蝶ノ光【番外編】
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「素振りが終わったら次はストロークの練習なので、終わった人から割り振られたコートに集合してください」
「「「はい!」」」
雲一つなく青空が広がったある日のこと。
テニス部員たちに指示を出す。その部員たちは芥子色のウェアではなく、白地に水色のユニフォームを纏っていた。
私、白石時雨は立海ではなく、氷帝で臨時マネージャーをやっていた。
「お嬢ちゃん、すまんな。突然氷帝に連れてこられて、ビックリしたやろ」
「確かにビックリしたけど、いつもと違って新鮮だわ」
球出しをするため、ボールの準備をしていると、隣に侑士がやってきた。
正レギュラー、準レギュラーは個人の裁量で練習メニューを決められると聞いていたが、侑士も球出し担当のようだ。
「まさかお嬢ちゃんが来てマネージャーやるとは思わへんかったけど……弱味でも握られたん?」
「弱味ではないんだけど、跡部くんに一つ借りがありまして」
「借り?」
侑士が首を傾げる。
私は彼にどこから説明しようかと、頭を悩ませた。
まずは今日連れてこられた経緯を話そう。
「話すと長くなるんだけど――」
時遡ること一時間前。
「部活が終わったら練習に付き合ってもらえるから、自分の分もボールとか用意して、と」
今日はダブルス大会へ向けて、仁王と特訓する日だ。彼と練習するのが楽しみで、自然と足取りが軽くなる。
部室へ向かおうとすると、前方に人が立っていたので足を止めた。
「よう、時雨。元気そうじゃねーの。今日は氷帝で一日マネージャーやってもらうぜ」
「あ、跡部くん。氷帝で一日マネージャーというのは……?」
ここは立海の敷地内のはずだが、目の前に跡部がいた。
「あの日の貸し、今日返してもらう」
「あの日?」
「九州二翼と試合した日のことだ。まさか忘れたわけじゃねえだろうな、アーン?」
九州二翼と試合をした日。それは今から二週間ほど前の話だ。
空き地のコートが空いていたので、一人で壁打ちをしていた。
十分くらい黙々と練習をしていると、後ろから誰かが来た気配がした。壁から跳ね返ってきたボールを手で掴む。振り向くと、見知った姿があった。
「お、時雨ちゃん。ここで会うたんも何かん縁。試合申し込んでもよか?」
「千歳くんに橘くん! 試合は構わないんだけど、ダブルスパートナーが決まってなくて……少し待ってもらっても良いかな?」
「もちろんばい。桔平もよか?」
「ああ、もちろんだ」
「ありがとう」
端に置いていたバッグから携帯を取り出し、バッジと接続して、まずは立海レギュラー陣の居場所をマップで調べる。
柳、仁王、丸井……一人ずつ探してみるが、彼らを示すマークの隣に、バッジ所有者を示すマークが並んでいる。どうやらレギュラー陣全員、誰かとペアを組んでいるようだ。
「困ったわね……」
立海メンバーを誘うのは諦め、次に私の現在地――空き地のコートの近くに知り合いの選手がいないか探してみる。
すると私、千歳、橘以外にもう一つ、バッジ所有者を示すマークが表示された。しかも連絡先を交換した選手で、名前も記載されていた。
「これは、ペアを頼んでも良いのかしら……?」
これ以上千歳と橘を待たせるわけにもいかず、私は電話をかけてみることにした。
五秒もかからず、電話が繋がる。
「もしもし、白石ですけど……跡部くん?」
「時雨か。俺様に何の用だ」
「急で申し訳ないんだけど……今、空き地のコートにいて、ダブルスの試合を申し込まれたから、パートナーをお願いしたくて」
「構わねえぜ」
「ホント!? ありがとう」
「お前とは一度ダブルス組んでみたかったからな。で、対戦相手は誰だ?」
「四天宝寺の千歳くんと不動峰の橘くんよ」
「九州二翼か。フン、俺様を楽しませてくれそうじゃねーの。すぐに向かうから待ってな」
「ええ、よろしくね」
電話を切り、バッグへ仕舞う。
跡部とダブルスを組む日が来るとは思わなかった。とても心強い。
私は千歳、橘が待つコートへ戻った。
「ダブルスパートナーは決まったのか?」
「決まったわ。あと数分すれば」
「いや、もう着いたぜ」
来ると思う。
