蝶ノ光【番外編】

夢小説設定

この小説の夢小説設定
夢主の名前

 朝練が終わり、ジャージから制服に着替えて教室へ向かう。
 3年B組の教室に入ると、もうすぐホームルームが始まる時間だからか殆どの生徒が集まっていた。クラスメイトに挨拶しながら自分の席に辿り着く。
 机の上に鞄を置き、授業の準備をしようとチャックを開けると、あることに気づいた。

「……あれ?」

 何度見ても鞄の中に国語の教科書とノートがない。
どうやら予習をするために鞄から出して、そのまま家に置いてきてしまったようだ。
 ノートはルーズリーフで代用できるが、教科書は誰かに貸してもらわなければ。
 国語の授業は二限目なので、ゆっくりしてられない。
 仁王、丸井、百合が隣の席ならば見せてもらうことも選択肢に入れたが、今の隣の子には頼めるほど親しくなかった。
 さて、誰に借りようかしら。
 まず思い浮かんだのは柳生だ。彼はA組なのですぐ借りにいけるし、快く貸してくれそうだ。
 しかし、ふと思い出す。
 たしか柳生と真田は同じクラスだったはず。もし真田に教科書を忘れたことがバレた場合、たるんどると怒られそうな気がした。忘れ物をした私が悪いが、怒られたくはない。
 柳生に借りに行くのは最終手段にしよう。
 次にC組の幸村を思い浮かべる。
 部室の戸締まりをした時に彼と顔を合わせたが、制服ではなく、学校指定のジャージを身に纏っていた。
 おそらく一限は体育なのだろう。ホームルームが終わったら体育館へ移動だろうし、一限後の休み時間は移動に加えて、制服に着替えなければならない。
 そうなると幸村に借りるのは難しそうだ。
 腕を組ながら悩んでいると、携帯のバイブ音が聞こえた。
 鞄から携帯を取り出して起動させると、そこにはメッセージアプリの通知が。
 慌ててロック画面を解除し、内容を確認する。送り主は柳だ。
 【次の練習試合について相談したい。お昼一緒にどうだろうか?】と書かれていた。
 ……そうだ、蓮二に借りよう!
 彼が国語の教科書を持ってさえいれば、懸念事項はない。
 私はすぐさま返信した。
 【ぜひ一緒に食べたいな。今日お弁当持ってきてないから、食堂でも良いかな?
 ところで二限に国語があるのだけど、教科書忘れたので、もし持っていれば貸してもらえないでしょうか?】
 【構わない。教科書は持っているから、一限が終わったらF組に取りに来てくれ】
 【分かった。ありがとう!】
 柳から借りられる約束ができてホッとする。
 お昼は何にしようかなと考えていると本鈴が鳴り、担任が教室に入ってきて朝礼が始まった。



 一限の授業が終わり、私は廊下に飛び出した。
 早歩きでF組へ向かうと、やはりと言うべきか既に扉の近くに柳がいた。彼がこちらに気づいたので、呼吸を整えるため少し歩くスピードを緩める。

「ずいぶんと早いな」

「待たせたら悪いと思ったので」

「そうか。ほら、目的のものだ」

「ありがとう! 本当に助、か……?」

 教科書を両手で受け取ると、親指と人差し指で触ったときの感触が違う気がした。親指で軽く横にスライドさせると下にはノートが。

「これは……?」

「今、授業でやっているところは苦手な古典だろう。お前のことだから予習しているだろうが、少しでも役に立てればと思ってな」

「うん……ありがとう。蓮二にはお世話になりっぱなしだから、何かお礼がしたいわ」

 柳には古典の予習をして、そのまま教科書とノートを忘れてしまったことはお見通しなのだろう。
 苦手科目だから授業に備えて予習したのに、間抜けすぎるでしょう、私。
 古典が得意な柳のノートが借りられて心強い。
 何事も器用にこなす彼に比べたら私にできることは限られているが、それでも彼の力になりたかった。

