クリスとスホ
どうしていつもそうなんだろう。
こんなはずじゃなかったかとか、なんであんなこと言ったんだろうとか。後悔すればキリがない。
「どうせ俺はクリスみたいに強くなんかないし」
「そういうことじゃないだろ」
わかってたんだ。どうせそんなの言い訳だってことくらい。俺達はリーダーで兄貴で。弟たちの面倒を見なきゃいけない存在で。我が儘なんか許されない。なのに。
ここ最近、慣れないスケジュールや疲れから来る苛立ちなんかでグループ全体が僅かに殺気だっていたのを、今日ついにスタッフに咎められた。
事務所に呼ばれて、リーダーなんだからと怒られて。俺だって、という思いもあったのに、責任感の方が勝ってしまい、また何も言えなかった。笑って和やかに、そんなふうにみんなを落ち着かせようと試みたけど、失敗に終わって。苦笑していたところ、見かねたクリスが渇を入れてなんとか場を収めた。
自分の不出来具合を悔やんで、クリスの強さを羨んだ。
「気にするな」ってクリスは言ってくれたけど、その温もりがもうすぐ無くなってしまう事への焦燥。
もうすぐ──この活動が終わればもうすぐ、あいつはまた中国へと戻ってしまう。
今までだって離れて活動してたし、一生会えなくなるわけでもないのに。耐えられる自信が無くなったのは、わずかな時間でも一緒にいすぎたせいだろうか。心が、酷く脆くなってしまったみたいだ。
練習生の時から、あいつはいつもそばにいてくれた。体のあまり強くない俺を気遣ってサムゲタンを食べさせられた夏は、もう何年前の話だろう。
クリスが、どこかで夏バテ防止にはサムゲタンがいいと聞いたせいで、バカの一つ覚えみたいに何度も食べさせられた。食の細い俺はそんなにたくさん食べられないよって言っても「いいから黙って食え」って突き出されて。「倒れられた方が面倒だ」って。そう言われたら食べないわけにもいかなくて。でもそんな優しさが嬉しかった。
ベッドに潜って昔を思い返せば、淋しさは身体中を覆い尽くした。それらをこらえるように、タオルケットの中で背中を丸めて。このままひとつの塊になって、どこかに消えてしまいたい。
静かにドアが開く音がして、ジョンイナかジョンデか。風呂から上がったのかな、なんて。部屋ではクーラーは禁止してるから、リビングで涼んでから来たかな、とか。まぶたの奥で考えた。ヒョンはもう寝たから、ごめんな。って。
なのに、ゆっくりと足音は近づいてきて。ベッドがギシリと軋む音がして。大きく揺れて沈んだと思ったら、背中に感じる温もり。
本当は入ってきたときから分かってた。不器用で少し猫背な大男。
腰にまわされた大きな手が、タオルケットを掴む俺の手に重なった。
いつからか習慣になったそれ。
俺が気落ちしてると決まってこうして来るようになった。不器用に少ない言葉を交わして、俺が眠りにつくまで包んでくれる。優しい毛布みたいな男。
「……今日は、ごめん」
「あぁ、いいさ」
「自分のダメさ加減が嫌になる……」
「そんなことない」
お前は十分がんばってるよ。ってクリスの低い声が耳に触れた。
俺はなんてダメな人間なんだろう。クリスの優しさが胸を締め付ける。
身をよじって彼の胸元に顔を埋めれば、込み上げる愛しさ。あぁ、俺は本当にこの男がいないとダメなんだなって。
「……ありがとう」
「あぁ……」
好きな人に抱き締められて眠れるなんて、なんて贅沢なんだろう。
このままずっと続けばいいのに。なんて、いつも叶いもしないことを思う。
