短編
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空には雲がぽつぽつ浮かぶ中、今日も男子テニス部の朝練が始まった。
「球出し頼んだで、雪宮さん!」
「うん、任せといて。忍足くんには強烈なの打ってあげるから!」
「いやいや、普通の打球で頼むわ。打たれへんかったら意味あらへんやろ」
「あははっ、そうだね」
いつもと変わらない、何気ない日常の一コマ。
そう思っていたのは私だけかもしれない――。
*
それは、朝練終了後のことだった。
「そんな仲いいなら俺やのうて、謙也さんと付き合った方がええんちゃう?」
教室へ向かおうとしたら、昇降口で光に手を掴まれた。眉間に皺を寄せ、ただならぬ雰囲気だったので、どうしたのか問うと衝撃の一言が告げられる。
私が付き合っているのは、目の前にいる彼――財前光だ。
突然のことで、頭の中が真っ白になった。
「……どういう意味?」
手足が凍りついたように動かない。
なんとか声を絞り出して、真意を探ろうと試みた。
「俺といるときより、謙也さんといるときの方が時雨先輩楽しそうやと思うて。…………一回頭冷やしてきます」
別れを匂わす言葉を告げた光の方が、何故か辛そうで。彼は私に背を向け、校舎に入っていった。
重い足を引きずりながら三年二組の教室に入り、自分の席にたどり着いた。
――そんな仲いいなら俺やのうて、謙也さんと付き合った方がええんちゃう?
先程の光の言葉が頭から離れず、気付けばため息をついている。
光と別れて付き合った方がいいと思えるほど、忍足くんと楽しげにしていただろうか。たしかに彼は同じクラスだし、同じ部活に所属するので話す機会が多い。
しかし、私が好きなのは光なのだ。
『時雨先輩、俺と付き合ってくれませんか?』
光に告白された時、どんなに嬉しかったことか。それが、なんでこんなことになったのだろう。
はあ……。
「さっきから何度もため息ついて、どうしたん? 暗い顔して、どこか調子でも悪いんか」
隣の席の白石くんが、心配そうに私を見つめる。
「ねえ、白石くんから見て、私と忍足くんって付き合った方がいいほど仲良くみえるかな? ……っ」
――ポツン。手の甲に滴が落ちた。
「あ、あれ……?」
泣いても白石くんを困らせるだけだ。早く、泣き止まないと。
しかし、そう思えば思うほどポロポロ落ちてくる涙。自分でも驚くほどショックだったらしく、涙が止まらない。
「え、えっ!? と、とりあえず落ち着こうな? なっ?」
突然私が泣き出すので、慌て出す白石くん。
ハンカチを差し出されたので、それで涙を拭うが、一度溢れだした感情はなかなか収まらない。案の定、彼を困らせてしまい申し訳なくなる。
「とりあえず保健室に行って、気持ちを休めようか?」
私はコクリと頷く。
ちょうど担任が教室に入ってきたので、白石くんに保健室へ行く旨を伝えてもらい、教室を後にした。
*
一時限目の授業が始まったが、白石くんのおかげでサボることが出来た。
幸い保健室の先生は、出張で一日中いないようだ。
私はベッドの上に座り、白石くんは近くのイスに座る。しばらく彼と話していると、徐々に気持ちが晴れていった。
「少しは落ち着いた?」
「うん……さっきよりだいぶ。話聞いてくれてありがとう」
「ああ、良かった。……そうそう、朝の質問やけど。謙也と雪宮さんは傍から見ると息合ってるし、仲良う見えるわ。まあ、友達以上恋人未満ってやつやな。財前のやつ、もしかしてそれで嫉妬したとちゃう?」
「嫉妬。そっか……。どうすればいいんだろう。忍足くんと付き合えばって言われたし、光は私といて楽しくないのかな」
一緒に通学できなかったとか、些細なことでケンカすることは、たまにある。それでも、いつもならすぐに光と仲直りすることができた。今日のように別れを匂わす言葉を言われたことはなかった。