「お礼を求めていたわけではないのだが、そうだな……」

 柳が右手を顎にあてながら黙り込む。

「明日は部活が休みだったな。放課後、練習に付き合ってほしい。その後行きたい喫茶店があるから、付いてきてくれないか?」

「もちろん構わないけど……蓮二が喫茶店に行きたいなんて意外ね」

 思わず二度見した。
 明日は顧問が出張で部活が休みになったから、どこかで練習するのは分かる。
 私も放課後テニスがしたかったので、願ったり叶ったりだ。
 けれども、喫茶店に誘われるなんて予想してなかった。
 たしか蓮二はなんでも好んで食べるが、薄味が好きだったような……?

「柳蓮二は薄味を好んでいたはず、と思っているようだが、気になる喫茶店があってな。ぜひ行ってみたいと思ったんだ」

「なるほど」

 柳が行きたいと思うくらいだから、きっと美味しいお店に違いない。
 私は期待に胸を踊らせた。


 チャイムが鳴り、国語の授業が始まる。
 借りたノートを開くと、そこには美しい文字が並んでいた。要点がまとまっていて分かりやすい。
 柳のノートがあるおかげで、いつもよりリラックスして授業が受けられた。
 ルーズリーフに板書を写しつつ、借りたノートも写す。
 理解が深まり、次のテストでは良い点を採れそうだ。
 昼休みノートを返したときに分かりやすかったことを伝えると、テスト前にまた貸してもらえることになった。
 教授に感謝だ。



 柳との約束の日。
 放課後になるまでの時間が、いつもより長く感じた。
 後は掃除だけだ。身体を動かして作業をするので、授業中みたいにそわそわしなくて済むだろう。
 少々――いや、かなり浮かれていたのか、朝練後に「今日は楽しみなことがあるのでしょうか? いつもより気合いが入っているようでしたので」と柳生に微笑まれた。
 休み時間には丸井に「何か良いことでもあったのか?」と聞かれたっけ。
 掃除場所である特別教室へ向かった。
 同じ班のみんなと協力し、まず机の上に椅子を乗せて端に寄せる。次に箒で集めた埃や消しカスなどをちりとりに入れ、ゴミ箱へ捨てた。最後に机と椅子を元の位置に戻して掃除終了。
 皆、協力的なので十分もかからなかった。ありがたい。
 特別教室から廊下に足を踏み出すと、隣に人が立つ気配を感じた。
 気配のする方へ振り向くと、そこにはラケットバッグを二つ背負った柳の姿が。
 なんと片方は私のバッグだった。

「あれ、蓮二……?」

 いつも用があるときはお互いの教室へ行き来するので、特に待ち合わせ場所は決めていない。てっきり教室にいると思っていたので驚いた。

「掃除当番は休みだったから、ここで待たせてもらった。ほら、バッグだ」

「ありがとう。教室で待ってもらってても良かったのに」

 柳に感謝しつつ、バッグを受け取る。

「教室だと丸井や仁王に掴まったら、躱すのが大変だからな。それに――」

「それに?」

「……時雨と少しでも長くテニスがしたいと思ったまでだ」

 ふいと顔を背け、柳は私の手を握った。温かい手に包み込まれ、どきりとする。
 掃除が同じ班のメンバーは既に3年B組の教室へ行ってしまったので、廊下には私たちしかいない。
 柳は私に背を向け、手を繋ぎながら昇降口へと歩を進める。いつもは私の歩幅に合わせてくれるが、今日は少し速いような気がする。
 歩く度に柳の髪が揺れ、耳が仄かに赤いのが見えた。
 きっと照れているのだろう。
 私は心がぽかぽかと温かくなるのを感じながら、彼についていった。



