蝶ノ光【番外編】

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「素振りが終わったら次はストロークの練習なので、終わった人から割り振られたコートに集合してください」

「「「はい!」」」

 雲一つなく青空が広がったある日のこと。
 テニス部員たちに指示を出す。その部員たちは芥子色のウェアではなく、白地に水色のユニフォームを纏っていた。
 私、白石時雨は立海ではなく、氷帝で臨時マネージャーをやっていた。


「お嬢ちゃん、すまんな。突然氷帝に連れてこられて、ビックリしたやろ」

「確かにビックリしたけど、いつもと違って新鮮だわ」

 球出しをするため、ボールの準備をしていると、隣に侑士がやってきた。
 正レギュラー、準レギュラーは個人の裁量で練習メニューを決められると聞いていたが、侑士も球出し担当のようだ。

「まさかお嬢ちゃんが来てマネージャーやるとは思わへんかったけど……弱味でも握られたん?」

「弱味ではないんだけど、跡部くんに一つ借りがありまして」

「借り?」

 侑士が首を傾げる。
 私は彼にどこから説明しようかと、頭を悩ませた。
 まずは今日連れてこられた経緯を話そう。

「話すと長くなるんだけど――」


 時遡ること一時間前。

「部活が終わったら練習に付き合ってもらえるから、自分の分もボールとか用意して、と」

 今日はダブルス大会へ向けて、仁王と特訓する日だ。彼と練習するのが楽しみで、自然と足取りが軽くなる。
 部室へ向かおうとすると、前方に人が立っていたので足を止めた。

「よう、時雨。元気そうじゃねーの。今日は氷帝で一日マネージャーやってもらうぜ」

「あ、跡部くん。氷帝で一日マネージャーというのは……?」

 ここは立海の敷地内のはずだが、目の前に跡部がいた。

「あの日の貸し、今日返してもらう」

「あの日?」

「九州二翼と試合した日のことだ。まさか忘れたわけじゃねえだろうな、アーン?」

 九州二翼と試合をした日。それは今から二週間ほど前の話だ。
 空き地のコートが空いていたので、一人で壁打ちをしていた。
 十分くらい黙々と練習をしていると、後ろから誰かが来た気配がした。壁から跳ね返ってきたボールを手で掴む。振り向くと、見知った姿があった。

「お、時雨ちゃん。ここで会うたんも何かん縁。試合申し込んでもよか?」

「千歳くんに橘くん! 試合は構わないんだけど、ダブルスパートナーが決まってなくて……少し待ってもらっても良いかな?」

「もちろんばい。桔平もよか?」

「ああ、もちろんだ」

「ありがとう」

 端に置いていたバッグから携帯を取り出し、バッジと接続して、まずは立海レギュラー陣の居場所をマップで調べる。
 柳、仁王、丸井……一人ずつ探してみるが、彼らを示すマークの隣に、バッジ所有者を示すマークが並んでいる。どうやらレギュラー陣全員、誰かとペアを組んでいるようだ。

「困ったわね……」

 立海メンバーを誘うのは諦め、次に私の現在地――空き地のコートの近くに知り合いの選手がいないか探してみる。
 すると私、千歳、橘以外にもう一つ、バッジ所有者を示すマークが表示された。しかも連絡先を交換した選手で、名前も記載されていた。

「これは、ペアを頼んでも良いのかしら……?」

 これ以上千歳と橘を待たせるわけにもいかず、私は電話をかけてみることにした。
 五秒もかからず、電話が繋がる。

「もしもし、白石ですけど……跡部くん?」

時雨か。俺様に何の用だ」

「急で申し訳ないんだけど……今、空き地のコートにいて、ダブルスの試合を申し込まれたから、パートナーをお願いしたくて」

「構わねえぜ」

「ホント!? ありがとう」

「お前とは一度ダブルス組んでみたかったからな。で、対戦相手は誰だ?」

「四天宝寺の千歳くんと不動峰の橘くんよ」

「九州二翼か。フン、俺様を楽しませてくれそうじゃねーの。すぐに向かうから待ってな」

「ええ、よろしくね」

 電話を切り、バッグへ仕舞う。
 跡部とダブルスを組む日が来るとは思わなかった。とても心強い。
 私は千歳、橘が待つコートへ戻った。

「ダブルスパートナーは決まったのか?」

「決まったわ。あと数分すれば」

「いや、もう着いたぜ」

 来ると思う。
 その言葉は最後までは音にならなかった。
 電話が掛け終わってから、一分くらいしか経っていないはずだ。いくらなんでも早すぎではないだろうか。
 跡部は私の心情を気にせず、ラケットバックを空き地の隅に置き、試合の準備をする。
 その様子をじっと目で追った。
 あまりに視線を送りすぎたのだろう。彼はコートに入る際、「お前を一人で待たせるわけにはいかないだろう」と小声で言った。

