crank up 🌱🧸
初めて出会ったのは数ヶ月前。私がこの街に引っ越してきて数日経った頃だった。
昨日も一昨日も駅には行ったから流石に地図を見なくても大丈夫だろうと調子に乗った保乃は案の定道に迷った。
その時助けてくれたのが彼女だった
「どうかしましたか?」
身長は低めで可愛い顔をしているのに雰囲気はとてもかっこいい。それが第一印象。
「あっちょっと道に迷っちゃって…駅に行こうと思ったんやけど……」
「駅でしたらそこの角を曲がってずっと真っ直ぐいったらありますよ。」
「あ、ありがとうございます....」
「いえいえ」
最後に少し見せた笑顔。惚れるには十分すぎるくらいだった
*
それからというものの毎日交番の前を通り駅へ向かう。もっと近道はあるはずだけど、その人に会う為だけに、遠回りをした。
「おはようございます」
「お、おはようございます....」
毎日挨拶してくれるその人。
きっと彼女にとって保乃のことなど映画にしたら「毎日通りかかる通行人B」くらいの脇役。いや、それすらの名前もつかないエキストラだろう。
それでも良い。どんな役でもいい。
彼女からその一言を貰えるだけで1日頑張ろうと思えた。私の映画においては既に彼女は主演と同等くらいの重要人物だった。
今日もいつも通りの朝、いつも通り挨拶をされ、いつも通りのトーンで返す....はずだった
「おはようございます」
「……」
気づいたら足を止めて彼女をじっと見つめていた。
ふと思った、もっと知りたいと。
ただのエキストラでは物足りなくなってしまった。欲張りだろうか。
「どうしましたか?」
不思議そうにキョトンとした顔を浮かべ首を傾げる彼女
「あ、あの、、お名前教えて貰えま、せんか……」
徐々に小さくなる声。
何も返事はない。
当たり前だ。急に知らない人から名前を聞かれて答えるわけが無い。ましてや相手は警察官。
数秒前の自分に後悔が積もる。
「ふはっ笑」
「え、?」
急にケタケタ笑いだした彼女。何が面白いんだろうか。
「ひかる。森田ひかるです。あなたは?」
「え、あっ田村保乃です……」
「田村さんですか。私もずっと気になってたんですよ。お名前。」
「え、?」
耳を疑った。
「お、覚えてくれてたんですか……」
「もちろん。綺麗な人だなって思ってましたから。」
「なっ……//」
なんの照れもなく言う彼女がどんな人なのか全く掴めない。
今多分めっちゃ顔赤いわ……
「あ、あの失礼します!!」
あまりの恥ずかしさに一方的にそう言い残し、その場から逃げ去ってしまった。
森田…ひかる、、、
私の何も起きないモノクロの人生が少し色を持ち始めた気がした。
*
あれから2週間。今までは挨拶を交わすだけだったけど、会話もするようになり、少しづつだけど森田さんのことを知ることができた。
年齢は23歳で私より3個下。警察学校卒業後、この交番に配属されたらしい。
今日もいつも通りの道で駅まで歩いているとなんだか楽しそうな声が聞こえてきた。
「おはようございまーーーーす!!!」
「はい。おはよ〜」
黄色い帽子を被った数人の小学生とお話をしている森田さん。
「ねぇねぇ警察官さんって、恋人とかいないのー???」
「えーいないなぁ」
「え!じゃあさ好きな人は!!!!!」
「好きな人〜?どうだろう」
明らかに濁した返事。
おるんや……好きな人、、。
「え!絶対いるやつじゃん!!!どんな人なの!!」
「えっとね〜笑顔が素敵でー、とっても綺麗な人」
それを聞いた瞬間キュッと胸が押しつぶされ苦しくなった。
そうだよね……そりゃあいるよね、、好きな人くらい
あーなんか嫌や…
保乃が嫉妬できるような立場やないのに、、毎日向けられているあの笑顔よりもっと上があると思うだけで黒い感情が顔を出す。
結局は彼女にとって保乃はただの脇役にすぎない。ヒロインになんて到底なれっこなかった。
「田村さん?」
交番の数メートル前で足を止めているとこちらへ歩いてきて心配そうな顔で覗き込んでくる森田さん。思わず制服の袖をギュッ掴む。
「大丈夫で……すか、?」
そっと重ねられた手。
初めて感じた森田さんの温もりはまるで人を助けるために作られたかのような、それくらい暖かくて安心できる手だった。
けどその温もりは今の私にとっては凶器にしかならない。
他の人に触れないで欲しい。その大きな黒目で私だけを見てて欲しい。私だけを守って欲しい。
そんな自分勝手なこと言えるわけない。
そっと森田さんの袖から手を離し駅へ向かう。
「田村さん!」
いつも欠かさず交わす挨拶も今日で途切れる。
あの時、普通に地図を見て駅に向かっていたら。あの時欲張らなかったら。
結末は既に決まっていた。演者がストーリーをいくら書き替えようとも変わらない。