その言葉は最後までは音にならなかった。
電話が掛け終わってから、一分くらいしか経っていないはずだ。いくらなんでも早すぎではないだろうか。
跡部は私の心情を気にせず、ラケットバックを空き地の隅に置き、試合の準備をする。
その様子をじっと目で追った。
あまりに視線を送りすぎたのだろう。彼はコートに入る際、「お前を一人で待たせるわけにはいかないだろう」と小声で言った。
「まさか、氷帝の跡部が来るとは思わなかったな」
「こら面白か組み合わせばい」
「……それじゃあ、試合を始めましょう」
私以外は全員全国区のプレイヤー。
一瞬たりとも油断できない。いつも以上に気合いを入れて挑もう。
戦いの幕は切って落とされた。
「そしてダブルスを組んでくれたお礼に、マネージャーやることを承諾したら……」
「気づいたらリムジンに連れられて氷帝に来とった、やろ」
その通りだったので頷いた。
一応幸村と真田に連絡を入れたが、大丈夫だろうか。明日、彼らに怒られることを覚悟しておこう。
「それにしても跡部とダブルス組んだんか。試合はどっちが勝ったん?」
「俺たちが負けるわけないだろう。それより部員がコートに集まってきたから、練習を再開しろ」
「せやな。お嬢ちゃん、呼び止めて悪かったな」
「いえいえ、それじゃあコートに行くね」
私は準備をするため、コートへ足を運ぶ。だから、その後の会話は私の耳に届かなかった。
「ところで、お嬢ちゃんが氷帝におることを立海に連絡したん?」
「柳に入れておいた。そのうち立海の奴らが来るだろうから、ダブルスの試合をさせる」
「……もしかして、ダブルスの試合をさせるのが目的やったのか?」
「あいつはダブルスで真価を発揮する。今後の参考になるだろう」
「……どうなっても知らへんで」
跡部の目的を知らない私は、この時、柳への土産は氷帝のデータで良いだろうかと考えているのであった。
*
三十分前、立海にて――。
「部活が終わったら、時雨と練習じゃ。今日は張り切って取り組むかのう」
俺は軽い足取りで、部室へ向かっていた。
普段、時雨が部活後に誰かを練習に誘う姿は、ほとんど見かけない。部活後はテニススクールで練習している、と柳から聞いた。
そんな彼女が練習に付き合ってほしいと頼んできてくれたのだ。浮かれても仕方がないだろう。それが大切な人であれば、なおさら。
制服からジャージに着替え、部室の扉へ手をかける。ドアノブを少し手前に引いたところで、
「時雨先輩がいないって、どういうことッスか!?」
と切原の怒号が聞こえた。
時雨がいない?
彼女は今週クラスの掃除当番がないから、既に部活に来ているはずだ。
「落ち着け、赤也。時雨は氷帝にいる。跡部から連絡があった。それに、時雨本人から精市と弦一郎宛に連絡が届いている。跡部に丸め込まれて、氷帝へ連れていかれた可能性が高い」
続いて柳の声が聞こえた。
ドアの隙間から部室内を見渡すが、時雨の姿はない。
「氷帝ね……」
冗談じゃない。せっかくの楽しみの時間に、水を差されてたまるか。
目的地は氷帝学園。
俺はラケットバックを肩にかけ直し、駅へ向かって走り出した。
「待ちたまえ、仁王くん」
駅の改札が見えたところで、後ろから声をかけられた。足を止めて振り返ると、ダブルスパートナーである柳生がいた。
部活に顔を出さない俺を、急いで追いかけてきたのだろう。顔からぽたりと汗が落ちていた。
「なんじゃ、柳生か」
「念のため聞きますが、どこへ行くのですか?」
「氷帝。止めても無駄ぜよ」
「ええ、止めませんよ。私も行きます」
「何?」
てっきり止められると思ったので、肩透かしを喰らった。
「きっと仁王くんを止めても聞かないでしょうから、付いていってほしいと柳くんに頼まれました」
「……やはり柳にはお見通しか」
俺を落ち着かせるために、柳生を寄越したのだろう。実際、柳生と話して、少し冷静さを取り戻した。
「さて、白石さんを連れて戻りましょう。部活後に彼女と練習するのでしょう? 今ならまだ間に合う時間です」
「今日、時雨と練習すること知っとったんか」
目をぱちくりさせる。
柳生に、というより誰にも話した覚えはないのだが。
「朝から機嫌が良かったじゃないですか」
「ポーカーフェイスを磨かんとのう」
