【跡部夢】約束
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校内がまだ静まり返っている早朝。
私はいつものように、生徒会室でヴァイオリンの練習をしていた。
基礎練習を終わらせ、曲練習に入る。
これから弾こうとしている曲は、音楽の課題で演奏予定の曲だ。
侑士くんのアドバイスを参考にし、ワーグナーではなく、私の好きな曲を選んだ。それが偶然、去年の発表会で弾いた曲だった。
……決して、跡部くんの反応が気になるからではない。
譜面台に楽譜を置き、楽器を構えた。
曲の冒頭は、ピアノの伴奏から始まる。
跡部くんだったらどんな風弾くのか想像しながら、音を奏でた。
「その曲は……」
曲を弾き終えると、後ろから声がかかった。
振り返ると、ソファーに腰をかける跡部くんの姿が。
予鈴が鳴るまでまだ時間がある。いつもなら予鈴の少し前に来るので予想外だった。
私は楽器をケースに置き、スクールバッグからピアノの伴奏譜を取り出す。
跡部くんに楽譜を渡すと、彼の柳眉がピクリと動いた。
「今弾いた曲の伴奏譜。音楽の課題で演奏しようと思うのだけど、どうかな?」
「……いいんじゃねえか? 昼休みに合わせてみるか」
「えっ、どこで?」
いくら豪華な生徒会室でも、ピアノは置いていない。
音楽の授業は、しばらく課題練習の時間に割り当てられる。だから、てっきり授業の時間に音楽室で練習するのかと思っていたら
「音楽室。鍵を持っているからな、いつでも弾ける」
と、当たり前のように返された。
「…………」
氷帝で過ごしてきて徐々に麻痺してきているが、改めて跡部くんは規格外な人なのだと感じた。
音楽室の鍵は、榊先生から渡されたのだろうか。生徒会室の鍵も持っているが、いくら跡部くんでも全教室の鍵は持っていないと思いたい。
「おい、変なこと考えてないか?」
「……そんなことないよ。ところで、その曲初見で弾けるの?」
楽譜を渡してすぐに伴奏合わせを提案するくらいだから、問題ないと思うけれど念のため確認する。
「ああ、弾いたことあるからな。心配しなくていいぜ」
「そう、なのね……」
跡部くんは楽譜に目を通しながら答える。
あっさりと返されて、言葉に詰まった。
侑士くんの言ったとおり、私が発表会で弾いた曲だからだろうか。
それとも誰かの伴奏で弾いたことがあるから――?
問いただして後者だった場合、どんな表情をすれば良いのだろう。
想像しただけで、モヤモヤする。透明な水の中で黒いインクが滲んだかのよう。
私はこの感情の名を知らない。
今すぐブレスレットを見せて、はっきりさせたい。あなたは、あの日出会ったケイゴくんなのかと。
けれども今の関係が変わるのは怖い。
彼が正体を明かさないのは、理由があるからかも。
結局問いかけることはできず、昼休みに伴奏合わせすることが決まった。
その日の授業は、ぼんやりとしてて内容が頭に入らなかった。
気づいたら昼休みになっていたので、お弁当を持って慌てて生徒会室へ向かう。
ささっと昼食を取り、ヴァイオリンケースを背負って今度は音楽室へ。
ゆっくり昼食を取ってからで構わないと言われているが、早く向かわないと。
跡部くんの性格を考えると、もう音楽室にいるであろう。
実際音楽室に着くと、扉の窓から彼がピアノ椅子に座って楽譜を眺めているのが見えた。
「おまたせしました!」
勢いよく扉をスライドさせる。
「俺も今来たところだ。……ったく、ここまで走って来ただろう」
「ええと、早く一緒に演奏したかったから……」
跡部くんに指摘されて、目が泳ぐ。
待たせたくないというのもあるが、早く彼の奏でる音が聴きたかったから走ったのだ。
最後の方は息を整えるため歩いて来たのに、何故かバレていた。
「音楽室に近い廊下は、この時間めったに人が来ない。だから足音で分かる。まったく、転んで怪我でもしたらどうするんだ」
「次から気をつけるね」
「そうしてくれ。まあ、早く伴奏合わせがしたいと思っているなら、悪い気はしないがな」
顔を逸らしながら言う跡部くんに、私まで擽ったい気持ちになった。
誤魔化すようにヴァイオリンケースを開けて準備をする。
教室の隅にあった譜面台をピアノの近くに移動させ、楽譜を置いた。
跡部くんにピアノでAの音を出してもらい、調弦したところでようやく気持ちが落ち着いた。
楽器を構え直し、跡部くんに目で合図を送る。
彼は頷き、前奏を弾き始めた。
「!」
美しい旋律に息を呑む。
明らかに弾きなれていて、音に深みがあった。
