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この世の全て

 翌朝、太陽が昇るとすぐに、従者をレストシアに遣わした。目覚めてからだいぶ時間が経ったため、昨日の出来事をかなり冷静に思い出せるようになった。一晩かかったが、一年前のことも、記憶から正確に再現できている。

 生まれてからずっとこの頭に立ち込めていた霧が晴れ、自らの意思を持ち、人と「対話」ができるようになったのは、ニケが知恵を分け与えたからである。どういう仕組みなのかはわからないが、これはおそらく事実だ。昨日、彼の醜い顔面が美しく変化したのは、一年前とは逆のことが起きたということだろう。つまり私が彼に、美しさを分け与えた。分け与えた、という表現は適切でないかもしてない。私も彼も、自らの「知恵」と「美貌」は全く失っていないのだから。

 彼はこのことを「魔法」だと言っていた。それが授けられているとはどういうことか。授けられた、というのだから、過去にその何かしらの機会があったはずである。しかし、私がまだ夢の中にいた時の記憶は非常に曖昧であるため、ある程度日付が特定されなければ、記憶を探し出すことはほぼ不可能だ。深く広大な森の中から、色も形もわからない一匹の鳥を探し出すように。 

 もう一つ気になるのは、彼の言っていた「約束」のことだ。昨日は完全に思い出せていなかったため、あらぬことを口走ったような気がするが……よく考えてみると何を意味しているのか不明確だ。それに確か、「約束ができるなら」とも言っていた。できない場合は、どうなるのだ?

 昼食を済ませ、午後の予定もないため、街に出ようかと考えていたところ、廊下で弟とすれ違った。

「兄上。体調はもう大丈夫なのですか。昨日は気絶した状態で城に運ばれてきたと聞きましたが」
「ああ、特に異常はない。それに、いつまでも倒れていたら仕事が滞ってしまうからな」
「兄上は大役をいくつも担っておられますからね。……私が代ろうにも、周囲の者が嫌な顔をすることは間違いないだろうし」

 弟が何を考えたのかは容易に察せられた。以前は弟のほうが賢かったため、仕事のほとんどを弟が引き受けていたが、今は外交など外向きの仕事が自分に回ってくるため、良く思わない点が少なからずあるのだろう。弟は、骨格は正しく形成されたため姿勢は決して悪くないが、顔はあの男のように、醜く歪んでいる。
 世間的に、賢い王子は美しい王子よりも受け入れられる。兄と美醜を比べられてきた弟にとって、自身の持つ賢さがどれほどの誇りだったか、考えなくともわかる。

「そういえば、お前はレストシアの王子を知っているか?」
「レストシア……ニケ・ファルゼスのことですか? もちろん、何度かお話しましたよ。彼は非常に頭が良く回る。彼が一国のトップになったら何が起こるのか、ある意味で恐ろしいですね」

 弟は幾分か楽しそうな口ぶりで話した。似たような境遇にあるニケは、やはり気の合う相手なのだろう。

「そういえば、メイドが何か噂していましたね。昨日、兄上を運び込んできたのはニケの関係者ではないかと……」
「そ、そうなのか。自分は気を失っていたから、何もわからないが」

 口の軽いメイドには気を付けなければ、と思った。
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