短編
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三年A組の教室――――。
中休みを告げるチャイムが鳴り、鞄の中から楽譜を取り出す。
私は吹奏楽部に所属しており、定期演奏会の日が近づいていた。
定期演奏会では何曲か演奏するが、その中には私がソロを担当する曲もあり、今から緊張している。まだ納得のいくように吹けないからだろう。
演奏していない時は楽譜を見て、頭の中で音を奏でている時のイメージをしていないと落ち着かない。
しばらく楽譜を眺めながらメロディーを思い浮かべていると、楽譜に影が落ちた。
「⋯⋯うん?」
顔を上げると、目の前には銀髪の男性が立っていた。
誰かしら。少なくとも、話したことはない人だ。
「ほら、お前さんにあげるぜよ」
手のひらに白い包みの飴を乗せられる。
「えと、良いのかしら⋯⋯?」
「もちろん」
戸惑いつつも、せっかくの好意を無下にすることはできず、そのまま受け取った。
白い包みにいちごの模様が描かれていて、私の好きな飴だったのもある。外側はカリッと内側はクリーミーで食感が面白いし、美味しいのだ。
「どうして私に?」
「眉間にシワが寄ってたから。そういう時は甘い物を食べると良いぜよ」
「ありがとう」
それが彼との初めて交わした言葉だった。
*
後から隣の席の柳生くんに聞いたところ、飴をくれた男性は仁王くんというらしい。何でも柳生くんと同じくテニス部で、ダブルスパートナーだとか。
本当は本人から聞きたかったが、飴を貰った後にチャイムが鳴ってしまい、名前を聞く前に仁王くんが教室から出ていてしまったのだ。
そのため、柳生くんから仁王くんのことを教えてもらうことになった。
「またA組に来ると思いますので、良ければ仁王くんと話してあげて下さい」
「そうね。今度はゆっくりお話したいわ」
次会えた時は、私のことを話せたら――――。
のんびり構えていたら、昼休みに早速、お弁当袋を片手に仁王くんがA組に入ってきた。そのまま私の席の前へ来る。
「中休みぶりじゃな。お前さんの名前を聞いてなかったし、また遊びに来たぜよ」
「あ、えと。雪宮時雨です。よろしくね、仁王くん」
「こちらこそ――て、俺の名前」
仁王くんが目をパチクリさせると、柳生くんがコホンと咳払いした。
「あなたが名乗る前に教室を出て行ってしまわれたから、私が教えたのですよ」
「⋯⋯そうか。ま、変なタイミングでチャイムが鳴ったからのう。それはそれとして、お昼一緒に食べないか?」
「もちろん良いわよ」
ちょうど私の前の席が空いていたので、仁王くんがそこに腰をかける。
こうして私は、仁王くんと柳生くんとお昼を共にすることになった。
*
それから仁王くんは休み時間に時々A組に遊びに来て、私にお菓子をくれるようになった。
そんな、ある昼休みのこと。
柳生くんは椅子から立ち上がり、私の席の前に立った。「雪宮さん。今、よろしいでしょうか?」
「私は風紀委員の打ち合わせがありますので、もし仁王くんが来たら、私はいないと伝えていただけないでしょうか?」
「ええ、分かったわ」
「ありがとうございます」
柳生くんはお辞儀をしてから真田くんと教室を後にした。
今日は一人でお昼となるため、少し寂しいが仕方がない。
私は席を外し、トイレに行って手を洗った。
「⋯⋯え?」
ハンカチで手を拭いてから教室に戻ると、私の隣の席――柳生くんの席に、なぜか彼が座っていた。
机の上には、お弁当の包みが置かれている。
柳生くんは本を読んでいるせいか、私が教室に戻ったことには気づいていない。
普段なら、おかしな光景ではない。
しかし、つい先程、柳生くんは委員会の打ち合わせがあると言って、教室を出て行ったはず。
もしかして打ち合わせが中止になったのだろうか。さっと教室を見渡すが、真田くんの姿はない。
では、柳生くんの席に座っている人は一体誰――――。見た目は柳生くんにそっくりである。