伴奏の譜面は難易度は高いと思うが、跡部くんの演奏からはそんなことは微塵も感じられない。
この曲を過去に弾いた経緯が気になるけれど今は演奏中。
余計な雑念を打ち払い、演奏に集中した。
初めての伴奏合わせだが、跡部くんと呼吸を合わせやすく弾きやすい。私が合図を出すと、意図を読み取ってくれて演奏に反映される。
最後まで止まることなく、弾き終えることができた。
「初見じゃないとはいえ難しいはずなのに、音を物にしてて凄いわ」
私は曲の理解を深めるため、去年ピアノの伴奏譜も練習した。しかし、跡部くん並みに弾けたかと問われると疑問が残る。
「この曲はたくさん練習したからな」
「そう……」
跡部くんが目を伏せながら懐かしそうに言った。
きっと、その時一緒に演奏した人と弾くのが楽しかったのだろう。伴奏合わせをして、跡部くんの楽しげな様子が伝わってきた。
胸がチクりと痛い。
私は自分の気持ちに気付かないふりをし、彼と演奏の課題出しを行った。
翌日も朝の時間を使い、生徒会室でヴァイオリンの練習をする。
「練習に精が出てるじゃねえの」
今日はいつも通り予鈴の少し前に来た跡部くん。
「のんびりしていると、あっという間に発表会の日になるからね」
「そんなお前にご褒美だ」
「え?」
シンプルな紙箱を差し出されてたので、ヴァイオリンをケースに置いてから受け取った。
「開けてみていいかしら?」
「もちろん」
早速箱を丁寧に開封し、驚嘆した。
箱には私の好きなフィナンシェが詰まっていた。
「どうしてこれが……」
このフィナンシェは、私が立海に通っていた頃のお気に入りのお店のもの。神奈川に足を運ばないと買えないのである。
氷帝の友達に話したことはない。
どこで知ったのだろう?
不思議に思い、跡部くんの顔を覗くと「俺様の眼力で、雪宮の好きなものはお見通しだ」とはぐらかされた。
それでも彼が私のために用意してくれたことが嬉しく、昨日のモヤモヤはあっという間に消散。我ながら単純だと思うが、元気が湧いてきた。
「ありがとう。これ、私のオススメのお菓子なの。良かったらお昼に一緒に食べない?」
「ああ、喜んで」
跡部くんも気に入ってくれると良いな。
昼休みが待ち遠しく、昨日と打って変わり、授業が長く感じられて仕方なかった。
私はいつものように、生徒会室でヴァイオリンの練習をしていた。
基礎練習を終わらせ、曲練習に入る。
これから弾こうとしている曲は、音楽の課題で演奏予定の曲だ。
侑士くんのアドバイスを参考にし、ワーグナーではなく、私の好きな曲を選んだ。それが偶然、去年の発表会で弾いた曲だった。
……決して、跡部くんの反応が気になるからではない。
譜面台に楽譜を置き、楽器を構えた。
曲の冒頭は、ピアノの伴奏から始まる。
跡部くんだったらどんな風弾くのか想像しながら、音を奏でた。
「その曲は……」
曲を弾き終えると、後ろから声がかかった。
振り返ると、ソファーに腰をかける跡部くんの姿が。
予鈴が鳴るまでまだ時間がある。いつもなら予鈴の少し前に来るので予想外だった。
私は楽器をケースに置き、スクールバッグからピアノの伴奏譜を取り出す。
跡部くんに楽譜を渡すと、彼の柳眉がピクリと動いた。
「今弾いた曲の伴奏譜。音楽の課題で演奏しようと思うのだけど、どうかな?」
「……いいんじゃねえか? 昼休みに合わせてみるか」
「えっ、どこで?」
いくら豪華な生徒会室でも、ピアノは置いていない。
音楽の授業は、しばらく課題練習の時間に割り当てられる。だから、てっきり授業の時間に音楽室で練習するのかと思っていたら
「音楽室。鍵を持っているからな、いつでも弾ける」
と、当たり前のように返された。
「…………」
氷帝で過ごしてきて徐々に麻痺してきているが、改めて跡部くんは規格外な人なのだと感じた。
音楽室の鍵は、榊先生から渡されたのだろうか。生徒会室の鍵も持っているが、いくら跡部くんでも全教室の鍵は持っていないと思いたい。
「おい、変なこと考えてないか?」
「……そんなことないよ。ところで、その曲初見で弾けるの?」
楽譜を渡してすぐに伴奏合わせを提案するくらいだから、問題ないと思うけれど念のため確認する。
「ああ、弾いたことあるからな。心配しなくていいぜ」
「そう、なのね……」
跡部くんは楽譜に目を通しながら答える。
あっさりと返されて、言葉に詰まった。
侑士くんの言ったとおり、私が発表会で弾いた曲だからだろうか。
それとも誰かの伴奏で弾いたことがあるから――?
