歌う鳥と踊る猫
ふわりと頬を夜風が撫でる。追手の声はもう近い、そろそろこの場を離れなければならないだろう。
ゴテゴテと派手に飾り立てられ、まるで姿を隠す気のない服。奇抜な髪型、髪色。すぐに特定されてしまいそうな目、それを彩るペイント。明らかに闇には紛れることができない見た目。これを盗賊と言って信じる者がどれだけいるだろうか。
「……スラム街で生まれ育ったからと言って、死んだら……居なかったかのように忘れ去られるのなんてゴメンだよ」
追手のライトに照らされて、派手な姿がより一層闇夜に浮き上がる
「今の僕は……少しでも存在を主張出来ているかな?死してなお、僕のことを覚えていてくれる人はいるだろうか」
照らす明かりをスポットライトに見立てて、猫を模した帽子を脱いで軽く一礼をする。それを合図に逃げるように、闇の濃くなる方へと飛び移る。スラム街での生活に鍛えられた身体では、屋根から屋根へ飛び移る事など造作もなかった。自分の姿を見せつけるように飛んで、跳ねて、クルクルと回りながら去る様子はさながら踊っているようで。
「楽しそうですね、お嬢さん」
あれほど目立っていた姿すら見えなくなるような暗がりへたどり着いた時、声が聞こえた。
「こんな暗い夜道を1人は危ないですよ」
低すぎず、高すぎずたいして大きくもない声。けれど不思議と響き渡る。
「……心配は、無用だよ」
早く立ち去りたいのに何故か体は重く動かない。
「先程までの身軽さはどこへ行ったのでしょうね、泥棒猫さん」
泥棒猫と言う言葉に危機感を覚える。逃げなければ、相手は、自分のことを知っている。なのに……それに反して、体からは力がぬけてずるずると座り込む。
「話すな……聞きたくない。君の声は、嫌いだ」
思えば声が聞こえてきたその時から、じわじわと絡み取られて行くように体が動かない。
「そんなつれないこと、言わないで下さい」
ようやく相手の姿が視界に入る。長めの前髪で隠れ気味な目、自分と違って闇に紛れる黒い服。相手のほうがよっぽど盗賊らしいが、胸元には案の定警察のバッチ。
捕まってはならない
なぜなら、捕まれば忘れ去られるだけだから
なぜなら、猫は自由であるべきだから
「捕まる気はないよ」
ぎろりと相手を睨みつけるが、相手は怯むどころかより近づく。
「捕まって下さいよ」
そのままそっと手をとられる。手錠をかけられるのかと覚悟したが、そんなことはなく。ただそっと弄ぶように指を絡められる。
「私はあなたに惚れました。私に捕まってはくれませんか?」
耳を疑った。なんの冗談だろうか。けれど彼は自分の返事を待つこともなく優しく告げる。
「いいえ……返事はいりません、私の物にします」
そう言って離れると、すぐそこにいるはずなのに闇に溶け込んで見えなくなる。ただ何かの炎の赤だけが煌々と辺りを照らし、小さく聞こえる鼻歌だけが彼を主張する。唯一自由の効かなかった手も今は自由。いつでも逃げ出せるはずだった。けれど聞こえてくる歌が思考を乱し、声が絡みついてくるかのように体の自由を奪ってくる。
どれ位たっただろうか。明かりが近づき、鼻歌が大きくなる。ぼんやりと彼が手に持つその明かりを見つめる。よく見るとそれは赤々と熱を持ってはいるが、彼が胸元に付けていた警察のバッチだった。
そっと、先程のように手を取られる。触れてはいけない程の熱を持ったそのバッチがゆっくりと手の甲に近づけられる。
何が行われようとしているのか、分かるはずなのに思考が追いつかない。体が動かない。
抵抗も出来ないまま、予想していたことは無慈悲に行われた。
鋭い痛みと熱さ、肉の焼ける音。思考までも焼き切れそうになる。恐怖や痛みよりもさきに生理的な涙が溢れて、こぼれ落ちる。
熱い
痛い
痛い
痛い!!!!!!!