私は柳生くんの姿をした誰かに近づいた。
「ごめん、お待たせ! 昼ご飯食べましょう」
「いえ、さほど待っていないのでお気になさらず」
声をかけると柳生くんは本を閉じ、お弁当箱を広げた。私も席に座り、お昼の準備をする。
「前に、よくダブルスの試合に出るって言ってたけど、誰とペアを組むの?」
「よく仁王くんと組んでますよ。プレイスタイルが真逆なので、良い刺激を受けます」
「プレイスタイルが真逆?」
「私は正統派なプレイスタイルですが、仁王くんはトリッキーなプレイスタイルでしてね」
「そうなんだ」
無難にテニスに関する質問をしてみたが、思わぬ収穫を得た。
男子テニス部のファンである女子生徒なら、レギュラー陣のプレイスタイルや得意技を知っているかもしれない。
しかし、男子生徒で彼らのプレーまで熟知している人は、そうそういないのではないだろうか。同じテニス部ではない限りは。
ただ、それだけでは目の前の偽柳生くんがテニス部員だったとしても、誰だかまでは絞れない。
私と面識のあるテニス部員は、真田くん、ジャッカルくん、柳くん、仁王くんだ。
真田くんは委員会の打ち合わせに行った。ジャッカルくんは理由が何であれ、変装するコストと効果が見合わないので、この二人は除外する。
すると残るは、柳くんと仁王くん。二人とも変装くらいやってのけそうなので、どうやって絞ろうか。
「雪宮さん。難しい顔されて、どうかしましたか?」
名前を呼ばれて、ハッとする。どうやら思考の海に沈んでいたようだ。
「⋯⋯あなたが誰なのかと考えてて」
「それは、どういうことでしょう?」
「だって柳生くんは、委員会でここにはいないはずだもの」
柳生くんの姿をした彼は、目を見開いた後、口角を上げた。
ここまでは想定内なのだろう。慌てた様子はない。
「たしかに私は柳生ではありません。それで、私が誰だか分かりましたか?」
そう言いながら机に両肘をつき、楽しげに笑う彼。
これまでの様子を振り返り、ある会話が頭をよぎった。
「――――ええ、分かったわ」
「フフ、では聞かせていただいても?」
私はこくりと頷き、説明を始める。
まず柳生くんのプレイスタイルまで知っていることから、男子テニス部に絞ったこと。その中で私と面識のあるテニス部員は真田くん、ジャッカルくん、柳くん、仁王くんであること。そして、柳くんと仁王くんまで絞れたこと。
「ここで思い出したの。柳くんは目を長く開けていられない。昼休みに私とご飯を食べるためだけに、目を開け続けるとは思えないの。だから消去法で仁王くんが残る。⋯⋯どうかしら?」
所々主観が入っているが、私は探偵ではないので勘弁してほしい。
「そうじゃな、正解ぜよ。お見事ナリ」
仁王くんは髪をわしゃわしゃと掻き、いつも通りの髪型に戻した。髪色は茶色のままだけれど。
そして眼鏡を外し、口の下を擦るとほくろが現れ、変装が解けた。
「まさか、正体を当てられるとはのう」
言葉とは裏腹に、仁王くんは嬉しそうだ。
「ところで、どうして変装したの?」
日常で変装する機会なんて、殆どないと思うのだが――――
「気になるなら、今度テニスの試合を観に来てみんしゃい」
仁王くんはニヤリと笑うのだった。
*
「それでは今日の部活を終わります。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!」
放課後の部活動が終わり、同じ部活に所属する夏美と共に校門を出た。
日が沈んだばかりなのか、空と海の境が赤い。
駅に向かうため、夏美と並んで坂を降りて行く。
「時雨、最近調子良くなった? ソロのところ、前より音が滑らかになったね」
「そ、そうかしら? ありがとう」
きっと今まで、定期演奏会で上手く吹かなければ、と無意識のうちに焦っていたのだろう。
本番までに完成させるのは大事だが、音が力み、納得のいく演奏ができなくなるのでは意味がない。
夏美に褒められてこそばゆくなったが、なんとかお礼を言った。