今まで無理強いさせていた、ということなのだろうか。
瞼は重いし、眠気のせいか頭の中がもやもやする。そういえば朝練のメニューや今後の部活の予定考えるために、睡眠時間削ったんだっけ。
気づけば瞼を閉じてベッドに倒れ込み、世界が暗転していた。
*
「ああ、寝てしもた。毎日マネージャーの仕事、頑張っとるからなあ」
白石は時雨の顔をそっと見つめる。規則正しい呼吸音が聞こえるが、目尻から涙が流れていた。
――雪宮さんは泣き顔より、笑顔の方が似合うんやけどな。
そして、ふと思う。なぜ叶わない恋なのに、雪宮時雨に恋をしてしまったのかと。
好きな人には幸せになってほしい。彼女が落ち込んでいると、自分も辛くなる。だからこそ早く財前と仲直りして、また笑顔を見せてほしかった。
いつも頑張っている時雨に、財前と楽しそうに話す時雨の笑顔に惹かれたのだから。
悶々と考えていると、不意にポケットに入れていた携帯が振動した。閑散とした室内に響き渡るバイブ音。焦った白石は、時雨が起きないようにと慌てて切る。しかし、すでに遅く、時雨が目を覚ましてしまった。
「……あれ? 白石くん?」
「堪忍な、せっかく可愛い寝顔やったのに」
「えっ、もしかして寝てた!? 私の方こそごめん。せっかく付き添ってもらったのに……」
時雨は慌てて上体を起こした。
「具合悪そうな人がおったら、放っておけへんやろ。雪宮さん、朝練の時からいつもより顔色良くなかったで。もうじき部活の時間やから先行くけど……まだ調子良くなかったら、休んでもええよ」
「うん、ありがとう」
白石は教室へ戻ろうと、保健室のドアに手をかける。その時、後ろからぽつりと湿り声が聞こえた。
「……私は光が好きなのに、伝わってないのかな」
今にも消えてしまいそうな声に、白石はハッとする。だいぶ落ち着いたと言っていたが、気持ちの切り替えは難しいものだ。
手を下ろして踵を返し、再び時雨の元へ近づいた。
「そないなことあらへんって。一度じっくり二人で話し合おたらどうや?」
「……そうだね、ありがとう」
時雨の言葉を聞いた後、白石は微笑み、今度こそ保健室をあとにした。
教室に戻る前に階段の踊り場で立ち止まり、ポケットから携帯を取り出す。通知を見ると、メッセージが一件届いていた。トークアプリを開くと、差出人は財前から。本文には『いつまで保健室におるんスか?』と書かれていた。
保健室にいる間、どこからか気配を感じると思っていたら、どうやら近くに財前がいたようだ。
時雨の話によると、財前から謙也と付き合えばと言われたらしい。財前は素直ではないところがあるから、本心ではないはずだ。おそらく自分より謙也の方が、時雨を楽しませることができると思って出た言葉だろう。
日頃の様子を見ていると、財前がいかに彼女を大事に想っているかが伝わってくる。彼女を見つめている表情が、あまりにも優しいから。
――私は光が好きなのに、伝わってないのかな。
先ほどの時雨の言葉が蘇る。
思わず白石は苦笑した。お互い想い合っているなら、言葉にして相手に伝えるのも大事だろう。
いつまでも雪宮さんを悲しませるのは許さへんで。
白石はメッセージを送信してから教室へ向かった。
*
壁にかかっている時計を見ると、すでに今日の授業は終了していた。
「……ふう。私もそろそろ行かなきゃ」
ゆっくり休めたし、これなら部活に出ても大丈夫だろう。
コンコン。ちょうど教室に鞄を取りにいこうとした時、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
すぐさまドアが開かれると、そこには忍足くんの姿が。
「やっぱりここにおったか! もうHR終わったから、鞄持ってきたで。部室まで一緒に行こうや」
「うん。わざわざありがとう」
光には悪いけれど、せっかくの好意を無下にするのも悪いよね。
