蝶ノ光

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時雨、おっはよー!」

「おはよう、百合」

「今日から鬼ごっこあるけど逃げ切れるの? まともに追いかけっこしたら、すぐ捕まりそうだけど……」

「大丈夫、策はあるから!」

 女子テニス部は火曜日に朝練がないらしく、私はいつもより早く教室に来た百合と話に花を咲かせていた。仁王と丸井がいつ教室に入ってくるか分からないので、変装グッズを見せられないのが残念だ。

「自信満々だね。時雨なら最終日まで捕まらなさそう」

「もちろん、そのつもり」

「ところで女テニの見学いつ来る? 今は仮入部の時期だから、いつでも平気だよ」

 幸村と相談した結果、百合は鬼ごっこには参加せず、私は女テニを見学することになったのだ。

「それじゃあ、明日はどうかな」

「全然、大丈夫! 楽しみにしてるね」

「うん、お願いします」

 しばらくすると仁王と丸井が教室に顔を出し、いつものように授業を受けたら、あっという間に放課後になった。


―鬼ごっこ一日目―

 授業が終わり、廊下で部活や委員の仕事に向かう人があふれかえる中、私は鞄を持ってトイレへと向かっていた。
 仁王と丸井が部活へ向かったのは確認済みだ。

「それじゃあ、俺の天才的走りで捕まえてやるぜ」

「どんな策を披露してくれるか楽しみナリ」

 彼らはこう言い残して、教室から出ていった。どこか余裕があるように聞こえる言葉に、闘争心が刺激される。
 簡単に捕まってやるものですか。
 他のテニス部員がいないか気にしながらトイレに入ると、運がいいことに誰もいなかった。鏡の前に行き、鞄から変装グッズを取り出す。
 まずはネットを被り、昨日購入したウィッグを着ける。
 次に、化粧品を取り出し、軽くメイクを施した。まだ中学生だし、ガッツリとメイクをしたら逆に不自然だろう。
 最後に眼鏡をかければ完成だ。

「あー、あー」

 あとは、いつもと声のトーンが変えられるとよいのだが。
 鬼ごっこだから会話することもないか。鬼を見つけたら速やかに逃げよう。
 そう結論付けた私は再び鞄を持って図書館へ移動した。


 図書館へ入り、すぐさま自習スペースへと向かう。
 座る席は、机に仕切りがあり、集中して作業ができそうなところを選んだ。ちょうど入り口が見える場所でもある。
 テニス部のジャージを着た生徒が来れば、一発で分かるだろう。
 放課後一時間をぼーと過ごすのも時間がもったいないので、私は鞄から教科書とノート、筆箱を取り出し、授業で出た宿題に取り組むのであった。

 黙々と宿題を消化していると、図書館の扉が開く音がした。
 姿勢を変えずに目だけ動かしたら、そこにはジャージを着した柳生の姿が見えた。
 勉強をしているふりをしつつ、そのまま観察する。どうやら彼は本を借りに来たようだ。
 パキッ。
 シャーペンの芯が折れた。
 いや、違う。あれは柳生ではなく仁王だ。
 彼が持っている本のタイトルを見て確信する。
 詐欺師の楽園。それは以前仁王から聞いたことがある、彼の好きな本だった。
 私の他にも自習スペースに人がいるから、目立つことをしなければ気づかれないだろう。
 幸いこちらに気づいている様子はないので、何事もなかったかのように視線をノートに戻して課題を再開させる。しかし、脳裏に仁王のジャージ姿がちらつき、課題に集中できない。
 なんとか区切りのよいところまで終わらせると、すでに鬼ごっこが終了している時刻だった。
 安堵の胸をなでおろし、私物を片付けて出入口へ。
 扉を開けると左手に紳士の皮を被った詐欺師がいた。彼は壁に凭れながら先ほど手にしていた本を読んでいる。