願わくば今だけでも……
またすぐに離れてしまうというんなら、どうして俺はこの男の暖かさを知ってしまったんだろう。
強がりは弱さの裏返しで。でもそんなの簡単に見破られて。
大好きな腕の中は、とても心地いいのと同時に、酷く苦しかった。
きっとこの想いはクリスにバレてる。
クリスの想いも。
だから時折こうして抱き締めてくれるし、寄り添ってくれる。でも口に出さないのは、リーダーとしての責任か。それとも俺自身の弱さだろうか。口にすればきっとそれは止まらない。ダメだと分かっていても手放せずにいる弱い俺をクリスはいつでも優しく、温かく包み込んでくれる。
抱き締められて眠るだけ。
恋人なんかじゃない俺達に許されてる距離は、そこまでだった。それ以上は触れることも、求めることも。俺達には許されてない。だから『好き』の代わりに言うのは、いつだって『ありがとう』で。
「ありがとう……本当に」
「あぁ」
「いつも思ってる。お前がいなかったら、俺はきっとこうして立っていられなかったよ」
「はは、そんなのお互い様だろ」
それに、とクリスは続けた。
「お前がいなかったらこのグループは存在してない」
「そんな……」
「いや、俺じゃきっと無理だった」
言って、背中にまわる腕に力が入って、そのまま胸に抱き込められた。
「俺にできることなら、いくらでも頼ればいい」
俺がしてやれるのはそのくらいなんだろう?
耳元に触れた低い声は、酷く寂しそうだった。
心臓が苦しくて、苦しくて。
見上げちゃダメだ。
見上げちゃダメだ。
必死に心の中で叫んだのに、顔を上げてしまった弱い俺は、きっと一生後悔することになるんだろう。
視線が絡まって、震えながらそっと触れた唇は思った以上に熱かった。
そのまままたぎゅと抱き締められて。煩い心臓や混乱する頭に降ってきたのは「ごめん」と呟く低い声。
腕の中でしがみついてふるふると頭を降って。悪いのは自分だと、甘えて関係を壊したのは自分だと、無言で必死に訴えた。
「悪い、こんなことするはずじゃなかったのに……」
背中を撫でる手は、いつもより暖かい気がする。
「忘れよう、今のは。その方がいい」
呟かれた言葉に、更に胸を締め付けられて、離れていく温もりを掴めなかった。
それから、忘れようと言ったその言葉を実行するように、あの夜のことはお互いに触れなかった。いつもと変わらない忙しない日常をいつもと変わらないメンバーたちと過ごしていく。ただひとつ違うとすれば、あの熱を知ってしまったこと。ただそれだけだ。リーダーという立場も責任も変わらない。燻り続ける熱だけが、俺の心で持て余されていた。
どうせなら、もっと強引に奪って欲しい。なんて言ったらクリスは笑うだろうか。忘れよう、だなんて。忘れられるはずがないのに。
イベントに全員で出席した。いつものように舞台をこなすために集まったステージ裏。レイと楽しそうに話すクリスが目に入って。いつもの光景だ、と何度も言い聞かせた。だってそれは本当にいつもの光景で。他愛もないメンバー同士の光景で。自分が稀有する様なことはなにもないはずで。
それなのに、無意識に動き出した手が、クリスの腕を掴んでいた。
クリスは驚いて振り返って、こちらを見て少し屈んで。「どうした?」って耳元で囁かれて、また視線を寄越されて。また少し屈んで差し出されたピアスの揺れる耳に「何でもない」と溢した。クリスは無言で俺の肩に優しく手を置いて、またレイへと向かった。
俺は一体何をしようとした?
何を言おうとした?