けれど幸か不幸か、痛みで声に囚われていた体の自由を取り戻す。
痛みでふらつく体に鞭を打ち、彼の手の届かない屋根の上へ飛び上がる。
「もう行くんですか?」
当たり前のように問いかけてくる彼。震える声を張り上げて返す。
「当たり前だろう!僕は、君に捕まるのも!君のものになるのもっ!真っ平御免だ!」
崩れ落ちそうになりながらも後ずさりつつ、続ける。
「僕は……猫は、自由だ!」
愉快そうに笑う声が響く。至極嬉しそうな顔をして、彼は自分に手を振る。
「あぁ、お嬢さん?行く前に名前だけ教えて頂けませんかね?」
彼に背を向け逃げ去ろうとする僕に、そんな声がかかる。
「……タンツェン、カッツェ。言っておくけれど本名だよ」
焼かれた手の痛みで、早く戻りたいのを抑えて答える。名前を聞かれたのは初めてで、どうしても答えたかったのだ。
「……あなたにピッタリだ。私はヴァルター、ヴァルター・ジングフォーゲル。お見知り置きを」
そんな声を聞こえなかったかのように無視して彼の視界から身を隠し、その場を去る。
忘れてしまいたかった。けれど手の痛みが、リフレインするあの声が。
きっと忘れさせてはくれないのだろう。
暗闇でも自らを主張し、猫のように軽やかに、踊るように夜を駆ける彼女に私はひと目見た時から囚われた。
願わくは、何物にもとらわれないように見える彼女を捕らえて……自分の物にしてしまいたい。自分が、自分だけが彼女を縛る鎖でありたい。
付けた焼印はマーキングだ。彼女は私のものだという証。
けれど、私が惹かれたのは彼女の自由な所。だからこそ彼女が私から逃げ出したことは残念だが、若干嬉しくもあったのだ。
いつか、踊る猫を自らのものにすることを夢見て───
ゴテゴテと派手に飾り立てられ、まるで姿を隠す気のない服。奇抜な髪型、髪色。すぐに特定されてしまいそうな目、それを彩るペイント。明らかに闇には紛れることができない見た目。これを盗賊と言って信じる者がどれだけいるだろうか。
「……スラム街で生まれ育ったからと言って、死んだら……居なかったかのように忘れ去られるのなんてゴメンだよ」
追手のライトに照らされて、派手な姿がより一層闇夜に浮き上がる
「今の僕は……少しでも存在を主張出来ているかな?死してなお、僕のことを覚えていてくれる人はいるだろうか」
照らす明かりをスポットライトに見立てて、猫を模した帽子を脱いで軽く一礼をする。それを合図に逃げるように、闇の濃くなる方へと飛び移る。スラム街での生活に鍛えられた身体では、屋根から屋根へ飛び移る事など造作もなかった。自分の姿を見せつけるように飛んで、跳ねて、クルクルと回りながら去る様子はさながら踊っているようで。
「楽しそうですね、お嬢さん」
あれほど目立っていた姿すら見えなくなるような暗がりへたどり着いた時、声が聞こえた。
「こんな暗い夜道を1人は危ないですよ」
低すぎず、高すぎずたいして大きくもない声。けれど不思議と響き渡る。
「……心配は、無用だよ」
早く立ち去りたいのに何故か体は重く動かない。
「先程までの身軽さはどこへ行ったのでしょうね、泥棒猫さん」
泥棒猫と言う言葉に危機感を覚える。逃げなければ、相手は、自分のことを知っている。なのに……それに反して、体からは力がぬけてずるずると座り込む。
「話すな……聞きたくない。君の声は、嫌いだ」
思えば声が聞こえてきたその時から、じわじわと絡み取られて行くように体が動かない。
「そんなつれないこと、言わないで下さい」