「そういえばさ。仁王くんとはどうなの? よくA組に行ってるんでしょ?」
「え、ええと⋯⋯」
突如話が変わり、夏美がぐいぐい迫ってくるので、私は一歩後退した。
夏美はB組に在籍しており、休み時間に仁王くんがA組に遊びに来ているのを知っている。なぜか、彼が私にお菓子を渡していることも。
「どうもしないわ。休み時間に柳生くんと仁王くんと、三人、で雑談してるだけよ」
三人のところを強調して、何事もないように答える。
実は仁王くんがわざわざB組に来てくれるのが、嬉しいのは秘密だ。
「ふうん? 仁王くんがテニス部関係以外で他のクラスに行くのは、珍しいと思うけど⋯⋯まあ、そういうことにしとく」
どこか納得のいっていない様子だが、これ以上追及されないようで、ホッとする。
それから、最近発売されたお菓子のことなど他愛もないことを話していると、駅に着いた。
夏美とは乗る電車の方向が逆なため、彼女と別れて電車に乗る。席がほとんど埋まっていたため、ドアの付近に立った。
いつもだったら読書をするところだが、今日は疲れて本を読む気になれず、窓の外の移りゆく景色を眺めた。
ぼんやりしていると、隣の駅に到着し――――
「えっ⋯⋯」
ホームのベンチに仁王くんと、テニス部マネージャーの後藤さんが座っているのが目に入った。
後藤さんはテニス部のマドンナ的存在で、噂に疎い私でも知っていた。
ベンチの周りに、他の部員は見当たらない。
幸い、仁王くんたちは私に気づいていないので、二人の様子を観察する。
心臓が嫌な音を立てる。
これは告白の場面? それとも、二人はもう付き合っているの?
頭がパニックしている間に、後藤さんの手が、仁王くんの手の上に重なった。そして、座っている二人の隙間が狭くなる。
私は反射的に窓の外から目を逸らした。
何で学校の最寄りの駅じゃなくて、途中駅のホームにいるの? ランニングをしていたにしても、学校から距離があるのに。
もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。気を落ち着かせるため深呼吸をし、息を整える。
発車メロディが流れてドアが閉まり、電車が動き出した。
仁王くんがいた駅から遠ざかったので窓ガラスを見ると、涙が溢れ出して頬に伝っている自分が映っていた。
そうか。私はいつの間にか、仁王くんのことが好きになっていたのね。恋を自覚すると同時に、失恋してしまったけれど。
それから私は、どうやって家に帰ったのか覚えていない。
*
仁王くんと後藤さんが、ベンチに並んで座っているのを見た次の日。
彼と顔を合わせるのが気まずく、私は中休みや昼休みになると教室を飛び出して、図書室や部室で時間を潰した。
それが一日ではなく数日続くと、柳生くんに悩み事でもあるのか心配されたが、定期演奏会に向けて練習したいと言って誤魔化した。実際、図書室で楽譜を見直したり、部室で演奏していたりするので嘘ではない。
今日は昼休みに楽譜を持って図書室へ行き、窓際の席でぼんやりとしていた。
きっと仁王くんは後藤さんと付き合っているから、柳生くんや真田くんに用がある時しか、もうA組には来ないかもしれない。
それでも仁王くんの顔を見たら平静を装うことはできないので、鉢合わせないように、こうして彼が来なさそうな場所へ移動するのだった。
「良いお天気だし、屋上に移動しようかしら」
窓越し見える空には、ゆっくりと小さな雲が流れていた。
気分転換がてら、場所を変えよう。
何か重要なことを忘れている気がしたが、私は楽譜を片手に屋上へ向かった。
早足で廊下を移動し、階段を駆け登る。
最上階にある扉を開けると、屋上には誰もいなかったので足を踏み入れた。ベンチに座り、楽譜を膝の上に乗せて開くと、ソロの部分が目に入った。
「仁王くんに定演来てほしかったんだけどな⋯⋯」
「もちろん行くぜよ」
「⋯⋯⋯⋯ん?」
屋上には誰もいなかったはずなのに、よく知った声が降ってきた。
