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〇〇とチェン

170507 暁の星 ルーチェン(レイチェン)




キムジョンデという平凡な名前の僕に" チェン "という名前をつけてくれた人がいた。


暁の星っていう意味なんだ、って。


夜が明ける前の空が白んだ頃。
そのときに見える星のことを" チェン "って言うんだと。
その人は、異国から来ていた近所に住む大学生のお兄さんで。僕の初恋の人。

ジョンデの笑顔は、そんな頃の夜空に浮かぶお星様みたいだからって。
綺麗な笑顔で僕にそう言って微笑んでくれたんだ。
その時から、"チェン"という名前は僕の宝物になった。




あれから数年。
中学生だった僕はとっくに成人して、暁の時間にふわふわしながら酒に飲まれるくらいにはなっている。
友人たちと飲んだくれて、気づけば終電なんてとっくに出た後で、仕方ないからって朝までやってる店で適当に飲んだくれて、白んだ空を眺めながら公園のベンチに転がっていた。


もうすぐ夜が明ける。
じわりじわりと空の端から迫り来る赤。


星なんて、見えないじゃん。


ヒョンの嘘つき。




ぼんやりと空を眺めていると、生温い液体が目尻を伝った。
なんで泣いてんのかな……


僕にチェンという名前をくれた人。
綺麗な笑窪のお兄さん。





「もしかして、泣いてんの?」


瞬間、ビクリと驚いて、ゆっくりと視線をずらした。
何この人、って思いながら慌てて目尻を拭う。


「なんですか……?」
「別に。始発までヒマだなぁって思ってたら泣いてる人いたから」


声かけちゃった、と知らない人。
キラリと光るまあるい瞳。それから、ツンと上がったまあるい鼻。つるりとした小さな顔。


「なんで泣いてたの?失恋?」
「違いますけど」


好奇心丸出しで、ちょっと不躾で……不思議な人。


「空見てたら昔を思い出したんです」
「へぇ、昔……」


でも、釣られるように口を開いてしまうのは、その柔らかな眼差しと柔らかな声のせいなのかなぁ、なんて。


「昔……暁の星、って意味の名前をくれた人がいて、ちょうど今くらいかなぁって思ったけど、空見たら星なんて見えなくて……呆れてたら泣いてました」


言ってて自分でバカみたいだなと思ってたら、そのままそっくり「バカっぽいね」と笑われた。


「……失礼な人」
「はは!ごめん。あまりにも可愛い理由だったから」
「いいじゃないですか別に」


ふんっとそっぽを向くと「ごめんごめん」とその人は笑った。


「なんて名前?」
「え……?」
「その、暁の星って名前」
「あぁ。" チェン "です。異国の言葉ですけど」
「ふーん」


チェンか。
と、まぁるい鼻を得意気に鳴らして、その人は口を開いた。


「いいこと教えてあげようか?」
「いいこと?」
「うん、その名前にまつわるいいこと」
「なんですか……?」

「チェンっていうのはさ、本当は……星だけじゃないんだ」
「え?」
「星とか月とか太陽とか、そういう天体の総称。だからほら、ちゃんと見えてる」


そう言ってその人は迫り来る赤を指差した。


「"チェン"の意味は希望の赤だよ」


希望の赤 ───


夜明けに浮かぶお星様みたいだからって言ってたのに。



「なんでそんな事知ってるんですか?」
「なんでって、俺の国の言葉だもん」
「え!?」
「はは!そんな驚く?ちなみに俺の名前は夜明けの鹿って書いてルハン。明け方に生まれたんだってさ」


安易だと思わない?とその人──ルハンさんは本気で怒っていて、可笑しくてつい笑うと弛くヘッドロックをかまされた。

お酒はいつの間にか覚めていて、明け方の冷たい風が頬を擽る。



「そういえば、その名前つけたのって誰?」
「近所に住んでたお兄さんです」
「ふーん。もしかして初恋……?」
「ち、違いますよ!」
「動揺してんじゃん」
「してません!」
「またまたぁ」
「ホントですってば!」
「ふーん。じゃあ俺と遊ぶ?」
「は?」
「だって始発までまだ時間あるじゃん。ホテル行こうよ」
「はぁ?何でそうなるんですか!」
「新手のナンパ、とか!だってほら、俺たちの時間に知り合ったんだよ!?これもう運命じゃん!」



