残香(支配人)
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「なまえさーんメイク落ちてしもたから直してぇ」
「もう、直しくらいは自分でしなよね」
「だってなまえさんめっちゃメイク上手いんやもん!」
「なまえさんそん次あたしなー!」
「ええ〜?」
グランドで働き始めてから長い時間が経った。表立った仕事ではないが、裏方で女の子たちのサポートをしながら納得のいく仕事ができている。私の姉がメイク関連の仕事をしているため、私が学生の頃から私の顔を使ってはメイクの練習をされた。メイクに興味のなかった私でさえ嫌でもメイクの知識がついていき、おかげで衣装やメイクに関わるこの職にもつくことかできた。女の子からはとても頼りにされていて今では姉に感謝している。
「なんやなまえちゃんモテモテやないか」
「あ、支配人」
「あ、真島さんや!」
スタッフルームに顔を出しに来たのはグランドの支配人である真島さんだった。
「なぁなぁ真島さん。あたし今日結構頑張ったんやで?」
「あぁ希ちゃんがついた席の客、証券会社の社長さんやったな。えらい盛り上がっとったし高い酒も買うてくれてたな!さっすが希ちゃんやで!」
「えへへー褒めてくれてめっちゃ嬉しいわぁ!」
「今月の明細楽しみにしとってな」
「ほんまに!?ありがとぉ真島さん!」
彼がグランドの支配人になってから、この店の雰囲気がとてもよくなっている。売上は毎月右肩上がりで上がっていくし、何より彼は客やスタッフの求めていることに最善を尽くしてくれる。先ほどの光景でも見てわかるように、女の子の活躍ぶりを上手に褒め、やる気に繋がるよう今月の給料を上げてくれるようだ。
「あぁ、せやった。なまえちゃんに用があって顔出したんや。ちょっと事務室まで来てもらえんか?」
「はい、わかりました」
「えぇー真島さんばっかなまえさんを独り占めだなんてずるいー!」
「いや〜すまんなぁ」
「なまえさん化粧直しはー?」
「また今度ね」
申し訳なさそうに眉を八の字にさせ、笑いながら歩き出した支配人。そんな彼の背中を追ってスタッフルームをあとにした。
「すまんの、話してるときに呼び出して」
「いえ、大した話はしていなかったので」
「そか」
1つしか見えない支配人の目からは疲れを感じとれた。蒼天堀No.1のキャバレーともなるとやることは山ほどある。もともと衣装やメイク関連の仕事をメインとしていた私も今では事務や雑務も任されている。
「これ、来月の発注書な。足らんもんあったら多めに発注しとき」
「はい、わかりました」
そう言って発注書を渡し、支配人は自分のデスクに深く腰掛けた。ん?もしかして用事はそれだけなのだろうか。いつもは私のデスクに置いておいてくれるだけなのに今日はわざわざ手渡ししてくれた。
「なまえ、最近どうや?」
支配人は私と2人でいるときは決まって呼び捨てで呼んでくる。でも、誰かしらの前ではなまえちゃん、と陽気に呼んでくるのだ。別に深い関係の仲ではないのだけれど…私が思うに支配人の気が緩んでいるときは呼び捨てで呼ばれる気がする。
「最近ですか…?えーっと女の子たちの肌の調子がとてもいいのでメイクがしやすい…ですかね」
「阿呆、それ自分のことちゃうやろ。俺はなまえのこと聞いてんねんで?」
「そ、そうですか?うーん…」
「まぁパッと思いついたのが女の子たちのことやからほんまに仕事熱心やの」
そう言うと支配人は煙草に火をつけ吸い始めた。
「支配人はお疲れのように見えますが、大丈夫ですか?」
支配人はくわえていた煙草を人差し指と中指で持ち、私の方を見る。
「そう見えるか」
「…はい」
「なまえはちゃんと周りのこと見とるな…俺のことも」
再び煙草を口にくわえ、吸う。少し開けた口から煙を吐き出す。そのひとつひとつの動きにいつの間にか見惚れていた。
「そんなことないですよ。昔は今より切羽詰まってましたし…今は支配人のおかげでグランドも賑やかになって少し心の余裕ができただけです」
「それならよかったわ」
「はい、支配人には感謝してもしきれないです」
私は支配人のことをよく知らない。怖そうな顔をしているが実は優しいところとか、『夜の帝王』と呼ばれていることとか。その程度のことしか私は彼を知らない。仕事柄の関係なんてそんなものなのだろう。けれど、私には想像もつかないような大きなものを、彼は背負っているように見えた。それに気づいたときから自然と彼のことが気になっていた。