 私が通っているテニススクールに着いた。なんでも柳が気になっている喫茶店は、テニススクールの近くにあるらしい。喫茶店に行く前に、腹ごなしも兼ねてテニスの練習である。
 更衣室でジャージに着替え、予約したテニスコートへ。
 柳と準備運動をしてからラリーを行った。
 ウォーミングアップもそこそこに、練習試合へ移行。
 練習試合と言えど、柳は容赦なく私の苦手コースを攻めてくる。だが、やられっぱなしの私ではない。
 立海マネージャー就任時より苦手コースを克服し、心に余裕が生まれた。前回打ち合った時より1ポイントでも多く取りたい。
 部活の練習中に柳を観察して得た情報を基に、苦手と思われるところへ返球する。すると、私がそのコースへ打ったのが面白いと感じたのか、彼の口角が上がったように見えた。
 さあ、反撃開始しよう。
 私は神経を研ぎ澄ませ、ネットの向こうに得意技を打った。


「惜しかったな……」

 テニスコートを後にし、更衣室でジャージから制服に着替えた。
 前回柳と試合した時よりショットは決まったものの、最後は敗北してしまった。負けて悔しい思いもあるが、着実に強くなっていると実感できて嬉しくもある。
 このまま特訓して次こそ勝つ。練習と試合は違うものもあるし、都合が合う時に特訓に付き合ってもらうのも良いかもしれない。
 試合の反省会をしつつ、テニススクールの入り口に行き着くと、既に制服姿の柳が佇んでいた。

「おまたせ!」

「俺も今来たところだ。では行こうか」

 待ちに待った喫茶店の時間だ。
 場所は聞かされていないので、柳の案内に従って進む。
 会話に夢中になり、私が違う道へ行きそうになると手首を掴まれた。面目ない。
 商店街に足を踏み入れると、とある喫茶店が頭に浮かんだ。まさかと思いつつも、柳に話した覚えはないため頭を振る。
 雑貨店やレストランを通りすぎた。
 商店街に喫茶店はいくつかあるが、今歩いている道の先には一軒しかなかったはず。
 次第に先ほど思い浮かべた喫茶店が見えてきた。
 ファサードはガラス張りで、店内の様子が窺える。半分くらい席が埋まっており、これなら並ばずに入れそうだ。

「ここが蓮二の行きたかった喫茶店?」

 入り口前で足を止め、柳に問いかけた。
 入り口の隣には、メニューのサンプルが展示されている。サンドイッチやホットケーキなどが美味しそうだ。

「ああ、そうだ」

 目の前には私が行ってみたいと思っていた喫茶店。
 柳に話したことはないと思うが、いつ存在を知ったのだろう。
 彼をじっと見つめても、微笑み返されるだけだった。

「ここの喫茶店のこと話したっけ?」

「お前の口から聞いたことはないな」

 私の口からではない。そして私は喫茶店のことを周りに話したことはない。
 しかしテニススクールで練習した後は、必ず喫茶店の前を通る。柳に練習を付き合ってもらうのは、一度や二度ではなかった。
 きっと無意識のうちに視線を投げかけていたのだろう。
 喫茶店に行きたいことが知られていて、少々恥ずかしい。
 柳が入り口の扉を開ける。

「さて、入ろうか。時雨が行ってみたい喫茶店が気になっていた」


 店内は昭和レトロの雰囲気が漂っていて心が落ち着く。
 店員に案内され、窓際の席に座った。窓の外は庭園が望め、緑が広がっている。ネットの情報によると、窓際席は人気のため埋っていることが多いらしい。
 携帯のカメラを起動し、記念に外の景色を撮った。

「ここの席に座れて良かったな」

 柳も嬉しそうで何よりだ。
 写真もそこそこにし、携帯をテーブルに置いてメニューを選ぶ。メニュー表にはサンドイッチ、ピザトースト、プリンなどが載っていた。
 どれも美味しそうで、ごくりと喉がなる。
 私がこの喫茶店に行きたかった一番の理由は、ホットケーキにある。分厚くてふっくらとした見た目が魅力的だ。表面はこんがりと焼けたきつね色なのが、さらに食欲をそそる。
 ただし二枚重なっていてボリュームがあるので、一人で食べるのは苦戦するかもしれない。

