方の俺はといえば、何だかもう恥ずかしすぎて穴があったら入りたいくらいで。

「あの……そろそろ勘弁してください……」
「あはははは!ヒョンももっと気楽に接してください!」

僕後輩なんですから!って、あの、眩しすぎる笑顔を振り撒いて。突き刺さるそれは、もはや凶器の様に思えた。







「で?お前んとこの噂の新人、どうなんだよ?」

休憩がてら喫煙所で一服をしていたら同期の奴が入ってきて同じように煙草に火をつけた。

「おぉ、すげぇよ」
「マジで?」
「あぁ。噂通り」
「マジかよ!」
「おまけに仕事覚えも早いし気は利くし、何より部長に気に入られてる」
「マジか……」
「世の中探せばいるもんなんだなぁ、ってアイツ見てると感心するんだよねぇ。しかもちょっと子犬みたいで可愛いし」
「……ははは!!昔はお前がそう言われてたのにな!」
「誰の話だよ」
「ははは!ジョークジョーク!ま、俺らも昔は若かったって話だよ」

そう言って、同期の友人は俺の肩をひと叩きすると、煙草をもみ消して仕事へと戻っていった。

確かに、俺にもそんな時代あったような気がする。けど、キムジョンデとは比べ物にならないような気がした。


それくらい、キムジョンデは恐ろしい奴だった。





そんな感じで彼が来てから2週間が過ぎて、少しずつ仕事の幅も広げて、思わず微笑ましくなってしまうほどにキムジョンデは一生懸命に取り組んでいた。
仕事に関して言えば、キムジョンデは決して要領がいい方ではなさそうだけど、その分真摯に向き合ってるようで、結局周りはみんなキムジョンデを可愛がっていた。
もちろん俺も含めて。

そして俺たちの関係はといえば、あの夜からいくらか打ち解けたような気がして、キムジョンデが望んだように下らない雑談なんかを気楽に交わしたりもするようにもなった。


「先輩、見てください!桜咲いてますよ!」

外回りの途中、通りかかった公園を見てキムジョンデは楽しそうに声をあげたので、次まで時間もあるし天気もいいから一服でもしてくか、と俺たちは通りの喫茶店でアメリカーノをテイクアウトしてその公園に寄ることにした。

ベンチに座って煙草に火を点けると、キムジョンデはアメリカーノを啜りながらぼんやりと奥の池を見ていた。

「先輩、」
「んー?」
「あの池のボート、桜が咲いてるときにカップルで乗ると別れるんですって」
「は?」

突拍子もないことを真顔で呟くので驚いて横顔を見やれば、その表情は何の感情も写してはいないようだった。なのに。

「だからきっと、あの二人も別れますよ」

ね?と振り向いた顔はもう悪戯っ子の子犬のようで。さっきの無表情は消してしまっている。不思議なやつだな、と思ったら勝手に笑いが込み上げてきた。

「ふっ……はははは!」
「え?何ですか!?」
「いや。俺お前のそういうとこ好きだよ」
「え……っ!?」
「いいと思う。あんなとこでいちゃついてる奴らなんて、とっとと別れちゃえばいいんだ」

吸いかけの煙草にまた口をつけて、ふぅと吐き出した紫煙は青空へと吸い込まれていく。なんだかとても清々しくて。口に含んだアイスアメリカーノは今時珍しいほど水っぽく薄いのに、なんだかもう、全部どうでもいいような気がした。


「僕も、ヒョンのそういうところ好きです」

「……っ!ゲホッ!ゲホッ!」


大丈夫ですか?と笑いながら背中を撫でてくれたキムジョンデの小さな手は、何だかとても愛らしく思えた。
あぁ、キムジョンデはただの後輩なのに。
衝動に任せて握り込んだその手は、存外にゴツゴツとした男の手で。それなのに心臓は春の訪れを知らせようとノックして。あぁ、ヤバい!って、恥ずかしくなってうつ向きながらも指を絡めると、覗き見たキムジョンデの横顔もうっすらと赤くなっていた。
あぁこれじゃ、あのボートに乗ってる奴らと一緒なのに……

ひらひらと桜が舞って、キムジョンデの頭の上に着地した。




ま、春に浮かれてみるのも、たまにはいいか。なんて。



おわり
(きさだ様リクありがとうございました~!)
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