第2話 いとけない笑顔
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目の前に並べられたふたつの皿に、夏目は戸惑っていた。
皿にはそれぞれ、取り分けられたミートソースパスタとカルボナーラが乗っている。
そして今その隣に、さらにコトッとコップが置かれた。
それには麦茶が注がれている。
「さて、食べようか。」
そう言ったのは、これらを用意してくれた花緒だ。
花緒は、夏目のものより一回り大きめの皿に、2種類のパスタをまとめて乗せている。
一緒に置かれているのは白いマグカップで、そこからは微かにコーヒーの香りがする。
ニコリと笑う花緒は、フォークを差し出してくれている。
夏目がそれを受け取ると、自分のフォークを持ったまま手を合わせて「いただきます」と言ってパスタに手をつけた。
それ見て、夏目も「いただきます」と言う。
ちらりと花緒の様子を見れば、早速ミートソースを一口食べていた。
それに少し安心して、夏目も皿を引き寄せ、ミートソースをフォークで巻き取る。
その家の人が食べる前に食事に手をつけることは気が引けるため、こうして花緒がすぐに食べ始めてくれて内心ホッとしていた。
正直、お腹は空いている。
朝ごはんにもらったのは、小さなロールパンふたつ。
ここにくる前に、使わせてもらっていた部屋の片付けと掃除をして、その家のおじさんと荷物の入った段ボールを宅配便の窓口へ運び、メモを頼りに1時間ほど電車に揺られてきた夏目は、とっくにお腹がぺこぺこだった。
それでも、きたばかりの家で図々しく「お腹がすいた」などと言えるはずもない。
本当のところ、食べられるものならなんでもよかったため、花緒の提案でミートソースもカルボナーラも食べられることになったのは、嬉しい誤算でもあった。
フォークに巻きつけたミートソースを、夏目はパクリと口に運ぶ。
トマトの酸味とひき肉の味が口の中に広がり、無意識に表情がふわりと緩む。
(美味しい……。)
夏目はもう一度ちらりと花緒を見る。
花緒はもう1/3ほど食べ進めており、今はカルボナーラをフォークに巻いていた。
どうやら交互に食べているらしい。
(カルボナーラ……も、食べてる……。)
そのことに安心して、夏目はカルボナーラの皿も引き寄せた。
フォークでそれを巻き取ると、フォークについていた赤いミートソースが、少しだけカルボナーラに混ざる。
けれど気にせず、夏目はそれを口に運んだ。
パクリと食べれば、今度はとろりとしたチーズの味と香ばしいベーコンの香り、そして少しのコショウの辛味が広がった。
(これも美味しい……!)
それからしばらく、夏目は黙々とふたつのパスタを食べ続けた。
取り分ける時、花緒は夏目の分を少し少なめによそってくれていたようだが、その量がちょうどよかったらしい。
食べ切る頃にはお腹いっぱいだった。
だが、ミートソースを食べ切り、カルボナーラがあとふた口ほどになったところで、不意に花緒がぽつりと言った。
「……やっぱダメだな。」
それに、ビクッと動きを止める。
慌てて顔を上げると、花緒は席を立って台所へ向かっていた。
その皿はすでに空っぽだ。
夏目は、何かしてしまったかと焦り、急いで思考を巡らせた。
(なんだろう……食べすぎた……?全部食べちゃダメだったかな……。)
ドクドクと心臓が耳の奥で鳴る。
どうすればいいかわからないまま、夏目はただ呆然と花緒の動きを目で追っていた。
台所へ向かった花緒は、調理台の裏で屈んでいるようで姿が見えない。
ゴソゴソと何か漁るような音が、嫌に響いて聞こえる。
ジッとそちらに視線を向けていると、数秒後立ち上がった花緒とバチっと目があってしまった。
どうしよう、余計に機嫌を損ねるだろうか。
けれどその心配は一瞬で崩れ去る。
目があった花緒は、ふにゃりと困ったような笑顔を見せたのだ。
(怒って、ない……?)
夏目がぽかんとしていると、花緒は手にしていたものを掲げつつこちらへ戻ってきた。
「いや〜、最近食べても食べてもお腹空くんだよね……。」
そう言った彼の手には、ドーナツがたくさん詰まった袋が握られている。
花緒は椅子に座ると、バリッと音を立ててその袋を開ける。
「まるまる2人分はさすがに多いんだけど、一人前だとちょっと足りないんだよねえ。」
困った困ったと言いながら、花緒は袋からドーナツをひとつ手にして口に運ぶ。
その表情は、困っているというより拗ねているような、子供っぽいものだ。
(こんな顔、するんだ……。)
未だぽかんとした顔で花緒を見返していると、気づいた花緒が「食べてみる?」と言って、半分に割ったドーナツを差し出してくれる。
「まる一個は貴志くんには多いと思うから、半分ね。」
「あ……ありがとう、ございます……。」
夏目は呆然としたまま、それでも礼は口にしつつそれを受け取る。
半分でも夏目の手のひらほどの大きさがあるそれは、クッキーのような硬めの生地で、半分にチョコがかかっている。
ドーナツなんて滅多に食べたことがないから、夏目は緊張と好奇心にドキドキしながらそれを齧った。
サクっと割れたそのカケラが、口の中に転がり込む。
サクサクと噛むと、小麦粉と卵の風味、それからチョコと砂糖の甘味が溶け出してきた。
「チョコのかかった揚げドーナツ。近所のスーパーのオリジナルブランドだから、安くて大容量なんだ。美味しい?」
ふたつ目のドーナツを袋から出しつつ、花緒が聞いてくる。
まだ口の中にドーナツが残っていた夏目は、その問いにコクコク頷いた。
花緒は「よかった」と言って、手にしていたドーナツを齧る。
それの様子を伺いつつ、夏目ももう一口ドーナツを齧った。
(優しい人だな……。)
なんとなく、気を遣ってくれているのがわかる。
最近は、自分は「嘘つき」と親戚に噂されているせいで、いく先々の家で最初から冷遇されることも多かった。
それでも優しい人たちがいなかったわけではないのだが、子供ながらによそよそしさは感じていた。
けれど、花緒にそんな雰囲気はなく、気を遣ってくれていることは伝わるが、どれも自然に受け入れられるものだった。
(……ずっとこうならいいな。)
思わず、そう望んでしまう。
きっとこの人も、夏目が"見えてしまうもの"のことを口走れば、そのうち気味悪がって離れていくだろう。
わかっている。
それでも、いつも望まずにはいられないのだ。
(……うまく隠したいな。)
ドーナツの最後の一口を飲み込んで、夏目はそっと胸中で祈った。