それでも信じたくなかった。大逆転があるのではないかと何処かで期待してしまっていた自分がいた。
変わらない。変わるはずがない。
この物語の結末は…………バッドエンドだった。
*
ブー、ブー
目覚ましの音で目を覚ます。
「さっっむ……」
季節は冬。掛け布団から少し出たつま先が完全に冷えきってしまった。
「大変…もう行かなきゃ……」
まだまだぬくぬくしていたいところだけど大人しく布団から出て身支度を済ませる
「はぁ……」
あれから2ヶ月。
もちろん交番の前を通ることは無くなり、あの大好きな声も一度も聞いていない。
自分から諦めたのに彼女の声を思い出しては泣きそうになる日々。
ブブッ
電車の中でスマホを見ているとLINEニュースの通知がくる。いつもは目を通すことはないけどその見出しには【○○市○○区で不審者の通報多発。】と書かれていた。保乃の住んでいる街。そっとタップすると黒マスクと黒の帽子を被った男が写った防犯カメラの写真。記事を読み進めると既に女性2人が被害に遭っているようだった。
気をつけへんとな……
ただそれだけ、心のどこかでは他人事だった
*
仕事終わり、綺麗な満月が辺りを照らしている。
この時は知らなかった。まさかこんな事になるなんて。
帰路について少し経ったころだった。後ろに人影を感じたのは。
スマホを内カメにしてそっと後ろを確認すると黒マスクで黒帽子。今朝電車の中で見たニュースの男そのもの。
嘘やろ……
少し歩くスピードをあげる。見えてくるのはふたつに別れた道。右の角を曲がるとそこは行き止まり。沢山のゴミ袋が積まれていて、慌てて引き返そうと振り向いた時にはもう手遅れだった。
「ちょっと……何なん……」
じりじりと近づいてくる男。
「キャッ!!」
ガシャン!!
思い切り投げ飛ばされ、ゴミ袋の後ろに捨てられていた自転車が音を立てる。
「ねぇ、お姉ちゃん、、一緒に気持ちいことしよ、??」
マスクと帽子を外した男。
気持ち悪い……
声を出したいのに恐怖で喉が締まって、抵抗したいのに体に力がはいらない。
スカートの中に手が入ってきて、太腿を撫でられる。
「やめっ……助けてっ、、誰かっ、、ひかるっ、、」
ひかる…助けて、、
気づいたら彼女が来ることを願っていた。彼女なら来てくれる気がした。
もうダメだ…
諦めてぎゅっと目をつぶったその時
「何してる!!!」
しーんとした住宅街に響く声。眩しいほどに強いライトの光。
ずっと来てくれると信じていた人だった。
「てめぇ何しやがった!!!!」
彼女が男の胸ぐらをつかみ壁に叩きつける。
「な、なんだよ、!」
「保乃にっ!!何してんだよ!!!!」
いつも温厚でニコニコしていた彼女が別人のような形相で男を何度も殴る。その後ろ姿を私はただただ見つめるだけだった。
「森田!!!落ち着け!!!」
先輩やろうか、彼女と男を力づくで引き剥がす。男の唇からは血が流れ半分意識を失っていた。
「はぁはぁ……」
「森田。お前何してるか分かってるのか」
「……っ」
ひかるが下を向き拳をぎゅっと握るのが見えた。
「まぁいい、、これは無かったことに出来るよう何とかしてやるから。大事な人なんだろ。寄り添ってあげろ」
「はい……」
2人だけになったその空間に沈黙が流れる。
振り向いたひかるの目には涙が浮かんでいて、ゆっくりと伸びてくる彼女の手は血で赤くなっていた。
「ごめんね…保乃さん、、もっと早く来てれば……」
そっと頬に触れた暖かい温もり。
一気に体の力が抜け涙があふれる。
「ひ、かるっ……こわ、かったっ……」
「大丈夫…大丈夫だよ、、、もう私がいるから……」
彼女の小さくて大きな背中に腕を回した。
*
2人の呼吸が落ち着いたころ。隣に腰掛けていたひかるが静寂を切り裂くように口を開いた。
「保乃さん…好き、だよ、、」
「え、?」
その言葉に思わず目を見開く。
好きな人って私のことだったの、?
「保乃さん、勘違いしてたでしょ。あの時、」
「し、てた....」
あまりの急な出来事に驚きを隠せない
「ははっ笑 悲しかったんだから....来なくなっちゃって、、」
眉を下げてそう言う彼女を見て申し訳ないことをしてしまったなぁと反省する。
「私が守りたい。保乃さんを」
笑顔から一変。真剣な顔をした彼女に胸がトクンと音を立てる。横顔を月の光が照らし、2人の影が吸い込まれるように重なった。
「保乃も、、好き。だよ、、」
最初は脇役から始まったこの物語。
どうかこれからもひかるのヒロインであり続けられますように。
いつか訪れるクランクアップまで、最期まで ―――
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