詐欺師の名が泣くぜよ。
俺は苦笑しながら、柳生と共に電車に乗った。
*
ストローク、ボレー、サーブなどの基礎練習が終わり、自主練習の時間となった。
どの部員もセンスが良く、立海も負けられないと思う。
「時雨、これから正レギュラーは試合をするから、審判を……いや、お前も試合をするか? 相手は宍戸と鳳のダブルスだ」
「時雨が試合をする必要はない。立海へ連れて帰るぜよ」
跡部の問いに答えようとした瞬間、手を引かれ、後ろにバランスが崩れる。そのまま倒れることはなく、背中に温もりを感じた。
独特な口調。
振り向かなくても、誰が来たのかが分かった。
いつの日かの出来事を思い出す。私は頬に熱を帯びるのを感じた。
「随分と早いじゃねーの」
「大事なマネージャーを勝手に連れていかれたからのう。それに、あのメールはなんじゃ」
「あのメール?」
「時雨に借りを返してもらう。柳くんへ送られたメールです」
私の疑問に、隣へやって来た柳生が答える。わざわざ取りに行ってくれたのだろう、私の荷物を手に持っていた。
「そのままの意味だ。時雨に借りを返してもらうために、マネージャーをやってもらっている」
「……借り?」
仁王の視線が跡部から私に移る。
「先日、跡部くんにダブルスのペアを組んでもらったの」
素直に答えると、心なしか仁王の目が細められた。
「……さっきの試合の申し込みを受ける。ただし、試合するのは俺と柳生じゃ。ええか、柳生?」
「もちろん構いませんよ」
「フン、予定とは違うが良いだろう。コートに案内するから、ついてきな」
「せっかく氷帝まで来たことだし、一汗流させてもらうぜよ」
お前さんには、後で聞きたいことがたくさんあるから、覚悟しんしゃい。
仁王に耳元で囁かれ、背筋がゾクリとする。
こうして仁王・柳生ペアと宍戸・鳳ペアが試合することになった。試合の結果は――――仁王のコンディションがとても良かったとだけ言っておこう。
*
ダブルスの試合が終わった後、私たちは立海の最寄り駅まで、リムジンで送ってもらえることになった。
駅に着いたのでリムジンから降りると、もうすぐ部活が終わる時間帯だった。
柳生から聞いた話によると、私、仁王、柳生は今日の部活に参加しなくても良いとのこと。
そのため柳生と駅で別れ、私と仁王はそのままテニススクールへ向かうことになった。もちろん仁王にテニスの練習を付き合ってもらうためだ。
「……なんで氷帝なんかに行ったんじゃ」
「急な申し出だったのに、跡部くんがダブルス組んでくれたお礼がしたくて。マネージャーを頼まれたのは予想外だったけど、データが取れると思ったの」
仁王の眉間にシワが寄った。
何か不味いことを言ってしまっただろうか。
不意に仁王の歩みが止まる。
釣られて私も足を止めた。すると右手を掴まれ、引き寄せられた。
「仁王くん……?」
「お前さん、部活後の練習はどうするつもりだった? 俺は結構楽しみにしてたんじゃけど」
ぎゅっと抱きしめられているため、仁王の顔は見えない。しかし、声音から怒っている――のではなく、拗ねているように感じた。
「ごめんね、仁王くん。部活が終わったらすぐに立海へ戻るつもりだったんだけど、軽率な行動だったわ」
「…………俺ばっかり振り回されている気がするのう」
私の肩に額をぐりぐり押し付ける仁王。
普段は見られない仕草に、思わず笑みがこぼれた。
「私にテニスを教えてください」
仁王の背中に腕を回すと、彼の動きが止まった。
「どうして跡部とダブルス組んだんじゃ」
「それは――」
九州二翼に試合を挑まれた日について話す。ダブルスパートナーに立海メンバーを誘おうとしたら、全員既に誰かと組んでいたことを説明すると、仁王の全身から力が抜けるのが分かった。
「はぁ~、そういうことか……」
仁王がゆっくり顔を上げる。
「今度俺とダブルスを組んでくれるなら、テニスを教えるナリ」
「もちろん仁王くんにお願いするわ」
だって仁王くんとテニスするの好きだから。
小声で呟いたが、彼の耳に届いたようで、口角が上がっていた。
「それは嬉しいぜよ。さて、テニスの練習しに行こうかのう」
背中に回っていた手が、私の右手に重なる。手を繋ぎながら、テニススクールへ向かうことになった。