楽譜の両端を持って目の前に掲げ、少しだけ下ろすと銀髪が見えた。再び楽譜を持ち上げる。
「何でここに⋯⋯」
「そりゃあ、屋上にいたからナリ。貯水槽の近くに隠れてたけどな」
そういえば仁王くんと出会った頃に、よく屋上に行くと言っていたことを思い出した。
仁王くんが楽譜の両端を摘んで閉じ、そのままベンチの上に置く。
彼の真っ直ぐな目が露わになった。視線を逸らせない。
「それで。最近、休み時間にA組にいなかったのは?」
「それは⋯⋯⋯⋯に、仁王くんが後藤さんと付き合っているからよ!」
「⋯⋯は? なんで後藤が出てくるんじゃ」
腹を括って言い返すと、何故かぽかんとする仁王くん。
勢いに任せて言ったが、仁王くんの心を乱すことができないことが悔しくて、さらに言葉が溢れ出た。
「だって、駅のベンチで後藤さんと並んで座ってたじゃない! 学校の最寄り駅じゃないところで! しかも手を重ねてたし!」
「雪宮さん、一回落ち着きんしゃい」
「落ち着けるわけないじゃない!」
「時雨!」
「っ!」
普段聞かない声量で名前を呼ばれて、反射的に肩が揺れた。
仁王くんは片膝をつき、私の手を握る。
「たしかに俺は、後藤に呼ばれて駅で二人きりになり――――告白された」
やっぱり告白されたんだ。その事実が、胸に重くのしかかる。
視線が地面に落ちると、ぎゅっと手を握られた。まるで目を逸らすのは許さないとばかりに。
「だが、俺には好きな人がいると断ったんじゃ」
「好きな、人⋯⋯?」
「――――時雨、お前さんじゃ」
ハッと顔を上げると、仁王くんが目尻を下げる。これまでよく見た不敵な笑みではなく、優しげな笑み浮かべており、心臓がどくどくと早鐘を打った。
「私?」
「ああ。ちょうど、このベンチだったか。時々休み時間に、ここでフルートを吹いてる姿が印象に残ってのう。よく耳を澄まして聴いてたぜよ」
「屋上で仁王くんの姿、見たことないけど⋯⋯」
誰もいないところでこっそり自主練習をしているつもりだったので、まさか仁王くんが聞いているとは思わなかった。
「ま、このベンチから見えないところで寝っ転がってるからな。一生懸命に練習しているところに惹かれて――今に至るわけじゃ」
仁王くんは立ち上がり、隠れていたのだろう貯水槽の方角を眺めた。
そして、再び私に視線を注ぐ。
「それでお前さんは――――」
言葉の続きは聞かなくても予想できる。
だから私は――――
「私もあなたが好きよ」
仁王くんに抱きついて、とびっきりの笑顔で答えるのだった。
中休みを告げるチャイムが鳴り、鞄の中から楽譜を取り出す。
私は吹奏楽部に所属しており、定期演奏会の日が近づいていた。
定期演奏会では何曲か演奏するが、その中には私がソロを担当する曲もあり、今から緊張している。まだ納得のいくように吹けないからだろう。
演奏していない時は楽譜を見て、頭の中で音を奏でている時のイメージをしていないと落ち着かない。
しばらく楽譜を眺めながらメロディーを思い浮かべていると、楽譜に影が落ちた。
「⋯⋯うん?」
顔を上げると、目の前には銀髪の男性が立っていた。
誰かしら。少なくとも、話したことはない人だ。
「ほら、お前さんにあげるぜよ」
手のひらに白い包みの飴を乗せられる。
「えと、良いのかしら⋯⋯?」
「もちろん」
戸惑いつつも、せっかくの好意を無下にすることはできず、そのまま受け取った。
白い包みにいちごの模様が描かれていて、私の好きな飴だったのもある。外側はカリッと内側はクリーミーで食感が面白いし、美味しいのだ。
「どうして私に?」
「眉間にシワが寄ってたから。そういう時は甘い物を食べると良いぜよ」
「ありがとう」
それが彼との初めて交わした言葉だった。
*
後から隣の席の柳生くんに聞いたところ、飴をくれた男性は仁王くんというらしい。何でも柳生くんと同じくテニス部で、ダブルスパートナーだとか。
本当は本人から聞きたかったが、飴を貰った後にチャイムが鳴ってしまい、名前を聞く前に仁王くんが教室から出ていてしまったのだ。