ベッドから立ち上がり、忍足くんから鞄を受け取る。
一緒に部室へ向かおうと保健室から出ると、想い人であるピアスの少年が視界に入った。向こうもすぐに私に気づき、光は目を見開いていた。
「……っ! 忍足くん、早く部室に行こう」
「おお。今日も頑張んで!」
どうやら忍足くんは、光の存在に気付いていないようだ。
光と話し合いたいと思った矢先、誤解を生みそうな状況に目頭が熱くなる。私は一刻も早くこの場を立ち去りたい一心で、忍足くんの腕を引っ張って部室に向かった。
この時、光がどんなに苦しげな表情をしていたのかも知らずに。
*
「ほな、練習開始!」
「はい!」
白石くんの合図で部員たちは練習を始める。今日の練習メニューは、レギュラーはフリー練習、それ以外の部員は基礎練習だ。
球出しをするまで少し時間があるため、私はデータ整理をしようと部室へ行こうとした。しかし、部室の前には女子生徒が数名。よく見かけるレギュラー陣の熱心なファンの子たちだった。
「あんたが男テニのマネージャーさんよね」
「財前君にフラれたんだって? いい気味~」
「別れたからって次は白石くん? 調子に乗りすぎなのよ!」
……はあ。今日何度ため息をついたか、もう分からない。ため息の原因は違うけれど。
なんで世の中には、こんな女の子もいるんだろう。レギュラー陣のこと、アイドルグループか何かと勘違いしていると思う。
「大体マネージャーやからって、調子に――――っ!!」
ファングループの一人が私の髪を引っ張ろうとしたが、途中で慌てて手を引っ込めた。ちょうど女子生徒の手があった位置に、テニスボールが飛んできたからだ。
事態の流れに混乱していると、背後から聞こえるはずのない声が聞こえてきた。
「……自分ら、何してん?」
間違いなく光の声だった。けれども怖くて振り向けない。きっと、もう呆れられていると思うから。
「部室前を通るのは勝手やけど、部活の妨害するのは勘弁っスわ」
女子生徒たちは、みるみる顔が青くなる。そして、私は光に後ろから強く抱き締められた。
「……それと、時雨先輩に手出していいのは俺だけやから。次何かしたら、ただじゃ置かへんで?」
そう言い放った後、女子生徒たちはみんなその場から走り出した。おそらく光が睨み付けたからであろう。彼女らが見えなくなった後、光は私からそっと離れた。
なぜ光がここにいるか不思議でしょうがなく、私は振り返っておそるおそる聞いてみた。
「なんでここに光がいるの? 私のこと嫌いじゃないの……?」
すると光は目を瞬かせ、私の肩に手を乗せた。
「いつ先輩のこと嫌いって言うた?」
「だって忍足くんと付き……、んん……!?」
目の前には光の顔。ワンテンポ遅れて、口づけされたことに気づく。
唇を塞がれ、最後まで言葉にすることができない。思考を中断させるには十分だった。
そっと唇が離れ、光は私を優しく包み込む。
「確かに朝、時雨先輩に謙也さんと付き合えばって言うた。それは、俺より先輩を幸せにできるって思うたからや。……せやけど違った。一旦距離を置いても、イライラが増すだけやった。それに……」
「それに?」
「部長が、ほんまに大事に想っとるなら言葉にして伝えなあかんって。……俺は時雨先輩が好きや。俺が、先輩を幸せにしたい。こんな俺やけど、これからも付き合ってくれませんか?」
「……!! そんなの反則だよ。私が好きなのは最初から光だもの!」
光の口からストレートに想いを告げられ、頬が緩む。不安だった気持ちがなくなり、心が満たされる。
「それを聞いて安心したっスわ。……さあ部活に戻ろうか、時雨先輩?」
「うん!!」
光に手を差し出され、自身の手を重ねる。晴れやかな気持ちだった。彼の想いが分かったから、もう迷わない。
空を見上げると雲一つなく、太陽はいつもよりずっと、ずっと輝いていた。まるで私たちを祝福しているかのようだ。
