蝶ノ光
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丸井・ジャッカルペアは1ゲームも落とさず勝利した。全国レベルの彼らからしたら、今の試合は物足りなかったのではないだろうか。
お昼の時間となり、偵察に来た人たちは一旦コートから離れていく。
俺たちも近くの芝生へ移動してシートを敷いた。
樺地が鞄から弁当箱を取り出し、紅茶を淹れる。彼の淹れた紅茶はいつも美味しい。時雨も味が気に入ったらしく、樺地に紅茶のブランドや入れ方を聞いていた。
一息ついたところで、先ほどの出来事を振り返る。
マネージャーのようだと言ってみれば、酷く動揺していた時雨。まるで自分にはマネージャーはできないかのように振る舞っていた。
しかし、瞳が揺れていた様子から、やりたくないわけでもなさそうだ。
彼女がテニス部への入部を躊躇する要素。青学の奴らと顔を合わせたくないからだろうか。
だが、時雨が立海でテニスを続けないと、手塚たちに会う機会はほとんどなくなってしまうのではないかと思う。
手塚には彼女の転校先を調べてほしいとしか言われなかったが、話を聞いた以上、彼らに仲直りをしてほしかった。
「時雨、一つ聞いてもいいか?」
「ん?」
「マネージャーになることに、何を躊躇っているんだ? 以前のお前だったら真っ先になると考えていたが……」
「……」
時雨の視線は地面に落ちる。そして彼女の表情から感情が読み取れなくなった。
これが噂の氷の女王か。
混合ダブルス大会で、彼女は凍てつく瞳で淡々と相手の苦手コースにショットを決めるプレイスタイルから、そう呼ばれるようになったようだ。
大会期間中はテニスを心から楽しめていなかったのだろう。
この前、越前とダブルスの試合をしたときは目が輝いていたのだから。
それに彼女は静かに闘志を燃やすタイプだ。本来なら凍てつく瞳をするようなやつではない。
手塚から話を聞いて得た印象と同様に、青学の連中との溝は深かったらしい。
近頃開催する予定の大会で再会しても大丈夫だろうか、と考えたときだった。
「時雨先輩ここにいたんスね!」
「クッキー美味しかったぜ! サンキューな」
「あっ……二人とも試合お疲れ様」
切原と丸井がシートへ遊びに来た。柳生から時雨のことを聞き、お昼休憩になってから真っ先に来たのだろう。
時雨は切原と丸井と相手をするが、表情はどこかぎこちなかった。
気持ちの整理がつかないのか、話の区切りが良いところで
「わ、私、ちょっと忘れ物思い出したから取りに行ってくる!」
と時雨はさっと立ち上がった。
「あ、ちょっと!」
切原が時雨の着ているジャージを掴もうとするが空を切る。
彼女はコートとは逆方向へ走っていった。
なぜかお弁当を片手に持って。
「時雨のやつ、一体どうしたんだ?」
「……跡部さん、時雨先輩に何かしたんじゃ? なんか元気なさそうだったし」
「さあな」
切原にじとりと見られる。
原因は分かっているが、切原に教える気にはなれないので、素っ気なく返した。
「それにしても時雨のやつ、なんでお弁当持ってったんだ?」
「そりゃあ、丸井先輩に食べられちゃうからでしょ」
切原は至極当然のように言った。
「お前な……俺はそこまで食い意地はってないっつーの!」
*
私は跡部たちから逃げるようにその場を離れた。
頭に過るのは転校する前の事。
少しでもみんなの力になれるよう頑張ってきたのに。
同じ目標を持って練習に励んでいたはずなのに。
そう思っていたのは自分だけだったかもしれない。
いつからか、球出しや応急手当てなど選手と直接関わる仕事は、千夏がするようになった。
私の仕事は、部室の掃除やボール拾いなど裏方仕事中心。
部活で居心地が悪く、練習時間が苦痛となった。
手塚や乾が球出しや試合前のウォーミングアップの相手に、私を指名してくれることが心の救いだった。