そのため、柳生くんから仁王くんのことを教えてもらうことになった。
「またA組に来ると思いますので、良ければ仁王くんと話してあげて下さい」
「そうね。今度はゆっくりお話したいわ」
次会えた時は、私のことを話せたら――――。
のんびり構えていたら、昼休みに早速、お弁当袋を片手に仁王くんがA組に入ってきた。そのまま私の席の前へ来る。
「中休みぶりじゃな。お前さんの名前を聞いてなかったし、また遊びに来たぜよ」
「あ、えと。雪宮時雨です。よろしくね、仁王くん」
「こちらこそ――て、俺の名前」
仁王くんが目をパチクリさせると、柳生くんがコホンと咳払いした。
「あなたが名乗る前に教室を出て行ってしまわれたから、私が教えたのですよ」
「⋯⋯そうか。ま、変なタイミングでチャイムが鳴ったからのう。それはそれとして、お昼一緒に食べないか?」
「もちろん良いわよ」
ちょうど私の前の席が空いていたので、仁王くんがそこに腰をかける。
こうして私は、仁王くんと柳生くんとお昼を共にすることになった。
*
それから仁王くんは休み時間に時々A組に遊びに来て、私にお菓子をくれるようになった。
そんな、ある昼休みのこと。
柳生くんは椅子から立ち上がり、私の席の前に立った。「雪宮さん。今、よろしいでしょうか?」
「私は風紀委員の打ち合わせがありますので、もし仁王くんが来たら、私はいないと伝えていただけないでしょうか?」
「ええ、分かったわ」
「ありがとうございます」
柳生くんはお辞儀をしてから真田くんと教室を後にした。
今日は一人でお昼となるため、少し寂しいが仕方がない。
私は席を外し、トイレに行って手を洗った。
「⋯⋯え?」
ハンカチで手を拭いてから教室に戻ると、私の隣の席――柳生くんの席に、なぜか彼が座っていた。
机の上には、お弁当の包みが置かれている。
柳生くんは本を読んでいるせいか、私が教室に戻ったことには気づいていない。
普段なら、おかしな光景ではない。
しかし、つい先程、柳生くんは委員会の打ち合わせがあると言って、教室を出て行ったはず。
もしかして打ち合わせが中止になったのだろうか。さっと教室を見渡すが、真田くんの姿はない。
では、柳生くんの席に座っている人は一体誰――――。見た目は柳生くんにそっくりである。
私は柳生くんの姿をした誰かに近づいた。
「ごめん、お待たせ! 昼ご飯食べましょう」
「いえ、さほど待っていないのでお気になさらず」
声をかけると柳生くんは本を閉じ、お弁当箱を広げた。私も席に座り、お昼の準備をする。
「前に、よくダブルスの試合に出るって言ってたけど、誰とペアを組むの?」
「よく仁王くんと組んでますよ。プレイスタイルが真逆なので、良い刺激を受けます」
「プレイスタイルが真逆?」
「私は正統派なプレイスタイルですが、仁王くんはトリッキーなプレイスタイルでしてね」
「そうなんだ」
無難にテニスに関する質問をしてみたが、思わぬ収穫を得た。
男子テニス部のファンである女子生徒なら、レギュラー陣のプレイスタイルや得意技を知っているかもしれない。
しかし、男子生徒で彼らのプレーまで熟知している人は、そうそういないのではないだろうか。同じテニス部ではない限りは。
ただ、それだけでは目の前の偽柳生くんがテニス部員だったとしても、誰だかまでは絞れない。
私と面識のあるテニス部員は、真田くん、ジャッカルくん、柳くん、仁王くんだ。
真田くんは委員会の打ち合わせに行った。ジャッカルくんは理由が何であれ、変装するコストと効果が見合わないので、この二人は除外する。
すると残るは、柳くんと仁王くん。二人とも変装くらいやってのけそうなので、どうやって絞ろうか。
「雪宮さん。難しい顔されて、どうかしましたか?」
名前を呼ばれて、ハッとする。どうやら思考の海に沈んでいたようだ。
「⋯⋯あなたが誰なのかと考えてて」
「それは、どういうことでしょう?」
