このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

創作 短編集

彼は優しい。自分が生きいけるのは彼が助けてくれたからだ。彼の機嫌が悪い時は叩かれたりしてしまうが、そんなことは彼女の苦にはならなかった。
何も知らない彼女に彼が教えたのは2つだけだった。一つは「だんなさま」彼は自身を指差しながらそう告げた。もうひとつは「まるばのほろし」彼女を指して彼は告げた。
ーーその日から彼女はまるばのほろしとなった
まるばのほろし……まるは彼が大好きだった。鎖に繋がれ動ける範囲の狭い彼女に彼は何度も会いに来てくれた。それは大体彼女の食事を運びにであったが、時にはストレスを彼女で発散するためにだった。彼の機嫌が悪いときは1週間近く食事がない時もあった。傍から見れば死んだ方がましな生活だろう。だが何も知らない彼女はそんなこと、わかりもしなかった。それに……彼女は知っていたのだ。扉越しに泣く彼を、己を恥じ、悔いる彼のことを。だからこそ死ぬわけには行かなかった。自分を救ってくれた彼に寄り添うために。
しかしもっと彼のそばにいたいと思っても足元の鎖が邪魔をする。噛みきってやろうとしたこともあったが鈍く光る重たい鎖には傷一つつかなかった。
そんな生活が何年つづいただろうか。ある日それはやって来た。ふわふわと浮かぶ白と青の幼い少女だ。少女は何か言っているが分からない。彼女の知っている言葉はいまも「だんなさま」と「まるばのほろし」だけなのだから。少女はまだなにか言っていたが途中であきらめたのかその口を閉ざし、おもむろに彼女の足を繋ぐ鎖を破壊した。
ーようやく、ようやくだーーー
彼女を縛り付ける鎖はもう無い。この瞬間をどれほど待ち望んだだろうか。彼女は喜び勇んで初めて扉の外へ足を踏み出した。

そこに彼は居た。しかし様子がいつもと違う。白いシャツは赤くそまり、いつもの冷たくみてくる瞳は恐怖に満ちていた。
「あ、やめ……ころさないでくれ!しにたく……ない……」
いつもと違う彼の顔にぞくりと沸き立つものがあるが、それがなんなのか彼女にはわからなかった。

ー彼のもっといろんな顔がみたい
ー自分の見たことない顔が見たい
ー何をしたらあなたは別の顔を見せてくれる?

1歩、近づいてみた
「す、すまなかった……ひどい、ことっ」
ーーー酷いことなんてされてないよ?
1歩、近づいてみた
「ゆる……ひっ……たのむ……」
ーーー許す?私はただあなたに感謝したいだけ

けれど近づけば近づくほど彼の顔は恐怖に歪んだ。

違う

私はただ……
「まるには、私を責める権利がある……。酷い、仕打ちをしたのだからな……。せめて……一思いに、やってくれ……厚かましいっ……願いだが……」

わからないわからないわからない

彼にのばしかけた手を、何の気なしに壁にかかるハルバードの方へ向けた。
するとどうだ?彼は安堵したような顔をする。
そのままハルバードを構える。まだ幼い彼女には些か大きすぎる武器だった。
少しふらつきながらもハルバードを彼の首へとあてがってみた。うっすら涙を浮かべていた彼は祈るようにその目を閉じた。

私はただ笑って欲しかったのだ
私の前では偽りない姿を見せて欲しかっただけなのだ
ーーー扉の向こうで泣く彼に、寄り添いたかっただけなのだ

その願いも虚しく、彼は瞳を閉じたまま動こうとしない。彼女はなれないその武器を大きく振った。



彼が彼女を見ることはもうない

あの冷たい目でもよかった
いつか心の底からの笑顔に変えてみせるから

今はもう、その願いは叶わない
彼女は彼の血に濡れた武器を抱え、少女について行くことにした。
暗くよどんだ彼の瞳に別れを告げて
11/24ページ
スキ