ペース配分を考えずにがむしゃらに走ったので、息が苦しい。息を整えるため、少しずつペースを落とす。
ほとんど歩く速度になったくらいだろうか。
右手首を捕まれ、すぐさま顔を後ろに向けると硬い表情をした仁王がいた。
驚きのあまり足を止める。
「仁王、くん……?」
「ビックリさせてすまんのう。白石さんが今にも泣きそうな顔してたから、放っておけなかったんじゃ」
「そんなことないわ。私はいつも通りよ」
つい意地を張って否定した。
そうでもしないと崩れ落ちそうだったから。
「詐欺師を騙そうなんて百年早いぜよ。……ここで話すのもなんだし、場所を移すかのう」
仁王は私の手首を掴んだまま歩き出した。
コート付近から離れると、あっという間に人が少なくなった。
それでも仁王は歩みを止めない。
私は彼に手をひかれるがままについていくと、次第に緑が増えていった。
木々に囲まれ心が落ち着く。安心感が生まれ、呼吸が楽になった。
「さて、この辺りでいいかのう。中庭の近くは暑さをしのげるし、お気に入りの場所なんじゃ」
ようやく仁王は足を止め、私もそれに倣った。
「どうしてここに?」
「周りに人がいない方がいいじゃろ。苦しそうな表情してたし。誰かに嫌なことでもされたのか?」
「別に何も……」
私は慌てて首を横に振った。
仁王の顔を見れずに、目線が自分の足元へいく。
うだうだ悩んでいることを伝えれば迷惑をかけるだけだと思い、言い出せなかった。
「白石さんはもう少し周りに頼ることを覚えた方がいいぜよ。……お前さんが辛そうにしているのに、力になれないのは寂しいナリ」
「寂、しい……?」
思わず顔を上げ、目をパチパチさせる。
私と関わっても面倒なことが待っているだけなのに、どうして。
「俺は白石さんのこと大切な仲間だと思ってる。だから少しでも手助けしたい。もちろん、迷惑じゃなければだがのう」
「……」
私はなんて馬鹿だったのだろう。
壁をつくっても何も解決しないのに、自分の世界に閉じ籠ったりして。
――「なぜ頑なにマネージャーになりたくないのかは分からないけど、ここは青学ではなく立海だ。そのことは覚えておいて」
幸村の言葉を思い出す。
そうだ、ここは立海なのだ。
助けを求めれば、手を差し伸べてくれる。
決して孤独を感じる、あの頃ではない。
私は意を決して口を開いた。
「マネージャーになることに、何を躊躇っているんだと聞かれたんだけど、何も言い返せなくて。嘘をつくことも、とぼけて誤魔化すことも。でも冷静になって考えたら分かった」
私は恐かったのだ。
青学の選手に会うことが。
自分を否定されることが。
そして、なにより――――
「私は……築き上げた信頼関係が崩れていくのが恐かった」
「ここではお前さんが悲しむことは起きない。俺が約束するナリ」
「うん……私も同じ過ちを起こさないように努力する」
ぐうぅぅぅうう……。
安心したら気が抜けて、盛大にお腹が鳴った。
恐る恐る仁王の顔を見ると、彼は目を大きく開いていた。
「……」
「……そろそろご飯にしましょう。お昼の時間だし」
「…………」
仁王からの視線が痛くて目が泳ぐ。
お願いだから無言でいないで。
笑いを堪えて肩を震わせるくらいなら、いっそのこと笑い飛ばしてほしい。
「くくっ……ははは、お前さんといると楽しいぜよ」
「そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「すまん、すまん。可愛らしい音が聞こえたと思ったら、あたかもなかったように振る舞う姿勢が面白くてのう、くくっ……」
笑いが止まる気配がない。
仁王をぽこぽこ殴ろうとするが、全て手のひらで受け止められてしまう。
「もう……」
ふて腐れた素振りをするが、内心は仁王への感謝の気持ちがいっぱいだった。
彼がいなければ、自分を見つめ直すことができなかっただろう。