まあるい瞳を三日月に曲げて、ルハンさんが笑った背中から真っ赤な朝日が昇っていくのが見えた。


飲み込まれそうな赤は、希望の赤。



*



「おーい!チェーン!」



あれからルハンさんは面白がって僕をそんな風に呼ぶようになった。


「だから、いるならいるで連絡くれればいいのに」
「はは!いいじゃん別に」


大学のはす向かいの喫茶店。そのテラス席に座ってルハンさんはいつも僕を待ち伏せする。よりにもよってそんな目立つところで。


「もー!大学で有名ですよ」
「ホント?」


じゃあナンパしやすくなるかな、なんてする気もないくせにルハンさんはそうやって笑うんだ。見目がいいわりに意外と無頓着で、笑うと酷い顔になるのは、出会ったその日に知ったこと。



暁の空は希望の赤だと教えてくれた人は、酷く調子がいい。



「今日もウチ来るんですか?」
「もちろん。ダメ?」
「別にいいけど」



ご機嫌に鼻を鳴らしながら、ルハンさんは僕の肩に腕を回した。僕よりも細い腕で。けれど僕よりも男らしく。


今夜は特製の辛いチゲがいいと言うので、帰りにスーパーに寄って買い物をしていくことにした。

男二人でスーパーに寄るのももう何度目だろうか。なんて考えてはみたけど、すぐに思い付かないくらいの回数を重ねていて、いつの間にこんな関係になったんだろう……なんて。


あんな風に偶然知り合った暁の夜から、僕らは気付けばいつも一緒にいるような気がする。



ルハンさんが押すカートに僕は次々と食材を放り込んでいく。
ルハンさんはちょっと目を離すと試食のおばさんに捕まっているので、慌てて戻って引っ張ったり。強引そうに見えて意外と押しに弱いところは、こうして一緒にスーパーをまわるようになって知ったことだ。


買い物を終えて、レジを通して、袋に詰めて。この慣れた関係は端から見るとどう見えるんだろう。兄弟?友人?きっと兄弟のようには似ていないけど、友人というよりは距離が近いような、そんな曖昧な関係に見えているのだろう。それならそれが正解なんだと思う。だって僕らの関係はとても曖昧だから。



二人で並んで食材を袋に摘めて、最後に明日の朝食の食パンを乗せて。二つに分けて入れた袋を一つずつ掴んだ。
ちなみにルハンさんは、すかさず無言でペットボトルが入った方の袋を持ってくれる。そういう人なんだ。可愛らしい顔つきのくせに、然り気無くて格好いい。男らしくて、僕もこういう人になりたいと思わせるような。そんな魅力のある人。




スーパーを出て、アパートまでの通りを歩く。
そろそろチゲって季節でもないですね、なんて笑いながら。でも汗かきながら食べるのがウマいんじゃん、とか言い合って。そうして角を曲がったとき、




「チェン……?」




懐かしい顔が現れた。




「…………シン、ヒョン?」
「そう!僕のこと覚えてる!?昔近所に住んでたんだけど」
「もちろん!わぁー、ヒョン久しぶり!元気でしたか!?」
「うん、チェンも元気そうだね。この辺に住んでるの?」
「はい。ヒョンは?」
「ヒョンもこの近くだよ。実家に戻ってたんだけどね、最近またこっちに来て住み始めたところなんだ」


何年ぶりだろうね、と相変わらず笑窪の綺麗な顔でその人は笑った。



僕の初恋のイシンヒョン。


チェンという名前をくれた人──




「6年ぶりくらいですかね」
「そっかぁ、6年ぶりかぁ……」


そう言ったあとシンヒョンは近くにいたルハンさんに気づいたのか、「あ、すみません」と慌てて頭を下げた。

ルハンさんは大人の笑顔で「いえ、」と言ってくれたけど、僕もあまり待たせるのも悪いと思ったので、「ヒョン、じゃあまた」と別れを告げた。


「うん、また。また会えたら、その時はご飯でも行こうね」


シンヒョンはそんな風に、まるで運命に身を任せるみたいに別れ際の言葉を僕に言う。


「そうですね、」


僕も笑顔で頷いた。
ルハンさんは少し驚いてるようだった。



「よかったの?」
「何がですか?」
「だってあれ、初恋だろ?」
「そうですね」


ってよく覚えてましたね、と笑うとルハンさんは僕の腕を掴んだ。


「お前泣くほど好きだったんじゃないの?俺の事なんかいいから、今からでも追いかけて連絡先くらい聞いて来いよ」
「いいですよ、別に」
「よくないって!」
「いいんです。さ、帰って早くチゲ作りましょう」