「なまえみたいに真面目な子はこないな街やと苦労するやろ?」
「そんなことないですよ…それに、私真面目じゃないので」
「あ?なんでや?なまえぐらいの歳の女でなまえみたいな真面目な子そうそうおらんやろ」
「あはは、そうですかね?でも私、親不孝者なので…」
「…なんかしたんか?」
「私、本当は大学を受けるつもりだったんですけど…まぁ、その、なかなかうまくいかなくて…最終的にこの職に就いたんですけど、両親にはもちろん大反対されて…逃げるように家出してきたんです」
「………」
「親の期待を裏切ってしまった私は決して真面目な人間ではないんです……ってすみません!暗い話しちゃって…」
こんなこと話すつもりは1ミリもなかったし誰かに話す予定もなかった。でも、何故か支配人にはなんの躊躇いもなく話してしまった。
「俺もや」
「…え?」
支配人は小さくなった煙草を灰皿に押しつけ、話し出した。
「俺も、親に逆らってしもて、ここにおる…」
「…そうだったんですか」
「…でも、なまえとは違うとこがある」
「え?」
「ほんとのこと言うとな…ここで働くんは嫌で嫌で仕方ない。せやけど、俺はこのグランドの売上をどうしても上げなあかんねん」
「………」
知らなかった。支配人の仕事ぶりにはとても目を見張るものがある。私とそこまで歳は変わらないが、優れた経営手腕を持っている。だからこの職にも望んで就いていたのだと思っていた。やはり、支配人は私が思っていた以上に大きなものを背負っているようだ。
「すまんな、こないな話聞かせて…軽蔑したやろ?」
小さな笑いを含みながらそう言うと、真島さんはもう一本煙草を吸い始めた。
「いえ、そんな…」
「なんや俺らちぃとばかし似とるとこがあったんやな」
麻尋の話聞けてよかったわと嬉しそうに目を細める。私は自分の席から立ち上がってパイプ椅子を支配人の席の近くにおいて座った。
「支配人」
「あ?」
「1本もらってもいいですか?」
「…吸うんか?」
「支配人ほどではないですけど…たまに家で」
「ならええわ」
机に置いてあるハイライトの箱から手に取りやすいように煙草を1本出してくれた。
「ハイライト、実はずっと気になってたんです」
「俺が吸ってるからか?」
「…はい」
支配人は悪い笑顔を浮かべ、からかいながらそう聞いてくると私は素直に返事をした。支配人はそんな返事がくると思っていなかったのか、目を見開いたあと私から顔を少しだけ逸らした。支配人を少し困らせることができて自然と小さく笑いが零れた。
「あ」
貰った煙草を口にくわえると、ライターを持ってないことに気づいた。
「そのままじっとしとれ」
支配人は胸ポケットからシルバーのジッポライターを出し、カチャンと綺麗な音をたてながら火をつけた。火を煙草の先に近づけてもらい、私も自然と体が火に近づく。そうなると必然と私と支配人との距離は近くなり、胸が少し高鳴った。火をつけてもらっている間、支配人の顔をちらりと盗み見た。私が火に近づきやすいように体を屈めているからか、片方だけ見えている目はちょうど伏せ目になっていた。意外とまつ毛が長くてまた胸が高鳴った。
「おい」
「へっ?」
「火、ついたで」
「あ、あぁ!ありがとうございます…!」
「何をボーッとしとるんや…」
机に肘を置いて頬をつきながら呆れた顔を向けられたが、どこか優しさも感じた。見られながら吸うと酷い苦さに顔をしかめた。
「なんちゅー顔しとんねん!」
「噂には聞いてましたが…やっぱ苦いですね…」
「なまえにはまだ早かったか!」
「マルボロしか吸ったことないんです!」
「ほぉ〜?なまえにはお似合いの銘柄やな」
「どういう意味ですかそれ…!」
ヒヒッと小さく笑われて誤魔化された。もう一度吸ってみたがやはり私には合わなかった。支配人は煙草を美味しそうに吸い、灰皿にカスをトントンと捨てる。
「さっきここで働くのが嫌で嫌で仕方ないって言ったろ?」
「…はい」
「あれ、撤回するわ」
「え?」
もう一度煙草を吸って煙を口から出すとこちらに顔を向けてきた。
「なまえがおるからここにおるのもええもんやな」
「………」
体が熱くなるのを感じた。どうして、この人は、本当に、そんなことを簡単に言ってのけるのだろう。
「…ありがとう、ございます」
「なんや…照れとるんか?」
「て、照れてないです!」
嘘だ。きっと顔は赤くなっていて彼にもそれがバレているだろう。ただ、否定したくて仕方がなかった。私の中に芽生えたこの特別な感情を彼に知られてはいけない。それに、彼はおそらく私の気持ちには答えてくれない。私の知らない、遠い、遠い場所に行ってしまいそうだから。