ありがとう。
今は恥ずかしくて言えないけれど、いつかあなたにこの気持ちを伝えられますように。
お昼の時間となり、偵察に来た人たちは一旦コートから離れていく。
俺たちも近くの芝生へ移動してシートを敷いた。
樺地が鞄から弁当箱を取り出し、紅茶を淹れる。彼の淹れた紅茶はいつも美味しい。時雨も味が気に入ったらしく、樺地に紅茶のブランドや入れ方を聞いていた。
一息ついたところで、先ほどの出来事を振り返る。
マネージャーのようだと言ってみれば、酷く動揺していた時雨。まるで自分にはマネージャーはできないかのように振る舞っていた。
しかし、瞳が揺れていた様子から、やりたくないわけでもなさそうだ。
彼女がテニス部への入部を躊躇する要素。青学の奴らと顔を合わせたくないからだろうか。
だが、時雨が立海でテニスを続けないと、手塚たちに会う機会はほとんどなくなってしまうのではないかと思う。
手塚には彼女の転校先を調べてほしいとしか言われなかったが、話を聞いた以上、彼らに仲直りをしてほしかった。
「時雨、一つ聞いてもいいか?」
「ん?」
「マネージャーになることに、何を躊躇っているんだ? 以前のお前だったら真っ先になると考えていたが……」
「……」
時雨の視線は地面に落ちる。そして彼女の表情から感情が読み取れなくなった。
これが噂の氷の女王か。
混合ダブルス大会で、彼女は凍てつく瞳で淡々と相手の苦手コースにショットを決めるプレイスタイルから、そう呼ばれるようになったようだ。
大会期間中はテニスを心から楽しめていなかったのだろう。
この前、越前とダブルスの試合をしたときは目が輝いていたのだから。
それに彼女は静かに闘志を燃やすタイプだ。本来なら凍てつく瞳をするようなやつではない。
手塚から話を聞いて得た印象と同様に、青学の連中との溝は深かったらしい。
近頃開催する予定の大会で再会しても大丈夫だろうか、と考えたときだった。
「時雨先輩ここにいたんスね!」
「クッキー美味しかったぜ! サンキューな」
「あっ……二人とも試合お疲れ様」
切原と丸井がシートへ遊びに来た。柳生から時雨のことを聞き、お昼休憩になってから真っ先に来たのだろう。
時雨は切原と丸井と相手をするが、表情はどこかぎこちなかった。
気持ちの整理がつかないのか、話の区切りが良いところで
「わ、私、ちょっと忘れ物思い出したから取りに行ってくる!」
と時雨はさっと立ち上がった。
「あ、ちょっと!」
切原が時雨の着ているジャージを掴もうとするが空を切る。
彼女はコートとは逆方向へ走っていった。
なぜかお弁当を片手に持って。
「時雨のやつ、一体どうしたんだ?」
「……跡部さん、時雨先輩に何かしたんじゃ? なんか元気なさそうだったし」
「さあな」
切原にじとりと見られる。
原因は分かっているが、切原に教える気にはなれないので、素っ気なく返した。
「それにしても時雨のやつ、なんでお弁当持ってったんだ?」
「そりゃあ、丸井先輩に食べられちゃうからでしょ」
切原は至極当然のように言った。
「お前な……俺はそこまで食い意地はってないっつーの!」
*
私は跡部たちから逃げるようにその場を離れた。
頭に過るのは転校する前の事。
少しでもみんなの力になれるよう頑張ってきたのに。
同じ目標を持って練習に励んでいたはずなのに。
そう思っていたのは自分だけだったかもしれない。
いつからか、球出しや応急手当てなど選手と直接関わる仕事は、千夏がするようになった。
私の仕事は、部室の掃除やボール拾いなど裏方仕事中心。
部活で居心地が悪く、練習時間が苦痛となった。
手塚や乾が球出しや試合前のウォーミングアップの相手に、私を指名してくれることが心の救いだった。
ペース配分を考えずにがむしゃらに走ったので、息が苦しい。息を整えるため、少しずつペースを落とす。