僕は僕の腕を掴むルハンさんの手をほどいて、今度はルハンさんのその腕を僕が掴んだ。




アパートに帰って僕がチゲを作っている間中、ルハンさんは物言いたげに仏頂面をしていた。
そんなルハンさんをクスクス笑って、僕は鼻唄を歌う。



そうしてテーブルの上に鍋を移しているとき、「あ!」とルハンさんが声を上げた。



「なんですか?今度は」
「チェン、あの人のこと何て呼んでた!?」
「あの人って……シンヒョンですか?」
「そうそう!ちゃんとした名前は?」
「えっと、確かイシンヒョン……チャンイーシンですけど、それがなにか?」
「やっぱり!シン……シンチェンだ!」
「シンチェン?」
「そう!シンチェン!字は違うと思うけど音だけなら、二つ並ぶと"宇宙に浮かぶ星"って意味になるんだ!だから暁の星って言ったんじゃないか!?」


「二つ並ぶと、宇宙に浮かぶ星……?」



僕と、シンヒョンが並ぶと、宇宙に浮かぶ星……


「素敵ですね」


そう言って笑うと、ルハンさんは「バカ!」と声を上げたので、僕は思わず菜箸を取り落とした。


「その人もお前のこと特別だったって意味だろ?」
「え?あぁ、そうなんですか?」


落とした菜箸を拾い直して水で濯いで、拭きながらまたテーブルへ戻って鍋の横に置いた。

僕は、どうしてだか落ち着いていた。
ルハンさんのその説明を聞いたというのに。



「初恋なんじゃ……ないの?」
「そうですけど?」
「それでそんな落ち着いてられるもん?」
「まぁ、昔の話ですからねぇ」


それより早く食べましょうよ、と蓋を取ると一気に湯気が室内を充満させた。それと同時に唐辛子の匂いも広がる。


こんな風に落ち着いていられることに理由があるとするなら、ただひとつ。それは、ルハンさんがいることだ。


希望の赤だと教えてくれた人。




「ヒョン、」
「ん?」
「ふふ、ルハニヒョン」
「あ……!」



僕は初めてルハンさんを"ヒョン"と呼んでみた。
例えばそう、今よりもっと距離が近づくように。


「"チェン"って名前、僕にとっては宝物みたいな名前だったんです」
「うん」
「でも、ルハニヒョンに会ったあの日から意味が変わりました。ヒョンが希望の赤だって教えてくれたから。その方が僕には合ってるような気がして」
「チェン……」
「それにほら!僕たち、僕たちの時間に会ったじゃないですか!そう言ったでしょ?ヒョン。だからそっちの運命を信じてみようかと思って」
「そっちの運命?」
「はい、暁の時間に出会った運命」


夜明けの鹿と夜明けの星。

夜明けは希望の赤で、新たな出会いを彩る色。



「どうですか?」
「ど、どうって……」
「毎日毎日大学まで迎えに来なくたって、僕は逃げたりなんかしませんよ?ってことです」
「な……!」


慌てふためくルハニヒョンを見ながらチゲを掬って取り分けて。


「あ、でも僕方向音痴なんで、やっぱり迎えに来てもらってもいいですか?」


しょうがないなぁと呆れた素振りのヒョンと視線を交わして肩を竦めて笑いあった。



結局、暁の星だろうが希望の赤だろうが、僕には"チェン"という名前があって、そうしてルハニヒョンと出会えたことが、一番の幸せで。

あの日二人で見た強烈な朝日を、僕はずっと忘れないと思う。


希望の赤は、ルハニヒョンだ。




おわり
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補足
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ちなみに"シンチェン"とは、『星辰』と書きます。イーシンのシンと字は違うけど、多分読み方は同じかな。宇宙に浮かぶ星という意味になるそうです。一気にEXOっぽくなったしロマンチックなので、やっぱりまた別の話でも使おうと思います(笑)
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