バカシアイコントラクト 外伝


「さて、こんな嵐が来る前の静けさと凪いだ海。月なんぞこんな世界では拝むことすらないと思ったが、異界の真っ赤な空には太陽の他にぽっかりと闇が見える。相も変わらず夜が来る気配はとんとない」

 空を見ながら悪態をつくのは夕日と夜の境目のような赤紫色の長髪を揺らす男。無造作に伸びた髪は癖ついて至る所がはねている。

 「今日は新月なんだよ。此処では夕焼け空に墨を垂らしたようにポタリと闇が現れるんだ。僕はあれを新月と呼んでる。まぁ、現世での本物は見たことないんだけどさ。まっちゃんは月って見たことあるかい?」

 白い服と髪を揺らしながら名島零也がクスリと笑う。
 まっちゃんと呼ばれた男は、見たことはあるが此処の世界はデタラメが過ぎると文句をいう。
 この男、名を 豊島忠松 という。異世界へ堕ちてきた客人である。その客人を案内するのが管理人 名島零也 という二十歳も行かぬような青年であった。

 …………新月か。そのように呟いた忠松はくつくつと思い出し笑いをした。
こんな月の日はあの日のことが思い浮かぶ。
それは始めは怒りに満ちていたが今は一周回って笑い飛ばせてしまうほどしょうもない出来事だ。

「どれ、気分が乗った。お前に悪逆無道なんぞ言われている俺の昔話というものをしてやろう。人は阿呆でつくづく馬鹿だということをな」

「……僕は別にどうでもいいけど、まっちゃんが話したいなら話して見せてよ。聞いてあげるよ」

 


 昔々、海に囲まれた島があった。俺はその地で地方官として務めを果たしていた。
役職をわかりやすく言うと代官というものだ。
民をまとめ、年貢を課し、政(まつりごと)が順活に行われるために日々働くのが俺の仕事であった。
 海に面した土地であったため作物は育てるのに難儀していたが、幸い海の生物は余るほど捕れた。漁業が盛んな土地であった。

ーー前提として作物が不作でも海産物で年貢なんぞいくらでもまかなえたのだ。

 しかし、その地に住まう者は毎年の年貢が重く生活難になっている。子も養えないと口を揃えて訴えた。
 当時の俺は不審に思った。
ーーどこぞの民が俺の目を盗んで民から金品でもせしめているのか。
ーーどこぞの餓鬼が目に余る悪戯でもしているのか。
あの時は帳簿を見ながらも眉間に皺が寄ったものだ。
そして、ある名家の関わりを突き止めた。
 ☓☓家という島の中でも金を持つ権力者の家だった。島民からの信頼も厚く、俺のような代官に反抗的でもない。どちらかというと機嫌をとりながら昇進するような世渡りが上手い奴だった。
 だが厄介なことがあってな、古くからこの地に根付く神仏への信仰が異常な程固執していた。

 俺は正直な所、神、妖怪、宗教なんぞ古臭い考えと思っていた。信じたところで無限に金が湧くわけでもなかったからな。だがまぁ☓☓家はそうではなかった。
 海から流れてきた流木や漂着物を仏具のように丁重に扱っていた。
 ヱビス信仰(※海からの漂着物を神として崇めること)というものだったか。閉鎖的な島だから宗教なんぞ独自のものだろうと予想はしていたがその異様な光景は島外から来た者達にとってはさぞ不気味に見えていただろう。
 財も権力もあった☓☓家はヱビスの貢物として島人に献上物を差し出すように指示していた。献上していた島人もその信者という線が高いが今となっては調べようがないからなあくまで巻き込まれた側としておく。
 奴等は俺に申告する税金に対して噓が混じった申告をし、浮いた税の分を得体のしれない信仰というものに使っていたのだ。
 俺の金でなく幕府に納めるものだ。虚偽の申告なんぞ以ての外だ。最悪なことに島人の中でもその信仰をしている者はある程度生活が安定していた者であった。生活が苦しく訴えてきた島民は全くの無関係であった。


「じゃあ、☓☓家を懲らしめておしまいにしたんだ?」

「ーー普通に一律に年貢を倍にした。
いちいち虚偽申告してた島民を炙り出してそいつだけ年貢を倍にするの効率悪いだろうが。☓☓家には忠告はしたがな。お前のせいで島民全体が苦しむぞとな」

 うわー外道だね。じゃあさぞ君は恨みを買っても仕方なかったんだねと名島は口元に手を添えながら冷やかす。

「こっちは仕事だからな。慈善団体でもなければ貧乏人を支援するような義理はない。例え、島民が餓死したとして俺には関係がないことだと割り切っている」

「まっちゃんのワーカーホリック?清々しい位慈悲が欠如してて僕は好きかな」



 重い年貢を貸した代官が真っ先に恨みを買うのは当たり前の流れであった。
 島の中でも悪餓鬼と言われる若い輩や家庭を持ち正義心の強い男達は徒党を組んで俺の首を狙っていた。
 ーー後は後世に知れ渡っている通りだ。
 一月の寒く海が荒れた日に島巡りを提案された俺は島人の若い輩が船頭となって船に乗り込んだ。
 沖合に出たところで若い衆が代官である俺を氷のように冷たい海に突き落として。藻掻く俺が動かなくなるまで櫂(かい)で殴り、頭を海面に押し付けて溺死させた。