仁王の表情を窺うと、目尻を下げ、柔らかい笑みを浮かべている。
私は彼から伝わる熱を感じながら、隣を歩いた。
「「「はい!」」」
雲一つなく青空が広がったある日のこと。
テニス部員たちに指示を出す。その部員たちは芥子色のウェアではなく、白地に水色のユニフォームを纏っていた。
私、白石時雨は立海ではなく、氷帝で臨時マネージャーをやっていた。
「お嬢ちゃん、すまんな。突然氷帝に連れてこられて、ビックリしたやろ」
「確かにビックリしたけど、いつもと違って新鮮だわ」
球出しをするため、ボールの準備をしていると、隣に侑士がやってきた。
正レギュラー、準レギュラーは個人の裁量で練習メニューを決められると聞いていたが、侑士も球出し担当のようだ。
「まさかお嬢ちゃんが来てマネージャーやるとは思わへんかったけど……弱味でも握られたん?」
「弱味ではないんだけど、跡部くんに一つ借りがありまして」
「借り?」
侑士が首を傾げる。
私は彼にどこから説明しようかと、頭を悩ませた。
まずは今日連れてこられた経緯を話そう。
「話すと長くなるんだけど――」
時遡ること一時間前。
「部活が終わったら練習に付き合ってもらえるから、自分の分もボールとか用意して、と」
今日はダブルス大会へ向けて、仁王と特訓する日だ。彼と練習するのが楽しみで、自然と足取りが軽くなる。
部室へ向かおうとすると、前方に人が立っていたので足を止めた。
「よう、時雨。元気そうじゃねーの。今日は氷帝で一日マネージャーやってもらうぜ」
「あ、跡部くん。氷帝で一日マネージャーというのは……?」
ここは立海の敷地内のはずだが、目の前に跡部がいた。
「あの日の貸し、今日返してもらう」
「あの日?」
「九州二翼と試合した日のことだ。まさか忘れたわけじゃねえだろうな、アーン?」
九州二翼と試合をした日。それは今から二週間ほど前の話だ。
空き地のコートが空いていたので、一人で壁打ちをしていた。
十分くらい黙々と練習をしていると、後ろから誰かが来た気配がした。壁から跳ね返ってきたボールを手で掴む。振り向くと、見知った姿があった。
「お、時雨ちゃん。ここで会うたんも何かん縁。試合申し込んでもよか?」
「千歳くんに橘くん! 試合は構わないんだけど、ダブルスパートナーが決まってなくて……少し待ってもらっても良いかな?」
「もちろんばい。桔平もよか?」
「ああ、もちろんだ」
「ありがとう」
端に置いていたバッグから携帯を取り出し、バッジと接続して、まずは立海レギュラー陣の居場所をマップで調べる。
柳、仁王、丸井……一人ずつ探してみるが、彼らを示すマークの隣に、バッジ所有者を示すマークが並んでいる。どうやらレギュラー陣全員、誰かとペアを組んでいるようだ。
「困ったわね……」
立海メンバーを誘うのは諦め、次に私の現在地――空き地のコートの近くに知り合いの選手がいないか探してみる。
すると私、千歳、橘以外にもう一つ、バッジ所有者を示すマークが表示された。しかも連絡先を交換した選手で、名前も記載されていた。
「これは、ペアを頼んでも良いのかしら……?」
これ以上千歳と橘を待たせるわけにもいかず、私は電話をかけてみることにした。
五秒もかからず、電話が繋がる。
「もしもし、白石ですけど……跡部くん?」
「時雨か。俺様に何の用だ」
「急で申し訳ないんだけど……今、空き地のコートにいて、ダブルスの試合を申し込まれたから、パートナーをお願いしたくて」
「構わねえぜ」
「ホント!? ありがとう」
「お前とは一度ダブルス組んでみたかったからな。で、対戦相手は誰だ?」
「四天宝寺の千歳くんと不動峰の橘くんよ」
「九州二翼か。フン、俺様を楽しませてくれそうじゃねーの。すぐに向かうから待ってな」
「ええ、よろしくね」
電話を切り、バッグへ仕舞う。
跡部とダブルスを組む日が来るとは思わなかった。とても心強い。
私は千歳、橘が待つコートへ戻った。
「ダブルスパートナーは決まったのか?」
「決まったわ。あと数分すれば」
「いや、もう着いたぜ」
来ると思う。
その言葉は最後までは音にならなかった。
電話が掛け終わってから、一分くらいしか経っていないはずだ。いくらなんでも早すぎではないだろうか。