「……」

 動揺が悟られれば、せっかくの変装も台無しになってしまう。私は素知らぬ顔で扉を閉め、昇降口に向かおうとした。

「そこのお嬢さん、お待ちください」

「……私?」

 話しかけられたので、仕方なく足を止める。

「ええ、あなたです。私はここで白石さんを探していたのですが、図書館で見かけませんでしたか? 放課後、校内を案内する予定だったのですが……」

 ダウト。そんな約束はしていません。
 そもそも、名前まで出して、これは私の反応を伺うために質問しているのだろうか。わざわざ図書館の前で待ち伏せするなんて不自然すぎる。私が白石時雨であると分かっているならば、自習スペースまで来て捕まえればよいのだ。
 ならば、返答はこうしよう。

「白石さん……? そのようなかたは知りません。私は用事があるので、それでは」

 ぺこりとお辞儀をして、また昇降口へ歩む。
 淡々とし過ぎただろうか。

「……はぁ~、白石さん待ちんしゃい」

「え」

 右手首を捕まれた。手を離してもらえないと、前へ進めない。
 やむを得ず振り向き、彼から逃れようと腕をじたばたさせた。

「そう暴れなさんなって」

「だったら素直に離してください」

「そしたら白石さん逃げるじゃろ」

「私は白石さんではありません」

「意外と負けず嫌いじゃな。それじゃあ、名前はなんていうんじゃ」

「雪宮桜」

「雪宮、桜……」

 仁王の声が震えている。おそらく笑いをこらえているのだろう。

「信じてないでしょう」

「お前さんが白石さんだと確信しているからのう」

 疑いの眼差しを向けると、キッパリ返される。

「……いつ私が変装しているって分かったの?」

 これ以上反論しても無駄だと思い、白旗を揚げる。
 私が逃げないことを悟ったのか、仁王は腕の拘束を解いてくれた。

「正直、図書館へ入った時点では分からんかった。全校生徒の顔や名前を知っているわけじゃないからのう。だから本を借りて様子を見ることにした」

「ああ、それで詐欺師の楽園を借りたのね。私はあなたの好きな本を知っているから」

「正解。しかし、お前さんは手ごわかった。本を読んでいても、なかなか反応を示さない。図書館にはいないと思ったぜよ。その時、自習スペースからシャー芯の折れた音が聞こえた。音がした方向に着目すると、一人の女子生徒が俺の持っている本を見て固まっている。それで姿は違うけれど、白石さんじゃないかと目星をつけたんじゃ」

「待って、仁王くんの耳が良すぎる」

「んー、図書館は静かだから案外聞こえるし、その時は神経を尖らせていたからのう。あとは確信を得るために一旦廊下に出て待ち伏せをした」

「図書館から出るとき、平然としてたつもりだったけど……」

「たしかに、ぱっと見はそうじゃったけど一瞬、目が泳いでいた。それで確信したぜよ。この子は白石さんだってな」

 私は息を呑んだ。たいした観察眼だと思う。
 王者・立海のレギュラーである、仁王の強さが垣間見れた気がした。

「これで納得してもらえたかのう」

「ええ、完敗だわ。僅かな変化を見逃さないなんて」

「テニスの試合でも、些細な動作から相手の癖を見抜いたりするのも大事じゃからな」

「なるほど。……ところで、なんで柳生君に変装しているの?」

「プリッ」

 プリッ……?
 もしかして誤魔化されたのではないだろうか。
 しかし、ここで諦める私ではない。めげずに仁王の顔を凝視した。

「そんなに見つめられても答えんぜよ。自分で考えんしゃい。俺はそろそろ練習に戻るナリ」

 仁王は私の横を通り過ぎ、階段を下って行った。慌てて彼の背中を追いかける。

「もう、教えてくれてもいいじゃない。……部活頑張ってね!」

 声が届いたようで、仁王は振り返ることはなかったが、手をひらひらとさせるのであった。
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