問いただして後者だった場合、どんな表情をすれば良いのだろう。
想像しただけで、モヤモヤする。透明な水の中で黒いインクが滲んだかのよう。
私はこの感情の名を知らない。
今すぐブレスレットを見せて、はっきりさせたい。あなたは、あの日出会ったケイゴくんなのかと。
けれども今の関係が変わるのは怖い。
彼が正体を明かさないのは、理由があるからかも。
結局問いかけることはできず、昼休みに伴奏合わせすることが決まった。
その日の授業は、ぼんやりとしてて内容が頭に入らなかった。
気づいたら昼休みになっていたので、お弁当を持って慌てて生徒会室へ向かう。
ささっと昼食を取り、ヴァイオリンケースを背負って今度は音楽室へ。
ゆっくり昼食を取ってからで構わないと言われているが、早く向かわないと。
跡部くんの性格を考えると、もう音楽室にいるであろう。
実際音楽室に着くと、扉の窓から彼がピアノ椅子に座って楽譜を眺めているのが見えた。
「おまたせしました!」
勢いよく扉をスライドさせる。
「俺も今来たところだ。……ったく、ここまで走って来ただろう」
「ええと、早く一緒に演奏したかったから……」
跡部くんに指摘されて、目が泳ぐ。
待たせたくないというのもあるが、早く彼の奏でる音が聴きたかったから走ったのだ。
最後の方は息を整えるため歩いて来たのに、何故かバレていた。
「音楽室に近い廊下は、この時間めったに人が来ない。だから足音で分かる。まったく、転んで怪我でもしたらどうするんだ」
「次から気をつけるね」
「そうしてくれ。まあ、早く伴奏合わせがしたいと思っているなら、悪い気はしないがな」
顔を逸らしながら言う跡部くんに、私まで擽ったい気持ちになった。
誤魔化すようにヴァイオリンケースを開けて準備をする。
教室の隅にあった譜面台をピアノの近くに移動させ、楽譜を置いた。
跡部くんにピアノでAの音を出してもらい、調弦したところでようやく気持ちが落ち着いた。
楽器を構え直し、跡部くんに目で合図を送る。
彼は頷き、前奏を弾き始めた。
「!」
美しい旋律に息を呑む。
明らかに弾きなれていて、音に深みがあった。
伴奏の譜面は難易度は高いと思うが、跡部くんの演奏からはそんなことは微塵も感じられない。
この曲を過去に弾いた経緯が気になるけれど今は演奏中。
余計な雑念を打ち払い、演奏に集中した。
初めての伴奏合わせだが、跡部くんと呼吸を合わせやすく弾きやすい。私が合図を出すと、意図を読み取ってくれて演奏に反映される。
最後まで止まることなく、弾き終えることができた。
「初見じゃないとはいえ難しいはずなのに、音を物にしてて凄いわ」
私は曲の理解を深めるため、去年ピアノの伴奏譜も練習した。しかし、跡部くん並みに弾けたかと問われると疑問が残る。
「この曲はたくさん練習したからな」
「そう……」
跡部くんが目を伏せながら懐かしそうに言った。
きっと、その時一緒に演奏した人と弾くのが楽しかったのだろう。伴奏合わせをして、跡部くんの楽しげな様子が伝わってきた。
胸がチクりと痛い。
私は自分の気持ちに気付かないふりをし、彼と演奏の課題出しを行った。
翌日も朝の時間を使い、生徒会室でヴァイオリンの練習をする。
「練習に精が出てるじゃねえの」
今日はいつも通り予鈴の少し前に来た跡部くん。
「のんびりしていると、あっという間に発表会の日になるからね」
「そんなお前にご褒美だ」
「え?」
シンプルな紙箱を差し出されてたので、ヴァイオリンをケースに置いてから受け取った。
「開けてみていいかしら?」
「もちろん」
早速箱を丁寧に開封し、驚嘆した。
箱には私の好きなフィナンシェが詰まっていた。
「どうしてこれが……」
このフィナンシェは、私が立海に通っていた頃のお気に入りのお店のもの。神奈川に足を運ばないと買えないのである。
氷帝の友達に話したことはない。
どこで知ったのだろう?
不思議に思い、跡部くんの顔を覗くと「俺様の眼力で、雪宮の好きなものはお見通しだ」とはぐらかされた。
それでも彼が私のために用意してくれたことが嬉しく、昨日のモヤモヤはあっという間に消散。我ながら単純だと思うが、元気が湧いてきた。
「ありがとう。これ、私のオススメのお菓子なの。良かったらお昼に一緒に食べない?」
「ああ、喜んで」
跡部くんも気に入ってくれると良いな。
昼休みが待ち遠しく、昨日と打って変わり、授業が長く感じられて仕方なかった。