「だって柳生くんは、委員会でここにはいないはずだもの」
柳生くんの姿をした彼は、目を見開いた後、口角を上げた。
ここまでは想定内なのだろう。慌てた様子はない。
「たしかに私は柳生ではありません。それで、私が誰だか分かりましたか?」
そう言いながら机に両肘をつき、楽しげに笑う彼。
これまでの様子を振り返り、ある会話が頭をよぎった。
「――――ええ、分かったわ」
「フフ、では聞かせていただいても?」
私はこくりと頷き、説明を始める。
まず柳生くんのプレイスタイルまで知っていることから、男子テニス部に絞ったこと。その中で私と面識のあるテニス部員は真田くん、ジャッカルくん、柳くん、仁王くんであること。そして、柳くんと仁王くんまで絞れたこと。
「ここで思い出したの。柳くんは目を長く開けていられない。昼休みに私とご飯を食べるためだけに、目を開け続けるとは思えないの。だから消去法で仁王くんが残る。⋯⋯どうかしら?」
所々主観が入っているが、私は探偵ではないので勘弁してほしい。
「そうじゃな、正解ぜよ。お見事ナリ」
仁王くんは髪をわしゃわしゃと掻き、いつも通りの髪型に戻した。髪色は茶色のままだけれど。
そして眼鏡を外し、口の下を擦るとほくろが現れ、変装が解けた。
「まさか、正体を当てられるとはのう」
言葉とは裏腹に、仁王くんは嬉しそうだ。
「ところで、どうして変装したの?」
日常で変装する機会なんて、殆どないと思うのだが――――
「気になるなら、今度テニスの試合を観に来てみんしゃい」
仁王くんはニヤリと笑うのだった。
*
「それでは今日の部活を終わります。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!」
放課後の部活動が終わり、同じ部活に所属する夏美と共に校門を出た。
日が沈んだばかりなのか、空と海の境が赤い。
駅に向かうため、夏美と並んで坂を降りて行く。
「時雨、最近調子良くなった? ソロのところ、前より音が滑らかになったね」
「そ、そうかしら? ありがとう」
きっと今まで、定期演奏会で上手く吹かなければ、と無意識のうちに焦っていたのだろう。
本番までに完成させるのは大事だが、音が力み、納得のいく演奏ができなくなるのでは意味がない。
夏美に褒められてこそばゆくなったが、なんとかお礼を言った。
「そういえばさ。仁王くんとはどうなの? よくA組に行ってるんでしょ?」
「え、ええと⋯⋯」
突如話が変わり、夏美がぐいぐい迫ってくるので、私は一歩後退した。
夏美はB組に在籍しており、休み時間に仁王くんがA組に遊びに来ているのを知っている。なぜか、彼が私にお菓子を渡していることも。
「どうもしないわ。休み時間に柳生くんと仁王くんと、三人、で雑談してるだけよ」
三人のところを強調して、何事もないように答える。
実は仁王くんがわざわざB組に来てくれるのが、嬉しいのは秘密だ。
「ふうん? 仁王くんがテニス部関係以外で他のクラスに行くのは、珍しいと思うけど⋯⋯まあ、そういうことにしとく」
どこか納得のいっていない様子だが、これ以上追及されないようで、ホッとする。
それから、最近発売されたお菓子のことなど他愛もないことを話していると、駅に着いた。
夏美とは乗る電車の方向が逆なため、彼女と別れて電車に乗る。席がほとんど埋まっていたため、ドアの付近に立った。
いつもだったら読書をするところだが、今日は疲れて本を読む気になれず、窓の外の移りゆく景色を眺めた。
ぼんやりしていると、隣の駅に到着し――――
「えっ⋯⋯」
ホームのベンチに仁王くんと、テニス部マネージャーの後藤さんが座っているのが目に入った。
後藤さんはテニス部のマドンナ的存在で、噂に疎い私でも知っていた。
ベンチの周りに、他の部員は見当たらない。
幸い、仁王くんたちは私に気づいていないので、二人の様子を観察する。
心臓が嫌な音を立てる。
これは告白の場面? それとも、二人はもう付き合っているの?