「もう、直しくらいは自分でしなよね」
「だってなまえさんめっちゃメイク上手いんやもん!」
「なまえさんそん次あたしなー!」
「ええ〜?」
グランドで働き始めてから長い時間が経った。表立った仕事ではないが、裏方で女の子たちのサポートをしながら納得のいく仕事ができている。私の姉がメイク関連の仕事をしているため、私が学生の頃から私の顔を使ってはメイクの練習をされた。メイクに興味のなかった私でさえ嫌でもメイクの知識がついていき、おかげで衣装やメイクに関わるこの職にもつくことかできた。女の子からはとても頼りにされていて今では姉に感謝している。
「なんやなまえちゃんモテモテやないか」
「あ、支配人」
「あ、真島さんや!」
スタッフルームに顔を出しに来たのはグランドの支配人である真島さんだった。
「なぁなぁ真島さん。あたし今日結構頑張ったんやで?」
「あぁ希ちゃんがついた席の客、証券会社の社長さんやったな。えらい盛り上がっとったし高い酒も買うてくれてたな!さっすが希ちゃんやで!」
「えへへー褒めてくれてめっちゃ嬉しいわぁ!」
「今月の明細楽しみにしとってな」
「ほんまに!?ありがとぉ真島さん!」
彼がグランドの支配人になってから、この店の雰囲気がとてもよくなっている。売上は毎月右肩上がりで上がっていくし、何より彼は客やスタッフの求めていることに最善を尽くしてくれる。先ほどの光景でも見てわかるように、女の子の活躍ぶりを上手に褒め、やる気に繋がるよう今月の給料を上げてくれるようだ。
「あぁ、せやった。なまえちゃんに用があって顔出したんや。ちょっと事務室まで来てもらえんか?」
「はい、わかりました」
「えぇー真島さんばっかなまえさんを独り占めだなんてずるいー!」
「いや〜すまんなぁ」
「なまえさん化粧直しはー?」
「また今度ね」
申し訳なさそうに眉を八の字にさせ、笑いながら歩き出した支配人。そんな彼の背中を追ってスタッフルームをあとにした。
「すまんの、話してるときに呼び出して」
「いえ、大した話はしていなかったので」
「そか」
1つしか見えない支配人の目からは疲れを感じとれた。蒼天堀No.1のキャバレーともなるとやることは山ほどある。もともと衣装やメイク関連の仕事をメインとしていた私も今では事務や雑務も任されている。
「これ、来月の発注書な。足らんもんあったら多めに発注しとき」
「はい、わかりました」
そう言って発注書を渡し、支配人は自分のデスクに深く腰掛けた。ん?もしかして用事はそれだけなのだろうか。いつもは私のデスクに置いておいてくれるだけなのに今日はわざわざ手渡ししてくれた。
「なまえ、最近どうや?」
支配人は私と2人でいるときは決まって呼び捨てで呼んでくる。でも、誰かしらの前ではなまえちゃん、と陽気に呼んでくるのだ。別に深い関係の仲ではないのだけれど…私が思うに支配人の気が緩んでいるときは呼び捨てで呼ばれる気がする。
「最近ですか…?えーっと女の子たちの肌の調子がとてもいいのでメイクがしやすい…ですかね」
「阿呆、それ自分のことちゃうやろ。俺はなまえのこと聞いてんねんで?」
「そ、そうですか?うーん…」
「まぁパッと思いついたのが女の子たちのことやからほんまに仕事熱心やの」
そう言うと支配人は煙草に火をつけ吸い始めた。
「支配人はお疲れのように見えますが、大丈夫ですか?」
支配人はくわえていた煙草を人差し指と中指で持ち、私の方を見る。
「そう見えるか」
「…はい」
「なまえはちゃんと周りのこと見とるな…俺のことも」
再び煙草を口にくわえ、吸う。少し開けた口から煙を吐き出す。そのひとつひとつの動きにいつの間にか見惚れていた。
「そんなことないですよ。昔は今より切羽詰まってましたし…今は支配人のおかげでグランドも賑やかになって少し心の余裕ができただけです」
「それならよかったわ」
「はい、支配人には感謝してもしきれないです」
私は支配人のことをよく知らない。怖そうな顔をしているが実は優しいところとか、『夜の帝王』と呼ばれていることとか。その程度のことしか私は彼を知らない。仕事柄の関係なんてそんなものなのだろう。けれど、私には想像もつかないような大きなものを、彼は背負っているように見えた。それに気づいたときから自然と彼のことが気になっていた。
「なまえみたいに真面目な子はこないな街やと苦労するやろ?」
「そんなことないですよ…それに、私真面目じゃないので」
