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クリスとスホ



深夜、みんなが寝静まった頃にアイツはやって来る。
静かにドアを開けられて、俺が寝てるのを確認して、枕元にやって来ては呟く。

「好き」

耳元で繰り返される言葉。高くて涼やかな声。
俺が起きてるなんて思いもしないのだろう。毎夜繰り返されるそれを、俺はいつも楽しみにしている。


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洗脳、できたらいいな、って。
そう思って始めた秘密の行為。彼の夢の中にでもいれたらいいなって。
直接言うのは憚られるから。立場が、性別が、関係が。理由ならいっぱいある。
だけど、彼の心くらいは侵食したくて。だから小さな抵抗。
万が一、億が一にもクリスが俺のことを好きになってくれたら、結ばれなくても幸せだ。


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「クリス、次のスケジュールなんだけど……」

毎夜好きだと呟く同じ口で、同じ声で、事も無げに仕事の話をする。

「あぁ、どうした」
「ベッキョナが少し熱っぽいから気を付けてあげて」
「あぁ、わかった」

去り際の残り香は昨夜と一緒で、甘く清潔な香り。それに誘われる俺は差し詰め蜜に群がる蜜蜂か。


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『好き』という二文字がいつも頭の中にある。彼に向ける目線は甘すぎやしないだろうかと思案して。それでも止められない想いをもて余して。深夜にひっそりと溢すそれは、謂わばガス抜きのようなもの。
「好き」と呟いた瞬間だけわずかに呼吸ができる。

だから今夜も彼の耳元で同じように呟いて、少しの呼吸をして、部屋に戻ろうとしたのに、それは叶わなかった。


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気が付くと目を開けて、彼の腕を掴んでいた。驚いて見開いている目が暗闇の中、光っている。

「……え」

小さく蚊の鳴くような声で彼が呟いた。

「あ、あの……」

どうしていいのか分かんないんだろう。俺は今まで起きていたのか寝ていたのか。呟いた言葉は聞かれているのか、いないのか。

ふっ、と小さく笑うと見開いた瞳を揺らした。

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バレた、と思わず逃げようとしたけど腕を掴まれて叶わない。
心臓が飛び出そうなほど震えて、静まり返った室内でクリスがふっ、と溢した呼吸音が響いた。
何か言わないと。誤魔化しでも言い訳でも。なにか。

そうひとりで焦っていると、腕を掴んでいた手は徐々に滑り落ち、ついには掌を握られていた。その仕草があまりに優しくて、びくりと震えた。


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「……ご、ごめん」
「なぜ謝る?」
「だって……その……」

こうなることはわかっていたのに、なぜ俺はこの手を掴んでしまったのだろう。ただ、この関係より少しだけ進めてみてもいいんじゃないかと思ったのは確かで。
掴んだその手は微かに震えていた。


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「……聞いた?」

恐る恐ると問うと、クリスは「あぁ……」とこぼした。

「……ごめん。忘れて」
「なぜ?」
「なぜって……」

気持ち悪いだろ?と紡いだ唇は端の方が引きつって震えていた。どうかそんなことには気づかないで欲しいと願う。


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「本気で、言ってんのか?」
「え……」
「気持ち悪いって、本気で言ってんのか?」

見つめた瞳は暗闇の中でも確かに重なっていた。

「だって……」

ベッドから抜け出し彼の前に立つ。重なる視線は離さない。自分よりも遥かに小柄な彼の白い頬に手を滑らせると彼は小さく震えた。そのまま顔を持ち上げて近づけるとそっと瞳を伏せたので、唇を重ねた。彼は緊張してるのか微動だにしなかった。


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「……え」

一瞬の出来事だった。
寝ているはずの彼に好きだと呟いて。それを聞かれて引き留められて。手を引かれたと思ったら、キス、していた。
その目に見つめられて、魔法をかけられたように瞼を伏せて。唇が離れた今も、綺麗なその顔は目の前にあるし、手は握られたままだ。

ふっ、とまた笑みを溢してクリスは俯く。

「こんなに緊張したのは、初めてだ」

不器用な彼の優しさだった。


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こんなに格好悪いなんて。中学生にでも戻ったみたいだ。心の中で苦笑した。彼を目の前にすると、何故こんなに臆病になるんだろう。壊れ物のようで、自分の大きな手だと握り潰してしまいそうだ。

「俺は、お前の魔法にでもかかったのか?」
「え……」
「それか策略にハマったのか……」


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「どちらにしろお前の勝ちだ、ジュンミョナ」

そう言って、再び唇は重なった。
けれどそれは先程よりも遥かに深くて、胸が苦しくなるやつ。呼吸が、涙が、頭の中が、ぐちゃぐちゃになるやつ。必死にすがり付いて、暗闇の中、何度も交わした。ここが宿舎で隣の部屋ではみんなが寝てることなんて、頭の中から抜け落ちていたほど。

「泣くな……悪いことしてる気になる」
「してるじゃん」
「してるのか?」

クリスがすっとんきょうな顔でそんなこと言うから、場に似合わず吹き出した。

「してるよ……すごく、悪いこと」

だからこれでおしまい。今ので終わり。俺たちは始まらない。始まっちゃいけない。


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「もう……おやすみ」

そう言ってジュンミョンは離れようとしたから、強く抱き締めた。
そんなの反則だろって。これで終わりって悲しそうな笑みを浮かべて。お前は部屋に戻ってまた泣くのか?泣くならここで泣け。俺の前で。じゃないと慰められないじゃないか。

「俺はお前に嵌められた。もう遅い。あきらめろ」

手を引いてベッドへと導いた。

「え……」
「なにもしない。だからもう寝ろ」

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ぶっきらぼうに発する言葉とは裏腹に、その腕は酷く優しくて。

明日は弟たちが起きるより先に起きなきゃいけないな、なんて考えながら緊張と喜びがない交ぜになった心を必死に静めた。

幸せなんて、感じるもんじゃない。あんなに願った幸せが、もうすでに失う怖さへと姿を変えている。

「なにを考えてる?」
「いや……」
「いいから寝ろ」
「……うん」
「早く寝ないと襲うぞ」
「……困る」
「だったら寝ろ」

自分の想いなんてすべて見透かされてるようで、初めから全部ばれていたのかもしれない。
俺はクリスの腕の中に落ちた。
とても幸せな腕の中に。



終わり
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