温かい光に包まれながら、私たちは手を繋いでコートへ向かったのだった。
■2023/12/19 加筆修正
「球出し頼んだで、雪宮さん!」
「うん、任せといて。忍足くんには強烈なの打ってあげるから!」
「いやいや、普通の打球で頼むわ。打たれへんかったら意味あらへんやろ」
「あははっ、そうだね」
いつもと変わらない、何気ない日常の一コマ。
そう思っていたのは私だけかもしれない――。
*
それは、朝練終了後のことだった。
「そんな仲いいなら俺やのうて、謙也さんと付き合った方がええんちゃう?」
教室へ向かおうとしたら、昇降口で光に手を掴まれた。眉間に皺を寄せ、ただならぬ雰囲気だったので、どうしたのか問うと衝撃の一言が告げられる。
私が付き合っているのは、目の前にいる彼――財前光だ。
突然のことで、頭の中が真っ白になった。
「……どういう意味?」
手足が凍りついたように動かない。
なんとか声を絞り出して、真意を探ろうと試みた。
「俺といるときより、謙也さんといるときの方が時雨先輩楽しそうやと思うて。…………一回頭冷やしてきます」
別れを匂わす言葉を告げた光の方が、何故か辛そうで。彼は私に背を向け、校舎に入っていった。
重い足を引きずりながら三年二組の教室に入り、自分の席にたどり着いた。
――そんな仲いいなら俺やのうて、謙也さんと付き合った方がええんちゃう?
先程の光の言葉が頭から離れず、気付けばため息をついている。
光と別れて付き合った方がいいと思えるほど、忍足くんと楽しげにしていただろうか。たしかに彼は同じクラスだし、同じ部活に所属するので話す機会が多い。
しかし、私が好きなのは光なのだ。
『時雨先輩、俺と付き合ってくれませんか?』
光に告白された時、どんなに嬉しかったことか。それが、なんでこんなことになったのだろう。
はあ……。
「さっきから何度もため息ついて、どうしたん? 暗い顔して、どこか調子でも悪いんか」
隣の席の白石くんが、心配そうに私を見つめる。
「ねえ、白石くんから見て、私と忍足くんって付き合った方がいいほど仲良くみえるかな? ……っ」
――ポツン。手の甲に滴が落ちた。
「あ、あれ……?」
泣いても白石くんを困らせるだけだ。早く、泣き止まないと。
しかし、そう思えば思うほどポロポロ落ちてくる涙。自分でも驚くほどショックだったらしく、涙が止まらない。
「え、えっ!? と、とりあえず落ち着こうな? なっ?」
突然私が泣き出すので、慌て出す白石くん。
ハンカチを差し出されたので、それで涙を拭うが、一度溢れだした感情はなかなか収まらない。案の定、彼を困らせてしまい申し訳なくなる。
「とりあえず保健室に行って、気持ちを休めようか?」
私はコクリと頷く。
ちょうど担任が教室に入ってきたので、白石くんに保健室へ行く旨を伝えてもらい、教室を後にした。
*
一時限目の授業が始まったが、白石くんのおかげでサボることが出来た。
幸い保健室の先生は、出張で一日中いないようだ。
私はベッドの上に座り、白石くんは近くのイスに座る。しばらく彼と話していると、徐々に気持ちが晴れていった。
「少しは落ち着いた?」
「うん……さっきよりだいぶ。話聞いてくれてありがとう」
「ああ、良かった。……そうそう、朝の質問やけど。謙也と雪宮さんは傍から見ると息合ってるし、仲良う見えるわ。まあ、友達以上恋人未満ってやつやな。財前のやつ、もしかしてそれで嫉妬したとちゃう?」
「嫉妬。そっか……。どうすればいいんだろう。忍足くんと付き合えばって言われたし、光は私といて楽しくないのかな」
一緒に通学できなかったとか、些細なことでケンカすることは、たまにある。それでも、いつもならすぐに光と仲直りすることができた。今日のように別れを匂わす言葉を言われたことはなかった。
今まで無理強いさせていた、ということなのだろうか。