「あ?なんでや?なまえぐらいの歳の女でなまえみたいな真面目な子そうそうおらんやろ」
「あはは、そうですかね?でも私、親不孝者なので…」
「…なんかしたんか?」
「私、本当は大学を受けるつもりだったんですけど…まぁ、その、なかなかうまくいかなくて…最終的にこの職に就いたんですけど、両親にはもちろん大反対されて…逃げるように家出してきたんです」
「………」
「親の期待を裏切ってしまった私は決して真面目な人間ではないんです……ってすみません!暗い話しちゃって…」
こんなこと話すつもりは1ミリもなかったし誰かに話す予定もなかった。でも、何故か支配人にはなんの躊躇いもなく話してしまった。
「俺もや」
「…え?」
支配人は小さくなった煙草を灰皿に押しつけ、話し出した。
「俺も、親に逆らってしもて、ここにおる…」
「…そうだったんですか」
「…でも、なまえとは違うとこがある」
「え?」
「ほんとのこと言うとな…ここで働くんは嫌で嫌で仕方ない。せやけど、俺はこのグランドの売上をどうしても上げなあかんねん」
「………」
知らなかった。支配人の仕事ぶりにはとても目を見張るものがある。私とそこまで歳は変わらないが、優れた経営手腕を持っている。だからこの職にも望んで就いていたのだと思っていた。やはり、支配人は私が思っていた以上に大きなものを背負っているようだ。
「すまんな、こないな話聞かせて…軽蔑したやろ?」
小さな笑いを含みながらそう言うと、真島さんはもう一本煙草を吸い始めた。
「いえ、そんな…」
「なんや俺らちぃとばかし似とるとこがあったんやな」
麻尋の話聞けてよかったわと嬉しそうに目を細める。私は自分の席から立ち上がってパイプ椅子を支配人の席の近くにおいて座った。
「支配人」
「あ?」
「1本もらってもいいですか?」
「…吸うんか?」
「支配人ほどではないですけど…たまに家で」
「ならええわ」
机に置いてあるハイライトの箱から手に取りやすいように煙草を1本出してくれた。
「ハイライト、実はずっと気になってたんです」
「俺が吸ってるからか?」
「…はい」
支配人は悪い笑顔を浮かべ、からかいながらそう聞いてくると私は素直に返事をした。支配人はそんな返事がくると思っていなかったのか、目を見開いたあと私から顔を少しだけ逸らした。支配人を少し困らせることができて自然と小さく笑いが零れた。
「あ」
貰った煙草を口にくわえると、ライターを持ってないことに気づいた。
「そのままじっとしとれ」
支配人は胸ポケットからシルバーのジッポライターを出し、カチャンと綺麗な音をたてながら火をつけた。火を煙草の先に近づけてもらい、私も自然と体が火に近づく。そうなると必然と私と支配人との距離は近くなり、胸が少し高鳴った。火をつけてもらっている間、支配人の顔をちらりと盗み見た。私が火に近づきやすいように体を屈めているからか、片方だけ見えている目はちょうど伏せ目になっていた。意外とまつ毛が長くてまた胸が高鳴った。
「おい」
「へっ?」
「火、ついたで」
「あ、あぁ!ありがとうございます…!」
「何をボーッとしとるんや…」
机に肘を置いて頬をつきながら呆れた顔を向けられたが、どこか優しさも感じた。見られながら吸うと酷い苦さに顔をしかめた。
「なんちゅー顔しとんねん!」
「噂には聞いてましたが…やっぱ苦いですね…」
「なまえにはまだ早かったか!」
「マルボロしか吸ったことないんです!」
「ほぉ〜?なまえにはお似合いの銘柄やな」
「どういう意味ですかそれ…!」
ヒヒッと小さく笑われて誤魔化された。もう一度吸ってみたがやはり私には合わなかった。支配人は煙草を美味しそうに吸い、灰皿にカスをトントンと捨てる。
「さっきここで働くのが嫌で嫌で仕方ないって言ったろ?」
「…はい」
「あれ、撤回するわ」
「え?」
もう一度煙草を吸って煙を口から出すとこちらに顔を向けてきた。
「なまえがおるからここにおるのもええもんやな」
「………」
体が熱くなるのを感じた。どうして、この人は、本当に、そんなことを簡単に言ってのけるのだろう。
「…ありがとう、ございます」
「なんや…照れとるんか?」
「て、照れてないです!」
嘘だ。きっと顔は赤くなっていて彼にもそれがバレているだろう。ただ、否定したくて仕方がなかった。私の中に芽生えたこの特別な感情を彼に知られてはいけない。それに、彼はおそらく私の気持ちには答えてくれない。私の知らない、遠い、遠い場所に行ってしまいそうだから。