「まさか、氷帝の跡部が来るとは思わなかったな」

「こら面白か組み合わせばい」

「……それじゃあ、試合を始めましょう」

 私以外は全員全国区のプレイヤー。
 一瞬たりとも油断できない。いつも以上に気合いを入れて挑もう。
 戦いの幕は切って落とされた。


「そしてダブルスを組んでくれたお礼に、マネージャーやることを承諾したら……」

「気づいたらリムジンに連れられて氷帝に来とった、やろ」

 その通りだったので頷いた。
 一応幸村と真田に連絡を入れたが、大丈夫だろうか。明日、彼らに怒られることを覚悟しておこう。

「それにしても跡部とダブルス組んだんか。試合はどっちが勝ったん?」

「俺たちが負けるわけないだろう。それより部員がコートに集まってきたから、練習を再開しろ」

「せやな。お嬢ちゃん、呼び止めて悪かったな」

「いえいえ、それじゃあコートに行くね」

 私は準備をするため、コートへ足を運ぶ。だから、その後の会話は私の耳に届かなかった。

「ところで、お嬢ちゃんが氷帝におることを立海に連絡したん?」

「柳に入れておいた。そのうち立海の奴らが来るだろうから、ダブルスの試合をさせる」

「……もしかして、ダブルスの試合をさせるのが目的やったのか?」

「あいつはダブルスで真価を発揮する。今後の参考になるだろう」

「……どうなっても知らへんで」

 跡部の目的を知らない私は、この時、柳への土産は氷帝のデータで良いだろうかと考えているのであった。





 三十分前、立海にて――。

「部活が終わったら、時雨と練習じゃ。今日は張り切って取り組むかのう」

 俺は軽い足取りで、部室へ向かっていた。
 普段、時雨が部活後に誰かを練習に誘う姿は、ほとんど見かけない。部活後はテニススクールで練習している、と柳から聞いた。
 そんな彼女が練習に付き合ってほしいと頼んできてくれたのだ。浮かれても仕方がないだろう。それが大切な人であれば、なおさら。
 制服からジャージに着替え、部室の扉へ手をかける。ドアノブを少し手前に引いたところで、

時雨先輩がいないって、どういうことッスか!?」

 と切原の怒号が聞こえた。
 時雨がいない?
 彼女は今週クラスの掃除当番がないから、既に部活に来ているはずだ。

「落ち着け、赤也。時雨は氷帝にいる。跡部から連絡があった。それに、時雨本人から精市と弦一郎宛に連絡が届いている。跡部に丸め込まれて、氷帝へ連れていかれた可能性が高い」

 続いて柳の声が聞こえた。
 ドアの隙間から部室内を見渡すが、時雨の姿はない。

「氷帝ね……」

 冗談じゃない。せっかくの楽しみの時間に、水を差されてたまるか。
 目的地は氷帝学園。
 俺はラケットバックを肩にかけ直し、駅へ向かって走り出した。


「待ちたまえ、仁王くん」

 駅の改札が見えたところで、後ろから声をかけられた。足を止めて振り返ると、ダブルスパートナーである柳生がいた。
 部活に顔を出さない俺を、急いで追いかけてきたのだろう。顔からぽたりと汗が落ちていた。

「なんじゃ、柳生か」

「念のため聞きますが、どこへ行くのですか?」

「氷帝。止めても無駄ぜよ」

「ええ、止めませんよ。私も行きます」

「何?」

 てっきり止められると思ったので、肩透かしを喰らった。

「きっと仁王くんを止めても聞かないでしょうから、付いていってほしいと柳くんに頼まれました」

「……やはり柳にはお見通しか」

 俺を落ち着かせるために、柳生を寄越したのだろう。実際、柳生と話して、少し冷静さを取り戻した。

「さて、白石さんを連れて戻りましょう。部活後に彼女と練習するのでしょう? 今ならまだ間に合う時間です」

「今日、時雨と練習すること知っとったんか」

 目をぱちくりさせる。
 柳生に、というより誰にも話した覚えはないのだが。

「朝から機嫌が良かったじゃないですか」

「ポーカーフェイスを磨かんとのう」

 詐欺師の名が泣くぜよ。
 俺は苦笑しながら、柳生と共に電車に乗った。





 ストローク、ボレー、サーブなどの基礎練習が終わり、自主練習の時間となった。
 どの部員もセンスが良く、立海も負けられないと思う。

時雨、これから正レギュラーは試合をするから、審判を……いや、お前も試合をするか? 相手は宍戸と鳳のダブルスだ」

時雨が試合をする必要はない。立海へ連れて帰るぜよ」

 跡部の問いに答えようとした瞬間、手を引かれ、後ろにバランスが崩れる。そのまま倒れることはなく、背中に温もりを感じた。
 独特な口調。
 振り向かなくても、誰が来たのかが分かった。
 いつの日かの出来事を思い出す。私は頬に熱を帯びるのを感じた。