瞼は重いし、眠気のせいか頭の中がもやもやする。そういえば朝練のメニューや今後の部活の予定考えるために、睡眠時間削ったんだっけ。
気づけば瞼を閉じてベッドに倒れ込み、世界が暗転していた。
*
「ああ、寝てしもた。毎日マネージャーの仕事、頑張っとるからなあ」
白石は時雨の顔をそっと見つめる。規則正しい呼吸音が聞こえるが、目尻から涙が流れていた。
――雪宮さんは泣き顔より、笑顔の方が似合うんやけどな。
そして、ふと思う。なぜ叶わない恋なのに、雪宮時雨に恋をしてしまったのかと。
好きな人には幸せになってほしい。彼女が落ち込んでいると、自分も辛くなる。だからこそ早く財前と仲直りして、また笑顔を見せてほしかった。
いつも頑張っている時雨に、財前と楽しそうに話す時雨の笑顔に惹かれたのだから。
悶々と考えていると、不意にポケットに入れていた携帯が振動した。閑散とした室内に響き渡るバイブ音。焦った白石は、時雨が起きないようにと慌てて切る。しかし、すでに遅く、時雨が目を覚ましてしまった。
「……あれ? 白石くん?」
「堪忍な、せっかく可愛い寝顔やったのに」
「えっ、もしかして寝てた!? 私の方こそごめん。せっかく付き添ってもらったのに……」
時雨は慌てて上体を起こした。
「具合悪そうな人がおったら、放っておけへんやろ。雪宮さん、朝練の時からいつもより顔色良くなかったで。もうじき部活の時間やから先行くけど……まだ調子良くなかったら、休んでもええよ」
「うん、ありがとう」
白石は教室へ戻ろうと、保健室のドアに手をかける。その時、後ろからぽつりと湿り声が聞こえた。
「……私は光が好きなのに、伝わってないのかな」
今にも消えてしまいそうな声に、白石はハッとする。だいぶ落ち着いたと言っていたが、気持ちの切り替えは難しいものだ。
手を下ろして踵を返し、再び時雨の元へ近づいた。
「そないなことあらへんって。一度じっくり二人で話し合おたらどうや?」
「……そうだね、ありがとう」
時雨の言葉を聞いた後、白石は微笑み、今度こそ保健室をあとにした。
教室に戻る前に階段の踊り場で立ち止まり、ポケットから携帯を取り出す。通知を見ると、メッセージが一件届いていた。トークアプリを開くと、差出人は財前から。本文には『いつまで保健室におるんスか?』と書かれていた。
保健室にいる間、どこからか気配を感じると思っていたら、どうやら近くに財前がいたようだ。
時雨の話によると、財前から謙也と付き合えばと言われたらしい。財前は素直ではないところがあるから、本心ではないはずだ。おそらく自分より謙也の方が、時雨を楽しませることができると思って出た言葉だろう。
日頃の様子を見ていると、財前がいかに彼女を大事に想っているかが伝わってくる。彼女を見つめている表情が、あまりにも優しいから。
――私は光が好きなのに、伝わってないのかな。
先ほどの時雨の言葉が蘇る。
思わず白石は苦笑した。お互い想い合っているなら、言葉にして相手に伝えるのも大事だろう。
いつまでも雪宮さんを悲しませるのは許さへんで。
白石はメッセージを送信してから教室へ向かった。
*
壁にかかっている時計を見ると、すでに今日の授業は終了していた。
「……ふう。私もそろそろ行かなきゃ」
ゆっくり休めたし、これなら部活に出ても大丈夫だろう。
コンコン。ちょうど教室に鞄を取りにいこうとした時、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
すぐさまドアが開かれると、そこには忍足くんの姿が。
「やっぱりここにおったか! もうHR終わったから、鞄持ってきたで。部室まで一緒に行こうや」
「うん。わざわざありがとう」
光には悪いけれど、せっかくの好意を無下にするのも悪いよね。
ベッドから立ち上がり、忍足くんから鞄を受け取る。
