ルハンとシウミン
僕らは確かに幸せの中にいた。
手を繋いで抱き締めあって…
一緒にいればいつも笑顔だったし、何て事無いことで楽しめた。
どうってことない日常。
だけどそれは永遠ではなくて…
「ヒョン……!ミンソギヒョンが!」
知らせは突然だった。
彼の職場の後輩のジョンデが僕の働いてる店に駆け込んできて告げたのだ。
ミンソクが車にはねられて病院に運ばれた、と。
瞬間、目の前が真っ白になったことだけは覚えている。
そのあとはジョンデが僕をタクシーに詰め込んで。気づけば病院の手術室の前で赤く光るランプを見つめていた。
ミンソクの馬鹿……
次の休みは一緒にサイクリングでもしようって言ってたのに。
彼の笑顔が、僕を呼ぶ声が、何度も何度もこだました。
「大丈夫です、ヒョンはきっと大丈夫です」
ジョンデは付きっきりで背中を擦って励ましてくれた。
手術室のランプが消えて出てきた彼は、ぐるぐる巻きの包帯姿だった。近寄れば穏やかないつもの寝顔で。今にも「心配かけてごめんな」って言って笑ってくれそうなのに。その声が聞こえることはなくて。
「一命は取り止めました」
そう聞いた瞬間、ほっとして一気に力が抜けた。
「あとは目を覚ますかどうかですね。彼の生命力に懸けましょう」
若いからきっと大丈夫、って先生は言った。
なのにミンソクは何日も目を覚ましてはくれなくて。
僕は来る日も来る日も祈り続けた。
「ヒョン、僕が代わりますから少しは休んでください」
ジョンデはそう言ってくれたけど、彼が目を覚まさない限り僕に安息の日なんて来ないんだから。
「いい。ミンソクから離れたくない」
強く強く祈り続けた。
彼の小さな手を握って、頬に口づけて。血色のない肌はますます白くなっていて、作り物のような気さえしてきて、触れて体温を感じていないと堪らなく不安だった。
「ルハン」って名前を呼んで笑ってよ。
面倒くさそうに「好きだよ」って言ってよ。
寂しくて寂しくて。
彼が呼んでくれないことが、堪らなく辛かった。
ミンソクは今必死で闘ってるのに、自分のことばかり考える僕は、薄情者だろうか。
世界で一番悲しいことは、目の前の恋人が笑いかけてくれないことなんだと知った。
本当は命があっただけいいのかもしれないけれど。
頬にあった大きな擦り傷が治りかけた頃、ミンソクはようやく目を覚ました。
「ミンソガ……!」
心臓が大きく跳び跳ねて思わず声をあげると、瞼を瞬かせてゆっくりと開いた。定まらない焦点の先に僕を捕らえて、ゆっくりと大きく瞬きをする。
ミンソクが目を覚ました。
それは事故から2週間が過ぎた頃だった。
「ミンソガ!わかる??ルハンだよ?」
「……ル、ハン?」
「うん!そう、ルハン!」
「……あぁ」
ミンソクはからからの声で小さく呟いた。
「……よかった」って力が抜けて思わず腰を抜かして床にへたり込んだ。
よかったよかったよかった
ありがとうありがとうありがとう
やっと呼吸ができた。あの事故の日からずっと止まっていた僕の呼吸が。
もう心配ありません、と先生に言われて、涙が止まらなかった。
「ヒョン!よかったですね!」
喜ぶジョンデに、うんうんと何度も頭を振って。
障害は残らず、意識が戻ればもう大丈夫ということなので、これからは怪我の治療と体力の向上が目標。
のはずだったのに。
ミンソクの異変に気づいたのは、それから三日ほど経ってからだった。
目を覚ましたことで嬉しさのあまり気づかなかったけれど、ミンソクは笑わなくなっていたのだ。
どんな話をしてもまったく、だ。
「そういえば、この前ジョンデがねイシンとケンカしてさ、」
笑いながら話しかけても「うん……」って小さく呟くだけで。
「ミンソク?面白くなかった?」
「うん、あぁ……」
何を言っても虚ろな表情で。
「ねぇ、どうしたの?」
僕が言うと「ごめん」って言って布団に潜ってしまう。
先生に言っても検査の結果は異常ないですって言うばっかりで。心の問題だろうって。カウンセラーでもつけますかって。
なにそれ。わかんないよ。
ミンソクは笑い方を忘れたみたいに、笑わなくなってしまった。
僕が予想してたみたいな「心配かけてごめんな」っていう苦笑いも、「お前を残して逝くわけなんかないだろ」って得意気な笑みも。彼はくれない。
目を覚ましたって、笑いあえなきゃ意味ないじゃん。
最初はそれでも目を覚ましてくれたんだから、ゆっくり治していけばいいって思ってた。だけど言い聞かせるのは思った以上にしんどくて。
「ヒョン、大丈夫ですか?疲れた顔してます…」
「うん……大丈夫……」
毎日ミンソクのいる病院に通って。毎日笑顔で話しかけて。
だけど返っては来ない笑顔に、僕は少しだけ疲れ始めていたのかもしれない。
悲しかったんだ。
あんなにいつも笑いあっていたのに。そんな小さなことが叶わなくて。別人みたいになっちゃったミンソクを見てるのが辛かったんだ。だけどそんなこと言えるわけなくて。命があって意識を取り戻してくれただけで感謝しなきゃいけないのに。こんなことを考える自分を責めることしかできなかった。
どうか明日は笑ってほしい。
意識の遠く白んだ世界で、ずっと向こうの方から僕を呼ぶ声が聞こえる。
「…………ハン……ルハン……」
酷く懐かしい声だ。
「……ミン…ソク…?」
「ルハン……!よかった……」
ゆっくりと瞼を開くと、辺りは見慣れた病室で。ミンソクが寝てるはずのベッドで僕は天井を見上げていた。ゆっくりと視線をずらすと彼はなんとも言えないような表情で。
「お前、1ヶ月も寝てたんだぞ」って苦笑いをされた。
「……ミン、ソガ」
ゆっくりと手を伸ばすと、しっかりと握られる。
「よかった……」
そう呟いて、ミンソクは涙を浮かべた。
「ミンソク……怪我は?……もう、いいの?」
からからと乾く喉を開いて懸命に訪ねる。
「は……?怪我してんのはお前だろ?」
「え……?」
「車にはねられて意識不明の重体だったんだから」
「……それはミンソク、でしょ?」
混乱する頭を必死に回転させた。
「何言ってんだよ。夢でも見てたんじゃないか?」
「夢……?」
「あぁ。」
そう言って、彼は笑った。
そっか、夢か……
僕が見てたのは夢だったのか……
一筋の涙が目尻から流れ落ちた。
ミンソクが笑ってくれるなら、僕はもうなんだっていい。
「心配させるな、馬鹿ルハン」
ミンソクは僕の好きな笑顔で、困ったみたいにそう言った。
終わり