ほとんど歩く速度になったくらいだろうか。
右手首を捕まれ、すぐさま顔を後ろに向けると硬い表情をした仁王がいた。
驚きのあまり足を止める。
「仁王、くん……?」
「ビックリさせてすまんのう。白石さんが今にも泣きそうな顔してたから、放っておけなかったんじゃ」
「そんなことないわ。私はいつも通りよ」
つい意地を張って否定した。
そうでもしないと崩れ落ちそうだったから。
「詐欺師を騙そうなんて百年早いぜよ。……ここで話すのもなんだし、場所を移すかのう」
仁王は私の手首を掴んだまま歩き出した。
コート付近から離れると、あっという間に人が少なくなった。
それでも仁王は歩みを止めない。
私は彼に手をひかれるがままについていくと、次第に緑が増えていった。
木々に囲まれ心が落ち着く。安心感が生まれ、呼吸が楽になった。
「さて、この辺りでいいかのう。中庭の近くは暑さをしのげるし、お気に入りの場所なんじゃ」
ようやく仁王は足を止め、私もそれに倣った。
「どうしてここに?」
「周りに人がいない方がいいじゃろ。苦しそうな表情してたし。誰かに嫌なことでもされたのか?」
「別に何も……」
私は慌てて首を横に振った。
仁王の顔を見れずに、目線が自分の足元へいく。
うだうだ悩んでいることを伝えれば迷惑をかけるだけだと思い、言い出せなかった。
「白石さんはもう少し周りに頼ることを覚えた方がいいぜよ。……お前さんが辛そうにしているのに、力になれないのは寂しいナリ」
「寂、しい……?」
思わず顔を上げ、目をパチパチさせる。
私と関わっても面倒なことが待っているだけなのに、どうして。
「俺は白石さんのこと大切な仲間だと思ってる。だから少しでも手助けしたい。もちろん、迷惑じゃなければだがのう」
「……」
私はなんて馬鹿だったのだろう。
壁をつくっても何も解決しないのに、自分の世界に閉じ籠ったりして。
――「なぜ頑なにマネージャーになりたくないのかは分からないけど、ここは青学ではなく立海だ。そのことは覚えておいて」
幸村の言葉を思い出す。
そうだ、ここは立海なのだ。
助けを求めれば、手を差し伸べてくれる。
決して孤独を感じる、あの頃ではない。
私は意を決して口を開いた。
「マネージャーになることに、何を躊躇っているんだと聞かれたんだけど、何も言い返せなくて。嘘をつくことも、とぼけて誤魔化すことも。でも冷静になって考えたら分かった」
私は恐かったのだ。
青学の選手に会うことが。
自分を否定されることが。
そして、なにより――――
「私は……築き上げた信頼関係が崩れていくのが恐かった」
「ここではお前さんが悲しむことは起きない。俺が約束するナリ」
「うん……私も同じ過ちを起こさないように努力する」
ぐうぅぅぅうう……。
安心したら気が抜けて、盛大にお腹が鳴った。
恐る恐る仁王の顔を見ると、彼は目を大きく開いていた。
「……」
「……そろそろご飯にしましょう。お昼の時間だし」
「…………」
仁王からの視線が痛くて目が泳ぐ。
お願いだから無言でいないで。
笑いを堪えて肩を震わせるくらいなら、いっそのこと笑い飛ばしてほしい。
「くくっ……ははは、お前さんといると楽しいぜよ」
「そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「すまん、すまん。可愛らしい音が聞こえたと思ったら、あたかもなかったように振る舞う姿勢が面白くてのう、くくっ……」
笑いが止まる気配がない。
仁王をぽこぽこ殴ろうとするが、全て手のひらで受け止められてしまう。
「もう……」
ふて腐れた素振りをするが、内心は仁王への感謝の気持ちがいっぱいだった。
彼がいなければ、自分を見つめ直すことができなかっただろう。
ありがとう。
今は恥ずかしくて言えないけれど、いつかあなたにこの気持ちを伝えられますように。