ようやく相手の姿が視界に入る。長めの前髪で隠れ気味な目、自分と違って闇に紛れる黒い服。相手のほうがよっぽど盗賊らしいが、胸元には案の定警察のバッチ。
捕まってはならない
なぜなら、捕まれば忘れ去られるだけだから
なぜなら、猫は自由であるべきだから
「捕まる気はないよ」
ぎろりと相手を睨みつけるが、相手は怯むどころかより近づく。
「捕まって下さいよ」
そのままそっと手をとられる。手錠をかけられるのかと覚悟したが、そんなことはなく。ただそっと弄ぶように指を絡められる。
「私はあなたに惚れました。私に捕まってはくれませんか?」
耳を疑った。なんの冗談だろうか。けれど彼は自分の返事を待つこともなく優しく告げる。
「いいえ……返事はいりません、私の物にします」
そう言って離れると、すぐそこにいるはずなのに闇に溶け込んで見えなくなる。ただ何かの炎の赤だけが煌々と辺りを照らし、小さく聞こえる鼻歌だけが彼を主張する。唯一自由の効かなかった手も今は自由。いつでも逃げ出せるはずだった。けれど聞こえてくる歌が思考を乱し、声が絡みついてくるかのように体の自由を奪ってくる。
どれ位たっただろうか。明かりが近づき、鼻歌が大きくなる。ぼんやりと彼が手に持つその明かりを見つめる。よく見るとそれは赤々と熱を持ってはいるが、彼が胸元に付けていた警察のバッチだった。
そっと、先程のように手を取られる。触れてはいけない程の熱を持ったそのバッチがゆっくりと手の甲に近づけられる。
何が行われようとしているのか、分かるはずなのに思考が追いつかない。体が動かない。
抵抗も出来ないまま、予想していたことは無慈悲に行われた。
鋭い痛みと熱さ、肉の焼ける音。思考までも焼き切れそうになる。恐怖や痛みよりもさきに生理的な涙が溢れて、こぼれ落ちる。
熱い
痛い
痛い
痛い!!!!!!!
けれど幸か不幸か、痛みで声に囚われていた体の自由を取り戻す。
痛みでふらつく体に鞭を打ち、彼の手の届かない屋根の上へ飛び上がる。
「もう行くんですか?」
当たり前のように問いかけてくる彼。震える声を張り上げて返す。
「当たり前だろう!僕は、君に捕まるのも!君のものになるのもっ!真っ平御免だ!」
崩れ落ちそうになりながらも後ずさりつつ、続ける。
「僕は……猫は、自由だ!」
愉快そうに笑う声が響く。至極嬉しそうな顔をして、彼は自分に手を振る。
「あぁ、お嬢さん?行く前に名前だけ教えて頂けませんかね?」
彼に背を向け逃げ去ろうとする僕に、そんな声がかかる。
「……タンツェン、カッツェ。言っておくけれど本名だよ」
焼かれた手の痛みで、早く戻りたいのを抑えて答える。名前を聞かれたのは初めてで、どうしても答えたかったのだ。
「……あなたにピッタリだ。私はヴァルター、ヴァルター・ジングフォーゲル。お見知り置きを」
そんな声を聞こえなかったかのように無視して彼の視界から身を隠し、その場を去る。
忘れてしまいたかった。けれど手の痛みが、リフレインするあの声が。
きっと忘れさせてはくれないのだろう。
暗闇でも自らを主張し、猫のように軽やかに、踊るように夜を駆ける彼女に私はひと目見た時から囚われた。
願わくは、何物にもとらわれないように見える彼女を捕らえて……自分の物にしてしまいたい。自分が、自分だけが彼女を縛る鎖でありたい。
付けた焼印はマーキングだ。彼女は私のものだという証。
けれど、私が惹かれたのは彼女の自由な所。だからこそ彼女が私から逃げ出したことは残念だが、若干嬉しくもあったのだ。
いつか、踊る猫を自らのものにすることを夢見て───
1/1ページ