跡部は私の心情を気にせず、ラケットバックを空き地の隅に置き、試合の準備をする。
その様子をじっと目で追った。
あまりに視線を送りすぎたのだろう。彼はコートに入る際、「お前を一人で待たせるわけにはいかないだろう」と小声で言った。
「まさか、氷帝の跡部が来るとは思わなかったな」
「こら面白か組み合わせばい」
「……それじゃあ、試合を始めましょう」
私以外は全員全国区のプレイヤー。
一瞬たりとも油断できない。いつも以上に気合いを入れて挑もう。
戦いの幕は切って落とされた。
「そしてダブルスを組んでくれたお礼に、マネージャーやることを承諾したら……」
「気づいたらリムジンに連れられて氷帝に来とった、やろ」
その通りだったので頷いた。
一応幸村と真田に連絡を入れたが、大丈夫だろうか。明日、彼らに怒られることを覚悟しておこう。
「それにしても跡部とダブルス組んだんか。試合はどっちが勝ったん?」
「俺たちが負けるわけないだろう。それより部員がコートに集まってきたから、練習を再開しろ」
「せやな。お嬢ちゃん、呼び止めて悪かったな」
「いえいえ、それじゃあコートに行くね」
私は準備をするため、コートへ足を運ぶ。だから、その後の会話は私の耳に届かなかった。
「ところで、お嬢ちゃんが氷帝におることを立海に連絡したん?」
「柳に入れておいた。そのうち立海の奴らが来るだろうから、ダブルスの試合をさせる」
「……もしかして、ダブルスの試合をさせるのが目的やったのか?」
「あいつはダブルスで真価を発揮する。今後の参考になるだろう」
「……どうなっても知らへんで」
跡部の目的を知らない私は、この時、柳への土産は氷帝のデータで良いだろうかと考えているのであった。
*
三十分前、立海にて――。
「部活が終わったら、時雨と練習じゃ。今日は張り切って取り組むかのう」
俺は軽い足取りで、部室へ向かっていた。
普段、時雨が部活後に誰かを練習に誘う姿は、ほとんど見かけない。部活後はテニススクールで練習している、と柳から聞いた。
そんな彼女が練習に付き合ってほしいと頼んできてくれたのだ。浮かれても仕方がないだろう。それが大切な人であれば、なおさら。
制服からジャージに着替え、部室の扉へ手をかける。ドアノブを少し手前に引いたところで、
「時雨先輩がいないって、どういうことッスか!?」
と切原の怒号が聞こえた。
時雨がいない?
彼女は今週クラスの掃除当番がないから、既に部活に来ているはずだ。
「落ち着け、赤也。時雨は氷帝にいる。跡部から連絡があった。それに、時雨本人から精市と弦一郎宛に連絡が届いている。跡部に丸め込まれて、氷帝へ連れていかれた可能性が高い」
続いて柳の声が聞こえた。
ドアの隙間から部室内を見渡すが、時雨の姿はない。
「氷帝ね……」
冗談じゃない。せっかくの楽しみの時間に、水を差されてたまるか。
目的地は氷帝学園。
俺はラケットバックを肩にかけ直し、駅へ向かって走り出した。
「待ちたまえ、仁王くん」
駅の改札が見えたところで、後ろから声をかけられた。足を止めて振り返ると、ダブルスパートナーである柳生がいた。
部活に顔を出さない俺を、急いで追いかけてきたのだろう。顔からぽたりと汗が落ちていた。
「なんじゃ、柳生か」
「念のため聞きますが、どこへ行くのですか?」
「氷帝。止めても無駄ぜよ」
「ええ、止めませんよ。私も行きます」
「何?」
てっきり止められると思ったので、肩透かしを喰らった。
「きっと仁王くんを止めても聞かないでしょうから、付いていってほしいと柳くんに頼まれました」
「……やはり柳にはお見通しか」
俺を落ち着かせるために、柳生を寄越したのだろう。実際、柳生と話して、少し冷静さを取り戻した。
「さて、白石さんを連れて戻りましょう。部活後に彼女と練習するのでしょう? 今ならまだ間に合う時間です」
「今日、時雨と練習すること知っとったんか」
目をぱちくりさせる。
柳生に、というより誰にも話した覚えはないのだが。
「朝から機嫌が良かったじゃないですか」
「ポーカーフェイスを磨かんとのう」
詐欺師の名が泣くぜよ。
俺は苦笑しながら、柳生と共に電車に乗った。
*