「随分と早いじゃねーの」

「大事なマネージャーを勝手に連れていかれたからのう。それに、あのメールはなんじゃ」

「あのメール?」

時雨に借りを返してもらう。柳くんへ送られたメールです」

 私の疑問に、隣へやって来た柳生が答える。わざわざ取りに行ってくれたのだろう、私の荷物を手に持っていた。

「そのままの意味だ。時雨に借りを返してもらうために、マネージャーをやってもらっている」

「……借り?」

 仁王の視線が跡部から私に移る。

「先日、跡部くんにダブルスのペアを組んでもらったの」

 素直に答えると、心なしか仁王の目が細められた。

「……さっきの試合の申し込みを受ける。ただし、試合するのは俺と柳生じゃ。ええか、柳生?」

「もちろん構いませんよ」

「フン、予定とは違うが良いだろう。コートに案内するから、ついてきな」

「せっかく氷帝まで来たことだし、一汗流させてもらうぜよ」

 お前さんには、後で聞きたいことがたくさんあるから、覚悟しんしゃい。
 仁王に耳元で囁かれ、背筋がゾクリとする。
 こうして仁王・柳生ペアと宍戸・鳳ペアが試合することになった。試合の結果は――――仁王のコンディションがとても良かったとだけ言っておこう。





 ダブルスの試合が終わった後、私たちは立海の最寄り駅まで、リムジンで送ってもらえることになった。
 駅に着いたのでリムジンから降りると、もうすぐ部活が終わる時間帯だった。
 柳生から聞いた話によると、私、仁王、柳生は今日の部活に参加しなくても良いとのこと。
 そのため柳生と駅で別れ、私と仁王はそのままテニススクールへ向かうことになった。もちろん仁王にテニスの練習を付き合ってもらうためだ。

「……なんで氷帝なんかに行ったんじゃ」

「急な申し出だったのに、跡部くんがダブルス組んでくれたお礼がしたくて。マネージャーを頼まれたのは予想外だったけど、データが取れると思ったの」

 仁王の眉間にシワが寄った。
 何か不味いことを言ってしまっただろうか。
 不意に仁王の歩みが止まる。
 釣られて私も足を止めた。すると右手を掴まれ、引き寄せられた。

「仁王くん……?」

「お前さん、部活後の練習はどうするつもりだった? 俺は結構楽しみにしてたんじゃけど」

 ぎゅっと抱きしめられているため、仁王の顔は見えない。しかし、声音から怒っている――のではなく、拗ねているように感じた。

「ごめんね、仁王くん。部活が終わったらすぐに立海へ戻るつもりだったんだけど、軽率な行動だったわ」

「…………俺ばっかり振り回されている気がするのう」

 私の肩に額をぐりぐり押し付ける仁王。
 普段は見られない仕草に、思わず笑みがこぼれた。

「私にテニスを教えてください」

 仁王の背中に腕を回すと、彼の動きが止まった。

「どうして跡部とダブルス組んだんじゃ」

「それは――」

 九州二翼に試合を挑まれた日について話す。ダブルスパートナーに立海メンバーを誘おうとしたら、全員既に誰かと組んでいたことを説明すると、仁王の全身から力が抜けるのが分かった。

「はぁ~、そういうことか……」

 仁王がゆっくり顔を上げる。

「今度俺とダブルスを組んでくれるなら、テニスを教えるナリ」

「もちろん仁王くんにお願いするわ」

 だって仁王くんとテニスするの好きだから。
 小声で呟いたが、彼の耳に届いたようで、口角が上がっていた。

「それは嬉しいぜよ。さて、テニスの練習しに行こうかのう」

 背中に回っていた手が、私の右手に重なる。手を繋ぎながら、テニススクールへ向かうことになった。
 仁王の表情を窺うと、目尻を下げ、柔らかい笑みを浮かべている。
 私は彼から伝わる熱を感じながら、隣を歩いた。
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