 海は酷く冷たく、暗い、己が沈んでいるのかすら認識できない程朦朧とした意識の中ぷつりと俺の生は終わったのだ。
 再び気付いたときには忌々しいことに俺を殺した島人の中の一人の姿に変わっていた。さらには生前は信じていなかった神や妖怪の類。海難法師などと呼ばれる怨霊となっていた。
 そうだ、その時初めて俺は身を持って未知の存在を居たと確信したのだ。
 そして、これは後々海坊主という男の口から聞いたことだが、俺を海へ葬った島民の若い輩もあの夜死んだという。
 しかもよりにもよって俺の殺害が露見することで不利益を被るんじゃないかと恐れた☓☓家や貧困に喘いでいた島民達に見捨てられ、海を漂った挙げ句、俺の後を追うようにして溺死したという。
 本当どこの笑い話だろうか。正義をもってして俺を殺したのにあっさり裏切られて死ぬとは敵ながら憐れに思えてしまう。そして、笑えてくる。ざまあみろとばかりに煽りたくなるのも正直なところだ。

 ……海坊主の話では俺の身体は普段その島民達の無念から形成された人格とやらが所有しているらしい。
犠牲になった島民が複数いた為か生前何があったのかは全く記憶に残っていない赤子のような存在だとは聞いた。
だからそいつの為にも荒事は避け、普段は眠っていてほしいとまで海坊主には懇願された。
 俺はしぶしぶ年に一度この夜だけ表に出させろといい、この夜だけは暴れに暴れてやるようになった。ただでさえ厄介な者として怪異からも嫌われているらしいので嫌がらせで更に悪評をつけてやったのだ。

 何年か、何百年か経ち、本当の真実を聞く日があった。これは俺だけが知る秘密であり。表の人格に記憶が残っていたとしたら恐らく立ち直れなくなる程傷つく秘密だ。

 あの夜、代官と勇気ある若者の裏で関わっていた怪異がいた。
 ーー龍宮童子。
 端正な顔立ちの人に財を与える海の使いだ。財を与えるたび己の美貌が崩れていくという献身の妖怪。
 年貢をちょろまかしていた☓☓家はヱビス信仰を装い本当は龍宮童子と手を組んでいたという。島の財産を納める代わりに島に安寧をもたらす事を条件にしてな。所詮は口約束のようなもので安寧とは何を指すのか具体性がなく曖昧なところだが馬鹿な人間が契約をするとそのような胡散臭い話でも素直に従ってたそうだ。

 ……俺が言うのも何だか龍宮童子という男は俺以上に性格が悪い。
自信家で自分自身のことが一番大事だと断言するような男だ。
 そんな男が見知らぬ島民なんかに何かすると思うか?
 島に怪異が入り込んで悪さをしないように牽制はしていたようだが奴は指示だけ。実際役目を果たしていたのは龍宮童子以外の怪異だ。
 所詮は己の美貌を人間風情に損なわれるのは許せなかったのだろうな。奴は、己の権力の保身は人一倍気にしていた。
☓☓家や他の島民に知恵だけは貸し、狡猾な策で島へ干渉する政治の厄介者と島内部の疎ましい存在だった若い血気盛んな厄介者を一変に海の藻屑に変えるくらいにな。
 己を脅かす病巣が2つも消えるとなれば、さぞ龍宮童子は高笑いしたであろうな。
逆に島人に勇者だのなんだの持ち上げられて、俺を殺したらあっさり裏切られて、利用されるだけ利用され捨てられた輩の気持ちはさぞ無念だったであろう。


 いわゆるだ。俺の死と若い奴等の死は計画的なものだった。俺もあの夜俺を殺した島民達も死んだのは偶然ではなく必然的なものだった。


 俺が殺されれば新たな代官が島へやってくる。そのとき此処の島民が殺してしまいました。島民は生き残ってます。じゃどんな仕打ちが下されるのかは馬鹿でも想像できる。
俺が死ぬなら、島民の勇者とやらも死んでもらわなければ困った訳だ。
一緒に死んでもらわなければ都合が悪い。そんな具合にな。
つくづく滑稽な話だ。得をしたのは仕事熱心な俺でも、勇気を出した若い奴等でもなく安全な場所で身を隠していた狡猾な猿共なのだからな。
なんとも後味が悪い伝説であろうか。

 この真実を知ってしまったからには一人二人雑魚を殺しても満たされるものか、落ち着いてたまるか。
いつかあの龍宮童子と☓☓家の末裔に同等の仕返しをしてやらないことには俺の腹の虫が収まらぬというもの。
 今宵は年に一度の無礼講。憎い相手を殺せれば酒もより美味く感じることだろう。


「ふーん、人はそうやって人を陥れるなんて興味深い話だね?聞いてて飽きないよ。まっちゃんはそれこそ人間で言うクズでハゲだったけど立場上ではまっとうな理由が合ったんだね」

「ハゲとらんわ。名島、お前の目は節穴か?」

「もー、からかっただけじゃない。冗談通じないなー」

 話を聞き終えた名島はにたりと笑みを作りながら忠松の苛ついた顔を覗き込む。ふふふと笑って、じゃあ君は海へいくのだろう?行ってらっしゃいと手をひらひらさせて一時の別れをする。
 忠松は眉間に皺を寄せながらふんとそっぽを向くと異界の黒い海へと歩みを進める。
 悪代官は伝説の通り夜の島へ降り立つために現世へ赴くのであった。


ーーザブザブと海へ身を浸す忠松はふと気になり足を止めた。

「ちょっと待て……考えたらこの方法であの身体に帰れるのか?」

「格好つけてドヤ顔のところ悪いけど僕の世界はそんな簡単に出られるものではないから全くの無駄だったりするんだよねー。ははは。唐突だけど蠅とりトラップに釣られて逃げられなくなる蠅って滑稽だと思わない?君はずっと此処に居るといいよ」

 そう言って異界の管理人を自称する化け物はにっこりと笑った。
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