ストローク、ボレー、サーブなどの基礎練習が終わり、自主練習の時間となった。
どの部員もセンスが良く、立海も負けられないと思う。
「時雨、これから正レギュラーは試合をするから、審判を……いや、お前も試合をするか? 相手は宍戸と鳳のダブルスだ」
「時雨が試合をする必要はない。立海へ連れて帰るぜよ」
跡部の問いに答えようとした瞬間、手を引かれ、後ろにバランスが崩れる。そのまま倒れることはなく、背中に温もりを感じた。
独特な口調。
振り向かなくても、誰が来たのかが分かった。
いつの日かの出来事を思い出す。私は頬に熱を帯びるのを感じた。
「随分と早いじゃねーの」
「大事なマネージャーを勝手に連れていかれたからのう。それに、あのメールはなんじゃ」
「あのメール?」
「時雨に借りを返してもらう。柳くんへ送られたメールです」
私の疑問に、隣へやって来た柳生が答える。わざわざ取りに行ってくれたのだろう、私の荷物を手に持っていた。
「そのままの意味だ。時雨に借りを返してもらうために、マネージャーをやってもらっている」
「……借り?」
仁王の視線が跡部から私に移る。
「先日、跡部くんにダブルスのペアを組んでもらったの」
素直に答えると、心なしか仁王の目が細められた。
「……さっきの試合の申し込みを受ける。ただし、試合するのは俺と柳生じゃ。ええか、柳生?」
「もちろん構いませんよ」
「フン、予定とは違うが良いだろう。コートに案内するから、ついてきな」
「せっかく氷帝まで来たことだし、一汗流させてもらうぜよ」
お前さんには、後で聞きたいことがたくさんあるから、覚悟しんしゃい。
仁王に耳元で囁かれ、背筋がゾクリとする。
こうして仁王・柳生ペアと宍戸・鳳ペアが試合することになった。試合の結果は――――仁王のコンディションがとても良かったとだけ言っておこう。
*
ダブルスの試合が終わった後、私たちは立海の最寄り駅まで、リムジンで送ってもらえることになった。
駅に着いたのでリムジンから降りると、もうすぐ部活が終わる時間帯だった。
柳生から聞いた話によると、私、仁王、柳生は今日の部活に参加しなくても良いとのこと。
そのため柳生と駅で別れ、私と仁王はそのままテニススクールへ向かうことになった。もちろん仁王にテニスの練習を付き合ってもらうためだ。
「……なんで氷帝なんかに行ったんじゃ」
「急な申し出だったのに、跡部くんがダブルス組んでくれたお礼がしたくて。マネージャーを頼まれたのは予想外だったけど、データが取れると思ったの」
仁王の眉間にシワが寄った。
何か不味いことを言ってしまっただろうか。
不意に仁王の歩みが止まる。
釣られて私も足を止めた。すると右手を掴まれ、引き寄せられた。
「仁王くん……?」
「お前さん、部活後の練習はどうするつもりだった? 俺は結構楽しみにしてたんじゃけど」
ぎゅっと抱きしめられているため、仁王の顔は見えない。しかし、声音から怒っている――のではなく、拗ねているように感じた。
「ごめんね、仁王くん。部活が終わったらすぐに立海へ戻るつもりだったんだけど、軽率な行動だったわ」
「…………俺ばっかり振り回されている気がするのう」
私の肩に額をぐりぐり押し付ける仁王。
普段は見られない仕草に、思わず笑みがこぼれた。
「私にテニスを教えてください」
仁王の背中に腕を回すと、彼の動きが止まった。
「どうして跡部とダブルス組んだんじゃ」
「それは――」
九州二翼に試合を挑まれた日について話す。ダブルスパートナーに立海メンバーを誘おうとしたら、全員既に誰かと組んでいたことを説明すると、仁王の全身から力が抜けるのが分かった。
「はぁ~、そういうことか……」
仁王がゆっくり顔を上げる。
「今度俺とダブルスを組んでくれるなら、テニスを教えるナリ」
「もちろん仁王くんにお願いするわ」
だって仁王くんとテニスするの好きだから。
小声で呟いたが、彼の耳に届いたようで、口角が上がっていた。
「それは嬉しいぜよ。さて、テニスの練習しに行こうかのう」
背中に回っていた手が、私の右手に重なる。手を繋ぎながら、テニススクールへ向かうことになった。
仁王の表情を窺うと、目尻を下げ、柔らかい笑みを浮かべている。
私は彼から伝わる熱を感じながら、隣を歩いた。