一緒に部室へ向かおうと保健室から出ると、想い人であるピアスの少年が視界に入った。向こうもすぐに私に気づき、光は目を見開いていた。
「……っ! 忍足くん、早く部室に行こう」
「おお。今日も頑張んで!」
どうやら忍足くんは、光の存在に気付いていないようだ。
光と話し合いたいと思った矢先、誤解を生みそうな状況に目頭が熱くなる。私は一刻も早くこの場を立ち去りたい一心で、忍足くんの腕を引っ張って部室に向かった。
この時、光がどんなに苦しげな表情をしていたのかも知らずに。
*
「ほな、練習開始!」
「はい!」
白石くんの合図で部員たちは練習を始める。今日の練習メニューは、レギュラーはフリー練習、それ以外の部員は基礎練習だ。
球出しをするまで少し時間があるため、私はデータ整理をしようと部室へ行こうとした。しかし、部室の前には女子生徒が数名。よく見かけるレギュラー陣の熱心なファンの子たちだった。
「あんたが男テニのマネージャーさんよね」
「財前君にフラれたんだって? いい気味~」
「別れたからって次は白石くん? 調子に乗りすぎなのよ!」
……はあ。今日何度ため息をついたか、もう分からない。ため息の原因は違うけれど。
なんで世の中には、こんな女の子もいるんだろう。レギュラー陣のこと、アイドルグループか何かと勘違いしていると思う。
「大体マネージャーやからって、調子に――――っ!!」
ファングループの一人が私の髪を引っ張ろうとしたが、途中で慌てて手を引っ込めた。ちょうど女子生徒の手があった位置に、テニスボールが飛んできたからだ。
事態の流れに混乱していると、背後から聞こえるはずのない声が聞こえてきた。
「……自分ら、何してん?」
間違いなく光の声だった。けれども怖くて振り向けない。きっと、もう呆れられていると思うから。
「部室前を通るのは勝手やけど、部活の妨害するのは勘弁っスわ」
女子生徒たちは、みるみる顔が青くなる。そして、私は光に後ろから強く抱き締められた。
「……それと、時雨先輩に手出していいのは俺だけやから。次何かしたら、ただじゃ置かへんで?」
そう言い放った後、女子生徒たちはみんなその場から走り出した。おそらく光が睨み付けたからであろう。彼女らが見えなくなった後、光は私からそっと離れた。
なぜ光がここにいるか不思議でしょうがなく、私は振り返っておそるおそる聞いてみた。
「なんでここに光がいるの? 私のこと嫌いじゃないの……?」
すると光は目を瞬かせ、私の肩に手を乗せた。
「いつ先輩のこと嫌いって言うた?」
「だって忍足くんと付き……、んん……!?」
目の前には光の顔。ワンテンポ遅れて、口づけされたことに気づく。
唇を塞がれ、最後まで言葉にすることができない。思考を中断させるには十分だった。
そっと唇が離れ、光は私を優しく包み込む。
「確かに朝、時雨先輩に謙也さんと付き合えばって言うた。それは、俺より先輩を幸せにできるって思うたからや。……せやけど違った。一旦距離を置いても、イライラが増すだけやった。それに……」
「それに?」
「部長が、ほんまに大事に想っとるなら言葉にして伝えなあかんって。……俺は時雨先輩が好きや。俺が、先輩を幸せにしたい。こんな俺やけど、これからも付き合ってくれませんか?」
「……!! そんなの反則だよ。私が好きなのは最初から光だもの!」
光の口からストレートに想いを告げられ、頬が緩む。不安だった気持ちがなくなり、心が満たされる。
「それを聞いて安心したっスわ。……さあ部活に戻ろうか、時雨先輩?」
「うん!!」
光に手を差し出され、自身の手を重ねる。晴れやかな気持ちだった。彼の想いが分かったから、もう迷わない。
空を見上げると雲一つなく、太陽はいつもよりずっと、ずっと輝いていた。まるで私たちを祝福しているかのようだ。
温かい光に包まれながら、私たちは手を繋いでコートへ向かったのだった。
■2023/12/19 加筆修正