「ホットケーキが食べたいのだろう? ならばシェアをしよう」

 メニュー表とにらめっこしていると柳から提案が。
 ホットケーキの写真に熱い視線を送っていたせいかもしれない。

「良いの?」

「もちろん」

「ありがとう!」

 すぐさま店員を呼び、ホットケーキとホットはちみつレモン、アイスティーを注文。
 ホットケーキは焼き上がるまでに20分くらいかかるので、待っている間は自然とテニスの話をすることになった。

「先程の練習試合だが、まさか苦手コースを狙われるとは思わなかった」

「確かに苦手コースかなと思って打ったけど、さらりと返したよね?」

「負けるわけにはいかないからな」

 いつの間にかにラケットバッグからノートを取り出し、何かを書き記す柳。
 次こそ試合に勝って、余裕綽々な態度を崩したい。
 私より蓮二の弱点を知っている人物――そうだ、貞治に聞こう。
 早速実行しようと、テーブルに置いた携帯に手を伸ばす。
 しかし、手が届くことはなかった。柳に手首を掴まれたからである。

「…………」

「ええと、蓮二……?」

 先程までは涼しげな表情をしていたのに、なぜか今は不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。

「貞治に俺の苦手コースを聞くつもりだろう。違うか?」

「そ、そんなことない、よ?」

 声が裏返った。
 ダメだ、蓮二に嘘をつくなんてハードルが高すぎる。

「……俺の弱点が知りたければ、直接聞けば良いだろう」

「教えてくれるの?」

 まさか柳本人からデータを得られるとは思わなかった。

「そうだな……俺のデータを教える度に、練習に付き合ってくれるなら構わない」

「それって蓮二にメリットあるのかしら?」

 データが得られるだけではなく一緒にテニスができるなんて、私にとって良いこと尽くしな気がする。

時雨のデータが取れるし、時間がもらえる」

「えっ?」

「せっかく青学から立海に転校してきたのに、部活の後は一人でスクールに行くことが多いだろう? 共に練習する機会が多かった貞治に妬いただけだ」

 柳は手を離し、ふいと顔を窓の方へ向けた。
 どうやら拗ねているらしい。
 普段は冷静沈着だが、今日みたいにいつもと違う表情が見られると心が和む。

「おまたせしました、ホットケーキです。熱いので気をつけてお召し上がりください」

 柳を眺めていると、待ちに待ったホットケーキが運ばれてきた。
 一つ取り皿に分けて、彼の前に差し出す。

「私で良ければ、また一緒に練習しよう。ね?」

「……ああ」

 緑豊かな庭園から私に視線が戻る。
 経験上、もう少しそっとした方が良さそうだと感じた。
 ホットケーキにナイフを入れると、ザクザクとした感触が手に伝わる。分厚いし、これは食べごたえがありそうだ。
 8等分にしてバターとシロップをかけた。
 向かい側を見ると、柳もホットケーキを切り終えたところだった。
 フォークで一つ口に運ぶ。
 表面はカリカリ、中はふんわり。ほんのりと甘さが広がり、優しい味がした。

「美味しい」

 自然と口から零れた。
 またホットケーキを食べたいし、他のメニューも食べてみたい。きっと他のメニューも美味しいはず。
 頻繁に喫茶店へ行けるわけではないが、だからこそ特別さが増す。

「また蓮二とここに来て、同じものを共有して、ゆっくりしたいな。どうかしら」

「……俺もそう思う。全く、お前には敵わないな」

 柳の頬が緩む。
 私の方が敵わないのに。彼の笑顔を見ると心が温かくなる。
 一緒に喫茶店に来られて良かったとしみじみ思った。
10/11ページ
clap