チャニョルとベッキョン
こうなることは、はじめから分かってたのに。
馬鹿な俺はこの想いを止められなかった。
研修だかなんだか知らないけど、ある日あいつが片田舎のこの町に来て。町長のおっちゃんから、歳も同じだし面倒見るようにって言われて。面倒くせぇなぁって思ってたのにあまりにも気が合うもんだから、気付けばいつも一緒にいるようになって。
俺は子供の頃からこの田舎町で育った。風光明媚なこの町が誇れるものといったら山と川くらいしかないんだけど、チャニョルはその川の調査に来たと言った。
唯一の家族だったじいちゃんが死んで、今にも壊れそうなこの家に一人で住んでいた俺のところに町長のおっちゃんがチャニョルを連れて来たのはまだ夏の陽気が感じられる頃で、ちょうどいいから居候させてやってくれ、なんて言われた。
都会から来たあいつは薪のくべ方も知らなくて、貸せよバカってマッチを奪って。「ベッキョナすげぇ!」ってオーバーリアクションではしゃぐから「こんなん、子供の頃からやらされてたら馬鹿でも出来るようになるよ」って笑った。
でも料理はあいつの方が上手かったな。世話好きなのか、いつも飯は作ってくれたし、荷物を持ってくれたり傘をさしてくれたり。素直じゃない俺はありがとうの一言が言えなかったけど、あいつはいつも笑ってくれた。
幼馴染みのギョンスとジョンデも加わって、暇さえあれば馬鹿騒ぎして。俺たちの輪に、あいつはいとも簡単に入り込んだ。
研修だかなんだか、仕事で来てるはずなのにあいつの荷物にはアコースティックのギターがあって。「何でこんなの持ってきてんだよ」って問えば、「好きだからに決まってんじゃん」って笑った。あいつの指先は弦を押さえるせいで固くなっていて、いつだか手を握ったときに酷く驚いた。だけど馬鹿な俺はそれが何だかとても格好よく思えて、無駄に胸が弾けたんだっけ。
みんなが集まればチャニョルのギターに合わせて歌って騒いでとても楽しくて好きだったけど、二人の時に爪弾きながら歌うあいつの歌声は低くて暖かくて、もっと好きだった。
にぃって笑ったときに並ぶ綺麗な歯も、皮の固くなった指先も、低くて優しい声も、少し猫背の背中も。気付けば全部好きだった。
「ベッキョナ、ありがとう」
最後だからと昨夜二人で飲んだときに囁かれた言葉は、"好き"でも"愛してる"でもなく、"ありがとう"だった。
ありがとうって言って、どっかの馬鹿みたいに俺の額に唇を寄せたんだ。
「なにキザなことしてんだよ」って笑ったけど、心臓は壊れそうなほどに脈打っていた。
一時間に一本しか走ってないような駅で電車を見送って、あいつは帰っていった。
心に、ぽっかりと穴が空いてしまったみたいで。
「ベッキョナー、この後飯でも行くー?」
あいつを送った帰り道、前を歩くジョンデとギョンスが振り返ってあげた声に、俺は苦笑しながら腕を上げて大きくバツを作った。
「じゃあ、またなー!」
「おう」
二人と別れて一人で歩く家路は、酷く寂しかった。
あいつの声が、笑顔が、温もりが、そこら中に転がってるみたいで。なのにあいつはいなくて。クソ、なんて舌打ちして。玄関から直行した風呂に湯を溜めて、勢いよく頭まで潜った。
いつもの癖で流した防水仕様のFMラジオから、あいつが歌っていた曲が流れて。こんなに甘ったるい歌だったけか、なんて苦笑した。あの暖かい歌声が蘇って、心臓が締め付けられる。
「……っく……、っ……」
込み上げる涙を拭い去るように、何度も何度も湯で顔を擦った。頭の中を駆け巡るのは、同じ言葉で。後悔が押し寄せる。
それは、言えなかったひとつの言葉。
すき……すき……
すき……すき……
すき……すき……
俺はチャニョルが、
すきだった。
おわり