頭がパニックしている間に、後藤さんの手が、仁王くんの手の上に重なった。そして、座っている二人の隙間が狭くなる。
私は反射的に窓の外から目を逸らした。
何で学校の最寄りの駅じゃなくて、途中駅のホームにいるの? ランニングをしていたにしても、学校から距離があるのに。
もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。気を落ち着かせるため深呼吸をし、息を整える。
発車メロディが流れてドアが閉まり、電車が動き出した。
仁王くんがいた駅から遠ざかったので窓ガラスを見ると、涙が溢れ出して頬に伝っている自分が映っていた。
そうか。私はいつの間にか、仁王くんのことが好きになっていたのね。恋を自覚すると同時に、失恋してしまったけれど。
それから私は、どうやって家に帰ったのか覚えていない。
*
仁王くんと後藤さんが、ベンチに並んで座っているのを見た次の日。
彼と顔を合わせるのが気まずく、私は中休みや昼休みになると教室を飛び出して、図書室や部室で時間を潰した。
それが一日ではなく数日続くと、柳生くんに悩み事でもあるのか心配されたが、定期演奏会に向けて練習したいと言って誤魔化した。実際、図書室で楽譜を見直したり、部室で演奏していたりするので嘘ではない。
今日は昼休みに楽譜を持って図書室へ行き、窓際の席でぼんやりとしていた。
きっと仁王くんは後藤さんと付き合っているから、柳生くんや真田くんに用がある時しか、もうA組には来ないかもしれない。
それでも仁王くんの顔を見たら平静を装うことはできないので、鉢合わせないように、こうして彼が来なさそうな場所へ移動するのだった。
「良いお天気だし、屋上に移動しようかしら」
窓越し見える空には、ゆっくりと小さな雲が流れていた。
気分転換がてら、場所を変えよう。
何か重要なことを忘れている気がしたが、私は楽譜を片手に屋上へ向かった。
早足で廊下を移動し、階段を駆け登る。
最上階にある扉を開けると、屋上には誰もいなかったので足を踏み入れた。ベンチに座り、楽譜を膝の上に乗せて開くと、ソロの部分が目に入った。
「仁王くんに定演来てほしかったんだけどな⋯⋯」
「もちろん行くぜよ」
「⋯⋯⋯⋯ん?」
屋上には誰もいなかったはずなのに、よく知った声が降ってきた。
楽譜の両端を持って目の前に掲げ、少しだけ下ろすと銀髪が見えた。再び楽譜を持ち上げる。
「何でここに⋯⋯」
「そりゃあ、屋上にいたからナリ。貯水槽の近くに隠れてたけどな」
そういえば仁王くんと出会った頃に、よく屋上に行くと言っていたことを思い出した。
仁王くんが楽譜の両端を摘んで閉じ、そのままベンチの上に置く。
彼の真っ直ぐな目が露わになった。視線を逸らせない。
「それで。最近、休み時間にA組にいなかったのは?」
「それは⋯⋯⋯⋯に、仁王くんが後藤さんと付き合っているからよ!」
「⋯⋯は? なんで後藤が出てくるんじゃ」
腹を括って言い返すと、何故かぽかんとする仁王くん。
勢いに任せて言ったが、仁王くんの心を乱すことができないことが悔しくて、さらに言葉が溢れ出た。
「だって、駅のベンチで後藤さんと並んで座ってたじゃない! 学校の最寄り駅じゃないところで! しかも手を重ねてたし!」
「雪宮さん、一回落ち着きんしゃい」
「落ち着けるわけないじゃない!」
「時雨!」
「っ!」
普段聞かない声量で名前を呼ばれて、反射的に肩が揺れた。
仁王くんは片膝をつき、私の手を握る。
「たしかに俺は、後藤に呼ばれて駅で二人きりになり――――告白された」
やっぱり告白されたんだ。その事実が、胸に重くのしかかる。
視線が地面に落ちると、ぎゅっと手を握られた。まるで目を逸らすのは許さないとばかりに。
「だが、俺には好きな人がいると断ったんじゃ」
「好きな、人⋯⋯?」
「――――時雨、お前さんじゃ」
ハッと顔を上げると、仁王くんが目尻を下げる。これまでよく見た不敵な笑みではなく、優しげな笑み浮かべており、心臓がどくどくと早鐘を打った。
「私?」
「ああ。ちょうど、このベンチだったか。時々休み時間に、ここでフルートを吹いてる姿が印象に残ってのう。よく耳を澄まして聴いてたぜよ」
「屋上で仁王くんの姿、見たことないけど⋯⋯」
誰もいないところでこっそり自主練習をしているつもりだったので、まさか仁王くんが聞いているとは思わなかった。
「ま、このベンチから見えないところで寝っ転がってるからな。一生懸命に練習しているところに惹かれて――今に至るわけじゃ」
仁王くんは立ち上がり、隠れていたのだろう貯水槽の方角を眺めた。
そして、再び私に視線を注ぐ。
「それでお前さんは――――」
言葉の続きは聞かなくても予想できる。
だから私は――――
「私もあなたが好きよ」
仁王くんに抱きついて、とびっきりの笑顔で答えるのだった。
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