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短編

「たでーま」
「お帰り」

 玄関先から聞こえた声。思ったより早かったな、と炊飯器のスイッチを押す。洗面所からは手を洗う音が響いてくる。爆豪くんは帰宅すると、まずきっちり手を洗うのが習慣だ。続いてうがいをするのも、いつもの決まり。

「ご飯のスイッチ今押したから、お風呂先にして」
「おう。帰り遅かったんか、今日」
「うん。ちょっと買い物してて――何?」

 話しながら寄ってきた彼が、ぴたりと私にくっついた。かと思えば、肩付近に顔を寄せてくる。そして、胸の下に腕を回し、ぐいと引き寄せられた。
 珍しい。
 帰って早々、こんな風に触れてくる人ではない。
 背中に伝わる鼓動に、きゅっと胸がうずいたときだった。

「……何の匂いだ、これ」
「え」

 一瞬、背筋がひやりとする。いや、別にやましいことは何もないんだけれど。
 私の不自然な間に対してか、爆豪くんがぎろりと私を睨んだ気配がする。

「男物の香水だよなァ?」
「あー……そう、なのかな」

 今日の会社の帰り、目的のものがあって、デパートに寄った。
 そして手首に試させてもらったのは、彼が言う通りの男物の香水。――ただし、主なターゲット層は女性なのだろうけれど。
 まさか気づくとは思わず、少し焦ってしまった。軽く溜息をつき、顎を上げ彼を見る。

「……何の香りか、検討つかない?」
「はあ? だから言ってんだろーが。――俺のじゃぁねえよな?」

 一段と下がった声音に、舌打ち。苛立ち全開の彼に瞬きで返す。本当に知らないんだ。

「今日、発売だったでしょ。あれ」
「ハア?」
「ん」

 カウンターに置いた紙袋を指させば、疑問符を浮かべながらそちらを見る。けれど私から離れようとしないので、彼を引きずりながら移動し手渡した。

「欲しかったから買っちゃった」
「……あー、あったな。ンなもん」

 紙袋から出てきたのは、彼のヒロコスをデフォルメしたパッケージ。それを見てやっと思い出したようだ。
 今日発売だったのは、大爆殺神ダイナマイトをイメージした香水。
 そもそもグッズ系は監修しないと言っていたけれど、本当にそうらしい。

「って、別に俺が使ってるやつでもねえのに」
「それはそうなんだけど」

 大体、本物は今すぐ横にいるどころか、私にくっついているし。香水だって、本人は休みの日にたまにつける程度だし。
 それでも、求めてしまったのは――。

「これ買うの、どんな人か知ってる?」
「あ? そりゃあ――俺のファンだろ」
「そう」

 そっと箱を抱きしめる。

「みんなが知ってるのに、私だけ知らないの嫌だなって」
「……お前しか知らないことの方が多いのにかよ」

 心なしか緩んだ声音に目線を上げれば、さっきより眉間の皺が少し減っている。

「それでも、なの」

 どうせくだらないと言われるだろうから黙っていたけれど、すぐにばれるとは思わなかった。

「ふーん」
「……何」
「別に」

 香水が入った箱を持つ私の手に、手を重ねてくる。

「つけてやろうか」
「……それはいい」
「ンでだよ」
「……ダイナマイトが使うのは嫌なの」

 だって、そうしたらこの香水が『本物』になってしまうから。

「ハッ」

 身体に巻き付いたままの腕に、力がこもる。耳の上辺りに、頬を擦りつけられるような感覚。

「何のために買ったんだか」

 呆れた言葉は、とても柔らかで。笑ってるかも、と顔を上げようとするけれど、顔で押さえつけられていて見ることができない。

 ――ずるい。見たい。

「……全部、独り占めするためだよ」

 たとえ『偽物』だったとして、私の触れられるものが『本物』だったとしても。
 全部全部、知っていたい。
 そんな、バレてしまってるであろう本音を、敢えてこぼした。
 間をおいて、頭にのしかかられていた重さが消える。くるりと反転させられ、狙い通り彼と目が合う。細められたそれは、求めていた顔ではなかったけれど。私だけが映っていることに満足して微笑んで、踵を浮かせ目を閉じた。

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