自分の思考が恐ろしくなって、慌ててクリスのそばを離れた。
うまくいかないことばかりだと思う。活動としてはこれ以上ないほどうまくいっているというのに、反比例するように気持ちだけが追い付かない。どうしてあの時顔を上げたりなんかしたんだろう。考え始めると止まらなかった。所謂、自己嫌悪だ。今まで抑えていた気持ちが、心が、次々と溢れ出して止まらない。嫉妬、独占欲。どろどろとした何かが自分自身を覆い尽くすのが分かった。
「風邪引くぞ」
夜、みんな寝静まった頃ベランダで頭を冷やしていたら、ガラリと音がして今一番会いたくな人が入ってきた。
「大丈夫」
少し苛立ちを含んで返せば、「どうした?」とまた優しい声がかかる。お前のことで悩んでるんだ、なんて言えるはずもなくて「何でもない」と、また冷たく返してしまった。
「悩みか?」
「……そんなんじゃない」
「そっ、か……」
俺のことなんか構わないで行って欲しいのに、クリスはベランダに凭れる俺の隣に並んだ。
「なぁ、もしかして……俺が言ったことが原因か?」
「……言ったことって?」
「忘れようって……」
「え……」
「別に無理して忘れようとしなくたっていい。俺が勝手にしたことだから。俺が悪い」
遠くの景色を眺めながらクリスは呟いた。
「悪かったな、あんなことするつもりじゃなかったのに」
クリスの言葉になにも返せなかった。
あの時顔を上げたのは俺だ。
「悩ませてすまない」
遠くを眺めるクリスの、少し上にある横顔を眺めた。厳密に言えば、視線を奪われたと言った方が正しいのかもしれない。その横顔は、心臓が酷く苦しくなる。
「なぁ、クリス……俺達ってリーダーだろ?」
戸惑い気味に綺麗な横顔がこちらを向いて、視線が重なる。
「ん?あぁ……」
「リーダーってさ、メンバーの見本にならなきゃいけないと思うんだ。だってそうだろ?俺たちが道を間違ったら、あいつらみんなに迷惑がかかる。だから……」
俺たちは間違っちゃいけない。
そう言いたかったのに、口がうまく動かなかった。
この気持ちは間違いなんだろうか。クリスを好きなことはいけないことなんだろうか。許されないことなんだろうか。
頭ではわかっているのに、心が、まったく追い付かなくて。何でいつもこうなんだ、と泣きたくなった。
「ごめん、何でもない。先に寝るな」
そう言って、平静を装い彼の後ろを通って部屋に入ろうとしたら、大きな手に腕を掴まれた。そのまま無言できつく抱き締められて。堪えていた涙が溢れてしまいそうで、鼻先がツンとした。
こんなときでもクリスの腕の中は暖かくて優しいなんて。
「……好きだ、ずっと」
低い声が耳を掠める。
「お前のことが好きだった。俺は、言ったらお前が苦しむと思って言わなかった。でも、言わなくても苦しむなら、俺は言う方を選ぶ」
好きだよ、ジュンミョナ。
囁かれた言葉に、結局俺は泣いてしまった。
「俺は、この気持ちを間違いだと思ったことは、一度もない」
そんなの、俺だってそうだ。俺だって、間違いだなんて思ったことはないし、後悔したこともない。いつだって支えてくれたのはクリスだったから。でも……
「悪かったな、こんなこと聞かせて」
何も言えないでいる俺に、結局クリスはまた謝った。
でも俺はそれがものすごく腹立たしくて、気付くと声を上げていた。
「なんで、なんでそんなに勝手なんだよ!」
「え…」
「俺が…どれだけ我慢してたと思ってるんだ!なのに、なんでそんな簡単に言っちゃうんだよ」
言葉にしちゃダメなのに。
言葉になんかしたら。戻れなくなるのに……
「ごめん……」
「だから、なんで謝るんだよ!」
「あ……えっと……」
「あーもう!」
俺は、不器用で優しいこの大男が無性に愛おしかった。
こんなの間違った道なのかもしれないし、もうすぐ離れてしまうけど、それでも、この男と同じグループにいる以上これから先もこの気持ちは消えることはないし、この気持ちを抱え込むのも限界だった。リーダーという立場も責任も、今はひとまず横に置いてもいいだろうか。これからリーダーとしてもっともっと頑張るから。だからどうか、神様も今だけは目を瞑っていて欲しい。
「俺も、好き」
終わり